ジュンパ・ラヒリのエッセイ『べつの言葉で』は、イタリア語という著者にとって新しい言語をめぐる自伝的エッセイだ。1月31日の朝、わたしは、ラヒリがローマの友人で作家のドメニコ・スタルノーネからのメールの言葉(新しい言語は新しい人生のようなもので、文法とシンタックスがあなたを作り変えてくれます。別の論理、別の感覚の中にすっと入り込んでください)に勇気づけられた、という箇所を読んだあと、すぐに本サイトを開いた。すると、「読者賞だより:今月の読み逃してませんか〜??」で、そのドメニコ・スタルノーネの作品が取り上げられていた。これはもう呼ばれているとしか思えない(ちょっと大げさ?)。ときどきわたしはこんなふうに本に呼ばれる。『靴ひも』、絶対に読みます、大木さん!

 それでは2020年1月の読書日記をどうぞ。

 

■1月×日
『ブルックリンの少女』のギヨーム・ミュッソがまたやってくれました。年末に書評七福神のみなさまのあいだで大評判だったので、もう読んだ方も多いと思いますが、『パリのアパルトマン』は読んで大満足、旅行気分も味わえる、アーティスティックインプレッション高めのエンタメ作品。急展開のサスペンスがこれでもかと襲い、なるほどそうだったのか!と思ったらさらにひっくり返されるという、うれしい悲鳴の連続です。さあ、これでもう読まずにはいられまい。

 世界的人気の劇作家ガスパール・クタンスが、クリスマス間近のパリに到着するシーンから物語ははじまる。彼は毎年この時期に大嫌いなパリで新作の執筆に励む、ストイックな追い込み型の劇作家なのだ。状況はだいぶちがうけど、執筆のためにパリに滞在する作家というと、宝塚宙組公演「王妃の館(浅田次郎原作)」を思い出すわ。今回エージェントの女性がガスパールのために手配した貸家は、一年まえに急死した天才画家ショーン・ローレンツの家。ところが、イギリスから来た元刑事のマデリン・グリーンもその家を借りることになっていたというダブルブッキング(これも「王妃の館」と同じじゃん!)が発覚。そんな最悪の出会いにもかかわらず、ガスパールとマデリンは謎に満ちたローレンツの人生と作品、そして彼が巻き込まれたとある事件について探ることになる。

 最初は画家の未発表の遺作三点を探すのが目的だったが、ショーンの人生を調べるうちにあとからあとから驚愕の事実が……この展開からも目が離せないけど、ガスパールとマデリンののめり込みぶりもすごい。ガスパールなんてスマホを持たない主義だったのに、あっという間に使いこなせるようになっちゃうし、人嫌いだったのにガンガン人を訪ねては訊いてまわるし。

 探偵役のふたりのキャラも秀逸だ。ガスパールがすがすがしいまでに自分勝手で、マデリンがぶちのめしたくなるのもわかるけど、自身もいろいろなものを抱えたマデリンにとっては、変に気を使われないところが返って救いだったりもする。その微妙なさじ加減が偶然だとしたら奇跡だけど。そんな不完全なようでいて絶妙にマッチしている大人同士の関係がすてき。

 パリ、ロンドン、マドリード、ニューヨーク。今回も世界を股にかけながら展開する物語で、なんとも言えないお得感があります。

 ところで、大嫌いな街でカンヅメにされたら仕事がはかどるのかなあ……やっぱり自己管理能力がないとダメだろうなあ。

 

■1月×日
 巡査ひとりしか警官がいないウェールズののどかな村スランフェアを舞台に、愉快な村人たちと村のアイドル的存在(?)エヴァン・エヴァンズ巡査の日常が描かれるリース・ボウエンの〈英国ひつじの村〉シリーズ。三作目の『巡査さん、合唱コンテストに出る』では、村の聖歌隊に引き入れられたエヴァンが、タイトルどおり芸術祭の合唱コンテストに参加することになります。

 ウェールズでは夏になると、地域の文化と伝統を守るアイステズヴォッドというお祭りがおこなわれるそうです。中世から続く伝統行事で、吟遊詩人のコンテストのほか、歌やダンス、工芸品の展示などもおこなわれるとか。今回はそのお祭りがらみの事件。

 スランフェアでも男性聖歌隊が合唱コンテストに参加する予定だけど、あまり出来がよろしくない……ということで、バスルームで歌っているのを大家のミセス・ウィリアムスに聴かれて「いい声」だと評判になったエヴァンが助っ人としてスカウトされます。ちなみにバリトンです。おりしも、スランフェア出身の有名なオペラ歌手アイヴァー・スウェリンが村で夏を過ごすことになり、アイステズヴォッドでいっしょに歌ってくれるって! ラッキー! いや、プロなのにいいのか? とも思うけど、そこはまあお祭りだから。アイヴァーはいい意味でも悪い意味でも村を引っ掻き回しますが、コンテストの前日リハーサルに姿を見せず、エヴァンは不安にかられます。

 アイヴァーに家を貸すはめになったパウエル=ジョーンズ牧師がミセス・ウィリアムスの下宿に転がり込んできたので、せまい部屋に移らされたエヴァンは大迷惑。おまけに、健康志向の牧師のせいで、下宿ではおいしい食事も期待できなくなり、自然とパブで過ごすことが多くなります。いつも大家さんに死ぬほど食べさせられて文句たらたらだったエヴァンも、家庭料理が食べられなくなるのはさびしいみたい。
 エヴァンが食べてたドライフルーツとスパイスがはいったローフ形ケーキのバラブリス、たしか「ブリティッシュ ベイクオフ」で見たことあるわ。ウェールズのお菓子だったのか。

 好青年のエヴァンだけど、家事は女性がやるものと思っているみたいで正直ちょっと幻滅。一人暮らしをしようと思わないのは、大家さんが家事をすべてやってくれるからなのね。女心がわからないのも仕方がないかも。これはブロンウェンに教育してもらわないと!

 

■1月×日
 読み終わったあと、わけもなくドキドキしてしまう本はなかなかない。いや、わけならある。これはすごい、ぜひとも多くの人に読んでもらわなければならない本だ、そのためになんとしででも宣伝せねば、という使命感にかられたことによるドキドキだ。レティシア・コロンバニの『三つ編み』は、すでに世界的ベストセラーで日本でも話題の作品なので、今更わたしが言う必要もないのだが、でも言いたい、言わせてほしい。これはほんとうに素晴らしい本だ。何が何でも読むべき本だ。

 インドのウッタル・プラディーシュ州、バドラプールの村に住む不可触民のスミタは、よその家をまわって排泄物を集めるのが仕事だが、代々母から娘へ受け継がれるこの生業を娘にはさせるまいと一大決心をする。
 シチリアのパレルモで毛髪加工の仕事をするジュリアは、シク教徒の移民青年と惹かれ合うが、経営者である父親が事故に遭い、毛髪加工の作業場が倒産寸前だということを知る。
 カナダのモントリールに住む弁護士のサラは、三人の子を育てる四十歳のシングルマザー。法律事務所のパートナーを目指し、決して人に弱みを見せずに生きてきた彼女を、恐ろしい運命が襲う。
 これ全部同じ時代、現代の話です。

 三人の人生が三つ編みのように絡み合いながら綴られ、やがてそれぞれの決断で三つの人生がひとつに溶け合う奇跡に幸せのため息が出る。苦しみや悲しみや絶望の先にある小さな希望に、心が温かくなる。三人ともなんて美しく、いとおしく、力強い女性たちなのだろう。そして何より勇気がある。つらい境遇に負けてはいない。応援したくなると同時に、力をもらえる。そんな女性たちだ。

 だが、決して男性を声高に糾弾する話ではない。三人のなかでもっとも過酷な生活を強いられているのはスミタだが、悪いのは社会制度であり、強姦は被害者の罪になるとか、借金を返せない男を罰するのに、妻を強姦するとか、毎年二百万人の女性が男の蛮行のせいで殺されるのは、国がそれを許しているからなのだ。読者はそれを知るだけで震えあがるだろう。それだけでも意味のあることだと思う。

 著者のレティシア・コロンバニは映画監督、脚本家、女優。著者自身の脚本・監督による映画化も進められているという。楽しみ。

 

■1月×日
『チャイルド・ファインダー 雪の少女』はカナダのベストセラー・ミステリということだが、著者のレネ・デンフェルドはオレゴン州在住のアメリカ人で、舞台もオレゴン州だ。

 チャイルド・ファインダー、ナオミ。こう書くとなんかアニメかゲームのキャラクターみたいだけど、それが本書の主人公ナオミの職業だ。実際は行方不明の子ども専門の探偵で、その実績はかなりのもの。依頼人からの信頼も厚い。

 家族でクリスマスツリーを伐りに出かけた冬山で、五歳の少女マディソンが忽然と姿を消した。不運が重なり、猛吹雪のため捜索がはじまったのはそれから二、三週間後で、マディソンは痕跡すら見つからなかった。三年たっても娘を諦めきれない両親は、藁にもすがる思いで実績のある子ども見つけ屋ナオミに希望を託す。

 ナオミ自身、かつては〝消えた子ども〟で、九歳のときに全裸でイチゴ畑を走っていたところを保護されており、それ以前の記憶がない。二十歳でこの仕事をはじめ、もうすぐ三十歳になるが、今でも裸の子どもになった自分が走って何かから逃げている夢を見て、はっと目覚めることがたびたびある。記憶はなくても心に深く刻まれた傷があるからこそ、なんとしてでも子どもたちを見つけ出そうとするナオミ。その思いは切実で、痛々しくもたのもしい。

 どこまでもストイックで、自身が幸せになることを拒否しているように見えるナオミだが、温かい里親ミセス・コトルのもとで愛されて育ったとわかってほっとした。やはりミセス・コトルに引き取られ、兄弟のように育ったジェロームのナオミへの思いが切ない。

 起きてしまったことはどうすることもできないが、それでもいろいろな救いの形があることを教えてくれるミステリ。読んでいてつらい箇所もあるが、救いが感じられるラストのおかげで読後感は決して悪くない。

 壮絶な過去を持つどこか痛々しい女探偵ということで、カナダの作家シーナ・カマルのヒロイン、ノラ・ワッツ(『喪失のブルース』『鎮魂のデトロイト』)を思い出した。続編ではナオミ自身の過去が明らかになるという。ぜひ読んでみたい。

 日本のチャイルド・ファインダーといえば、やっぱりあのスーパーボランティアの方だろうか。

 

■1月×日
 カミラ・レックバリのエリカ&パトリック事件簿第十弾『魔女』は、シリーズ初の上下巻。長いけどやっぱり今回もおもしろくて、読みはじめたらやめられない。でも、いきなり十作目から読むのもなあ……と二の足を踏んでいるそこのあなた、人間関係は多少推理が必要だけど、事件は一作完結タイプなので本作だけ読んでも充分楽しめます。登場人物が多すぎて混乱する!という方は、人物関係図を見ながら読んでみて。そう、地図だけでなく、登場人物(たしかに多い)のとてもわかりやすい人物関係図もついていて、すごく親切設計なのです。大好きなシリーズなので、ぜひもっと多くの方に読んでもらいたいなあ。名前が覚えられないから……と断念するなんてもったいない。こんなにおもしろいんだから。

 今回も子どもがからむ事件。三十年まえに四歳の少女ステラが消えた農場から、今また四歳の少女ネーアが消えた。ステラは惨殺死体となって発見され、当時未成年だった少女二人の犯行とされたが、そのうちのひとりは女優となって撮影のために町に戻ってきていた。三十年まえのステラちゃん事件をテーマに本を書こうとしていたノンフィクション作家のエリカは、ステラちゃん事件に残された謎が、今回のネーアちゃん事件を解明するカギになるのではと考える。

 どうしてこの事件に「魔女」がからんでくるかは、最後まで読むとわかります。いや、下巻の真ん中ぐらいからなんとなくわかるかもしれないけど、それでもゾゾーッとすること請け合いです。

 このシリーズのセールスポイントは何と言っても魅力的なキャラクターで、特に署長メルバリの突き抜けた無能ぶりは漫画的でおもしろすぎ。ここまでくるとイライラを通り越してストレスにならない……わけではないけど、パトリックたち部下は、これも修行の一環としてスルーするのが日課になっていて、そこまでひっくるめてのメルバリイズムが癖になる。俺様なのに決してパワハラにならない(受ける側が相手にしない)絶妙なパワーバランスで、しかも意図していないところが一周まわってチャーミング。シリーズファンに根強い人気なのもわかります。しかもズラだし……おいしいポイントが多すぎて、いないとせいせいするけど、なんだか物足りなくも感じてしまうタイプの人です。

 メルバリについて熱く語りすぎてしまったけど、パトリックの母(エリカの姑ね)クリスティーナの素敵姑ぶり、妻を亡くした失意のシングルファーザー・マーティンの恋、エリカの妹・お騒がせアンナの謎行動など、事件外でも読みどころ満載で飽きさせません。事件捜査中も日常生活はつづいていて、そこもあまさず伝えたいという著者のサービス精神がうれしいシリーズです。

 北欧のアガサ・クリスティーと言われることもあるカミラ・レックバリ。正直あんまりそう思ったことはないけど、強いて言うならエリカとパトリックがおしどり探偵的で、どっちかっていうとエリカのほうがガンガンいっちゃうからかな?

上條ひろみ(かみじょう ひろみ)
おもな訳書にフルーク〈お菓子探偵ハンナ〉シリーズ、サンズ〈新ハイランド〉シリーズ、マキナニー〈ママ探偵の事件簿〉シリーズなど。趣味は読書と宝塚観劇。最新訳書はジョアン・フルークのハンナシリーズ20巻『バナナクリーム・パイが覚えていた』。

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