3月に刊行された拙訳書『科学者たちの挑戦 失敗を重ねて成功したウソのようなホントの科学のはなし』を、裏話をまじえながら紹介させてください。大昔から近代まで、科学者たちは飽くなき挑戦を重ね、ときに失敗もし、数々の発見をしてきました。そういったたくさんの科学者たちのエピソードがたっぷりつまった本です。今のわたしたちから見れば、なぜそんなことをするんだと笑っちゃうような、ぶっとんだ挑戦、びっくりの失敗も出てきます。

 原書は2007年に英国で出版された “A Weird History of Science” という児童書ノンフィクション・シリーズの4冊、”Bizarre Biology”、”Crazy Chemistry”、”Foolish Physics”、”Outrageous Inventions”です。1冊56ページの小ぶりな本4冊が、日本語版はどーんと204ページの1冊になりました。原書の1巻が日本語版の1章になり、生物学、化学、物理学、発明の4章立てになっています。分厚くなっただけでなく、サイズも大きくなり、完成した本が届いたときは「あらまあ、立派になって!」と感慨深く手にとりました。

 ところで、みなさん、ダイオウイカはご覧になりました? 実はダイオウイカのことが本書にも出ております。ただし原書が出版されたのが2007年ですから、それ以前に起こったできごとしか著者は書けません。原文には「2005年に日本の科学者がはじめて生きているダイオウイカを写真におさめた」とあります。これをこのまま訳すだけでもよかったんです。(いや、正確には、写真が撮影されたのは2004年で、2005年というのは論文が発表された年ですから、訳は2004年に直さなければいけませんでした。)

 国立科学博物館のサイトで、窪寺恒己博士がずっとダイオウイカを追ってこられたようすをくわしく読むと、2006年12月には窪寺さんが生きたままのダイオウイカを釣り上げたことがわかりました。これはぎりぎりのタイミングで原書に入れられなかったのでしょう。この情報を訳書に入れるかどうか。昨年10月末に訳稿を納め、初校ゲラの赤入れが12月前半でした。赤入れのときに、日本の科学者の功績だからという思いもあって、「2006年には同じグループが生きたダイオウイカをつりあげたが、すぐに死んだ」という情報を入れてはどうかと提案し、採用されました。

 そして今年の1月。TwitterのTLにダイオウイカがならんだときがありました。NHKが世界初、生きたままの動画撮影に成功したというニュースが出たときです。糸井重里さん(かってにフォロー)をはじめ有名人も、親しい友人たちも、みんな、イカ、イカ、ダイオウイカってつぶやいています。そんなに人気があったのか、このイカ! ゲラの赤入れは終わっているし、どうしたものか。編集者さんに相談してみようとメールを入れたところ、ちょうどその日がリミットだったそうで、13時までに修正原稿を送れるならという返事をもらいました。大急ぎで、先に加筆した2006年うんぬんの文はとり、2012年7月に世界ではじめて生きて泳ぐダイオウイカの映像をとるのに成功したという情報を書き加えたのでした。(撮影成功から発表まで半年もかかったのは、なにか大人の事情があるのでしょうか。もうちょっと早く教えてくれれば、こんなにぎりぎりで焦らなくてもすんだのにと、自分勝手に思っていました。)

 発明、発見は日進月歩です。「原書執筆時の最新情報をもとにしています」とことわりを入れて、きっちり原文どおりの訳にするのもひとつの方法です。ダイオウイカを入れるのなら、同じく科学関係の一大ニュースとなった山中伸弥教授のノーベル賞受賞のことだって、どこかへ入れればよかったでしょうか。アーノルド・ノーベルを紹介するページはありますが、そこへ無理矢理入れる? うーん、それはおかしい。それに山中教授のことを入れるなら、これまでノーベル賞をとった日本人全員を紹介したい。しかし、それは翻訳書ではなくなってくるのでは。そもそも、確かな調査をして原稿をつくっている時間はもうなかったのですけれど。

 長々とイカ追加投入の顛末を書いてきましたが、ダイオウイカのことが書かれているのは204ページ中1ページだけです。

 さてこの本、小学校3、4年生以上が読めるように意識して訳しましたが、ところどころにふくまれるPG12なみの少々刺激的な内容は無修正です。たとえば、最初のページに出てくる絵が、その昔、馬の動脈に長いガラスの管をさし、管のどの高さまで血液が上がるかで、血圧を測っていたというモノクロの絵。またウジムシが人の傷口の悪くなった皮ふを食べているカラー写真がでかでかと登場するページもあります。ほかにも殺人現場で使われるルミノールのことや、パーティーで使われ流行した笑気ガス(亜酸化窒素)が麻酔になる話など、おもしろエピソード満載です。読者である子どもたちが楽しみながら、科学者という仕事に興味をもち、身近に感じてくれるといいなと思います。親御さんが心配なさらないように書いておくと、ガリレオ、エジソン、ニュートンなど有名どころの話もちゃんと入っています。また本文最後のページの囲みのなか、未来の戦争について書かれた2文から、子どもたちへ送られた著者の思いを読んでいただければうれしいです。

吉井知代子

(よしい ちよこ)。兵庫県在住。大阪市立大学卒業。訳書に『キノコ雲に追われて』(あすなろ書房)、『救助犬ベア』(金の星社)、「ポップ・スクール」シリーズ(アルファポリス)ほか。やまねこ翻訳クラブ会員。

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