今回ご紹介するのはアイルランド発のクライム・ノヴェル、ジーン・ケリガンの“The Rage”です。

 舞台となるのはダブリン。暴行罪で服役していたヴィンセント・ネイラーが、刑を終えて出所する。服役しても悪の性根は変わらず、こんどは大金をせしめるべく、兄のノエルや地元の仲間たちとともに現金輸送車を襲う計画を立て、実行にうつす。

 ヴィンセントたちはまず、現金輸送車の警備員に難なく近づけるよう、第一の標的となる銀行の行員、シェイ・ハリソンを誘拐し、彼の家族を監禁状態におく。ついでハリソンを意のままに動かし、彼が勤務する銀行から現金を輸送しようとしていた車を警備員ともども支配した。複数の銀行をまわって大金を手中におさめたヴィンセントは、事前に用意しておいた逃走用の車へと向かう。が、彼を待っていたのは、先に車のところに着いていたノエルと仲間一名が警察官に囲まれている光景だった。ノエルたちは銃を発砲して抵抗したため、射殺される。なぜ警察がいたのか? ヴィンセントは状況を把握できないまま、その場から逃走する。

 警察が張り込んでいたのは近所に住む高齢の元修道女、モーラ・コーディから通報があったからだった。数日まえモーラは偶然、ヴィンセントたちの車が現われるところを目撃していた。車からおりてきたヴィンセントたちの怪しげな様子と、その後、車が放置されているのを不審に思い、知りあいの刑事、ボブ・タイディに連絡をしたのだ。

 ここまで来ると、強奪事件が発生して、犯人は射殺されて、きっとその背後に何かあって、それをタイディたちが追う話なのね、と思ってしまうところだが、この事件の捜査についてはほとんど語られない。モーラから連絡を受けたタイディは、(具体的には書かれていないが)上司に報告するだけで、べつの殺害事件の捜査にあたっており、こちらはこちらで、ヴィンセントとは無関係の物語が展開される。

 タイディが担当していたのは、オリヴァー・スニードという小悪党が射殺された事件で、おそらくドラッグがらみだろうと見られていた。ところが捜査を進めるうちに、数ヵ月まえに起きたエメット・スウィートマン殺害事件に使われた銃と、スニードを殺害した銃が同一であることが明らかになる。スウィートマンは国内外に不動産を所有する裕福な銀行家で、ちんぴらもどきのスニードとおよそ接点があるとは思えなかった。このふたつの事件の鍵はスウィートマン殺害にありと踏んだタイディは、スウィートマンにビジネス上のトラブルはなかったか、家族や友人には知られていない裏の顔はなかったかと彼の身辺を探り、過去の愛人や愛の巣の存在を突きとめる。愛の巣の家宅捜索をしたところ、携帯電話が見つかる。どうやら限られた人とのあいだでしか使われていなかったようで、最後の発信は、殺害された日にコニー・ウィンツァーという弁護士にかけたものだった。しかしウィンツァーに話を聞くも、スウィートマンという男は知らないし、電話を受けた憶えもないと知らぬ存ぜぬの一点張りで、いっこうに埒が明かなかった。

 そうこうしているうちに、ジャスティン・ケネディという男の死体が発見される。ケネディはスウィートマンと同じく弁護士で、これまた同じく不動産投資をおこなっており、ここしばらくは不動産ビジネスにからんでスウィートマンと反目しあっていたという。スウィートマン、ウィンツァー、ケネディ、スニード、彼らはどのような関係にあったのか? 

 タイディがさらに捜査を進めていたところ、上層部から、別枠で調べた結果、スウィートマン殺害犯はケネディで、ケネディは自責の念にかられて自殺したと判明、よって一連の事件は解決したものとする、と告げられる。すべての状況を考えると、とうてい納得できる話ではなく、タイディは単独で真相究明にあたる。

 さて、このかんヴィンセントはどうしていたかというと、いずれは自分の身が危うくなると考え国外逃亡を企てるが、そのまえに殺された兄、ノエルのかたきを打たなければ腹の虫がおさまらず、行動を開始する。標的はノエルに銃弾を撃ち込んだ警察官と、警察に通報したモーラだった。

 本書ではヴィンセントにまつわる物語と、タイディの事件捜査の状況が交互に語られます。ヴィンセントのほうは明快、いっぽうタイディのほうはやや複雑です。喩えて言うと、ほぼまっすぐの川と蛇行する川が、視野におさまる範囲に並行して流れているといったところでしょうか。ともすれば散漫になりかねない手法ですが、そういった感をあたえないところに著者の巧みさが感じられます。また文章が簡潔で、物語全体を引き締める一助になっていますが、その反面、事細かな心理描写がないため、登場人物の人となりはつかみにくいかもしれません。ですが、そういう想像の余地を楽しむのも一興でしょう。

 淡々とした文章と構成に対して、タイトルは”The Rage”(憤怒)。矛盾を押し通す上司へのタイディの憤怒、ノエルを失ったヴィンセントの憤怒、殺人という不条理へのモーラの憤怒。直截な描かれ方はしていませんが、さまざまな憤怒が感じられる一作です。

 著者のジーン・ケリガンはジャーナリストとして活躍し、ノンフィクションを多数執筆したのち、2005年からフィクションを書きはじめる。前作“Dark Times in the City”は、2009年にCWA賞のゴールド・ダガー賞にノミネートされたが、惜しくも受賞はならず。しかし2012年、本書でみごとゴールド・ダガー賞を獲得。注目しておきたい作家です。

高橋知子 (たかはしともこ)

翻訳者。訳書に『名探偵モンク モンク、消防署に行く』『名探偵モンク モンクと警官ストライキ』『本から引き出された本』など。最近の楽しみは、自宅で食事をしながらの映画鑑賞。

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