みなさんこんばんは。第28回のミステリアス・シネマ・クラブです。このコラムではいわゆる「探偵映画」「犯罪映画」だけではなく「秘密」や「謎」の要素があるすべての映画をミステリ(アスな)映画と位置付けてご案内しております。

 あけましておめでとうございます。2020年代の幕が開きましたねー。2019年の終わりには、2010年代を振り返るということでベスト映画記事やベスト小説記事がたくさん出てきて、「ベスト10」とか「ベスト100」と書いてあるものがだいたい好きな私は大喜びしておりました。

 さて、これからの2020年代がどんなカルチャーがあった時代として記憶されるのか……についてはまだ全く想像もつきませんが、2010年代については振りかえったとき「SNSの時代」「拡散する自己の時代」という印象を持つ人は多いのではないでしょうか。2010年製作の『ソーシャル・ネットワーク』を10年代のベスト10にチョイスする人が国内外問わず多かった(私もそのうちの1人です)のも、何か象徴的なものを感じるから……というのはあるかもしれないですね。

 今月ご紹介するのは、そんな「2010年代のSNSカルチャー」を象徴するような、小粒でピリッとした2017年のダークコメディ。マット・スパイサー監督『イングリッド -ネットストーカーの女-』です。劇場未公開ながらも、この映画の中の「ものすごく近くてありえないほど遠い」他者との距離感が混乱したSNSの捉え方は非常に丁寧で、自分はそこまで中毒化してないから縁遠いと笑ってはいられない何かを感じました。問題はSNSではなく、そこで可視化されることで加速し膨張していく「あらまほしき私」という欲望の爆発なんですよね……

■『イングリッド -ネットストーカーの女-』(Ingrid Goes West)■


あらすじ:結婚式に私を呼ばないなんて!許せない!とSNS上の友人にブチ切れて披露宴に突撃し大暴れしたイングリッド(オーブリー・プラザ)。施設に入れられてスマホを禁止されたのはつかの間のこと、出所後はまたSNS中心の生活を送る日々だ。彼女が今夢中なのは、華やかで文化的な生活を送るSNSセレブのテイラー(エリザベス・オルセン)。彼女と仲良くなって、私も人気者になりたい!というわけで母の遺産を全額引き出し、札束を背負って彼女が暮らす西海岸へ。早速憧れのテイラーのインスタ情報を頼りに、お近づき大作戦を開始したところ……

 一定の年齢より下であればSNS用に人生をコンテンツ化するのは現代社会においてもはや前提。そんな時代に、編集された日常の欺瞞や関係性中毒をただ苦笑させるのではなく、「良くも悪くもSNSからしか生まれない物語」を描き出すことで「自意識から出現した人間の欲望はとかくややこしく、暴走は止まりにくく、認知はしょっちゅうバグる」という現実を冷静かつ多面的に見せることに成功しているのが今作だと思います。

 SNSには「素敵な私」のポートレートが溢れています。インフルエンサーは人気があるからこそインフルエンサー。そこに「あんなふうになりたい、友達になりたい」を感じることは別に珍しいことではありません。ただ、メンタルイルネスを抱えたイングリッドの場合、そのタイミングでちょっとしたお金があって、異様な行動力があって、なまじっか色々うまくいってしまって、だから大変なことになって……という筋自体も面白いのですが、私が今作に惹かれるのは「こう見られたい」欲望が何もかもを飲み込んでしまう様子が非常に説得力を持って描かれている点。これってSNSというトピックに限った話ではないけれどSNSでは可視化されるので特に目立つ「人間の人間らしさ」の1つだと思うのですよ……。

 イングリッドの「あらまほしき私」に擬態する姿の可笑しみと悲しみもさることながら、イングリッドが計画的かつ不法手段で近づいたターゲットのテイラーの「それらしさ」以外には何もない人ぶりも印象に残ります。彼女からは「絵に描いたような西海岸のインスタセレブらしさ」以外の何も見えてこないし、おそらく「本当に好きなもの」はどこにも出現していない。SNS内外問わず、コメントはいつも「最高!」。ハッシュタグでの自己啓発的メッセージ。素人っぽく作り込まれた「ナチュラル」なアングル。その妙なリアル感に笑いながらも、ちょっと冷え冷えした気持ちになってくる。

 テイラーの「切り貼りされた人生」の「ネタ元」になっている夫の人生も複雑です。売れない画家で妻の財力頼み、でもSNSでのセルフPRは自分のアーティスト性を損なうものだからやりたくない。SNSをやらないから自意識から自由になれるかというとそういう問題でもなく、彼もまた「見られたい自分」に執着しているのです。日々、見えない何かを奪われながら。

 この映画内で多分唯一自意識をこじらせていないのが、イングリッドの暮らす部屋の大家で、全く見込みのないバットマンの脚本を書き続けているボンクラ男子。この人だけは「これを好きだということでどう見られるか」ではなく「これが好きだ!」だけで完結しているのが象徴的です。まあ変人ではあるのですが。そんな彼は当たり前のこととしてSNSはやっている。やはり問題は「SNSそのもの」ではないわけですよ……

 人生のコンテンツ化における「財力格差」が織り込まれているのも秀逸です。所謂「実家が太い」人であるテイラーはカードの残額を気にすることなく素敵なお買い物の内容をアップし続けられるからこそ、センスが良くポジティブなインスタ上のセレブであり続けるわけです。一方、イングリッドはリュックひとつぶんの札束が尽きてスマホの充電が切れたらSNS人生、つまり彼女にとっての人生は終わってしまう状態。このなんともいえないやるせなさ……

 であるからこそ、苦笑いを通り越して胸が締め付けられてくる後半から、なんともいえない余韻を残すラストまでがジワリと心に痛い。「存在を認められる」ということはかくも麻薬的なのです……どんな展開になるかは、是非、ご覧になってお確かめください。


■よろしければ、こちらも/『キャット・パーソン』クリステン・ルーペニアン


 昨年話題になったこの作品も捻れた自己愛と欲望が止まらなくなった人の暴走描写にギョッとする短編が多く収録されていて、お気に入りの1冊です。「誰かをコントロールしたい」という昏い欲望が〈実現できそう/できるもの〉になったとき、人は簡単に何かを踏み越えてしまう。表題作で若い女性主人公がスマホでのやりとりならそれなりに楽しかった年上の冴えない男と「ないわー」と思いながら寝てしまった理由、結果、その先にあったもの。魔術で男を呼び出してしまった女が欲望を叶えるために暴力を重ねる『キズ』。あるカップルが居候の男子をいたぶることに夢中になる『バッドボーイ』。振り向いてもらえない相手に親しく感じてもらおうと振る舞ううちにドツボにハマっていったある男の少年時代『いいやつ』。どれも「よくある感情」から「よくわからない何かおぞましいもの」が生まれてくる奇妙な物語で、「優位に立てると思ったとき、わたしたちは誰かにとっての悪夢になっていく、いとも簡単に」という主題が何度も繰り返されます。

 何が恐ろしいって、読めば読むほどやはりこれが「わたしたち」の話だということーー世界を自分の思い通りになるように捻じ曲げたい(究極の自己愛の形!)という感情が自分にないとは全然言えないなとわかってしまうこと、なんですよね……ゾワリ……私はこういう誰一人安全圏にいさせてくれない話が好きなので、年齢性別立場を問わずいつ被害者になるか加害者になるか、さらにはいつそれが入れ替わるかわからない世界の捉え方がなされている話が大好きなのです。

 問題はSNSではなく、そこで現れてくる人間の根本的な認知のバグ問題だよなあ、と思うのですが、とはいえSNSで起きるとんでもないことのレベルも度を越してきている……人間とは……自由意志とは……という気持ちになるドキュメンタリーとして、Netflixの『アメリカン・ミーム』『グレート・ハック:SNS史上最悪のスキャンダル』『猫イジメに断固NO! 虐待動画の犯人を追え』といった作品もご紹介したいところですが、今回は文字数が尽きてしまいました。これらの作品についてはいつかまたこのコラムでご紹介できたらと思います。それでは今宵はこのあたりで。また次回のミステリアス・シネマ・クラブでお会いしましょう。

今野芙実(こんの ふみ)
 webマガジン「花園Magazine」編集スタッフ&ライター。2017年4月から東京を離れ、鹿児島で観たり聴いたり読んだり書いたりしています。映画と小説と日々の暮らしについてつぶやくのが好きなインターネットの人。
 twitterアカウントは vertigo(@vertigonote)です。



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