たとえば姉妹の両方を好きになってしまうことって、ありえないことではないと思う。いや、逆にそうならないほうが不自然な気すらしてくる。血の繋がった姉妹だもの似ていて当然だし、人の嗜好というのは正直なものである。おそらく有史以前より秘められた数々のトラブルが血族のなかで繰り返されてきたのだろう。

 ……と、そんな悠長なことを言ってられないのが、もはや名作と呼んでいいだろう、アイラ・レヴィンのサスペンス傑作『死の接吻(A Kiss Before Dying)』(1953年)だ。野心に燃える青年が大富豪の3人の娘と次々に恋愛関係をむすんだうえで殺害しようとするという衝撃的なストーリー(少々ネタばれで恐縮)で、はたしていつのことだったろうか、はじめて知ったときには、一読唖然としたものだった。たまたま某人気作家の方と催している読書会の課題図書となり再読する機会を得たのだが、作品の完成度、独自性、全篇に漂うノワールならではの空気感に、ふたたび圧倒されたのであった。

 もちろん、野心家の青年が輝ける将来を妨げる存在となった恋人を自ら手にかけてしまうという物語の大筋自体は、けっして珍しいものではない。大時代的でさえある。モンゴメリー・クリフト主演の映画「陽のあたる場所(A Place in the Sun)」(1951年)の原作として知られる、セオドア・ドライサーの代表作『アメリカの悲劇(An American Tragedy)』(1925年)にはじまって、萩原健一&桃井かおり主演、神代辰巳監督で映画化(1974年)された石川達三の『青春の蹉跌』(1968年)、最近ではウディ・アレン監督・脚本のイギリス映画『マッチポイント』(2005年)と、枚挙にいとまがない。

 が、そこに、思いもよらない展開と、二重三重の仕掛けを施して、まったく新しい作品世界を創り上げたことが、『死の接吻』が凡百のミステリーと一線を画する理由なのである。四の五の言ってもしかたないので、ぜひとも読んでいただきたいのだが。その冷徹ですらあるプロットと裏腹に、たとえばコーネル・ウールリッチ作品が持つ情緒というか浪漫趣味が作中にどことなく漂っているのも、この作品の特質だろう。

 ひとつの要因となるのが、おそらく音楽の巧みな使い方だ。

『死の接吻』には、題名も明かされているうえに歌詞の一部が引用されていている曲が3曲登場する。17世紀イングランドのトピカル・ソング「オールド・スモーキー(On Top Of Old Smoky)」、ブロードウェイ・ミュージカル「Follow Thru」(1929年)のために書かれた「Button Up Your Overcoat」、のちにフランシス・フォード・コッポラ監督のミュージカル映画「フィニアンの虹(Finian’s Rainbow)」(1968年)にも使われたバートン・レイン作曲「これが恋でないならば(If This Isn’t Love)」(1946年)の3曲だ。が、作中で2度言及されながら、歌詞も引用されない歌が、他に1曲登場する。「魅惑の宵(Some Enchanted Evening)」。作中で最初の被害者となるドロシーが愛するバラードである。

 ドロシーが邪魔になりはじめた「彼」は、レストランのジュークボックスで、彼女の好きな「魅惑の宵」に最初は目を留めるのだがそれを選ばずに、そっとほくそ笑みながら、終わった恋を歌った「オールド・スモーキー」をかける。さらには、ドロシーを騙して劇薬を渡した「彼」は、ドロシーへの最後のご褒美とばかりに、今度は「魅惑の宵」をかけてあげるのだ。なんとも恐ろしいシーンの主役となる歌は、1958年に映画化もされた人気ミュージカル「南太平洋(South Pacific)」(1949年初演)のためにリチャード・ロジャース(作曲)&オスカー・ハマースタイン(作詞)

のコンビが書き下ろしたバラードで、美しくロマンティックなナンバーだ。

 最近では、サイモン&ガーファンクルのアート・ガーファンクルが、アメリカのスタンダード・ソングを集めて歌ったアルバム『Some Enchanted Evening』(2007年)のタイトル曲として、この「魅惑の宵」を取り上げている。あの「天使の歌声」で優しくエモーショナルに歌い上げているので、ぜひとも聴いてほしい。

 さて、この「魅惑の宵」、ただただロマンティックな旋律の歌だけに、ひたすら愛に満ちた生活を夢見たまま死んでいくドロシーの運命との対比が、あまりに痛々しく感じられてしまう。そんなわけで、もっともぼくの心を捉えて話さなかった歌は、この「魅惑の宵」だったのである。可哀想なドロシイ、エレン、マリオン……あ、ほら、すでに姉妹全員に恋してるっ!

 それにしてもアイラ・レヴィンという人は、ほんとうに不思議な作家だ。『ローズマリーの赤ちゃん(Rosemary’s Baby)』(1967年)、『ステップフォードの妻たち(The Stepford Wives)』(1972年)、そしてあの名作『ブラジルから来た少年(The Boys From Brazil)』(1976年)と、けっして多作ではないものの、着実に独自の傑作サスペンスを世に送り出してきたニューヨーカー。覆面作家だったトレヴェニアンもまたこういうタイプだったが、しばらく待たされたとしても、彼らの作品は一様にぼくらの期待を裏切らず、楽しませてくれたものだった。

●“Some Enchanted Evening” by Perry Como

●“Some Enchanted Evening” by Art Garfunkel

【CDアルバム】

『Some Enchanted Evening』Art Garfunkel

佐竹 裕(さたけ ゆう)

20130512100106.jpg

 1962年生まれ。海外文芸編集を経て、コラムニスト、書評子に。過去に、幻冬舎「ポンツーン」、集英社インターナショナル「PLAYBOY日本版」、集英社「小説すばる」等で、書評コラム連載。「エスクァイア日本版」にて翻訳・海外文化関係コラム執筆等。別名で音楽コラムなども。

 直近の文庫解説は『リミックス』藤田宜永(徳間文庫)。

 昨年末、千代田区生涯学習教養講座にて小説創作講座の講師を務めました。

 好きな色は断然、黒(ノワール)。洗濯物も、ほぼ黒色。

【連載エッセイ】ミステリー好きは夜明けに鍵盤を叩く バックナンバー