いきなり引用からはじめます。牧眞司氏によるクリストファー・プリースト『夢幻諸島から』の書評——

 飛びきりイキの良い海外SFを届けてくれる《新☆ハヤカワ・SF・シリーズ》第一期(全11冊)の最終巻。いちばん最後にいちばん最高の作品がきた。文句なしの傑作。

 しかし、これほどの作品をSFブランドで出しちゃってよいのか? たしかに英国SF協会賞およびジョン・W・キャンベル記念賞を受賞してはいるが、SFの勲章だけですむレベルじゃない。前作『双生児』(早川書房)もそうだったが、この作品の主題・構成・仕掛け・表現力には、SF読者のみならずミステリ・マニアや主流文学ファンも瞠目するはず。この本を読んでいる最中、ぼくの心のSF/ミステリ/文学の琴線は鳴りっぱなし。至福の三重奏でした。

『夢幻諸島から』については、この書評が各種媒体に掲載された最初のものであり、かつ現時点で最高のものでしょう。ぜひ、上記URLから飛んで、オリジナルの書評をお読みください。ただし、当該訳書を読了してから。後述しますが、プリーストは、事前情報を入れずに読むほうがはるかに愉しめる作家なのです。

 逆に言うと、刊行後二カ月近く経っても、専門誌(SFマガジン)を除いて、まだ一本も紙媒体での書評が掲載されていないところに、「届くべきところに届いていない」、もどかしさを感じています。

 さて、編集部から依頼されたお題が「初心者のためのクリストファー・プリースト入門」とのことで、本サイトの性格上、この「初心者」とは、「ミステリーファン」という属性を持つことは言わずもがな。では、ミステリー好きの読者に、SFリーグに属していると一般にみなされているクリストファー・プリーストを読んでいただくには、どうしたらいいのか、ここが思案のしどころ。

 もちろん、年末のミステリー関係のベストテンに、プリーストの『奇術師』(2004年度週刊文春第5位、このミス10位)や『双生児』(2007年度週刊文春第4位)がランクインしているという厳然たる事実があり、ミステリーとして高く評価され、すでにミステリー読者にも評判が高い作家であるのは確かです。

 いわゆるSFのガジェットが表面に出てくることがあまりなく、文体で冒険をするタイプでもないため、読者を選ばない「読みやすくて、面白い」作家であることから、SFファンのみならず、幅広い層に受容されているのでしょう。

 ところが、翻訳小説好きだけど、プリーストなんて聞いたことがないという読者もおおぜいいます。ほら、あなたもご存じないでしょ?

 プリースト邦訳作品で一番売れたのは、いまや超売れっ子監督クリストファー・ノーランの映画「プレステージ」の原作『奇術師』。まさに映画化さまさま。ほかの作品は、評価が高いわりには、それほど売れていません。二〇〇七年のSFのベスト投票で断トツの一位になった『双生児』ですら、週刊文春ミステリーベストで四位に入ったおかげで重版こそかかったものの、六年経ってもまだ文庫化されていないほど。

 評価の高さと知名度の低さのアンバランス。この理由は、プリーストの作風にあります。作品内容を「きわめて紹介しにくい」作風なのです。なにか書いただけでネタバレになってしまう。と申しますか、プリースト初体験の読者向けの最良のアドバイスは、前述のごとく、「事前情報をなにも入れずに読むべし」です。で、実際に読んでみて面白いと思った人が、ほかの人にプリースト作品を勧める場合、「面白いからだまされたと思って読んでみな」以外の言葉を費やしたくなくなるのです。事前情報が少なければ少ないほど読書の愉しみが増す作品。これほど紹介しにくいものはありますまい。

 せいぜい冒頭で触れたような「評価の高さ」を訴えること以外に有効な手立てがあまり見つからないんですね。

 海外SFファンのあいだでプリーストの知名度がある程度高くなっている現在、最新邦訳作品『夢幻諸島から』では、帯や、表4(=裏表紙)に若干の内容紹介があるのは付き物として仕方ないものの、訳者あとがきでは、極力、中身について触れないようにしました。そうするのが、読者に対してもっとも「親切な」態度だと判断したからです。

 その訳者あとがきを引用いたします——

 情報と宣伝めいた文章ばかりで、なかなか訳者あとがき定番の内容紹介に入ろうとしないのは、最近読んだプリーストのインタビューにこんな発言が載っていたからです——

「さかのぼること一九七一年、ジョン・ファウルズの『魔術師』をペーパーバック版で読んだんだけど、表紙が破り取られていて(中略)、本の中身がどんなものなのかさっぱりわからなかった。そんなふうに小説を”目かくし”して読むのは、忘れがたい経験になるんだとわかった。だから、読者がそれとおなじように(最新長篇の)The Adjacent を発見してほしいんだ」

 というわけで、作者の意向を汲んで、訳者も読者のみなさんになるべく目かくしした状態で本書を”発見”していただきたいため、くわしい内容紹介はしません。

 現在、インターネット上で『夢幻諸島から』の感想を拝見すると(読書メーターの『夢幻諸島から』感想ページ、ツイッターの『夢幻諸島から』感想まとめ )、 訳者の欲目もありましょうが、九割方、高い評価をいただいており、また、「読了してやっとほかの人の感想が読める」「これほど他の人の感想を読みたくなる作品はない」という主旨の評言をいくつも見かけます。事前に情報を入れずに読みたくて、読み終わるとほかの人がどう読んだのか気になる作品。これはある程度、プリーストのことをわかっている読者に特徴的な態度と言えましょう。

 さて、プリースト初心者のミステリーファンであるあなたに読んでいただくには、どうしたらいいのでしょう。

 中身はわからないけど(書いていませんから)、評価の高さはおわかりいただけましたね。

 では、読者は、プリーストのどこに惹かれるのか。

 プリーストのどの作品にも、「謎〔ミステリー〕」があります。なかなか姿を現さない「謎」であり、作品の「キモ」と言っても過言ではない。その「謎」に出会った瞬間、初めて、あなたはプリーストの正体を知ります。ああ、こういう作家だったのか、と。

 筆者は、若い頃、プリーストの長篇『魔法』を読んで、その「謎」に出くわし、プリーストに「開眼」しました。『魔法』初版の訳者あとがきで、当時の感動を以下のように記しています——

 本書を原書で読んだときの印象は強烈だった——抑制の利いた筆致、読み手の予測を裏切る巧みな構成、読み進むにつれ味わわされる現実崩壊感覚、まさに小説の魅力を満喫させてくれる極上の逸品であり、文字どおり時のたつのを忘れてむさぼり読んだものである。以来、機会があるごとに、「これが訳されないなんて犯罪ですよ」と吹聴しまくり、その甲斐あってここに邦訳をお届けできるのは、訳者冥利に尽きる。身びいきが過ぎるかもしれないが、読んで損はない作品である、と自信をもってお薦めする。

 プリーストを訳せる喜びのあまり、上ずっている文章ですが、商売上「盛った」つもりは微塵もなく、正直な感想であると、このあとがきを書いてから二十年近く経ったいまでも言い切ることができます。

 あなたもその「謎」とそれがもたらす衝撃を求めて(いわゆる、「認識的異化作用」を味わうってやつです)、プリーストの世界を覗いてみませんか。

 以下に、短い「紹介」を添えた代表的なプリースト邦訳作品を挙げます。上述の理由から、「紹介」はごく簡単なものにとどめますが、真の意味で、プリースト作品を愉しみたい向きは、「紹介」を読まないほうがいいかもしれません。

『夢幻諸島から』(早川書房)

 プリーストが永年書き続けてきた架空世界、夢幻諸島〔ドリーム・アーキペラゴ〕を舞台にした作品群の集大成的長篇。三十五の短篇を集めた連作集とも言える。プリーストのすべてが詰まっている一冊。

 プリースト初心者は、「序文」を読んでから、いきなり四十一ページの「ジェイム・オーブラック」の章から読みはじめたほうが、退屈せずにすむでしょう。プリースト作品の欠点として、「仕込み」に時間がかかるため、ともすれば序盤が退屈になりがちです。連作集であり、基本的に時系列は、ばらばらのため、どこから読んでもかまいません。

 現時点では、もっとも「とっつきやすい」プリースト作品。

 英国SF協会賞とジョン・W・キャンベル記念賞を受賞。

『双生児』(早川書房)

 プリースト年来のテーマである「双子」が重要な要素を占めている長篇。第二次世界大戦中に英国の一組の一卵性双生児が片や爆撃機パイロットに、片や良心的兵役拒否者にわかれ、激動の時代の波に翻弄され……恋と冒険、ナチスの大物、チャーチル首相など歴史上の有名人との関わりも交えた大作。

 英国SF協会賞とアーサー・C・クラーク賞受賞。仏訳版がイマジネール賞海外長篇部門受賞。

 第二次世界大戦時のヨーロッパ史の知識があったほうが、虚実のあわいを愉しめるため、一般的な日本の読者には、ややハードルが高いきらいがないではないですが、大森望氏の懇切丁寧な解説が格好のガイドブックになっているので、心配ご無用。

『奇術師』(ハヤカワ文庫FT)

 十九世紀終盤から二十世紀初頭にかけ、ふたりのライバル関係にある奇術師の確執・闘争を描き、みごと世界幻想文学大賞に輝いた巨篇。

 本作を原作にした映画「プレステージ」では、主人公の奇術師をヒュー・ジャックマンとクリスチャン・ベールが演じ、ニコラ・テスラ役として、デイヴィッド・ボウイが出ていたのも一興でした。

 解説は、若島正氏

『魔法』(ハヤカワ文庫FT)

 爆弾テロのまきぞえを食って重傷を負い、記憶障害も併発している主人公のもとに、元ガール・フレンドだという女性が見舞いにやってくる。彼女のことは記憶になかったが、ひと目惚れした主人公は、彼女と親密になっていく……途中まで”南仏プロヴァンスの恋”とでも名づけたくなるような甘いロマンス小説が、趣をまったく変えてしまう「瞬間」の衝撃が秀逸。

 独訳版がクルト・ラスヴィッツ賞受賞。

 文庫版解説は、法月綸太郎氏。法月流の緻密な考察で、本書の「謎」に迫っておられます。

『限りなき夏』(国書刊行会)

 筆者が編訳した日本オリジナル短篇集。デビュー作「逃走」から、いまやタイムトラベル・ロマンスものの古典ともいうべき「限りなき夏」、「青ざめた逍遥」など八篇収録。うち四篇が夢幻諸島もので、『夢幻諸島から』の副読本としても読めます。

古沢 嘉通(ふるさわ よしみち)

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1958年生まれ。翻訳業。主にクリストファー・プリーストやマイクル・コナリーを翻訳。最近のイチオシ作家は、中国系米国SF作家ケン・リュウ(2015年2月に早川書房から日本オリジナル短篇集刊行予定)。妻の転勤に伴い、半世紀住み慣れた関西を離れ、名古屋に引っ越して4カ月。関西の味付けとガンバ大阪と上方落語に対する飢餓感が募る一方。

 Twitterアカウント https://twitter.com/frswy

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