アメリカ国内には現在、正式な手続きをへずに入国した不法移民が1100万人いると言われ、いまもなお増えつづけています。そのおよそ7割がヒスパニックと呼ばれるメキシコおよび中南米出身者で、大半はメキシコから国境を越えてやってきます。砂漠や山岳地帯からのルートは危険をともない、まさに死と隣り合わせ。そんな思いまでしてアメリカに入国しても、低賃金の職しかなく、言葉の壁から孤立化し周囲に溶け込めないこともしばしば。

 今月はそんなアメリカの不法移民の実態に焦点をあてた小説、ベン・レーダーの THE CHICKEN HANGER(2012)をご紹介します。

 ベン・レーダーという作家に記憶のある方もいるかもしれません。そう、デビュー作の『馬鹿★テキサス』が2004年に拙訳で紹介されております。タイトルどおり、本当におばかで楽しい娯楽小説なんですが、実はこれ、2003年のエドガー賞新人賞の候補作に選ばれておりまして、アメリカ探偵作家クラブもなかなかやるじゃん、とほくそえんだものです。ついでながら、そのときの受賞作はジョナサン・キングの『真夜中の青い彼方』で、こちらは正統派ハードボイルド。エドガー賞にふさわしい、端整でいながら熱いものを感じる小説でしたっけ。いや、もう、この主人公がね——

 ——はっ、話が横道にそれました。THE CHICKEN HANGER の話でしたね。

 舞台はテキサス州にあるルゴソという、国境近くにある小さな町(おそらくは架空)。国境を越えて流入してくるメキシコ人はあとを断たず、不法入国者がいるのがあたりまえの風景となっています。彼らは不法な存在でありながら、安価な労働力として町の経済に組みこまれており、それゆえ標識や看板、さらには食料品のパッケージまでも英語とスペイン語が並記され消費者のニーズの応えているといった状態です。

 リッキー・デルガドはそんなルゴソの町に住むメキシコからの不法入国者です。鶏処理加工施設で鶏を解体ラインのフックにかける仕事を黙々とこなす毎日。単調ではあるもののけっして楽な仕事ではなく、一日の終わりには、いくらシャワーを浴びても鶏のにおいがこびりついているのではと思うほど。そう、タイトルはリッキーの仕事を指しているのです。

 そんなおり、弟のトマスが仲間ふたりとともに密入国をこころみますが、自警団よろしく見張っていた牧場経営者ハーシェル・ギャンディの発砲を受け、指を一本吹き飛ばされてしまいます。それでもどうにか兄と再会を果たすものの、折悪しくもリッキーは会社をくびになり、寮を追い出されるはめに。ひとまず親切な知人の世話になりながら、今後の身の振り方を考える兄弟ですが、不法移民として国外退去になる危険をおかしながらもトマスを撃った相手を糾弾するべきか、このままおとなしくしているべきかと逡巡することに。

 トマスが銃撃を受けた事件によって、それまでなんの関連もなかったリッキー、ハーシェル、そして問題の晩に国境の警備にあたっていた国境巡視員のウォーレン・コールマンの3人の人生が少しずつ絡み合い、ときに脱線しながら(ここ大事)物語は進んでいくのです。

 あれ、おばかな娯楽小説じゃないじゃん。そうなんです。ユーモアは皆無とは言いませんが、ドタバタした感じはかなりトーンダウンしています。この本で書かれていることは、メキシコと国境を接するアメリカのどの州でも日常的におこなわれているそうです。豊かさを求め、命をかけて密入国をはかるメキシコ人、彼らの存在が治安を悪くする、アメリカの尊厳を守れとばかりに過激な行動に出る一部の白人たち、不法入国者の弱みにつけこんで、安価な労働力として搾取する事業主。そういった現実をレーダーはいくつものエピソードを積み重ね、まざまざと描いています。それも軽快な筆致で。そう、頻繁に視点が入れ替わるせいか、物語のテンポがよく、まったくだれることがないんですよ。

 不法移民と彼らを取り巻く現状をしっかり描きながらも、暗くも重くもせず、へんに説教くさくもなく、最後はちゃんと気持ちよく締めてくれる。良質なエンターテインメントの典型と言えましょう。

東野さやか(ひがしの さやか)

兵庫県生まれの埼玉県民。洋楽ロックをこよなく愛し、ライブにもときどき出没する。最新訳書はローラ・チャイルズ『ミントの香りは危険がいっぱい』(武田ランダムハウス・ジャパン)。その他、ジョン・ハート『アイアン・ハウス』(ハヤカワ・ミステリ)など。

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