意地悪く眺める男、あるいは初心者のためのブライアン・フリーマントル入門

 ブライアン・フリーマントルはひどい作家である。

 小説家としての資質はひどくない。むしろ優れている。丁寧な人物描写に支えられた、登場人物たちの織りなす錯綜した利害関係。その行き着く先にある、予想外の結末。……と、こんなふうに並べてみると、なんだか直球勝負のまっとうな作家に見えますね。

 違います。

 フリーマントルの作品を支えているのは、そんな小説家としての技量などではない。そのひねくれた、あるいは皮肉な、あるいは意地悪なものの見方なのだ。

 それは、デビュー作の『別れを告げに来た男』にも十分にあらわれている。

 冷戦時代の英国。ソ連から宇宙工学者ベノヴィッチが亡命した。その一月後、ベノヴィッチ以上の重鎮である大物科学者パーヴェルも。ソ連の宇宙開発を知る二人を得た英国政府は喜ぶが、パーヴェルの事情聴取にあたったエィドリアン・ドッズはある疑念を抱いていた。その亡命の動機が、どうも腑に落ちないのだ……。

 という、いかにも冷戦期スパイ小説らしい物語。ドッズとパーヴェルの腹の探り合いを中心に描かれるのだが、読んでみると妙なことになっている。クローズアップされているのはドッズのぱっとしない日常だ。薄毛に悩み、だらしない秘書の遅刻を叱ることもできず、妻はよその女と同性愛に走ってしまう。そう、これが本書におけるヒーローの姿なのだ。

 優秀ながらも、うだつの上がらない男。そのせいか、彼の疑念は周囲に受け入れられない。ましてソ連宇宙工学の重鎮を確保して浮かれる政府上層部に、不吉な警告に耳を貸す者はいない。かくして、味方こそがドッズの任務遂行の障壁となる。こんなひねくれた構図が、フリーマントルの作品には珍しくない。

 まだ彼の作品を読んだことがなければ、まずはこの作品をおすすめしたい。もしあなたが、不幸にして本書に何の感興も催さなかったとしても、ページ数は少ない。時間の損失は少なくてすむ。

 でも、きっと楽しいひとときになるだろう。さえないおじさんが、身内に振り回されて右往左往する物語でありながら、その展開は華麗。終盤に仕掛けられた驚きは鮮烈だ。単純なハッピーエンドにはほど遠い終わり方だが、ラストの一行は闇雲にかっこいい。

 最大の障害が味方の側にあるという構図は、フリーマントルの看板ともいうべきチャーリー・マフィン・シリーズでも踏襲されている。

 第一作の『消されかけた男』では、英国情報部の腕利きスパイながら窓際に追いやられたチャーリー・マフィンが、KGBの大物を西側へ亡命させる任務を担うことになる。だがマフィンの行く手には、敵だけでなく、足を引っ張る味方も待ち構えているのだ。シリーズを通して描かれるのは、様々な罠をくぐり抜けて(時には引っかかって)どうにか生き延びるマフィンの姿である。

 彼に比べれば、ジョン・ル・カレ描くジョージ・スマイリーが、どれほど楽をしていたことか。少なくともスマイリーは、東側相手の諜報活動という本来の業務に専念することができたのだ。

 このあたりは、元英国情報部員のル・カレと、完全な部外者である元ジャーナリストのフリーマントルの姿勢の違いだろうか。もっともフリーマントルの手にかかれば、どんな組織にも暗闘と策謀が渦巻いてしまうのだが。

 1970年代に始まったマフィンの物語は、今なお続いている。これまた、冷戦終結とともにあっさり引退したジョージ・スマイリーとは対照的である。なにしろ、マフィンは生き残りの達人なのだ。自身のキャラクター設定を少しずつ変えて(ついでに少し若返って)、一度は離れた英国情報部に舞い戻り、今も生き延びている。さらには、ロシア情報機関に勤める女性とひそかに結婚してしまうのだ。

 そんなマフィンの今の姿を見たければ、『顔をなくした男』をおすすめしたい。第一作から順を追って読むのがベストではあるけれど、本書をつまみ食いするだけでも、冷戦以降の状況でスパイ小説がしっかり生き残っていることが実感できるはずだ(なにしろ、マフィンの最悪の障害、英国情報部は今なお健在なのだから)。

 組織内・組織間の暗闘と策略を描くのに長けたフリーマントル。作品の多くがスパイ小説だが、決してスパイ小説専門というわけではない。

 ロシア人刑事とFBI捜査官がコンビで犯罪捜査に挑むシリーズもあれば、欧州刑事警察機構の心理分析官が活躍する〈プロファイリング・シリーズ〉もある。

 ここでは、前者を紹介しておこう。『猟鬼』に始まるダニーロフ&カウリーのシリーズがそうだ。モスクワ民警の捜査官ダニーロフと、FBIの捜査官カウリー。米露共同捜査が必要な事件が起き、二人がコンビで事件を捜査することになる……というのが毎回のパターンだ。

 第一作の『猟鬼』では、モスクワで起きる猟奇連続殺人を描いている。被害者のひとりがアメリカ大使館員だったことから、捜査にFBIが介入するという展開だ。もちろんフリーマントルのことだから、米露の共同捜査が円滑に進むはずはない。米露双方とも、二人の上司がそれぞれに相手を出し抜くよう命じているのだ(失敗すれば相手国のせい、うまくいけば我が国の功績)。さらにFBIとCIAの確執や、モスクワでの権力抗争が絡み合う。一歩間違えば事件解決どころか、それぞれの地位が危うくなる難しい状況に。そんな中で、二人が互いをプロフェッショナルとして認め合う過程は、濁った物語の中で実にすがすがしい。そういえば、ドッズもマフィンも、その才覚でソ連側の敬意を勝ち取っていた。こうしたプロフェッショナルへの敬意もまた、フリーマントルらしさと言っていい。

 境遇の異なる二人の捜査官のコンビという王道の様式に、フリーマントルらしい組織内のごたごたが詰め込まれた、フリーマントル流の警察小説である。

 こうしてみると、フリーマントルという作家は、プロフェッショナルとしての矜恃を備えた個人には敬意を払う一方で、組織というものに強い不信感を抱いているようで、それが意地悪なものの見方にもつながっている。

 癖の強い視点ではあるけれど、組織の中で働いたことのある方なら、組織ゆえの面倒くささという点では共感できるところがあるはずだ(幸い、周囲に足を引っ張る輩がいないとしても)。

 本来片付けるべき仕事に付随して現れる、事務仕事ほか雑多な用事の数々。あれ、これも自分でやらないといけないの? あの人にも話を通しておかないと! ……フリーマントル作品における組織内の面倒は、そんな状況にもどこか似ている。

 本来やるべきことを片付けるために、うまく立ち回って雑事を処理する。深刻さの度合いは全く異なるけれど、フリーマントルの主人公たちが挑む障害は、働く人が遭遇する諸々の面倒とどこかで重なり合う。それゆえに、スリルと驚きに満ちた物語であっても、どこか身近に感じられるはずだ。

 だからというわけではないけれど、フリーマントルの単発作品には、ビジネスの世界を描いたものも少なくない。初期の作品では、『名門ホテル乗っ取り工作』がある。

 新興ながら勢いのあるアメリカのホテルチェーンと、伝統と格式を誇りながら、経営危機に直面したイギリスのホテルチェーン。いかにも対照的な両者の間で繰り広げられる買収劇を描いている。二つのチェーンの設定にみられるように、組織も人物もステレオタイプではある。だが、策略の限りが尽くされる展開の面白さは、フリーマントルが描くスパイ小説のスリルと同質である。

 意地悪なものの見方と、そこから生まれる組織内外の謀略。これもまた、フリーマントルらしい物語である。

 ただし、そうしたものの見方が控えめの作品もある。

 シャーロック・ホームズに息子がいたら……? という設定のパスティーシュ、『シャーロック・ホームズの息子』がそうだ。 

 時は第一次大戦前夜。シャーロックの実子でありながら、その兄マイクロフトの子として育てられたセバスチャンは、ウィンストン・チャーチルの命を受け、ドイツを支援する実業家たちの動向を探るべくアメリカに向かう。一方、チャーチルに反発するシャーロックも、イギリスで独自の調査を行う……。

 原典の設定をうまく活かして、フリーマントル得意のスパイものに仕立てた本書では、セバスチャンの側にいる「味方」の存在がシンプルになっている。チャーチル、マイクロフト、そしてシャーロックにワトソン。いざとなればセバスチャンを「駒」扱いしかねないチャーチルを別にすれば、伯父と父とその親友であり、セバスチャンを罠にかけることはありえない。セバスチャン自身は父に複雑な思いを抱いているものの、その思いは、父と子の葛藤という意地悪でも皮肉でもない題材として取り込まれている。

 最後は、初心者向けというよりは上級者向けの作品を紹介しておこう。

 異色作『シャングリラ病原体』。未知の病原体が発見されて、人類は存亡の危機に。各国の医師や科学者や関連機関が集まって、この危機に立ち向かう……というSF風パニックものだが、もちろんフリーマントル作品なので、みんなが一致団結して努力するわけではない。というか、その不一致ぶりが読みどころである。

 パニックものとして面白いかと問われると困るのだが、「おまえらそんなことしている場合じゃないだろう」と言いたくなる度合いはフリーマントルの作品でもトップレベル。人類のピンチを利用してライバルを蹴落とし、自分の出世を企む奴には事欠かない。「ピンチをチャンスに変える」というのはそういう意味じゃないんだよ!

 正直なところ、人にすすめるのがためらわれる作品ではあるが、作者のひねくれ具合に波長が合ってしまった人には、ぜひ読んでいただきたい。

 フリーマントルの意地悪な視点から紡ぎ出される物語は、数々の謀略に満ちている。うかつな発言が命取りになりかねない、緊張あふれる会話のやりとりも心に残る。多くの場合は私生活に難題を抱えて、さらに所属組織での面倒な政治に翻弄され、それでも自身の生き方を貫く主人公たち。彼らに激しい負荷のかかる物語である。爽やかなハッピーエンドとは程遠いけれど、その強烈な幕切れは、きっとあなたを満足させてくれるはずだ。

古山 裕樹(ふるやまゆうき)

書評家。「ミステリマガジン」などに書評を執筆。1973年生まれ、川崎市在住。

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