こんにちは。杉江松恋です。

 いつもありがとうございます。

「杉江松恋のガイブン酒場」は、ミステリー・プロパーの読者である杉江が、世界のさまざまな文学を読むことに挑戦してみたいと考えて始めたイベントです。その月以降に出る外国文学を早読みし一足先に内容をご紹介するという趣旨で、河出書房新社、新潮社、白水社、早川書房の各社にご協力いただいて開催をしております。そのご案内をさせてください。開催は明日! いつも急で申し訳ないです。

 今回は4冊の新刊をご紹介します。

 まずは本邦初紹介の作家ハリー・マシューズの長篇『シガレット』(木原善彦訳/白水社)。

 アランという男性が、はるか昔に出会ったことがある女性・エリザベスと邂逅し、モードという妻がありながら彼女と性関係を結んでしまうことから始まる「アランとエリザベス」が冒頭に置かれた一篇ですが、以降「オリバーとエリザベス」「オリバーとポーリーン」といった具合に組み合わせが変わりつつ、基本的にはペアの登場人物のエピソードが綴られていくのです。1936年から1963年までの時間を作者は自由に行き来します。時間軸は巻き戻されることもあり、ある場面の裏で起きていたことが別のエピソードで語られることもあり。そうした自在な叙述によってお織り上げられていく図柄の美しさに私は息を飲みました。伏線が精緻に組み上げられたミステリーにも似た、実験小説とはいいながら読み心地はほとんどエンターテインメントと言うべき傑作です。

 これまた初紹介となるフランスの作家ローラン・ビネ『HHhH プラハ、1942年』(高橋啓訳/東京創元社)は、2010年度のゴンクール最優秀新人賞を受賞し、2011年度にはリーブル・ド・ボッシュ読者大賞をも獲得、すでに23ヶ国に版権が売れ、何よりも異例なことにイギリス文壇にも好意的に受け止められているという話題作です。分類としては歴史小説の部類に入るのでしょう。中核となるのはナチス・ドイツのゲシュタポ長官ラインハルト・ハイドリヒです。ヒムラーの懐刀として保護領化されたチェコの総督代理に就任したハイドリヒは、同地で恐怖政治を行います。その彼に対し、ロンドンに亡命したチェコ政府は暗殺指令を下したのです。密かに母国へと戻った二人のパラシュート兵が任務遂行するさまを追う、となれば通常の冒険小説の書き方なのですが、ビネはそうはしない。とことん一次資料に忠実に叙述することにこだわり、登場人物に混じって作者自身が小説の前面に出ることも厭いません。文章で歴史を記述するということの意味、想像と現実の境界を侵犯する作家という存在についての思惟が全篇に溢れているため、「フィクションを読んでいる」という手ごたえを十分に感じさせてくれる作品なのです。

 次のコラム・マッキャン『世界を回せ』(小山太一・宮本朋子訳/河出書房新社)は、全米図書賞、国際IMPACダブリン文学賞などの各章を得た大作です。この小説の主人公は失われたニューヨークのランドマーク、世界貿易センタービルだといってもいいでしょう。1974年のある日、この110階建てのツインタワーの屋上にワイヤーを張り、その上を徒歩で横断しようと試みた男がありました。しかも命綱なしで! 男の冒険行が小説の中ではずっと遠景として使われています。その上で作者は、そこからはるか下の市街で営まれているひとびとの暮らしをゆっくりと描いていくのです。故郷を捨てたダブリン生まれのアイルランド人、常に貧しい人々の間に入っていき、修道僧のような暮らしを送っている男・コリガンの生活をスケッチすることを手始めとして、ヴェトナム戦争で息子を失って深い哀しみに沈む富裕層の夫妻、一度はメディアで高く評価されていながら麻薬と浪費のために破滅寸前の境遇にあるポップアート作家などが次々に登場します。それらの登場人物がどのように読者の前にお目見えするかは明かさずにおきましょう。上下巻ですが、あっという間に読みきってしまう緊密な小説です。

 最後を飾るのはフィリップ・ロス、トマス・ピンチョン、コーマック・マッカーシーらと並ぶアメリカ作家ドン・デリーロの初の短篇傑作集『天使エスメラルダ 9つの物語』(柴田元幸・上岡伸雄・都甲幸治・高吉一郎訳/新潮社)です。先ごろ『コズモポリス』の映像化作品が日本でも公開されましたが、デリーロは日本においては到底正当に評価されたとは言いがたく、これまでも多くの作品が翻訳されながら、その多くは絶版状態にあります。私自身も、恥ずかしながら敬遠し続けてきました。今回、作家特集としてその全作品を読み、不明を恥じるばかりです。もしかすると彼は、私が最も好きなタイプの作家であるのかもしれないのに。

 デリーロの作品にはいくつかの特徴があります。一つは、高度に産業化され、情報化の網によって飲み込まれた現代社会の中に断層を見出し、それを観察することによって得られるものを、全体像を損なわずに描くということです。彼の作品では複数の出来事が並んで進行していき、紙面がチャットのようなおしゃべりで埋め尽くされます。そのような形で、動態としての現実を小説化しているのです。それは同時に、言語と視覚によって体系づけられたイメージ/イマジネーションを自らの手で再言語化することにもつながります。ある対象が書かれたもの/描かれたもの/写されたものとして表現化されると、存在物として一人歩きするようになる。また、語られた言葉の総和は、それ自体が集合的な意志として自立性を持ちます。人間は自らが生み出したものに包囲され、それによって存在を脅かされているといってもいい。そうした状況から生じる不安が、デリーロの作品には見事に表現されているのです。

 短篇集にはデリーロの最良の部分が圧縮された形で詰め込まれています。9つの物語を巡ることで、読者は〈まだ見ぬ強豪〉デリーロの世界を存分に味わうことができるのです。

 主流文学とはいいながら、並のエンターテインメント以上の娯楽性を兼ね備え、読者を楽しませてくれるものばかりです。この企画をやっていて思うことは、勇気を出して一歩踏み出せば、その先には漁り尽せないほどに豊かな狩場が広がっているということ。ぜひみなさんも、この愉しみを実感してみてください。

 詳細は以下のとおり。お待ちしております。一応前売は本日の24時までですが、迷っている方には朗報。明日受け付けで「シンジケートを見た」とおっしゃっていただければ、当日でも前売扱いでご入場いただけます。 金曜日の夜をぜひ新宿BIRIBIRI酒場で。小説談義で盛り上がりましょう。

[日時] 2013年6月21日(金) 開場・19:00 開始・19:30

[会場] Live Wire Biri-Biri酒場 新宿

     東京都新宿区新宿5丁目11-23 八千代ビル2F (Googleマップ

    ・都営新宿線「新宿3丁目」駅 C6〜8出口から徒歩5分

    ・丸ノ内線・副都心線「新宿3丁目」駅 B2出口から徒歩8分

    ・JR線「新宿」駅 東口から徒歩12分

[料金] 1000円 (当日券200円up)

※終演後に出演者を交えてのフリーフード&フリードリンクの懇親会を開催します。参加費は2800円です(当日参加は3000円)。懇親会参加者には、入場時にウェルカムの1ドリンクをプレゼント。参加希望の方はオプションの「懇親会」の項目を「参加する」に変更してお申し込みください。参加費も一緒にお支払いただきます。

※懇親会に参加されない方は、当日別途ドリンクチャージ1000円(2ドリンク)をお買い上げください。

※領収書をご希望の方は、オプションの「領収書」の項目を「発行する」に変更してお申し込みください。当日会場で発行いたします。

 ご予約はこのサイトからお願いします。