第4回 『ドイル傑作集』完結

 いよいよ今回で、わたしの出番も最終回となりました。一か月というのはあっという間ですね。次の週末は、もう師走ですよ。

 一回目こそ翻訳裏話でしたが、回を追うごとにどんどん翻訳とはテーマが離れていってしまいました。ですので、最後は軌道修正するとしましょうか。

 最近──と言ってももう11か月前となりますが、2011年12月の末に『ラッフルズ・ホーの奇蹟』という訳書を創元推理文庫から出しました。西崎憲さんと共編の「ドイル傑作集」の第5巻です。これで、ようやくシリーズが完結したのです。

 第1巻『まだらの紐』が出たのが2004年7月ですから、全部で7年半。当初は、もっと早く完結する予定だったんですよ。実際、第2巻は5か月後の同年12月に出ていますから。そこからが、時間がかかってしまいました。第3巻は、2年半間があいて2007年5月。第4巻はがんばって1年弱、2008年4月。

 しかし、最後が遠かったです。「5巻はまだですか」とか「4巻で完結ですか」などと、沢山の方から言われてしまいました。東京創元社はシリーズ完結までにすごく時間がかかったり、未完のままに終わったりすることがしばしばある社風で有名ですが、まさか自分がそれに加担することになるとは予想だにしていませんでした。……いや、「加担」と言いましたが、色々な事情があったんですよ(ここでは敢えて書きませんが)。

 このシリーズ、編者名としてはわたしと西崎憲さんの名前がクレジットされていますが、藤原編集室の藤原義也氏との三者で討議を行い、最終的に収録作を決めました。翻訳も、霧島義明氏、駒月雅子氏、白須清美氏、富塚由美氏、今本渉氏といった方々にもお手伝い頂いています。ですので、巻によって翻訳の負担の割合が全然違いました。わたしは奇数巻で多めに訳しています。第1巻はシャーロック・ホームズ関係を全て担当したため。第3巻、第5巻は短い長篇を受け持ったためです。

 一方、偶数巻はそれぞれ短篇一つずつしか訳しておりません。〈スポーツ・冒険編〉となる4巻では「スペディグの魔球」という短篇を訳しました。これは、わたしが気に入って強力に推した作品です。何せ、(英国なので野球ではなくクリケットですが)魔球を投げる話なんですよ! 『巨人の星』の大リーグボールみたいな! 翻訳するに当たってはクリケットのルールを把握するのに苦労しましたが、とにかく訳していて楽しかった作品です。

 そして最終巻の第5巻ですが、表題作の邦訳タイトルには頭を悩ませました。原題は“The Doings of Raffles Haw”ですから直訳すれば『ラッフルズ・ホーの為したる事ごと』といったところですが、これでは落ち着きません。『ラッフルズ・ホーの行為』では、いまひとつインパクトに欠けます。本作は昭和初期に訳されたこともあるのですが、その際のものは『ラッフルズ・ホー行状記』ですが、これもわたしのイメージとはちょっと違う。

 藤原さんもこれには悩んだのか、予告では『ラッフラズ・ホーの魔法館』と打ってありました(1巻から4巻までの腰巻の、裏表紙側をご覧下さい)。わたしは「こんなところかなあ」と思いつつも、やはりちょっとしっくり来なかったのです。

 しかし翻訳を進めるうちに、天啓のように「奇蹟」という単語が降りてきました。そうだ、ラッフルズ・ホーの為した“Doings”は奇蹟的な行為なのだから、『ラッフルズ・ホーの奇蹟』とすればいいんだ! そう思いつき、藤原さんに相談したところ、それで行こうということになったのです。

 この作品は、特に読者の反応が気になりました。『ラッフルズ・ホーの奇蹟』は「スペディグの魔球」と同様、わたしが強く推して収録が決定したのです。ですので、読者に「表題作がつまらなかった」などと言われたらどうしよう、と不安に思っていたのですが、ネットの感想などを読むと、概ね好意的に受け入れられたようで、本当にほっとしました。

 この傑作集は、1999年から2000年にかけて翔泳社からハードカバーで刊行された『ドイル傑作選(Ⅰ・Ⅱ)』を再編集し、大幅に増補したものです。そちらは刊行の数年前から企画が始まっており、過去の手帳をひっくり返してみると1996年7月に西崎さんと打ち合わせた旨の記述が見つかりました。これが最初の打ち合わせだとすると、そもそものスタートから創元推理文庫版完結まで15年。感無量です。1996年というと、わたしはまだ会社勤めをしている兼業作家でしたし。それにあの頃は……いや、あまりにプライヴェートに過ぎる話はやめておきましょう。

 とにかく、自分が長年趣味で収集してきたコナン・ドイルの原書が翻訳テキストとして役に立ち、掲載誌もイラストを採るのに使えたわけで、コレクションもしておくものだとつくづく思いました(蒐集にかかった金額の元が取れたかというと……そういうことは考えちゃ駄目です)。

 おかげで、新しい『東京創元社 解説目録』を開くと、アーサー・コナン・ドイルのページに、現在進みつつある深町眞理子さんの新訳シャーロック・ホームズと、『ドイル傑作集』が並んでいるのです。感無量もここに極まれり、です。

 コナン・ドイル翻訳史的にも重要なシリーズを訳せたわけで、西崎さんと藤原さんにはどれだけ感謝しても感謝しきれません。是非また、一緒に仕事をさせて頂きたいものです。

 さて、今後の翻訳の予定はというと……企画はあるのですが、まだ確定したものはございません。取り敢えず、『ヴィクトリアン・アンデッド シャーロック・ホームズvs.ゾンビ』が売れてくれれば、その続篇を出せます。今度は『vs.ドラキュラ』です。番外編の短篇「vs.ジキル/ハイド」も収録されます。どうかご支援のほど宜しく御願い致します。

 それでは皆様──少々早いですが──良いお年を。

北原尚彦(きたはら なおひこ)。東京生まれ、東京在住。青山学院大学卒。主な訳書は『ドイル傑作集 全5巻』(共編訳)『シャーロック・ホームズの栄冠』他。主な小説は『首吊少女亭』『死美人辻馬車』他。主な古書エッセイは『古本買いまくり漫遊記』『SF奇書天外』他。主な編書は『怪盗対名探偵 初期翻案集』他。

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