書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 今年は先年に一度の猛暑なのではないかとも言われているようですね。体調を崩しやすくなる天気です。どうかみなさまご自愛ください。そして外に出れないような暑さの日には、室温に気をつけながら読書をどうぞ。というわけで、今月も七福神をお届けします。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

吉野仁

『崩壊家族』リンウッド・バークレイ/高山祥子訳

ヴィレッジブックス

 秘密という秘密が次々と明らかになっていく予測不能なドメスティック・スリラーの傑作だ。個性豊かな脇役陣とそのエピソードの描き方も上手い。前作『失踪家族』を堪能した方はこちらも必読! さらに読後、前半部を読みなおして関心したのは、随所にしっかりと伏線の記述があるばかりか、さらにひねりの展開へとつなげているところ。ギリアン・フリン『ゴーン・ガール』と合わせてぜひ!

千街晶之

『ミステリガール』デイヴィッド・ゴードン/青木千鶴訳

ハヤカワ・ミステリ

『二流小説家』の著者の第二作は、小説家になれなかった男が映画界に潜む闇に呑み込まれてゆく物語。才気溢れる語りと、連載小説の「次号への引き」のように章の切り替えでサプライズを炸裂させる技巧で、ラストまで一気に読ませる。ただしミステリとしての辻褄合わせは微妙なので、前作ほど高く評価する気にはなれないけれど。

川出正樹

『ミステリガール』デイヴィッド・ゴードン/青木千鶴訳

ハヤカワ・ミステリ

 未完の実験的小説を書きためるも、いまだ一編も売れず、“助手”稼業のプロとして糊口をしのいできた小説家志望の冴えない中年男サム。勤め先の古書店が潰れ、その上妻から別れ話を切り出された彼は、巨漢の引きこもり探偵の助手となり、“ミステリガール”と呼ばれる女性の素行調査を始めるが……。

 奇矯な天才型名探偵に謎の美女、カルト・ムービーに実験小説。全編にぶちまけられたジャンクなガジェットといかれた人物が醸し出す熱気にあてられつつ、次から次へと変化するストーリーに、「これぞパルプ」と酔いしれていると、終盤に至って周到に練り上げられたミステリだと解ってびっくり。好きだな、こういう娯楽作。

霜月蒼

『GATACA』フランク・ティリエ/平岡敦訳

ハヤカワ文庫NV

 当然『冬のフロスト』(R・D・ウィングフィールド)は素晴らしく面白いし、全既婚者が(悪い意味で)号泣必至の『ゴーン・ガール』(ギリアン・フリン)もよかった。だが俺は『GATACA』を挙げておきたい。5月には傑作が出すぎて、『GATACA』は割を食った——「月間」でくくることで不運な目にあった作品をきちんと救っておきたいのだ。エルロイとデイヴィッド・ピース由来のダークネスで、人類と暴力という壮大なテーマに迫り、一瞬たりともダレ場のない恐るべき傑作なのである。《絶望を見つめるクライトン》というべき新世紀のエンタメ。これを埋もれさせてしまったら日本のミステリ者の名折れであると俺は言う。

北上次郎

『ジェイコブを守るため』ウィリアム・ランデイ/東野さやか訳

ハヤカワ・ミステリ

 第1作『ボストン、沈黙の街』は傑作で、第2作『ボストン・シャドウ』はそれに比べてちょい落ちで、どうしたんだランデイと思っていたら、この第3作はふたたび傑作! 例によって父と子の、母と子の、親子小説で、この手のものが好きでない方は「またかよ」と思われるかもしれないが、「またかよ」でいいのだ。さらに今回は構成がいい。最初に「手遅れだ」という主人公の述懐があって始まるのである。手遅れといっても、いろいろなパターンがあるわけで、いったいどの種の手遅れなのかと気になって気になって、どんどん物語に引き込まれていく。うまいなランデイ。

酒井貞道

『チャーチル閣下の秘書』スーザン・イリア・マクニール/圷香織訳

創元推理文庫

 6月新刊から年間ベスト・アンケートで挙げるのは『半島の密使』や『ミステリガール』にします(断言)。しかし単月では、敢えてこちらを挙げておきたい。表紙から推察されるとおり、本書のストーリーは、いま流行り(?)のお仕事ミステリーを基調とする。お決まりの女性差別にプンスカする高学歴の理系ヒロインが、ハウスメイトの面々や仕事場の仲間たちと繰り広げる丁々発止としたやり取りと活発な働きぶりは、読んでいて実に楽しい。だが本書の舞台は、1940年のイギリス劣勢時の第二次世界大戦下、しかもヒロインの職場はチャーチル首相のオフィスである。恐るべき空襲に、枢軸側やアイルランドが絡む陰謀、そしてヒロインの父親の秘密が次第に物語を違う方向に導いていく。第二作が絶対に読みたくなる終盤のある展開も必見である。要は好シリーズの誕生ということです。対ナチス戦下のロンドンの空気も鮮やかに描き出されるので、コニー・ウィリス『ブラックアウト』&『オール・クリア』が好きな人にもオススメしたい。

杉江松恋

『ミステリガール』デイヴィッド・ゴードン/青木千鶴訳

ハヤカワ・ミステリ

 ジャンルを代表する傑作ということでは、この作品を挙げなければ仕方ない。ミステリー者にわかりやすく要素を3つ書いておくので気になる人は読んでください。「その1:セオドア・ローザック『フリッカーあるいは映画の魔』(文春文庫)を連想させるカルト映画監督の作品捜しを主筋としたシネマ・ミステリーである」「その2:主人公が助手を務めることになる巨漢探偵は明らかにネロ・ウルフをモデルにしている」「その3:全体の物語はロス・マクドナルド系列に入る一人称私立探偵小説のもの。そこで大胆な実験が行われている」。その3が実は特に重要なのだが、詳しくは読んでください。

 ジャンルと関係なく1冊を選ぶと、実はハリー・マシューズ『シガレット』(白水社)が浮上してくる。13人の登場人物を語り手とし、次々に彼らが交代しながら物語を紡いでいく形式の小説なのだが、情報の遅延やほのめかしなどによってある真相の開陳が終盤まで温存されていく。終章を読んだときにすべての絵図が浮かびあがってカタルシスが得られる構図になっている。プリズムのような乱反射が楽しめる小説で、実験小説ながらミステリーファンこそ読むべき一冊だと私は思います。

 6月に引き続き、今月も秀作揃いの1ヶ月でした。この調子でおもしろい作品ばかり発表されていくと、年末にはいったいどういうことになってしまうのでしょうか。嬉しいやら怖いやら。では来月またお会いいたしましょう。(杉)

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧