この2月に発売された『スケアクロウ』はマイクル・コナリーの記念すべき長篇20作目であり、邦訳第20作目だそうだ。『ナイトホークス』から始まって、足かけ20年。一時は版元がコロコロ変わり、心配になったこともあったけど、これまでヌケなく翻訳が続いているのは、翻訳者である古沢さんのご尽力の賜物か、はたまた熱心なファンの祈りのおかげか。どちらにしても、これってイマドキ凄いことなのでないだろうか。どれくらい凄いかというと、

「えーい静まれぇ!この〈20〉のモンドコロが目に入らぬか!」

「一同の者、頭が高い!」

「スケアクロウ!」

(ははーー)

 と言いたいくらいなのである。

 で、『スケアクロウ』。僕がこれを読み終えたのは、発売から約1ヶ月が経った3月13日の深夜、ベッドの中だった。その期待を裏切らない面白さに満足した僕は、気持ち良く眠りにつき、翌朝はスッキリ目覚めたのを覚えている。そして、この日はホワイトデー。思えば、この日が何のイベントでもなくなってから何年が経つだろう。ここで往時の思い出話を一つ二つ披露したいところだけど、それは本稿の目的ではない。そう、そのホワイトデーの昼休み、僕はいつものように、会社のパソコンからシンジケートのウェブサイトにアクセスした。

 おお、今日はいつも楽しみにしている書評七福神じゃないか。あ、そうだ、きっと皆さんコナリーを絶賛しているに違いない。こんなに面白かったんだもの。

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 北上さんはクランシーか、まあ仕方ない。むむ? グリーニーの新作ですと?

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 霜月さんはアン・ペリー? ちょっと意外だ。もし来日する機会があったら是非「国をひらきなさーい」と言って欲しいな。……大丈夫だ、まだ錚々たる目利きが5人も残って……(スクロール)……あれ?……(スクロール)……ない(スクロール)……ないよ……(スクロール)……一つもない。

 結果はご存じの通り、2月のベストに『スケアクロウ』を挙げた書評家は一人もいなかったのである。

 おそるべし、ミネット・ウォルターズ。そんなに面白いのか、『遮断地区』。面白いんだろうな、きっと。(未読です、ごめんなさい)

 いや待て。本作『スケアクロウ』は間違いなく面白いし、コナリー初心者にもお勧めできる作品のはずだ。それに講談社文庫は文字もデカくて読み易いぞ。『遮断地区』にコテンパンに負けるなんて納得できない。(未読だけど)

 そもそも皆さん、近頃マイクル・コナリーに厳しくないですか? 「面白くて当り前」と思っていませんか?そう簡単には褒めてやらないぞって、構えて読んでいません?いつも90点超えのテストを持って帰ってくる優等生の長男よりも、たまの80点で大ハシャギする次男の佑介(唐揚げ命)の方が可愛い、という心理になっていませんか?って話ですよ。

 実際、マイクル・コナリーという作家の安定感はちょっと凄いと思う。常に高いレベルを維持するために、並々ならぬ苦労やプレッシャーとの戦いがあるに違いない。一年の半分くらいは下痢してんじゃないかと思う。それを可愛い気が無いとかマンネリだとか言っちゃ駄目だと思う。

 でも、本作『スケアクロウ』は、これまでのコナリー作品とはちょっと違う様々な趣向が凝らされているように思う。話そのものも十分に面白かったけれど、加えて、この「いつもの違う」ところにも注目して欲しいと思うのだ。

『スケアクロウ』の主人公は、ロサンジェルス・タイムズの記者ジャック・マカヴォイ。主役としては『ザ・ポエット』以来の登場だ。そのマカヴォイの敵として登場するのが凄腕ハッカー「スケアクロウ」。個人情報の書き換えから預金口座の操作まで、易々とこなしてしまう超絶電脳スキルの持ち主だ。コナリー作品には珍しく、最初から犯人が登場し、追う側と追われる側が攻守入れ替わりながら、ラストまで突っ走るクライムサスペンス。とはいえ、そこは流石コナリーで、二重三重の仕掛けでミステリーファンを飽きさせることはない。読者を選ばないタイプの極上エンターテイメントだ。

 また本作は、これまたコナリー作品には珍しく、社会派の業界小説としての一面を持つのも特徴と言えるだろう。ネット時代の到来により、新聞に限らず紙媒体各社は、業態そのものの変革と収益モデルの再構築を迫られているわけだが、本作はまさにその渦中、リストラによる経営再建途上のロサンジェルス・タイムズが舞台なのだ。全米屈指の大メディアでありながら、経営破たんと売却が繰り返され、落日の観あるロサンジェルス・タイムズは、実はマイクル・コナリー自身の古巣でもある。本作のディティールがしっかりしているのも当然だ。このあたりは巻末の真山仁さんの解説にも詳しく、勉強にもなった。

 主人公のマカヴォイはサツ回り担当のベテラン記者だが、その高給によりレイオフの対象に。若い後任との引き継ぎの為に与えられた猶予は2週間。最後にスクープを物にして意地を見せたいマカヴォイは、気付かぬうちに「スケアクロウ」の結界に足を踏み入れ、気付かぬうちに窮地に陥る。それを救ったのは『ザ・ポエット』でもコンビを組んだFBI捜査官レイチェル・ウォリングだった……というのが導入部だ。ね、面白そうでしょ。

 ところで、マイクル・コナリーといえば、メーンのキャラクターはLA市警の刑事ハリー・ボッシュだが、ある頃から、その〈ボッシュ・シリーズ〉を中心に、他のシリーズやノンシリーズの登場人物が入り混じった「コナリー・ワールド」が出来つつある。

 長く続くシリーズなので、ただでさえ積み重なった人間関係があるうえに、別の世界の住人だと思っていたアイツがいきなり登場したり、ソイツとコイツが実は兄弟だったことが分かったり、コイツとアイツが違う意味で兄弟だったり、なんだか面倒なことになってきた。コナリーはわざと話をややこしくしていて、楽しんでいるのではないかという気さえしてくる。僕と同世代の方なら〈大甲子園〉や〈ドカベン プロ野球編〉の「水島新司ワールド」の混沌を思い出してもらえれば、なんとなく状況が分かっていただけるだろうか。そんなわけで、それぞれの作品を単独で読む分には何の問題も無いとはいえ、人間関係や全体の流れを重視する「シリーズは一作目から」派の方々や、新しい読者にとって、最近のコナリー作品は、あまり親切でないという印象を与えているのではないかと、僕はかねがね心配していたのである。

 その意味でも『スケアクロウ』は貴重だと思うのだ。本作にマカヴォイの相棒として登場するレイチェルは、シリーズを横断して「コナリー・ワールド」をややこしくしている張本人の一人なのだが、今回は他のシリーズに話が波及することはほとんどなく、したがってムダな人間関係に煩わされることがない。さらに『ザ・ポエット』の続編ではあるけれど、独立した話として成立しているのもポイントが高い。『スケアクロウ』を最初に読んでから、その前日譚として『ザ・ポエット』を読むというのも良いかも知れない。こちらも期待を裏切らない面白さであることは保障する。

そんなわけで、『スケアクロウ』を僕は自信を持ってお勧めしたいのである。本作は「コナリー・ワールド」にポッカリ開いた新しい入口でもあるのだ。

 さて、本稿も残りあと僅か。最後の最後にぶっちゃけるが、僕はコナリーのメーンキャラクターであるハリー・ボッシュという男が、実は少し苦手だったりする。「俺が正義だ」と信じて疑わない独善さや、どれだけ周りを振り回しているのかを顧みないKYさ(死語?)が結構キツい。「一緒に働きたくない男」ナンバーワンだ。僕と同じように感じている方も意外と多いのではないだろうか。

 でも、どんなに迷惑な存在であろうとも、彼のナリフリ構わず結果を出しに行く姿勢は凄いと認めざるを得ない。ボッシュに限らないけど、コナリーは「プロの仕事」「プロの矜恃」を書かせたら、本当に素晴らしいと思う。ボッシュを疎ましく思うのは、僕がアマアマの人間だからだ。自分でもそれは分かっている。

 だから最後は、自分への戒めも込めて、このフレーズでシメたいと思う。

 たとえボッシュのことが嫌いでも、コナリーのことはきrしbヴぃフライングゲット。(結局グダグダか)

加藤 篁(かとう たかむら)

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 翻訳ミステリー名古屋読書会の幹事B。愛知県豊橋市在住で手筒花火がライフワーク。縁あって翻訳ミステリー大賞コンベンションには第一回から参加。過去2回ともハードボイルド部屋で酒浸り、クイズ大会の途中で撃沈しますた。今年も張り切って上京します。宜しくお願いします。(twitterアカウントは @tkmr_kato

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