みなさま、カリメーラ(こんにちは)! 

 お陰様でこの連載も無事10回を超えました。ご愛読、エフハリスト!(ありがとうございます)。「ハ」は「喉につっかえるように」発音してください。

 これまで作家の名前がいろいろと出てきたので、ごく大雑把にですがまとめておきます。エッセイで触れた全員ではなく、長編を発表しながらミステリ分野で活躍している作家に限りました。年代で大まかに分けるなら、五つの段階になります。勝手に時期の名前をつけておきました。

 まず、1950年代は第一世代のマリスが登場し、カクリが後に続いたということでギリシャ・ミステリの「抬頭期」です。80年代になるとミステリ執筆・出版の「停滞期」が続きますが、90年代から代表的作家たちが次々にデビューして盛り返す「復興期」に入ります。この二十年間はいわば第二世代です。第三世代の2000年に入ると、奔流のように出版が始まる「興隆期」となり、2010年以降の「現在」ではさらに多くの新人たちがデビューしています。作家名と一緒に掲げるなら次のようになるでしょうか。

[1]1950年代~70年代「抬頭期」……第一世代
 ヤニス・マリス「ギリシャ・ミステリの父」 
 アシナ・カクリ「ギリシャのクリスティー」(六歌仙No.1)

[2]1980年代「停滞期」……第二世代前半
 フィリポス・フィリプ「愛欲ひとすじ」(六歌仙No.3)
 ティティナ・ダネリ「魂の検死解剖」(六歌仙No.6、
  ミステリ・クラブ初代会長)
 パヴロス・アルギリス「テサロニキ派」

[3]1990年代「復興期」……第二世代後半
 ペトロス・マルカリス「国境を超えるギリシャ・ミステリ」
  (六歌仙No.2)
 アンドレアス・アポストリディス「リアリズムの極北」
  (六歌仙No.5、ミステリ・クラブ二代目会長)
 ペトロス・マルティニディス「テサロニキ派総帥」(六歌仙No.4)

[4]2000年以降「興隆期」……第三世代第一期
 セルギオス・ガカス「文学派」(ミステリ・クラブ四代目会長)
 ディミトリス・ママルカス「イタリア派」
 ヤニス・ランゴス「社会派。実録もの」(ミステリ・クラブ三代目会長)
 テフクロス・ミハイリディス「数学ミステリ。女刑事オルガ」
 ネオクリス・ガラノプロス「随一のトリック派。
  ディクスン・カー大好き」(ミステリ・クラブ五代目会長)

[5]2011年以降「現在」……第三世代第二期
 ヒルダ・パパディミトリウ「音楽ミステリ。ビートルズ命の警官」
 サノス・ドラグミス「第二次大戦占領下の警官」
 イエロニモス・リカリス「七つの大罪シリーズ」
 ヴァシリス・ダネリス「ノワールと藪の中」
 アンドニス・ゴルツォス「ミステリ読書会の主催者」
 ニーナ・クレタキ「アニメ《おばあちゃん》」
 ディミトリス・シモス「正統派の新星」
 ヴァンゲリス・ヤニシス「スウェーデンのギリシャ人警官」

 今回は「現在」活躍している、生きのいい「旬」の作家三人のうちから一人をご紹介します。前回のリレー競作『黙示録』に参加した若手ディミトリス・シモス(1987-)です。

■新星ディミトリス・シモス

 ギリシャ・ミステリの舞台は欲望渦巻く大都市アテネが断然多いのですが、意外にもシモスが選んだのはギリシャ第二の島エヴィア(古代名エウボイア島)です。島と言ってもアテネのあるアッティカ地方北岸に覆いかぶさるように長く伸び、二本の短い橋でつながっています。

 古代の喜劇作家アリストパネスは哲学者をからかった作品「雲」の中で、この点を冗談のネタにしています。ソクラテスの弟子が新入りのオヤジに地図を指しながら、「ほらほら、これがエウボイアだ。ずっとなが~く、伸びてるだろ」。対するオヤジ「そりゃそうだな。おれたちとペリクレスにボコボコにされちまったんだから」。かつてこの島に反乱の機運があり、アテネの政治家ペリクレスは入植者を送り込んで鎮圧していました。

 シモスは2016年のデビュー作に『蛙』という風変わりな題名をつけています(アリストパネスの同名喜劇とは全く関係ありません)。冒頭には「このおとぎ話でわたしは蛙になれない/このおとぎ話は至福の幕を下ろさない/蛙はキスしてもらえないから……」という中学生の拙い詩が引用されています。

 ディミトリス・シモス『蛙』
 ベル社、2018年の再版。
【デビュー長編。エヴィア警察のカペタノス警部初登場。巻末に他の三作家の掌編がおまけに付いています(これは珍しい)】

 ギラギラと輝く夏とはうって変わり、灰色の波が冷たく押し寄せる冬のエーゲ海。
沖合に漂う少女の死体を漁師が見つけます。殺されていたのは島の中学二年生エフシミア。父は地元大手ホテルのオーナーで、怪しげなカジノに入り浸っている様子です。美貌の母のほうは夫と別居状態で精神不安定。少女の部屋にはヘヴィメタ・バンドのCDにポスター。戸棚には黒ずくめの衣服。冒頭の詩は少女のものでした。両親の着せ替え人形になることを嫌って反抗し、学校でも変わり者とみられいじめに遭っていたことがわかってきます。(ギリシャ・ミステリでこのテーマは珍しい。犯罪はおとなのもの、という先入観があるのでしょうか。)

 家族それぞれが別の方向を向き、ひびの入ったこの家で事件捜査に当たるのはエヴィア警察のカペタノス警部。二十年奉職とあるので四十代でしょう。少女のCDを見つけて、おれ中学の頃はディープ・パープルを絶叫してたよなぁ、今じゃエレキギターはうるさいだけだけど……などと述懐してます。

 現代ミステリの主人公の宿命なのでしょう、カペタノス警部はいろいろと傷を負っています。戦争のトラウマとか酒浸りまではいかないものの、画家志望の妻エレニとは気持ちのすれ違いの果てに離婚。現在は警察署近くの小さな部屋に一人で暮らしています。
 中学生の娘ニキとは指定された日に再会を許されるだけ。最近のこのニキが学習障害に陥ったようで(同級生エフシミアの死が影響しているかも)、頭を悩ませています。
 加えてもうひとつ、何か失策により半年前から停職中の身ですが、このことも元妻との関係がこじれた原因のようです。ただ、今回の中学生殺人事件を機に捜査に復帰し、犯人を追って雨のそぼ降る島を走りまわることになります。

 大都市アテネと違い人口二十万人ほどのエヴィア県ですから、その本部殺人課のカペタノス捜査チームも小じんまりとしています。ハンチング帽のオレスティス巡査部長、行動派の巨漢警部補ヴァンヴァカス、小柄でやせっぽちの女警部補助手マルケナでやりくりしていますが、その分、各人が丁寧に描かれます。昔気質のオレスティスおやじ(ハンチング帽ですからね)は頼れる相棒。ヴァンヴァカス警部補は自身能力はあるのに、コネで就職できた(しかし仕事はテキパキできる)マルケナに反感を持ち、なにかと喰ってかかります。カペタノスもまた、心の中で彼女に《セキレイ》などとあだ名をつけて、見くびっています。この辺、中学生エフシミアのいじめシーンと二重写しになっています。

 ねじれた家庭の人間関係に加えて、大都会アテネから流入する麻薬で静かな島もまたねじれていきます。取引の情報をつかんだ警察は島に入る二本の橋の上で車両を検問しますが何も見つかりません。それなのに麻薬の流通は止まらず、その陰で別の大がかりな犯罪が進行していきます。
 カペタノス警部の停職理由も次第に明らかになります。元妻エレニの兄はかつてカペタノスの同僚でしたが汚職に手を染め、カペタノスも巻き込まれたようなのです。しかも、このスキャンダルは今の麻薬事件ともつながってきます。カペタノスとエレニ、ニキとのねじれた関係は修復できるのでしょうか?

 途中で、いじめられ続けたマルケナ助手の怒りがついに爆発。ヴァンヴァカス警部補はたじろぎ、カペタノス警部も反省してあだ名で呼ぶのを止めます(このあたりは、一人称語りが効果を挙げています)。最後には、エフシミアの死でショックを受けている中学生たちを前に、マルケナが優しくも励ましのことばをかけ、《ノワール》が多いギリシャ・ミステリにはちょっと珍しい――「リアリズムの極北」アポストリディスなら絶対あり得ない――清涼感をたたえて終わります。

 この作品で何より目を惹かれるのは計算された構成です。
 少女殺しと麻薬密輸という現在の二つの事件がストーリーの中心となり、カペタノス警部が(珍しくも)一人称で語るのですが、それぞれの章に、二十五年前村の子供たちの間に起きた陰惨な出来事が付け加えられます。この過去の出来事のほうは三人称語りです。
 ホームズの長編のように、後半で過去の因縁が延々と語られる(独立した物語としては面白いのですが)のではなく、逆にクリスティーのある作品のように先に人物関係が語られ終局の犯罪につながっていくやり方でもなく、現在と過去がいわば同時に展開していくというわけです。過去のストーリーの方が展開するスピードが速いので、両者が最後につながるのは予想できますが(そうでないと読者が納得しない)、どう折り合いをつけるのか、過去の誰が現在の誰になるのかが読者の興味を引き続けます。過去の人物たちは現在とは別の名前で登場し――ファーストネームだけ、あるいはニックネームでという風に――簡単に同定されるのを巧みに避けています(綾辻行人の某有名作のよう)。
 終盤で三人称場面に突然カペタノス警部が現れるのは、ちょっとした眩暈感を誘います。

 作品全体のテーマは、個人の心理と社会問題とを組み合わせるという、現代ミステリのオーソドックスな行き方です。
 いじめで孤立する少女、周囲で支えようとするも空回りの教師たち、妻の真意が理解できない警官。こういった人々の痛ましくも見ていて歯がゆい心情が描かれます。しかし、同時にその背後には大都市アテネの悪に染まっていく島があり、これに乗っかる貪欲な政治家たちやマフィア、その手先のアルバニア人犯罪者たちの影がチラつきます。しかも両者は複雑に絡み合ってストーリー全体を構成するのが肝です。
 ギリシャ人作家の中には片方に特化しようとする人ももちろんいます。社会に張り巡らされた犯罪の網の目を曝こうとするアポストリディスが一方にいて、その対局には個人の心理の解剖に潜り込んでいくダネリがいます。シモスは、その両面を事件を通じて結びつけストーリーを組み立てようとするマルカリスの方向を受け継いでいるように見えます。

◆警官の一人称語り

 思い込みかもしれませんが、警官の一人称語りミステリはけっこう珍しい気がします。
 英米黄金期の神のごとき名探偵にこれを使うのは難しいでしょう。「わしゃその部屋に入った瞬間に犯人がわかったんじゃよ」では話が続きません。「ライオンのたてがみ」「白面の兵士」では、ワトスンと疎遠になってしまったホームズがぼやきながら自身でペンを取りますが、客観的な記録に徹しており自身の内面がほとんど描かれないので、(観察だけは正確と揶揄される)ワトスンが書くのとたいして違いがありません。「もっと確実な証拠をつかむまでは、あれこれ申したくはありません」などと言いながら、手がかりの説明は曖昧に濁しておき、最後に「私はその前からわかっていたのです」って、ちょっとホームズ……書いてしまったらミステリにならないでしょうけど。

 例外的に、これを逆手にとって成功しているのはロバート・バーユジェーヌ・ヴァルモンでしょう。探偵の一人称語りを採用しているからこそ、自画自賛する本人の内面、会話、迷推理のギャップが楽しめます。パロディというか、英国人への風刺諧謔に満ちたこのシリーズのとぼけた味わいは、この語りに負うところが多いはずです(新訳は「我輩の名前はヴァルモン、といっても読者諸君はご存じないだろう」で始まります!)。

 なので、パズラー型ミステリは三人称語りか、凡庸な記述者の一人称語りになるようです。探偵役が警察官でもこれは同じで、フレンチ警部ウイルスン警部、あるいはダルグリッシュ警部モース警部でも語り手役を引き受けません。マルティン・ベック警視クルト・ヴァランダー警部などの現代の北欧ミステリもそう。

 対照的に一人称語りが定番なのは、米ハードボイルド派の私立探偵たちです(サム・スペードは例外として)。
 読者は「おれ」や「わたし」になりきって、ロサンジェルスやニューヨークの街角を肩で風切って闊歩する気分にひたれます。格闘シーンなど緊迫感・臨場感に溢れ、これを三人称にしてしまうと、誰と誰が何をやってるのやらわからなくなるでしょう。
 しかしそうは言っても、ポイントはあくまで行動や外面描写であって、人物の心理描写は押さえられ、読者にすべてをさらけ出すわけではありません(ハードボイルドなので)。主人公の皮肉や軽口は別にして、肝心の謎解きに関しては「私の頭の中にある考えが浮かんできた」とか「だしぬけにおれの頭にひらめいた」などと言うだけですぐに行動に移ってしまいます。読者には何も説明してくれません(ミステリなので)。
 結局は語りの一人称・三人称とはいっても、形式的な区別であり、作者がどこまで心情を描き込むのかが問題のようです。

 ……というのが私のイメージだったので、ギリシャの警官ミステリが一人称なのはちょっと意外で新鮮でした。
 この点で、シモスにはペトロス・マルカリスという大先輩がいます。マルカリスのデビュー作『夜のニュース』(1995年)は《私》が警察本部で部下を怒鳴りつけるシーンから始まるのですが、名前がなかなか現れずいったい誰だろうと思いながら読んでいたものです。これが主人公ハリトス警部であるとわかるのは30ページも過ぎたあたりでした。(エッセイ第2回で紹介。)

 ペトロス・マルカリス『夜のニュース』
 ガヴリイリディス社、1995年。

 この一人称語りはただ新奇さだけを狙ったものではないような気がします。
 マルカリスが描こうとしているのは、都会でニヒルに生きるハードボイルド的人物ではなく、ごく普通の警官、つまり組織の一員。家族、親族、友人たち等々守るものを抱え、しがらみに縛られてしまった人間です。漂泊の騎士でも荒野のガンマンでもありません。家族、仕事のために上司には言いたいことも言えず、部下には当たり散らし、あとで自己嫌悪に陥って不器用なフォローするものの理解されないような、私たちの周囲に溢れている、というより私たち自身の姿です。
 こういった内心の声と実際の行動とのギャップが一人称語りで炙り出されていきます。移民への偏見や独裁政権下でたたき込まれた暴力的な捜査方法を意識しながらも抜け出せない焦りやら、いっこうに事件解決が進まず上司からは詰られる一方の苛立ちまでが赤裸々に語られることになるのです。

 シモスもマルカリスのこのやり方を採用しているのでしょう。《私》カペタノス警部が《セキレイ》の逆襲を受け驚きながらも、威厳は取り繕うようなシーンに効果を上げています。

◆第二作『盲目の魚』(2018)

 第二作でもシモスはちょっと変わった題名をつけています。冒頭で、カペタノス警部がオレスティス巡査長と釣りに出て溺れかける様子が描かれますが、これと関連づけて、真犯人を捕まえるには魚を獲る時のように水面近くまでおびき出して目をくらませる必要がある、という比喩で使われています。

 ディミトリス・シモス『盲目の魚』
 ベル社、2018年。

 今回は島の中心の町ハルキダの灯台近くで見つかった女性の刺殺死体が発端となります。割と地味な事件がダイナミックに展開していくのがこの作家の持ち味です。
 平行して、島の南部の小さな教会のそばで神現祭(イエスの洗礼を祝う)の夜に起きた殺しが語られます。この一帯は地元の顔役が支配し大規模な養魚場を経営しています。住民に仕事を供給する一方で、裏切り者は容赦しません。この南部の不気味な話とハルキダ物語がどうつながっていくのかが見ものです。さらに、島に流入し続ける麻薬の問題も続いています。
 前作に引き続き、カペタノス警部と三人組が登場。今回他の署から麻薬担当の警部が応援に派遣されてきますが、マフラーを気にするこのキザな男は、カペタノスに以前何か貸しがあるようで、我が物顔で捜査を仕切ります。そのおかげで、カペタノス・チームの方が逆に団結、こっそり近所のタベルナに繰り出してイカフライにウーゾをちびちびやりながら捜査会議をすることに。作者の腕がただ者ではないと感じさせるのは、この新キャラが薄っぺらな造形の悪役ではなく、実は強靱な現実主義者であることが次第にわかってくる点です。登場人物すべてに作者の気配りがなされています。
 カペタノス警部自身の家庭の問題も忘れてはいません。前回問題を抱えていた娘ニキはちょぴり回復したようで、リラックスして父親とカダイフィに舌つづみ(カダイフィはギリシャのスイーツで、もと中東起源のお菓子がトルコ経由で伝わったものです)。


カダイフィ。糸のような小麦粉生地でナッツ類を包んだスイーツ(福田耕佑氏撮影)】

 時おり再会する元妻エレニとの関係のほうがぎくしゃくしたままです。やり直しを持ちかけても拒絶され、娘の未来を話し合っていたはずなのに、カペタノスは突然キレたりしています。
 しかし、こういった家族のおしゃべりとの合間にも事件の伏線が巧みに埋め込まれています。さらに、カペタノスの捜査を疎ましく思う何者かが下校時のニキを付け狙います。頼みの綱、ハンチング帽のオレスティス巡査部長が密かな護衛を命じられますが、今回は訳あって妻に家出されたショックから勤務中も酒の匂いをぷんぷんさせた状態。どうなることやら……

 前回と同じく構成も凝っています。各章は現在進行のハルキダ事件(一人称)と南部の教会や養魚場での殺し(三人称)の後に、刺殺されることになる被害者の日記(もちろん一人称)が付け加えられ、「殺害○日前」といったタイトルでカウントダウンされていきます。こうして、いわば同時進行で殺害の背景が明らかにされる仕組みです。

 最後にこの三つが一つに交わった時の快感はなかなかのものですが、大団円と思わせておいて、さらに何度もどんでん返しにやられます。読了感は満腹満腹。

 続く『毒の眼』は未読ですが、やはりカペタノス・チームが活躍しており楽しみです。
 第四作として『我を救い給え』の2020年出版が予告されています。ただ、《心理スリラー》とあり、出版社も違うので、カペタノスものではないかもしれません。

◆欧米ミステリ中のギリシャ人(4)――クリスティーのギリシャ人(その2)――

 さて、クリスティー作品に登場するギリシャ人の続編です。 
 これまでチョイ役やせいぜいがワトスン役でしたが、『もの言えぬ証人』(1937年)には、晴れて事件の容疑者に昇格させてもらえたギリシャ人が出てきます。
村の未婚の金持ちエミリイ・アランデルが亡くなり、遺産はなぜか三人の甥姪ではなく、家政婦に贈られることになります。エミリイが生前書いていた依頼の手紙を遅れて受け取ったポアロは、(久しぶりに)ヘイスティングズを連れて村を訪れ、捜査を始めます。姪の一人ベラはギリシャ人医師ジェイコブ・タニオス博士と結婚しており、子供たちをつれて村へやって来ています。
 博士は好人物として描写されています。「大柄で陽気な顔つきをした男で、あごひげを生やしていた。その声は暖かく声量も豊かで」、誰もがその声や話しぶりに魅せられてしまいます。完璧な英語を話し、ミス・アランデルが階段から転落した際にも冷静にプロらしい処置を施します。
ただし、その人好きのする顔が本物かどうか、義理の伯母への献身は実は金目当てではないのかという疑念が最後まで読者を揺さぶり続けます。人間の外見がどこまで内実と一致するかがミステリ的ポイントなのですが、これが目くらましとして機能するのは、外国人は善良に見えてもやはり信用できないという偏見に後押しされるからです。
この作品では、これまで以上に英国人が抱える外国人への偏見、外国人恐怖に筆が費やされます。ビクトリア朝気質のミス・アランデルは「旧式な偏見を持っていて、ギリシャ人といえば、アルゼンチン人やトルコ人と同じくらい値打ちのない人間だと思って」いるし、ベラが外国人、それもギリシャ人と結婚したことで家の格が落ちたと思い込んでいます。
 また、外国への無知というか無関心も皮肉を込めて描かれます。霊媒師の女性は「わたくしのように東洋をしじゅう旅行するものは」などと言いながら、タニオス博士がトルコ人だと思っています(どこを旅行したことやら……)。博士の明朗快活さが「どうぜうわべだけに決まっていますわ」と皮肉る家政婦も、戦時中トルコ軍により虐殺されたのがアルメニア人かギリシャ人か区別ができていません。
 ポアロはヘイスティングズに向かって英国人の島国根性的な偏見 (insular prejudice)を鋭く指摘します。

 タニオス一家についてひとつ気になっていることがあります。
 博士は英国の大学でベラと出会いますが、結婚後はトルコ沿岸部のスミルナに住んでおり、二ヶ月ほど前に英国に戻って来て滞在中とされています。
以前ちょっと触れたように(エッセイ5回)、1919年にギリシャ軍はスミルナに上陸し三年余り占領したものの、アンカラへ進軍するうちトルコ軍に敗れて退却し1922年に艦隊は撤退します。守護者を失ったスミルナのギリシャ人とアルメニア人の居住区は火災で壊滅してしまいました。翌年決まった両国間の住民交換で、100万人を超すトルコ在住のギリシャ人はギリシャ本土に送られることになります。コンスタンチノープル(イスタンブール)だけは除外されましたが、職業選択に関して厳しい制限を受けたようです。
 それからわずか十数年後の1937年、タニオス博士一家はスミルナでどのように暮らしていたのか。しかも夫人の話では、事件の後またスミルナに戻るらしいのです。

 ポアロはミス・アランデルが亡くなって二か月後、関係者に直接聞き取り調査を始めているので、「回想の殺人」などではありません。
 一番簡単な解決法は、ヘイスティングズがずっと過去の事件を記している、とすることです。「スタイルズ荘の怪事件」でポアロと再会した1917年あたりでしょうか。
 ところがそうすると、ちょっと困ったことになります。『もの言えぬ証人』の中で、ポアロは調査の合間にいくつかの過去の事件に言及し、犯人たちの名を挙げています(クリスティーも自作のネタバレやるんですね!)。そのうちもっとも新しいのは二年前の『雲をつかむ死』(1935年)です。また、ポアロが一度だけ中近東に旅したことがあるというセリフがあり、『メソポタミアの殺人』(1936年)のことのようです。
 おまけに、一家の別の叔母は「戦後まもなく没している」し(第一次大戦のことでしょう)、関係者の一人は事件後もらった遺産を「一年と少し」で使い果たし「現在」カナダにいるらしい。
 したがって、アランデル殺しは1910、20年代と言うことはあり得ず、作品出版年と同じ30年代半ばと考えざるを得ません。

 実はこの作品は未発表の短編「犬のボール」が基になっており、『アガサ・クリスティーの秘密ノート』に載っています。ストーリーからトリック、手がかり、ポアロ&ヘイスティングズの活躍までほぼ同じなのですが、容疑者は二人の甥と姪だけで、ベラに当たる人物は登場せず、したがってタニオス博士も出てきません。編者カラン氏の推測では「犬のボール」は1933年ころ書かれたらしいので、二三年かけて『もの言えぬ証人』に拡大される過程で、スミルナ在住の博士一家が挿入されたことになります。(しかもクリスティーの残したメモによると、最初はアルメニア人にするつもりだったようです)
 『アガサ・クリスティー自伝』には、1930~38年ころは夫マローワンの発掘の成功に興奮しながら、自身は執筆に没頭することができ、いまだ戦争の影の迫らぬのんびりとした時代だったと書かれています。代表作『オリエント急行の殺人』『ABC殺人事件』『ナイルに死す』などが生まれたのもこの時期です。
 このような充実した心境で『もの言えぬ証人』を構想していたクリスティー。新たに挿入する怪しい外国人医師をアルメニア人にするかギリシャ人かで迷いながら、結局、アテネで世話になり『オリエント急行』にも登場させたギリシャ人にしたものの、その脳裏には数十年前に繁栄したスミルナのイメージが浮かんでいたのでしょうか?

《大破局》以前、十九世紀後半から二十世紀初めのスミルナはトルコ人、ギリシャ人、西欧人が居住し、貿易でにぎわう国際都市でした。ギリシャ人は半数近くを占め、オスマン帝国内にありながら商業金融の実権を握っていたようです。
 十九世紀末に成功を夢見てスミルナを飛び出し、英国で富をなしたギリシャ人というのであれば現実の歴史に対応しているでしょう。実際、こういう人物は十二年後のクリスティー作品に登場します。

 第二次大戦中の『愛国殺人』(1940年)には、時局がらヒトラーやムッソリーニの名が現れ、緊迫した国際情勢が背景となっています。
 殺されるのはロンドンの歯科医モーリイ氏。患者のひとりに「謎のギリシャ人」アムバリオティスがいます。(歯科医のボーイは長いギリシャ名を呼ぶのに苦労してます。)サヴォイホテルに優雅に滞在し、爪楊枝で歯をせせりながら何やら楽しい金儲けを夢見ている様子。「可愛いディミトリよ、けちな料理屋で苦労している人のいいコンスタントポポラスよ。彼らはどんなに驚き喜ぶことだろう」と、故郷で待つ息子や友人(かどうかわかりませんが)を想っています。コンスタントポポラスはギリシャ語としてはあり得ない姓ですが、『オリエント急行の殺人』のコンスタンチン先生と『青列車の秘密』の骨董屋パポプロスを無理矢理くっつけた合成人間なんでしょうかね(でもちょっとやりすぎ)。
 ジャップ警部が入手した情報によると、アムバリオティス氏はちっぽけなホテル業者を振り出しに、次第に政治問題に首をつっこむようになり、ドイツとフランスで諜報活動した後、インドでの反英国蜂起の工作もしていたというなかなかの人物らしい(モームのアシェンデンが追っていたギリシャ人スパイを思い出します)。この経歴も実は殺害事件の背景としてしっかり事件にリンクしています。
 作品の最後で犯人は傲慢さに満ちた自己正当化を試み、アムバリオティス氏を蔑む言葉を吐きますが、ポアロは誰であれ勝手に命を奪う権利などない、とまっとうな反論をします。

 戦後の『ヘラクレスの冒険』(1947年)はポアロが自分を同名のギリシャ神話の英雄になぞらえて十二の事件に挑む短編集です。ヘラクレスの功業はあくまで各事件のモチーフなので、ギリシャが舞台になるわけではありません。ただ、その最後に置かれた「ケルベロスの捕獲」では、永遠の想い人ロサコフ伯爵夫人を追って、ロンドンの地下クラブ《地獄》へ下りていったポアロの前に、なぜかギリシャ人登場。メフィストフェレスを思わせる痩せぎすの給仕長アリスティディス・パオポルス(セリフなしのチョイ役)です。ちょっと聞かない姓だなと思っていたら、新訳ではちゃんと「パポポルス(つまりパポプロス)」になっていて安心(原文もPapopolous)。『青列車の秘密』の骨董屋を思い出しての命名なのでしょうか? 一方、ファーストネームのアリスティディスはクリスティーお気に入りの名前で何度も出てきます(マローワンとクリスティーの発掘隊がシリアで雇っていたアルメニア人運転手もこの名でした)。

 この短編シリーズはもともと『ストランド・マガジン』に連載されましたが、この最終話のみ、書籍刊行の際初めて入れられたそうです。ところが、実はクリスティーが雑誌用に送ったけれどボツになった原バージョン(本来なら1940年に掲載されたはず)が存在し、『アガサ・クリスティーの秘密ノート』で読むことができます。両者は趣向に似たところもありますが、舞台はまったく別物です。原バージョンはヒトラーをモデルにした人物が登場し、当時の暗い世情を前にしてクリスティーの平和への期待が込められています(現実は真逆に進んでしまいましたが)。舞台はスイスのクリニックになっていて、ロンドンの地下クラブも悪魔風の給仕長も出てきません。パポプロス氏は戦後出版の現行バージョンで初めて登場した人物ということです。
 メフィストフェレスのような風貌で思い出すのは『ひらいたトランプ』(1936年)で完全犯罪者を蒐集するのが趣味、と豪語していたシャイタナ氏ですね(何といっても「サタン」ですから)。ただ、国籍不明のシャイタナ氏がどうしてギリシャ人パポプロス氏となって復活したのか気になるところです。

 この後には、十九世紀にスミルナから英国へ渡り成功をつかんだ人物やクリスティー作品中最大の大物がにぎやかに続きますが、この話は次回また。

◆ミニ・ニュース

 エッセイ第2回でご紹介したアシナ・カクリ女史(六歌仙No.1)の短編「涙のためのハンカチ」の拙訳がギリシャ語学文学の専門雑誌『プロピレア』に掲載されました。1950年代にペロポネソス半島の村で起きた事件を《ギリシャのミス・マープル》トゥーラ夫人が解きます。ネットでも無料公開されていますので、興味がある方はどうぞご覧ください。
https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/ja/journal/Propylaia/–/25/article/48249?fbclid=IwAR0gCobpUu5gsXoG4IEWUGNix3uH8frWCyoQfq4ldCqpOqXMBCGcSuh4Bscs

橘 孝司(たちばな たかし)
 台湾在住のギリシャ・ミステリ愛好家。この分野をもっと紹介するのが念願。現代ギリシャの幻想文学・一般小説も好きです。
 有名トリックで知られるチェーホフの長編ミステリ『狩場の悲劇』(短編の名手で知られるこの作家の長編というだけでも異色)。犯罪が起きるのはようやく三分の二過ぎたあたりなので、ミステリとしてより、十九世紀ロシアの風俗をゆったり楽しみましょう。堕落した貴族と語り手の爛れた関係がなかなかに面白いです。

 ギリシャ語訳もあります。

 チェーホフ『狩場の悲劇』ギリシャ語訳
 マヴリディス出版、1971年

 チェーホフはギリシャでも人気が高く、中学校の国語教科書には――ギリシャ文学の読本であるにもかかわらず、例外的に――「ワーニカ」など三作品が採用されています。主役のワーニカ少年が最後におじいちゃんに書く手紙は、なんとも《悲喜劇》というしかありません。

【ソクラテスを笑い飛ばす「雲」所収】
【「ライオンのたてがみ」「白面の兵士」所収】
【こんな貴重な訳書が出るとは、感激。以前から「オッターモール氏の手」「銀の仮面」「二瓶のソース」とバー「放心家組合」が同じジャンルに括られているのがピンときませんでした。短編集をまとめて読んでみると、この作家の持ち味が人を喰った諧謔、イギリス人・フランス人気質の風刺にあるのがよくわかります。ヴァルモン氏は決して無能ではなく、いえいえ五割以上は事件を解決していますが、自信過剰と暴走ぶりがなんともたまりません。調子に乗って犯罪にまで加担しています】
【初めて読んだハードボイルド短編のアンソロジー。ほとんどの作品は一人称語りですが、ハメットの「殺人助手」は三人称です。探偵アレクサンダー・ラッシュのやたら醜い風貌が強調されますが、「両足をデスクの上に投げだし椅子にふんぞりかえっている醜悪な四十男…それが彼、アレック・ラッシュなのだった」とか、これは一人称だとキツいでしょう。
 このシリーズは乱歩編『世界短編傑作集』と並び、ミステリ好き中学生たちのバイブルでした】
【「ケルベロスの捕獲」原バージョン、『もの言えぬ証人』の原型「犬のボール」所収】
【「ケルベロスの捕獲」所収】
【浪費家のアラブ人運転手に比べ、給料を猛烈に倹約し、他の乗客と二重契約しても悪びれることなくニコニコしているアルメニア人運転手アリスティード。実は第一次大戦中トルコ軍によって家族ともども穴倉に放り込まれ虐殺されかかったのを生き延びたという壮絶な過去を持ちます】
【地のままでもメフィストフェレスに見え、誰からも恐れられているシャイタナ氏ですが、「アルゼンチン人か、ポルトガル人か、ギリシャ人か、はたまた英国人の嫌う国籍なのか誰にも明らかでない」とされています。親戚はシリア在住のようです。周囲は「東洋的」な雰囲気の人物、と感じています。つまり、英国人にとって「東洋」はとんでもなく広い】
 ヨルゴス・セオトカス『レオニス』
 鈴木敦也訳、講談社出版サービスセンター、2006年。
【《三十年代派》代表作家セオトカスの1939年の中編小説。(スミルナではありませんが)第一次大戦前後のコンスタンチノープルの様々な民族の暮らしぶりがギリシャ人少年の目を通して鮮やかに描かれます】
関本至・訳。セオトカスの短編「1922年の記録」所収。対トルコ戦でギリシャ軍が潰走撤退した後に起きた、スミルナのギリシャ人地区の破壊虐殺がテーマ】

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