モーパーゴおじさん、とわたしがかってに知りあいのごとく呼ぶマイケル・モーパーゴは、ほんとうはイギリス児童文学界の大御所です。それに、第二次世界大戦中の生まれなので、ほんとうはおじさんというよりも、もうおじいさんです。

 大御所ですから、これまで数々の児童文学賞をうけているし、〈子どものためのローリエット〉(*)も務めました。モーパーゴおじさんのすごいところは、授与された賞の多くは、子どもたちみずからが審査した賞だということ。小学校教師をしているときにストーリーテラーの才能にめざめ、作家に転身したというのもうなずけます。執筆のほかに、自分の農場で、都会の子どもたちに田舎の暮らしを体験させる活動もつづけています。彼の作品を読んでいると、子どもと動物がほんとうに好きなことが伝わってきて、頬がゆるんでしまいます。

*〈子どものためのローリエット〉については、モーパーゴが称号を得た当時のこの記事を参照してください。

 ところが、残念ながら日本では、マイケル・モーパーゴといっても、知る人ぞ知るのみでした。もう100冊以上もの作品を世に送りだしているというのに、邦訳されたのは『イッカククジラがきた浜辺』、『ケンスケの王国』、『兵士ピースフル』、『モーツァルトはおことわり 』、『カイト パレスチナの風に希望をのせて』をはじめとするほんの一部です。非常にイギリス的で派手さにかけること、子どもに対する優しい気もちから、物語をやや理想的に収める傾向にあることが原因ではないか、というのがファンの厳しい目による分析です(が、ファンとしては、そこがまた好きだったりするのです)。

 そんなモーパーゴおじさんにも、ついに日本で日の目をみる機会がおとずれました。『戦火の馬』の映画化です。イギリス国内ではすでに舞台化され、高い評価を得ていましたが、このたびなんと、スティーブン・スピルバーグ監督が映画化し、しかもアカデミー賞にノミネートされたのです(おしくも受賞はのがしましたが)。ああ、もうファンとしては鼻高々です。ずっとモーパーゴ作品を日本に紹介しつづけてこられた訳者の佐藤見果夢さんと、ハイタッチしたい気分です(と、恐れ多くも書いていますが、読者カードにお祝いを書く勇気さえありません。はい)。はたして、本の売り上げは好調らしく、手元にある邦訳の奥付によると、初版がでた次の月にはもう三刷が発行となっているではありませんか。これはもう、映画を拝みにいくしかありません。

 たまにしか足を運ばない映画館の、最近すっかり進化したシートにゆるりと腰かけると、期待はいやがうえにも高まります。そして……。いきなり画面にのみこまれました。延々とつづく、なだらかに傾斜した牧草地。そのところどころに石の塀が積まれ、馬がのんびりと足もとの草をはむ。まるでハンググライダーで低空飛行しているような、丘陵地をなめていくカメラワークは、3Dなぞなんのそのの迫力です。映画っていいなと、のっけからうっとり。

 おっと、ここで映像に圧倒されていないで、まず原作のあらすじをお伝えしておかなくてはいけませんね。イギリスの農場の息子アルバートは、父親が買ってきた、サラブレッドの血が混じる子馬のジョーイを、一目で気に入りました。その日から少年と若駒とは、ともに成長しながら固い友情でむすばれていきます。ところが、借金で首が回らなくなった父親が、かってにジョーイを軍に売ってしまいます。第一次世界大戦のさなかのことでした。軍馬として鍛えられたジョーイは、大陸の前線に送りだされます。銃弾のとびかう戦場で、劣悪な環境の野営地で、過酷さに打ちのめされそうになるジョーイ。しかし、彼は生きのび、なんとも数奇な運命をたどることとなりました。

 さて、原作と映画の脚本とはえてして異なるものですが、この作品も例外ではありません。決定的なちがいは、主人公である馬のジョーイが物語らないこと。じつは原作は地の文が馬の語りになっています。でも、もちろん地の文のない映画では、馬の語りは再現できません。主演の馬(複数の馬が交代で演じたようです)は、原作の「しゃべりっぱなし」とちがって、せりふのない馬の脚、もとい馬の役となったわけですが、訓練された精鋭だけあってすばらしい演技をしています。そういえば、原作にはでてこないアヒルが、キュートな演技で観客の心をわしづかみにしてくれました。戦争の場面が多い作品ですが、ここはさすがにディズニー映画の面目躍如といったところでしょうか。こんなふうに、登場人物(それに登場アヒル)やエピソードなど、細かな設定はちがっていても、もちろんモーパーゴおじさんのいわんとすることは、伝わってきます。原作という幹から、新しい枝が伸びるのをめでる気もちで映画を楽しみました。

 ところが意外にも、原作と同じであるがゆえにどうしようもない違和感をおぼえる点がでてきました。言語です。ジョーイが大陸でであうドイツ人やフランス人は、みんな英語で会話しています。でも、話の流れからすると、それらはどう考えても現地の言葉が使われる場面です。いっしゅん目が点になったわたしは、頭のなかで必死に原作を思いかえしました。こんな違和感、原作にあったっけ? いや、なかった気がする。動揺するわたしの目の前で、銀幕のイギリス兵がドイツ兵に、「おまえは英語がうまい」などといっています。えっ、今のは英語でいいわけ? もうそこからは、すっかり映画どころでなくなり、ドイツ人やフランス人が話すたびに、これは何語とおもって聞けばいいのかと気をもむ始末。しかも字幕では人名はきちんとドイツ語、フランス語読みになっているのですから、ますますわけがわからなくなってきます。こうして混乱のまま、感動もそこそこにエンドロールをむかえてしまいました。

 これは原作をたしかめなくてはと思ったのは、いうまでもありません。しかし、そこでわたしは、さらにぎょっとさせられました。映画を観る前にはそのようなことはなかったのに、今回は思ってしまったのです。イギリス生まれのジョーイよ、きみはどうしてドイツ語やフランス語を聞きとって、自分の運命の成行きをすっかり把握していたんだい? こんなはずではなかったと頭をかかえたわたしは、さらにこんなことまで考えてしまいました。まてよ、そもそも馬は人間の言葉がわかるものかな? 心が通じあうことはあっても、兵士の身の上話などという高度な会話まで理解できるだろうか? こうなるともう疑心暗鬼です。モーパーゴおじさん、ごめんなさい。物語をどこまで信じていいのかわからなくなってしまいました。

 そのとき、混乱のなか、かろうじてのこっていた理性の声がきこえてきました。まあ、おちつきなさい。吾輩の国の名作に、猫が言葉を駆使して、皮肉たっぷりに主人の日常を語る小説はなかったかな? 物語を信じなさい。ルールを思いだせ。

 そう、ルール! それです。本と親しくなった者が、だれにおしえられるともなく自然に身につけるルール。それは、本の扉をあけたら、作者が築く世界に身をゆだねること。たとえすべてがひとつの言語で書かれていても、地の文が「これは他言語のせりふです」というメッセージをだしていれば、読者はそれを他言語におきかえて読む。猫がしゃべっても、馬が人の話を理解しても、世界ができてさえいれば、読者は物語をうけいれる。そんな、暗黙のルールがありました!

 ところが地の文のない映像では、そのルールはつかえません。なにしろ他の言語におきかえる隙もなく、スクリーンの役者さんがそこで話しているのですから。原作で文字をおうときには、読者の自分が他言語を読むフリをしていたのに、映画では目の前で役者さんが、他言語をしゃべるフリをしている……。ルールを喪失したわたしは唖然とし、混乱した頭のまま原作を再読したため、さらに困った事態となったのでした。

 さてさて、モーパーゴおじさん、どうしましょう。映画化でメジャーになったのはうれしいけれど、多数の言語が話されるこの作品には、こんな落とし穴があったのです。と、途方に暮れるわたしに、映画にくわしい友人がなんなく解決をもたらしてくれました。アメリカ映画だと、このようにどの言語のせりふも英語にしてしまうという手が、割とよくつかわれているというのです。ぎゃふんです。オープニングロゴのあとからは、監督の構築した世界に耳までどっぷりひたるという、こちらのルールがあったのですね。ならばなんのことはない、したがうまでです。こうしてアメリカ映画鑑賞のルールを会得したわたしは、もう度肝をぬかれることはないと、ほっと胸をなでおろしたのでした(もっとも、最近は他言語を採用するアメリカ映画もふえたらしい、ということを蛇足ながらつけくわえておきます)。

 と、ここまでは、職業柄か欲深さからか、英語の映画を観るときには、つい原音を聞きつつ字幕を見てしまうわたしのびっくり体験でした。ところがよくよく考えると、字幕のみを読んだり、吹き替え版を観たりする人なら、どんな言語でも、すべて日本語で頭にとどいている。つまり、すべてを英語でとおすアメリカ映画と同じ状態ということになります。モーパーゴおじさん、わたしは藪をつついて蛇をだし、ひとりで大騒ぎをしていたようです。じつはまったく問題なかった。みなさん、するりと映画「戦火の馬」を楽しんでいるのですね。と、ここでまた疑問がわきました。地の文の説明がなくて、せりふがすべて英語、または日本語の場合、ひょっとしてひょっとすると、登場するイギリス人とドイツ人とフランス人の区別がつかないのでは? おっと、また藪蛇になりそうですので、本日はこのあたりで失礼いたします。いやあ、外国映画と言語の問題って奥が深いですね。それでは、さよなら、さよなら、さよなら。

おおつか のりこ(大塚典子) 福島県出身。北海道大学卒業。訳書に、メドー『ルルと魔法のぼうし』、スチュアート&ランキン『シャンプーなんて、だいきらい』、共著に「キッズ生活探検 おはなしシリーズ」など。やまねこ翻訳クラブ会員。

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