「しっかりしていなかったら、生きていられない。やさしくなれなかったら、生きている資格がない」

「ギムレットには早すぎる」

「さよならをいうのは少し死ぬことだ」

 チャンドラーを読んだことのない方でも、フィリップ・マーロウという探偵の名前と、上のフレーズの幾つかは聞いたことがあるに違いない。

 昨年、26年ぶりに刊行された文藝春秋『東西ミステリーベスト100』では、ハードボイルドや冒険小説が軒並み順位を落とすなか、レイモンド・チャンドラーは6位に『長いお別れ/ロング・グッドバイ』、79位に『さらば愛しき女(ひと)よ/さよなら、愛しい人』がランクインし、衰えぬ人気を見せつけた。チャンドラーは没後50年が経つ今も、ハードボイルドを代表する作家なのだ。

 チャンドラーの長編すべての主人公がフィリップ・マーロウ。一日25ドルと必要経費(後に値上げ)で働くロサンゼルスの私立探偵だ。身長183センチ、体重86キロの色男である。強面するタフガイという感じではないが、依頼人の利益を守るためなら迷わず身体を張る真面目な男だ。金にならない人助けに精を出し痛い目に遭うこともしばしば。

『長いお別れ/ロング・グッドバイ』The Long Goodbye, 1953)は長篇第6作で、1954年のMWA最優秀長篇賞受賞作。マーロウがふと知り合った礼儀正しい酔漢や魅力的な人妻との触れ合いと別れを通して、友情と愛の意味を問う大作だ。ミステリーとしての要素は決して多くはないが、その分、チャンドラーならではの美しい文章と豊かな情感をたっぷり味わうことができる。時間を忘れて、ゆっくり読んで欲しい一作だ。

『さらば愛しき女(ひと)よ/さよなら、愛しい人』Farewell, My Lovely, 1940)はそのタイトル通り、ファム・ファタル(運命の女)と、一途な愛に殉じる男「へら鹿」マロイが登場する初期の名作。マーロウのクールな一人称から滲み出る哀愁が印象的で、名状しがたい余韻はシリーズ随一だ。

 そんなチャンドラーの長編第一作であり、フィリップ・マーロウの初登場作である『大いなる眠り』の新訳が、この12月に上梓された。早川書房による村上春樹訳レイモンド・チャンドラーの第4弾。なんと56年ぶり(!)の新訳なのである。

 日本ではあまりウケが良くない『大いなる眠り』だが、新訳で改めて読んでみると、これが面白くって、随分印象が変わってしまった。旧訳に親しんだ方にもお勧めしたい。

 マーロウがまだ若くて、ツっぱってるのもいい。『長いお別れ/ロング・グッドバイ』で42歳のマーロウも、この『大いなる眠り』では33歳の設定だ。それを意識したのか、村上春樹さんの肩肘張っている感じの翻訳が可笑しい。物語の冒頭、大富豪の依頼人宅を訪ねたマーロウと依頼人の末娘カーメンとの会話はこんな感じだ。

「背が高いのね」と、彼女は言った。「僕のせいじゃない」(双葉十三郎訳)

「背が高いのね」と娘は言った。「それは私の意図ではない」(村上春樹訳)

 どちらの訳が良いかは好みではあるけれど、こうして印象的なシーンを比べて読むのも楽しい。

 ちなみに、ボギーとバコールが共演したハワード・ホークスの映画版(1946年「三つ数えろ」)での同場面の台詞は、「背が高くないのね」「努力はしてみたんだが」だった。ボギーはマーロウほど背が高くなかったし、若くもなかったのだ。

 チャンドラーが生涯に完成させた長編は全部で7作。そのうち『大いなる眠り』を除く6作は、映画字幕の大家である清水俊二さん(故人)が翻訳された。日本におけるチャンドラー人気は、清水さんのキレのある端整な訳文とキャッチーなタイトル抜きには考えられないだろう。

 そして唯一『大いなる眠り』を訳されたのは映画評論家の双葉十三郎さん(故人)だった。

■レイモンド・チャンドラーの長編小説

1 『大いなる眠り』(双葉十三郎訳・S)『大いなる眠り』(村上春樹訳・H)

2 『さらば愛しき女よ』(清水俊二訳・H)『さよなら、愛しい人』(村上春樹訳・H)

3 『高い窓』(清水俊二訳・H))※清水さんの遺訳。最後の数ページは戸田奈津子さんが引き継いだ。

4 『湖中の女』(清水俊二訳・H)

5 『かわいい女』(清水俊二訳・S)『リトル・シスター』(村上春樹訳・H)

6 『長いお別れ』(清水俊二訳・H)『ロング・グッドバイ』(村上春樹訳・H)

7 『プレイバック』(清水俊二訳・H)

 *訳者名のあとのSは創元推理文庫、Hはハヤカワミステリ文庫、早川書房

 どんな名訳であっても半世紀を超える年月に耐えることは難しい。そんなわけで、当代最高の言葉の使い手によって新たな生命を得た『大いなる眠り』を心から歓迎したい。また、シリーズ第一作が新訳なったのを機会にチャンドラーに挑戦しよう、と思っている方も多いのではないかと、一ファンとして期待で鳩胸なのである。

 しかし、僕は先輩読者として、初めてチャンドラーを読むミステリーファンの方々に、あらかじめ伝えるべきことがあるのだ。

 それは、大御所チャンドラーが、実は「ミステリーを書くのがあまり上手ではない」という残念な事実である。

 はっきり言うが、もしも、あなたが謎解きをミステリーにおける唯一の興味と考える読者であるならば、チャンドラーはその期待に応えてくれないかも知れない。伏線の張り方も回収もいい加減で、登場人物はしょっちゅう何処かに帽子を忘れてくる。『大いなる眠り』では殺人事件の一つは犯人捜しすらされないのだ。しかし、それでも是非読んで欲しい。誤解を恐れずに言えば、筋を追わずに一つ一つのシーンを楽しんで欲しい。溢れる情感と読後の余韻を味わって欲しい。違う種類のカタルシスを体験して欲しい。そして、虚勢と減らず口だけを頼りに卑しい街をゆくフィリップ・マーロウという男から何かを感じて欲しい。

 さらに、美しく抑制のきいた文章もチャンドラーの魅力だ。ハードボイルド小説は、シャープな文体やウィットに富んだ会話、練られた比喩などが特徴と言われるが、この部分において、チャンドラーの洗練された文章はいまも世界中のハードボイルド作家のお手本であり続けている。

 また、我々日本の読者にとっては、普段なかなかお目にかかれない独特のレトリックや台詞まわしにビリビリ痺れること請け合いだ。先に紹介した『大いなる眠り』の人を食ったような台詞から、

「灯台みたいに淋しい」

「魔女のブラジャーのように冷たい」

 などという、なぜか心に引っかかって忘れられない比喩まで、こんなフレーズがサラっとでてくるたびに、ある種フェティッシュな喜びにうち震えてしまう。あなたもきっと読了後にはお気に入りのフレーズを見つけているに違いない。

 いまさらチャンドラー、と言われるかも知れない。だけど一度はチャンドラー、なのである。これまで何となく読む機会を逃してきた方々の背中を上手に押せていることを祈るばかりだ。本当は拳銃を押し付けてでも読ませたいくらいなのである。

 最後に、蛇足であることを承知で、ハードボイルドとは何かについて、そして、チャンドラーが及ぼした影響に触れておきたい。

 これまでチャンドラーの魅力を、情感だの美しい文章だのと散々書いてきたが、ハードボイルドとは、本来、殺伐としたアンチヒーローの物語だ。非情な主人公が、探偵の職業倫理だったり裏社会の掟だったり己の信条だったりという規制=コードに従って行動する(諏訪部浩一さんは著書『「マルタの鷹」講義』で、それを逃げ道でもあると書いた)クライムノベルだ。その点でのノワールやピカレスクとの境界は曖昧であり、ハードボイルドをハードボイルドたらしめたのは、ことの善悪やひとの感情に一切触れない、頑なな客観描写という叙述形式だったのである。

 しかし、チャンドラーが世に送り出したのは「高潔の騎士」フィリップ・マーロウだった。そのヒーロー然とした造型も、一人称による感傷や憐憫の叙述も、ハードボイルドにおいては禁忌のはずのものだったのだ。

 チャンドラーはハメットとヘミングウェイを創作の父として出発したにも関わらず(チャンドラーはこの二人より年長であったが)、彼らが築いた「ハードボイルド」の本質を歪曲し、また、その成功によって「ハードボイルド」という言葉の持つ意味をも変えてしまった。——チャンドラーは死後もずっと、このような批判にさらされ続けている。

 その批判を全て否定することは難しい。しかし、ハードボイルドがジャンルとして確立し、今も広く読み続けられているのはチャンドラーがいたからこそ、というのもまた事実だ。正統であろうとなかろうと、チャンドラーの作品にはそれほどの影響力と普遍的な魅力が備わっているということなのである。

 マーロウのような不器用な生き方を「格好いい」と思える人間がいて、これからもチャンドラーが読み継がれていくのであれば、この世界もまだ捨てたものではない、と僕は思っている。

加藤 篁(かとう たかむら)

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愛知県豊橋市在住、暴走する名古屋読書会の制動装置を自認する会社員。手筒花火がライフワーク。1999年にウェブサイト「レイモンド・チャンドラーの世界」を開設。第一回翻訳ミステリー読者賞は3月1日から募集開始ですぞ!

https://sites.google.com/site/dokushashou/ (twitterアカウントは @tkmr_kato

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