「しかけ絵本ブーム」といわれはじめてもう何年もたちますが、その人気は単なるブームに終わらず、いまやすっかり定着した感があります。平面のものが一瞬にして立体になったり、つまみひとつで変化やいろいろな動きが生まれたりするふしぎ。本のページにしこまれた扉や蓋を自分の手で開いて、その奥に隠れているものを発見する楽しさ。ほかにも、音が出たり、光が出たり、さまざまな工夫が凝らされたしかけ絵本には、子どものみならず、大人もわくわくしてしまいますね。

 さて、「しかけ絵本」というからには、絵本の主役は「しかけ」。そして、イラストや色彩、形、素材といったビジュアル的な要素が楽しみの中心。だから、テキストはおまけみたいなもの……と思ってはいませんか? それがいくら古典的名作を題材にとったものだとしても、いえ、名作を下敷きにしたものであればなおさら、どうせ文章はプロットをざっとなぞっただけ——そう考えて、書かれている文字に見向きもしない方もいるのではないでしょうか。けれど、あらためて目を向けてみると、そこにもメインのしかけに負けず、いろいろと工夫が凝らされていることに気づくかもしれません。

“紙の魔術師”と呼ばれるしかけ絵本の巨匠、ロバート・サブダの『ピーター・パン』を訳す機会に恵まれたとき、まずテキストの多さに驚きました。6場面のすべてが大迫力の立体しかけ。その大きさは圧倒的で、それだけ見ると、もう文字の入る余地などないような気さえしてきます。けれど物語は、各場面にとじこまれた“本の中の小さな本”に、意外なほどたっぷりつめこまれているのです。それはもう「読み物」といってもさしつかえない分量。しかも、文章がちゃんとしてる! ……「ちゃんとしてる」とは、なんたる言い草。じつをいえば、わたしもしかけ絵本に対して失礼な思いこみをしていたひとりでした。もしやと思って調べてみると、絵本の原文はJ・M・バリの原作からそのままとられていることがわかりました。もちろん抜粋ではありますが、ひとつの物語としてきちんと成立するよう、丁寧に文を選びとり、自然な流れにつなぎあわせてあります。ひとつひとつの文には極力手を加えず、なるべく作品の空気をそのままに——というこまやかな気配りの感じられる仕事ぶりでした。バリの名作を訳している、という胸の震えるような喜びを感じることができるほどに!

 ほかにも、わたしが訳を担当することになったしかけ絵本のなかから、児童書の名作を用いた2つの作品をご紹介しましょう。チェコのアニメーション作家、ズデンコ・バシクのイラストによる『アリス イン ワンダーランド』と、クエンティン・ブレイクのイラストによる『チョコレート工場のひみつ』です。どちらも日本語訳にして原稿用紙で100枚以上という、読みごたえのある分量。テキストはやはりしかけに合わせて新たに書かれたものではなく、ルイス・キャロル、あるいはロアルド・ダールの原作からとられています。

 アリスの物語といえばナンセンスな言葉遊びのオンパレードで有名ですが、絵本であえてそれを取り入れようとしているものは、ほとんどないように思います。ところがこのしかけ絵本、long tail(長いしっぽ)と long tale(長い話)の掛け言葉や「翻訳者泣かせ」といわれる海の学校の下りまで登場するのです。『アリス イン ワンダーランド』にグリフォンとにせ海亀(本によっては“ウミガメモドキ”あるいは“海亀フー”とも訳されています)を描いた場面はありませんが、巻頭に「白ウサギによるワンダーランドガイドブック」なる小冊子がついていて、海の学校のダジャレづくしの教科名や、lesson(授業)とlessen(減る)の掛け言葉も、ここにしっかり収められています! しかけ絵本というのは世界各国語版を同時印刷することが多いため、締め切りはいつもかなりタイト。しかも文字数や使用漢字の制限があるなか、こんな難物に取り組まねばならないとは……。うんうんいってどうにか形にしたあとで、古今の日本語訳を興味津々で見比べてみました。身にしみて苦労を味わったあとでは、いずれの訳もじつに苦心のあとがしのばれます。たとえば先にあげた lesson とlessen の部分はこんなぐあい。海の学校の勉強時間が最初の日は10時間、次の日が9時間と減っていく、という説明のあとにそれぞれこう続きます。

「だからお勉強というのさ」とグリフォンが言いました。「売れゆきが悪いと、どんどん割り引きになるだろ。」(脇明子訳/岩波少年文庫)

「そりゃお勉強だもの、少しずつおまけしますってわけさ」(矢川澄子訳/新潮文庫)

「それがおさらいといわれる理由さ」とグリフォンが口をはさみました。「一日ごとにさらわれてへってくのさ」(生野幸吉訳/福音館文庫)

「だから、時間割っていうんじゃないか。」グリフォンが言いました。「なんとか割っていうのは、少し減らしてくれることをいうんだよ。」(河合祥一郎訳/角川文庫)

 工夫のしがいがあるとはいえ、これひとつとってもなんと難しいこと! ちなみに『アリス イン ワンダーランド』ではどうしたかというと——。

   べんきょうすれば

   げんしょうする、

   というわけ。

 スペースの関係で、これがぎりぎりの文字数でした。この絵本では、ほかにも本文に入れこめなかった言葉遊びやヘンテコ歌が、しかけ絵本の特性を活かしてあちこちにしのばせてあります。帽子屋の歌う「キラキラこうもり」の歌は、凧に書かれてアリスたちの頭上に浮かんでいます。「キラキラぼし」のメロディーに合わせて訳してあるので(そういう形に訳したものは、ほかにほとんどないと思います!)、ぜひそこは歌ってくださいね。

『チョコレート工場のひみつ』のテキストも、ユーモアをちりばめたダールの軽快な語り口をたっぷり楽しめる物語になっています。ウンパッパ・ルンパッパ人の歌もちゃんと入っているんですよ。ぱっと見にはどこにも見当たりませんが、よーく見ると、ページの端に小さく半円形に切り取られたところがあります。そのすきまから、ちらりと別の紙がのぞいています。そしてそこに人差し指を突き出した手のマークがあって、「ここをひっぱって!」と誘いかけています。たとえばチョコレート室の場面でそれをスーッとひっぱってみると、チョコの川に落っこちたオーガスタス・ブクブトリーくんがブクブクと沈んでいくのと同時に、ウンパッパ・ルンパッパ人が登場する、というしくみ。口ずさんでクスリと笑っていただこうと、がんばって脚韻を踏ませてあるので、ここもぜひぜひ声に出して読んでください!

 いえ、じつは声に出して読んでいただきたいのは、そこだけでなく、ぜんぶです。楽しいしかけや美しいイラストだけを見て終わらず、物語そのもののおもしろさも味わっていただきたいと、(かなり長い文章ではありますが)声に出して読む、子どもたちに読んできかせる、ということを想定して訳しました。文はしかけ絵本の脇役でなく、むしろその土台となるだいじな要素だと、いまは実感しています。また、絵本の言葉を通じて児童書の名作の空気を伝え、あらためて原作を手にとるきっかけをつくれたら、という願いもこめました。見て楽しむ、さわって楽しむのはもちろんのこと、どうぞじっくりとしかけ絵本を“読んで”みてください。

杉本詠美

(すぎもと えみ)。広島県出身。広島大学卒業。訳書に、クレア「シャドウハンター」シリーズ、ヴィンチェンティ「ガラスのうし モリーのおはなし」シリーズ、レイナー『オーガスタスのたび』など。やまねこ翻訳クラブ会員。

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