「絵本を訳したいと思うなら、実際に絵本を子どもたちに読んでみるといいですよ。子どもは正直だから、その絵本をおもしろいと思っているかどうかすぐにわかります」。何年も前に、児童文学翻訳家である恩師こだまともこ先生に、そんなアドバイスをいただいた。

 とはいえ、身近には本を読んであげられるような子どもがいない。それに、人前でしゃべるのも苦手なわたしが、どう反応するかわからない子どもたちの前で絵本を読めるのか不安でもあった。でも幸いなことに、やまねこ翻訳クラブの仲間たちがすでに「おはなしこねこの会」という有志のおはなしグループをつくって活動していたので、そこに入って助けてもらいながら、読み聞かせを始める決意をした。

 事前に松岡享子氏の著作をすすめられ、『えほんのせかい こどものせかい』を読んでみたら、これがすばらしい本だった。絵本の持ち方やページのめくり方といった実践的アドバイスのみならず、子どもは本を読んでもらうことによって、自分に対する大人の愛情を感じ、物語といっしょに「読み手のもつ、文学を味わいたのしむ能力」をも吸収する、といった心の部分がとてもていねいに書かれている。別のおはなし会に入っている友人の話では、読み聞かせの教科書として必ずすすめられる本なのだとか。巻末には読み聞かせに向く古典的な名作絵本のリストが、解説とともに掲載されている。おはなしこねこの会では、新しい翻訳絵本や日本の作家の絵本を読んだり、紙芝居を演じたりもしているけれど、初心者だったわたしは、まずはこのリストの中から好きな絵本を選んで読むことにした。

 記念すべき初めての読み聞かせ。場所は都内の大型書店の児童書売り場。その日に来ていたわたし以外のメンバーふたりが、通りがかりのお客さまに呼びかけ、じゅうたん敷きのコーナーに子どもたちを10人くらい集め、「これからおはなし会を始めます」とあいさつした。ふたりの慣れた読み聞かせのあと、わたしは何度も家で練習した『ラチとらいおん』をたずさえ、どきどきしながら子どもたちの前にすわった。本を持つ手がぶるぶるふるえている。タイトルを読んで、表紙をめくったら、じゅうたんにすわっていた子どもたちが、触れられるくらい近くにすっと寄ってきた。その瞬間のなんともいえないうれしさを、今でも覚えている。小さな子どもたちが、わたしの持っている本に引きつけられているのだ。絵本の力はなんてすごいんだろう。

 肝心の読み聞かせは、思っていたとおりにはいかなかった。

 この絵本では、ラチという世界一弱虫の男の子のところに、小さいけれど強いライオンがやってきて、いっしょに体操をしたりしてラチを鍛えてくれる。そのうち、ライオンがポケットにいさえすれば、ラチはこわい犬のそばを通りぬけたり、真っ暗な部屋にクレヨンを取りにいったりもできるようになる。ついには、いじめっ子を退散させてしまうほど強くなった。ところが、ふと見ると、ポケットにライオンがいない。ライオンは「もう、ぼくがいなくても大丈夫だよ」と置き手紙を残していなくなってしまったのだ。

 この手紙は、大人のわたしには泣けた。だから、大げさにならないように気をつけながらも、静かな気合いをこめてこの手紙を読もうと思っていた。ところがである。聞いていた子どもの中に、ひとり字が読めるようになったばかりの女の子がいて、手紙のところになると、急に声に出して読みはじめたのだ。たどたどしいけれど一所懸命、夢中で、誇らしげに読んでいる。結局、わたしもその子に合わせて読むことになり、あらかじめ考えていたような読み方をするどころではなかった。

 女の子はこっちまでうれしくなるくらい満足そうな顔をしていた。ほかの子どもたちも最後まで聞いていた。誰もライオンがいなくなった感慨にひたっていない。ただ、にこにこしている。「らいおん、かわいい!」という女の子までいた。それで気づいた。大人のわたしは大人の視点でこの絵本を読んでいたけれど、子どもたちは無意識に主人公のラチに自分を重ね合わせ、強くなること、成長することの喜びを感じていたのにちがいない、と。

 それからは、もう少しラチに寄り添って、この絵本を読むようにしている。去年だったかに読んだときは、やんちゃで人なつこい兄弟が聞いていて、まさに『えほんのせかい こどものせかい』に書いてあるとおりの反応をした。冒頭で「ラチは、飛行士になりたいと思っていました。でも、弱虫の飛行士なんているでしょうか」と読むと、「いなーい!」と声をあげ、「(ラチは)きっと飛行士になれるでしょう」という結末のあと、「なれるー!」と叫んだのだ。松岡享子氏の文章は何十年も前に書かれている。今の子どもは昔の子どもに比べておはなしの世界に入りこむ力が弱いと聞くことがあるけれど、こんな元気な反応を目の当たりにすると胸が熱くなる。

 子どもの反応といえば、自分では奇跡だと思っている体験をしたことがある。『いちばんに、なりたい!』という小学生向けの物語を訳していたときのことだ。本の主人公の少女ウィニーは、幼稚園の男の子に『きょうりゅうたちがかぜひいた』という絵本を読み聞かせる。男の子はまったく興味なさそうに顔をしかめていたが、最後まで読んでもらったとき、初めて口をひらく。「もう一回、読んで」と。この場面がとても印象的だったので、翻訳作業中のある日、わたしは実在し邦訳もされているその絵本『きょうりゅうたちがかぜひいた』を書店のおはなし会で読んでみた。するとなんと、最後まで聞いていた10人あまりの子どもたちの中から「もう一回!」という声があがったではないか! 大喜びで、ほかの子どもたちに確認したうえで、最初からもう一回読んだのはいうまでもない。

 おはなし会で読んでよかった、わたしの好みの絵本をいくつか挙げてみたい。

 映画化でも話題になったセンダックの傑作『かいじゅうたちのいるところ』は、4〜5歳以上の男の子がとくによく聞いてくれる冒険ファンタジー。主人公のマックスが大暴れして寝室に放りこまれると、にょきりにょきりと寝室に木が生えてきて森になり、船が来て、マックスは1年と1日かけて航海して、怪獣たちのいるところに行って王様になる。もちろんハッピーエンドにはなるけれど、絵も文章も結構こわいので、小さい女の子がいる場合などは、読み方を少し加減するようにしている。

 子どもたちとの距離が近い書店だからこそ読めるのが、細部まで描きこまれた絵が楽しい『ないしょのおともだち』。大きな家に住む女の子とその家のすみにある小さな家に住むネズミのひそやかな友情に、世代を越えた広がりがあるところが気に入っている。意外なことに、女の子だけでなく男の子も絵をじっと見てくれる。

 去年は『トラのじゅうたんになりたかったトラ』にひとめぼれした。年取ってよれよれになったジャングルのトラが、宮殿でおいしそうにごはんを食べる王様一家を見て仲間に入りたいと願い、トラのじゅうたんになりすますというユーモアいっぱいの物語。おはなし会で読んだときは、就学前の子どもたちから、通りかかった大人たちまでがぐっと身を乗りだし、なさけないトラの魅力に引きこまれていた。喜ばしいことに、この絵本は2012年やまねこ賞絵本部門の大賞を受賞した。

 書店のおはなし会というのは、保育園や学校などとちがって、始まる直前まで、子どもが何人集まるのか、どのくらいの年齢層かということが全然わからない。出入り自由なので、途中で人数が増えたり減ったりもする。自分が読んでいる最中に、聞き手がどんどんいなくなってしまったなんてこともある。だから毎回がスリルとサスペンスに満ちている。それに子どもたちの性格や好みも、そのときの気分や体調もさまざま。じっと静かにしている子もいれば、読み手にアピールしてくる子も、聞いていないようでいて聞いている子もいる。小さい子の場合は、お母さんやお父さんが穏やかにそばにいてくれるかどうかで、落ち着きや満足感がちがってくることが多いようだ。というわけで、メンバーは毎回いろんな種類の絵本や紙芝居を用意して、子どもたちの様子を見ながら、臨機応変に演目を変えていく。そんな一期一会の場であることも、結局はおはなし会の魅力なのだ。

 さて、月1回読むか読まないかのゆったりしたペースながら、気づけば7年くらい読み聞かせを続けている。いまだに読む前は緊張し、読んだあとは快いながらも疲労感におそわれるけれど、子どもたちが目を輝かせる瞬間を見ると、ものすごく幸せな気持ちになるので、これからもゆるゆる続けていきたい。そして、そもそもの目的だった絵本の翻訳はといえば……まだ実現していないのだけど、きっとそのうち、そのうち!

やまねこ翻訳クラブ「月刊児童文学翻訳」のページ

●やまねこ翻訳クラブ「読書探偵」応援企画 バックナンバーはこちら●

武富博子(たけとみ ひろこ)。東京都生まれ。上智大学卒業。訳書に、クーニー『闇のダイヤモンド』、グラフ『アニーのかさ』、アッシャー『13の理由』、ジェイコブソン『バレエなんて、きらい』など。やまねこ翻訳クラブのスタッフ。