第2回

 先日、『杉江松恋の、読んでから来い!』でも取り上げられた『極北』の作家、マーセル・セロー氏のトークショー(於・中央公論新社)に行ってきました。トークの内容も素晴らしかったですが、質疑応答ではこの本を読んだ人たちがそれぞれに考えたことが垣間見えて、非常に興味深かったです。セロー氏は『極北』の成り立ちを結晶づくりにたとえていましたが、私にはこの本が、とてもたくさんの面を持つ美しい結晶に思えます。

 前置きはそれくらいにして、今回紹介するのはこの本です。

『指輪の猫』熊井明子=文/宇野亜喜良=絵(サンリオ出版)

 今回も絶版本ですみません。しかも翻訳ものでも何でもなく。

 しかしこの本は、翻訳ものでも何でもないというのに、わたしにとっては異国を感じさせるものでした。

 出会いは偶然で、小学生のとき、中耳炎で病院通いをしていた私が待ち時間に読むために母が近所のサンリオショップで買ってきてくれたものです。そうでなければ、怖い本好きの私がこの本を手に取ることはなかったでしょう(その後、サンリオ文庫の本にはいろいろと手を出しましたが)。表紙からして、ズバリ“乙女”な本です。

20121208202327.jpg 物語は、両親を亡くして現実的な叔父夫婦に育てられた孤独な少女が、骨董店のウィンドーで見かけた指輪になぜか心惹かれるところから始まります。紫水晶の指輪には猫が閉じ込められていて、その指輪を手に入れてから、彼女の生活に少しずつ変化が。やがて彼女はその指輪に導かれ、意外な真実にたどり着くことになります。

 ストーリーも本当に面白いのですが、わたしはこの本に詰まっている乙女要素にすっかり魅了されてしまいました。紫水晶の指輪、プールサイドでのランチタイム、スモークサーモンのオープンサンドに魔法瓶の紅茶、骨董店の若き店主(みんなに「船長さん」と呼ばれている!)、ゴブラン織りの旅行鞄、パリのメトロ。どれもこれも、どこを見回してもわたしの暮らしにはなかったものでした。宇野亜喜良氏の美しい挿絵で、ますます憧れ度はアップ。さらには「船長さん」と主人公のロマンスにも淡い憧れを抱いたものです。高校時代にわたしがオリーブ少女だったのも、ロマンス小説を読んだり訳したりしては胸を熱くするようになったのも、この本が元だったに違いありません。

 実は、サプライズという言葉を知ったのもこの本でした。主人公の少女が指輪を手に入れてから、思いがけず楽しいことが起こるようになったのを「サプライズ」と呼んでいて、それでこの言葉を知ったのでした(本文には丁寧に「予期しなかった楽しいこと」と注釈が入っています)。

 ご存じのように、著者の熊井明子さんは著名なエッセイストでポプリ研究家であり『シェイクスピアの香り』をはじめ海外文学に関するエッセイを多く書かれています。『赤毛のアンの人生ノート』という本を読んだときには、熊井さんが「サプライズ」という言葉を知ったのは赤毛のアンだったと知って、何だか不思議な縁を感じて嬉しくなりました(といっても、わたしの場合は元々のきっかけが中耳炎だったわけですが)。

『指輪の猫』も入手しにくい本ですが、例えば古書店や図書館で見かけたら、ぜひ手に取ってほしいと思います。猫好きの方には特にお勧めです。

白須 清美(しらす きよみ)山梨県生まれ、東京都在住。訳書にパトリック・クェンティン『迷走パズル』『俳優パズル』、ニコラス・ブレイク『ワンダーランドの悪意』、マイケル・イネス『霧と雪』、ローリ・フォスター『流浪のヴィーナス』、ジェフリー・アボット『処刑と拷問の事典』(共訳)など。

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