20121209080556.jpg 田口俊樹

 寝たきり老犬の介護が、もうた〜いへん。

 うちの愛犬、今年の正月半ばにすごく雪が降った日、夕方に散歩に連れ出そうとしたら、犬小屋から出てきて、よろよろってよろけて、横ざまに雪の上に倒れて、それっきり立てなくなってしまいました。

 慌てて、獣医さんのところに連れていったら、耳の奥深い部分が炎症を起こして中枢神経がおかしくなる前庭疾患という病気でした。ステロイド剤で完治したりもするんですが、なにぶん十七歳を優に超す高齢犬なもので、快癒はかないませんでした。

 それまでは猫の額ほどもある広大な庭で飼ってたんですが、以来、玄関の三和土(ルビ、たたき)にマットとペットシートなるものを敷いての介護の日々が続いています。

 基本的には、シモの世話をして、水を飲ませ、餌をやり(食が細ってるんで、手替え品替え、食わせるだけで三十分ぐらいかかる)床ずれ防止のために日に何度か体位交換をするってな感じですが、これが毎日のことですからね、まさに書くは易く、行うは難しなんですよね。

 だから、夜中に鳴かれて起こされると(これまた毎晩のことで、しかも二度三度)近所迷惑でもあるし、私なんか正直、やさしくなれない。そりゃ、眼も見えず耳も聞こえず、しっぽを振ることもなくなって、ただ横たわって鳴いているだけの老犬をしみじみ見ちゃったりすると、私だって鬼でもなければ蛇でもない。哀れを催しますよ。それでも、正直なところ、苛々するほうが圧倒的に多いです。そんな自分がすごく残念ではあるんだけど。

 その点、身内を誉めるようでなんですが、家人は忍耐強いんですよね。三十年余連れ添っている私なんかにはついぞ見せたことのない比類なきやさしさで、なんとも甲斐甲斐しくてね、これが。人格者ですねえ、この人。ちょっと見直しました。ただ、そのくせ長期の旅行なんかに行っちゃったりもするんですが。どういうこと? 私ひとりに任せて不安じゃないの? まあ、いいんですけど。私、旅行嫌いだし……

 針小棒大の愚を承知で言うんですが、こういうことをいささかなりとも体験しちゃうと、つくづく「命」ってなんだろうなんて考えちゃいますよね。尊いものだってことは本能的に(たぶん)わかるんだけれども、それでも、というか、だからこそ、始末の悪いものでもありますよね、「命」って。いやはや、介護は人を哲学者にします。

 はてさて、いつまで続くのか。その日を待ちたくもあり、待ちたくもなし。

(たぐちとしき:ローレンス・ブロックのマット・スカダー・シリーズ、バーニイ・ローデンバー・シリーズを手がける。趣味は競馬とパチンコ)

  20121209080557.jpg  横山啓明

いつまでも忘れることのできない夢を

見たことありませんか?

先日、フランシス・ベーコン展へ行ったとき、

昔見た強烈な印象の夢を思い出しました。

人の夢の話なんぞ、つまらないものですが、

まさにベーコンの絵の世界なので、

ちょっと自慢したくなっちゃいました。

暗いだだっ広い部屋でテレビがチカチカ光っている。

光源はテレビだけ。部屋の隅は真っ暗。その闇のなかで

裸の男が身を丸くしながら床の上でゆっくりとうごめいている。

引き締まった体。体毛も髪の毛もすべてない。筋肉が微妙に動く。

テレビからの青白い光に割れた腹筋が浮かびあがる。

闇から生まれたような黒光りする肉体。ただそこに転がっている

だけの肉体。圧倒的な存在感、美しさ。

夢から覚めたとき、えらく感動していました。二、三十年前の

ことですが、今もはっきりと覚えています。

四〇年代から五〇年代にかけてのベーコンの絵のようでしょ?

(よこやまひろあき:AB型のふたご座。音楽を聴きながらのジョギングが日課。主な訳書:ペレケーノス『夜は終わらない』、ダニング『愛書家の死』ゾウハー『ベルリン・コンスピラシー』アントニィ『ベヴァリー・クラブ』ラフ『バッド・モンキーズ』など。ツイッターアカウント@maddisco

20130524023841.jpg 鈴木恵

田舎町の病院から新生児がさらわれて、代わりに1匹の毒々しい蛇が残されていた——というのがスティーヴン・ドビンズの新作『The Burn Palace』の幕あき。ひと口で言えば、異様な事件に次々と見舞われたスモールタウンの9日間を描いた作品で、『死せる少女たちの家』と同系列なんですが、読み心地はずいぶんちがいました。『死せる』のほうは1人称1視点で書かれているのに対し、こちらは3人称多視点で、視点人物だけでも10数人が登場。なんか既視感があるなと思ったら、そう、キングの『アンダー・ザ・ドーム』ですね。『ドーム』にユーモアをまぶした感じ。ただ、その分、雑然としていて、ミステリーとしてはゆるいところもあります。ドビンズは謎解きよりも、異様な事件の渦中に巻きこまれたスモールタウンを多面的に描くことに興味があったのかも、というのが私の感想。でも、期待にたがわずヘンな話ではありました。ちなみに題名の「バーン・パレス」とは、この町の火葬場のこと。

(すずきめぐみ:文芸翻訳者・馬券研究家。最近の主な訳書:バリー『機械男』 サリス『ドライヴ』など。 最近の主な馬券:なし orz。ツイッターアカウント@FukigenM

  20121210083413.jpg  白石朗

20130523153702.jpg

「第2回奥村祭り」へ行ってきた。日本を代表するグラフィックデザイナー奥村靫正氏のお仕事を二会場で俯瞰できる展覧会。YMOをはじめとする音楽関係のアートワークの展示にも心を奪われたが(だってジャケットばかりか、あの温泉マークやテクノデリック・フォントやBricks Monoのタグの「版下」がそこにあるんですよ、奥さん)、第2会場にウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』の原画が展示されていたことに感激。原宿の奥村氏の事務所から当時勤務していた出版社に原画と版下をもち帰った若輩編集者だったころを鮮やかに思い出しながら、撮影可に甘えて写真を撮ってきた。

『ニューロマンサー』のカバーは、当時のSF本としてはなかなか異質な雰囲気ながら、それまでSFに特段の関心のなかった層に訴える力があったように思う。配本後、まっさきに書評依頼の電話をかけてきたのはたしか音楽雑誌 Fool’s Mate の方だったし、その方も装画で目を引かれたとおっしゃっていた。また千葉大学SF研究会の会誌だったと思うのだが、原題 Neuromancer やおなじギブスンの短篇「ニュー・ローズ・ホテル」“New Rose Hotel”と、やはり奥村氏がアートワークを手がけている高橋幸宏のアルバム『NEUROMANTIC (ロマン神経症)』やその収録曲「New (Red) Roses (神経質な赤いバラ)」のタイトルの類似性を指摘しつつ装画について論じた文章を読んだ記憶もある。なんとなく「やったね」と思ったものだ。いまでも年齢の離れた友人から「学生時代にあのカバーにびっくりして初めて海外SFを読みました」という言葉をきくと、やっぱりちょっとだけ「やったね」なんて思うのだ。

 会場では、その『ニューロマンサー』をあしらった限定販売のiPhoneケースが販売されていて購入することができた(→写真)。YMOの温泉マーク版は品切れだったけれど、あればやっぱり買っちゃったとは思うけれど、そもそもiPhoneもってないけど、原画とふたたび対面してケースを手にしたことで、ささやかな「やったね」気分を味わえた一日でした。

(しらいしろう:1959年の亥年生まれ。進行する老眼に鞭打って、最近はワープロソフト〈松風〉で翻訳。最新訳書はアウル『聖なる洞窟の地』、グリシャム『自白』、ブラッティ『ディミター』、デミル『獅子の血戦』、ヒル『ホーンズ—角—』など。ツイッターアカウント@R_SRIS

  20121208085758.jpg 越前敏弥

 先日、『推定無罪』と『無罪』のラスティ・サビッチ氏の”ダメ男”裁判を兼ねた札幌読書会に参加してきました。熱い論争も楽しかったけど、札幌で何よりうれしかったのは「白樺山荘」の味噌ラーメ……いや、それよりも何よりも、最後のサインの時間に参加者のみなさんが持ってきてくださった本が、だれひとり重なることなく、あまりにもバラエティに富んでいたこと。ふだんのそういう機会ではたいがい『ダ・ヴィンチ・コード』と『日本人なら必ず誤訳する英文』に集中するものなんだけど、今回は最近の『解錠師』『夜の真義を』『チューダー王朝弁護士シャードレイク』ばかりか、『飛蝗の農場』や『惜別の賦』や『デセプション・ポイント』や『天使の遊戯』、さらにははるか昔に入手不能になった『デッドエンド』まで! こんな本好きの人たちに囲まれての読書会や2次会・3次会が楽しくないわけがない! そのうえ3次会のジャズ喫茶のお姉さんがめちゃくちゃかわ(以下自粛)。札幌読書会恐るべし。充実の1日でした。

 現在、後援読書会全国10地域でおこなわれていますが、7月に仙台、8月に金沢が仲間に加わる予定です。わが町でもぜひ、と考えていらっしゃるかたは事務局までご一報ください。

(えちぜんとしや:1961年生。おもな訳書に『解錠師』『夜の真義を』『Yの悲劇』『ダ・ヴィンチ・コード』など。趣味は映画館めぐり、ラーメン屋めぐり、マッサージ屋めぐり、スカートめくり[冗談、冗談]。ツイッターアカウント@t_echizen。公式ブログ「翻訳百景」 )

20111003174437.jpg 加賀山卓朗

 なんだか久しぶりですね。その間に私の頭のなかでは勝手に春のシューベルト祭りが始まり、ピアノソナタとくに20番が鳴りまくっておりましたが、読書のほうは春のクリスティー祭りです。 「未読はおれが許さん」と言われたらそらあなた、読まずにいられますか。ええ、たんに未読が多いだけですが。

 で、『春にして君を離れ』。いやこれすごいわ、どんだけ冷たい作家なのクリスティー。それも氷山のように揺るぎない冷たさ(萌)。さらに『終りなき夜に生れつく』。なんだわりとふつうの話じゃん(殴)と思ってたら、一転「ダーク」クリスティー炸裂! このふたつを読んで『カーテン』を振り返ると、なるほどこの作家ならポアロにああいう行動もとらせるだろうと深く納得。それとも私は霜月ワールド越しにクリスティーを見ているだけなのか……かまわんけれどもそれで。

(かがやまたくろう:ロバート・B・パーカー、デニス・ルヘイン、ジェイムズ・カルロス・ブレイク、ジョン・ル・カレなどを翻訳。運動は山歩きとテニス)

  20121209101100.jpg 上條ひろみ

 久しぶりの長屋です。早いものでもうすぐ五月も終わり、今年ももう半分終わっちゃうんですね。びっくりです。あ、よく考えたらまだ五カ月だから半分じゃないですね。でも翻訳ミステリー大賞の候補作ベースで考えると、昨年十一月から今年度がはじまっているわけで、わたしの頭のなかは完全に翻ミス中心にまわっていることにいま気づきました。恐るべし、翻ミス。

 というわけで、忘れないうちに今年度上半期に読んだ本(奥付が2012年11月1日以降のもの)を振り返って、印象に残ったものをあげてみると……

 D・M・ディヴァイン『跡形なく沈む』ミネット・ウォルターズ『遮断地区』モー・ヘイダー『喪失』デニス・ルへイン『夜に生きる』といったあたりでしょうか。あくまでもわたし個人の意見で、まだ未読のものもたくさんあるので暫定ですが。

 偏愛するコージーでは、ジョン・J・ラム『偽りのアンティークベア事件』クリスタ・デイヴィス『感謝祭は邪魔だらけ』ヘイリー・リンド『暗くなるまで贋作を』リース・ボウエン『貧乏お嬢さま、メイドになる』などなど。

 さてさて、下半期はどうなるか。

(かみじょうひろみ:神奈川県生まれ。ジョアン・フルークの〈お菓子探偵ハンナ・シリーズ〉(ヴィレッジブックス)、カレン・マキナニーの〈朝食のおいしいB&Bシリーズ〉(武田ランダムハウスジャパン)などを翻訳。趣味は読書とお菓子作り)

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