3 もし

 もし、である。

 もし、あの宝くじが当たっていたら……もし、この人と結婚していなかったら……ではなく、もし、織田信長が本能寺の変で死ななかったら、もし、南北戦争で南軍が勝っていたら、という、歴史改変小説の話だ。

 もし、第二次大戦でナチ・ドイツをめぐる戦局が変わっていたら、という設定では、『高い城の男』『SS‐GB』『ファーザーランド』、最近の『ファージング』3部作など、多くの傑作が生まれている。同じような設定の作品で今年邦訳されたのが、アラン・グレン『鷲たちの盟約』だ。ルーズヴェルトが暗殺されてポピュリストのロングが大統領となった、1943年のアメリカが舞台。秘密警察化する組織に反抗する警部補が、アメリカとドイツの両国首脳会談にかかわる陰謀に巻きこまれていく。

 ちょうどこの本をおもしろく読んでいたとき、作者の覆面作家アラン・グレンはブレンダン・デュボイズらしい、という某氏のツイッターを見て驚いた。じつは、ブレンダン・デュボイズの『合衆国復活の日』という歴史改変小説を2002年に訳しているのだ。自分が訳した作家のサイトはときおりのぞいているが、変名で新作を書くというのは見た記憶がない。だが、調べてみると、デュボイズの出版社のサイトが堂々と、〝アラン・グレンて名前でも出てるから、こっちもよろしくね〟と宣伝しているではないか。

 うーむ、どういう意図で覆面にしたんだろう。

 まあそれはともかく、『合衆国復活の日』は、訳者としてもっと話題になってほしかった作品はなにか、と聞かれたら、まっさきに挙げる一冊なのだ。こちらは、もしキューバ危機が回避されなかったら、という設定で、核戦争によって主要都市が廃墟と化した1972年のアメリカが舞台。軍が政治を支配し、生き残った国民の自由が制限される中、一人の新聞記者が命がけでキューバ危機の真相を突き止めていく。

 この小説には忘れられないシーンがある。主人公の記者は放射能に汚染されているマンハッタンを訪れ、立ち入り禁止区域の〈フェンス〉に捧げられた死者への花やカードを目にする。訳出中に9・11テロが起き、いわゆる〈グラウンド・ゼロ〉においてまさにこのシーンが現実となった。デジャビュのようだった。

 そして「被曝量」「線量計」「除染」といった、訳出当時は耳慣れなかった言葉が、いまこの日本で日常的に使われるようになってしまった。

 『鷲たちの盟約』にもまた、現実との暗合がある。以下、佐々田雅子氏のあとがきから引用させていただく。「本書はヒューイ・ロングというキーパーソンの登場によって、ある意味でタイムリーな歴史改変小説になっている。……昨今、世界的にポピュリズムの勢力伸張がいわれ、日本でも橋下徹がポピュリストとして取り沙汰されているが、彼との対比でロングの名が引かれるようになっているのだ。」

 すぐれた歴史改変小説は、いつ書かれても、どの時代を改変しても、今日の現実を投影しているものだ。たとえ、この二作における投影が、作者が意識しなかった偶然だとしても。

 『合衆国復活の日』は(訳者のひいき目で見れば)『鷲たちの盟約』にまさるとも劣らない作品なので、ぜひお勧めしたいところなのだが、10年前の出版なのでもちろん品切れ。残念〜! とはいえ、この作家の力量があらためて脚光を浴びたことを喜びたい。

野口百合子(のぐち ゆりこ)。神奈川県生まれ、東京都在住。最近の訳書は、C・J・ボックス『裁きの曠野』『震える山』、ウィリアム・ケント・クルーガー『希望の記憶』『闇の記憶』、サラ・スチュアート・テイラー『死者の館に』など。

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