出版社には申し訳ないのだけれど、いくらなんでも、手にとってもらいにくい要素を抱えすぎな作品だと思う。

・タイトルから内容がわかりにくい(『三十三本の歯』って何?)

・真っ黒な背景に白抜きでタイトルだけという地味な表紙(よくみると愛嬌のあるクマがこっちを見ているのだけど)。

・シリーズものの二作目(しかも前作『老検死官シリ先生が行く』が出たのは四年も前)。

・一九七〇年代のラオスという馴染みのない地域が舞台(ラオスの首都は? と訊かれて即座に答えられる人はあんまりいないと思う)。

 ところが、これがなんとも不思議な読後感で、めっぽう面白い小説なのですよ!!

 こんなに素敵な作品が、このまま知る人ぞ知る作品として埋もれてしまうのはもったいないので、筆者としてはここで力を込めてオススメしておきたい。

 物語の舞台は長く続いた内戦が終わって王制が廃止され、社会主義政権が始まったばかりの七〇年代ラオス。

 主人公のシリ先生は、ラオス人民解放軍のために長年医療活動に従事していた老医師である。内戦のさなかで妻を失い深く傷ついたシリ先生、ようやく年金生活ができると思っていた矢先に、国内唯一の検死官に強制的に任命されてしまう。ほとんどの医師が国外に逃げ出してしまったラオスでは、老医師であろうと引退させておく余裕なんてなかったのだ。

 検死事務所のメンバーは、シリ先生のほか、隣国タイのファッション雑誌をこよなく愛する看護婦ドゥーイさん、そして助手を務めるダウン症のグンくん(役人からはクビにするよう言われているが、グンくんの才能を認めているシリ先生は頑として首を縦に振らない)の三人。

 これだけなら舞台が東南アジアというだけで、ちょっと変わった検死官ものなのだけれども、このシリ先生、千年前から生き続けているイエミンという偉大なる精霊を宿しているのである。この精霊の力で、シリ先生には死者の霊が見えてしまうし、霊にまつわる事件が自然と集まってくるのだ。

 霊界と現世を自在に往来するアジア的な世界観と、役人の腐敗や貧困といったアジア最貧国の過酷な現実とが共存し、コージーなあたたかみの中にも、悲しみと諦念をたたえた読み心地は絶品。

 似たテイストの作品はなかなか思い浮かばないのだけれど、強いて言えば仁木英之『僕僕先生』やバリー・ヒューガート『鳥姫伝』などの東洋的ファンタジー作品に近いかもしれない。

 著者のコリン・コッタリルはタイ在住のイギリス人作家。共産主義国を舞台に西側の作家が書いたミステリと言えば、古くはマーティン・クルーズ・スミス『ゴーリキー・パーク』、最近ではトム・ロブ・スミス『チャイルド44』などがあるけれど、この作品ほど、相手国に対する愛にあふれた小説はないだろう。

 このシリーズ、原書では八巻まで出ているそうなのだけれど、日本では、一作目である『老検死官シリ先生が行く』が出てから本書が訳されるまで四年もかかっている上に、続きが出るかどうかは未定とのこと。

 ぜひぜひ、続きも出してくれるよう、お願いしますよ、ヴィレッジブックスさん!

 あ、そうそう、タイトルの『三十三本の歯』とは精霊を宿した人の証しで、釈迦も三十三本の歯を持っていたのだそうです。もちろんシリ先生も。

風野 春樹(かざの はるき)

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 精神科医兼SFレビュアー。鳩サブレーを愛する男。「本の雑誌」で「サイコドクターの日曜日」、「こころの科学」で「精神科から世界を眺めて」連載中。瀬名秀明『希望』(ハヤカワ文庫JA)の解説書きました。

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