書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 おはようございます。先日、生まれて初めてラジオの生放送というものに出演しました。あの、なんていうんですかね、網みたいなマイク。あれに向けてしゃべるのも初めて体験しましたよ。ピンマイクに慣れると、あれはなかなか新鮮ですね。えー、というわけで今月も七福神をお届けします。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

千街晶之

『刑事コロンボ 13の事件簿 黒衣のリハーサル』ウィリアム・リンク/町田暁雄訳

論創社

 どんでん返しの愉悦に溢れたジェフリー・ディーヴァー『ポーカー・レッスン』、いずれ劣らぬ重厚な歴史ミステリのC・J・サンソム『暗き炎』とリンジー・フェイ『ゴッサムの神々』……等々、八月は読み応えのある新刊が多くて迷ったが、最も印象に残ったのはこの一冊だった。コロンボといえば誰もが思い浮かべる倒叙スタイルにこだわらず、「切れ味鋭い短篇ミステリ」であることを重視した作品が並ぶ。現代を舞台にしつつ(イラク戦争帰りの軍人が登場したりする)、ドラマ版の歴代の名作群を想起させる設定があちこちに鏤められているのも嬉しい。

吉野仁

『甦ったスパイ』チャールズ・カミング/横山啓明訳

ハヤカワ文庫NV

 いまどきこんな古典的な手法でスパイ活動をするのか、と思うようなシーンがむしろ印象に残った。事件のスケールが大きいわけでもアクションが連続するわけでもなく、あくまで現実的で地味な英国スパイ小説。だが、構成の取り方が上手いのか一気に読ませてくれた。そのほかリンジー・フェイ『ゴッサムの神々』の時代と舞台とキャラがよかった。

川出正樹

『名もなき人たちのテーブル』マイケル・オンダーチェ/田栗美奈子訳

作品社

 深い青緑の表紙に描かれた客船のシルエットと、「わたしたちみんな、おとなになるまえに、おとなになったの」というコピーに惹かれて手に取った。うむ、大正解。セイロンから母が待つイギリスへと向かう大型客船に、たった一人で乗り込んだ十一歳の少年マイケル。食堂で船長から最も遠い末席〈キャッツ・テーブル〉をあてがわれた彼が、同席した個性豊かな大人たちとの交わりを通じて、「面白いこと、有意義なことは、たいてい、何の権力もない場所でひっそりと起こるものなのだ」という人生の真実に気づき、二人の友だちとともに悪戯と冒険を繰り返すうちに、悲劇的な死と深く関わり、少年時代の終わりを実感する。これは成長と喪失の物語だ。『イギリス人の患者』で英国ブッカー賞を受賞した作者が、過去と現在を往還しつつ、美しい文章で綴る三週間の瑞々しくも猥雑な船旅を、じっくりと味わってみて欲しい。

北上次郎

『ゴッサムの神々』リンジー・フェイ/野口百合子訳

創元推理文庫

 1845年のニューヨークが舞台という異色作。ニューヨーク市警ができたばかりで、その新米警官が主人公というのがいい。社会は猥雑で、混沌としていて、まるでディケンズの世界だ。プロットの展開にまだ注文はあるが、3部作ということなので長い目で見ていきたい。

酒井貞道

『ゴッサムの神々』リンジー・フェイ/野口百合子訳

創元推理文庫

 本書の舞台は一八四五年のニューヨーク(俗称ゴッサム)である。黒船来航も南北戦争も細菌発見もまだ未来、かろうじて市警は産声をあげたところという当時、このニューヨークは確かにあのニューヨークなのだが、しかし同時に我々が全く知らない異郷であることも確かだ。その街の濃密でリアルで、そして躍動感にあふれた描写こそが、本書の売りである。まるでタイムスリップしたかのような感覚に襲われたのは、私だけはあるまい。そしてもちろん、肝心のストーリーや登場人物も、極めて魅力的なのだ。起こる事件は本当に大事件だし、現代人の我々にとっても他人事ではなかったりするし……。最近は歴史ミステリが百花繚乱だが、『ゴッサムの神々』は別格といってよいのではあるまいか。これは恐るべき新人が現れたものである。

霜月蒼

『ドッグ・ファイター』マーク・ボジャノウスキ/浜野アキオ訳

河出書房新社

 たいていの物語がすでに書かれ、消費されてしまっている以上、物を言うのは畢竟、文体なのだと思う。どちらかが死ぬまでイヌと戦うことを生業とする男を描く野獣ノワールたる本書がすぐれているのも、まさにそれゆえだ。肉体性と、どこか幻想めいた神話の手触り。血と汗と酒とチリとレモンの香りが、熱されたケダモノの匂いと混じってページから立ち込める。安価な本ではないけれど、冒頭2ページを読んで心惹かれたら、買いだ。

杉江松恋

『ドッグ・ファイター』マーク・ボジャノウスキ/浜野アキオ訳

河出書房新社

 エドワード・バンカー『ドッグ・イート・ドッグ』以来の犬ノワール……というのはどうでもいいのだが、お薦めするのは本書がどうしようもない孤独と恋愛の物語だからである。主人公は自分を愛してくれる一人の女を得るためにはなんでもするほどに、空虚な心を抱えた男だ。そういう主人公が身を張り続ける話で、その切実な心境が痛いほどに伝わってくる。すべてが回想として書かれる語りの形式も手伝って、忘れられない印象を残す。犬がたくさん死ぬので、愛犬家の方だけはちょっとご注意。あ、犬に食われて人も死にます。あいこ。

 犬ノワールとニューヨーク歴史ミステリー強し。8月は他にも秀作が多かったですが、個性の強い作品に票が集まった感じですね。さて、来月はどんな作品が挙がってきますことか。どうぞ、お楽しみに。(杉)

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧