閑話休題。

 というわけでもないのだが、今回はミステリー本のご紹介というより、またもやぜひとも聴いていただきたい1枚のアルバムをご紹介したい。かつてはオードリー・モリスのアルバム『フィルム・ノワール』を採り上げておきながら、こちらを無視するわけにはいかないことに気づいた次第でして……カーリー・サイモンの1997年発表アルバム、これまたタイトルは『フィルム・ノアール 銀幕への想い(Film Noir)』である。

 カーリー・サイモンといえば、ジェイムズ・テイラーの元妻にして、「うつろな愛(You’re So Vain)」(1972年)や「ユー・ビロング・トゥ・ミー(You Belong To Me)」(1978年)などのヒットで知られる、ベテランの人気美女シンガー。自分がその存在を知った頃の彼女のアルバム・ジャケットときたら、なんとも妖艶でコケティッシュなものが多かった。しかも、そのスティーヴン・タイラーとも通じるダイナミックな大きさの口の蠱惑的なことといったら! 思春期の少年の心はいとも簡単に揺さぶられたものだった。

 ……なんてことはともかくとして、ポピュラー/ロック系のシンガーがベテランとなってから、スタンダード・バラードのカヴァー曲集を録音するというのは、ある種のパターン。リンダ・ロンシュタッドしかり、ボズ・スキャッグスしかり、ロッド・スチュアートしかり。ジャズ歌手のようにことさらにフェイクしたりしないぶん、スタンダード・ナンバーの旋律をきちんと楽しみたいむきにはオススメかもしれない。

 カーリーにも、ヴィブラフォン奏者マイク・マイニエリのプロデュースによる『トーチ(Torch)』(1981年)という、スタンダード曲集の名盤がかつてあった。その後、1990年にも『マイ・ロマンス(My Romance)』というアルバムを発表しているので、この『フィルム・ノアール 銀幕への想い』は、彼女にとって3作目のスタンダード・バラード曲集ということになる(ちなみに、2005年には『ムーンライト・セレナーデ(Moonlight Serenade)』を発表)。しかも、フィルム・ノワールの世界観から選曲するという企画ものだ。

 プロデュースは彼女自身と、リチャード・ハリスの「マッカーサー・パーク(MacArthur Park)」(1968年)をはじめ数々の名曲の作者として知られるベテランのシンガー・ソングライター、ジミー・ウェッブ。このアルバムでは、フランク・ラーサー作の「Spring Will Be A Little Late This Year」をカーリーとデュエットしているほか、数曲にピアノ奏者として参加、タイトル曲「Film Noir」を共作するなど、大活躍だ。

 じつは、このアルバムに言及したのには、もうひとつ理由がある。前回採り上げたヴェラ・キャスパリ作『ローラ殺人事件』(1942年)の映画化作品(オットー・プレミンジャー監督、ジーン・ティアニー、ダナ・アンドリュース主演、1944年)のためにデイヴィッド・ラクシンが作曲したテーマ曲「ローラ」を、カーリーがこのアルバムで歌っているからである。この曲のみ、いまは亡くなってしまっている名プロデューサー、アリフ・マーディンがプロデュースに名を連ねている。

 そもそも、この幻想的かつ雄大で美しいテーマ曲の素晴らしさとあいまって、映画「ローラ殺人事件」はフィルム・ノワールの傑作として位置づけられたとも言われている。作中では音楽だけなのだが、高名な作詞家ジョニー・マーサー(作曲家でもありシンガーでもあった)が、幻の女に心惹かれていくというストーリーをふまえて後に詞をつけ、歌曲として人気を博するようになった。殺されたはずのローラという幻の女を想起させるカーリーの歌声が、これまた良くて、アルバム中でも出色である。

 さて、このアルバム、映画監督のマーティン・スコセッシがライナーノートを寄稿しているのだが、収録曲についての詳しい説明はない。でも、なんだかどうやらフィルム・ノワールの作中で使われた曲ばかりではないようである。「You Won’t Forget Me」は、ジョーン・クロフォード主演の映画「Torch Song」(1953年)のためにフレッド・スピールマンが書いたバラード。その映画というよりは、「ミルドレッド・ピアース」(1945年)や「突然の恐怖」(1952年)でのイメージが定着したクロフォードによるものだろうか。いや、アルバム『トーチ』のもととなった言葉だけに思い入れもあったのかもしれない。

「Spring Will Be A Little Late This Year」はオードリー・モリスも採り上げていたナンバーで、ロバート・シオドマク監督によるフィルム・ノワール「クリスマスの休暇(Christmas Holiday)」 (1944年)から。ジョン・トラヴォルタとのデュエット曲「Two Sleepy People」は、ボブ・ホープとシャーリー・ロス主演のロマンス映画「Thanks For The Memory」 (1939)で2人が歌うナンバーだが、フィルム・ノワールとの関連は不明。

「Don’t Smoke In Bed」は、ロマン・ポランスキー監督、ジャック・ニコルソン主演「チャイナタウン」(1974年)の遅すぎる続篇「黄昏のチャイナタウン(The Two Jakes)」 (1990年)の挿入曲。

「Lili Marlene」も1980年の同名映画からというより、この歌を持ち歌にしていたマレーネ・ディートリッヒが、「嘆きの天使(The Blue Angel)」(1930年)やオーソン・ウェルズ監督「黒い罠(The Touch Of Evil)」(1958年)などの出演作でフィルム・ノワール女優のイメージ色濃いことから選ばれたのではないか、という気がしないでもない。

 ともあれ、フィルム・ノワールにはつきものの「運命の女(ファム・ファタール)」を思わせる女性シンガーがそのフィルム・ノワールの世界をアルバムで表現しようとした、とっても贅沢なアルバムである。ぜひともじっくりと耳を傾けていただきたいものである。

 ところで、米国マサチューセッツ州出身のジャズ・ピアニスト、ラン・ブレイクにも『Film Noir』(1980年)という作品があるようだ。ベティ・デイヴィス主演の代表作「イヴの総て(All About Eve)」(1950年)、ジョン・ヒューストン監督、ハンフリー・ボガート主演「キー・ラーゴ(Key Largo)」(1948年)、「黒い罠」といった映画からの選曲なのだが、まだ聴いたことがないので、これを機に探し出してみようと思っている。

■Carly Simon Film Noir Concert 4 songs LIVE.mov ■

佐竹 裕(さたけ ゆう)

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 1962年生まれ。海外文芸編集を経て、コラムニスト、書評子に。過去に、幻冬舎「ポンツーン」、集英社インターナショナル「PLAYBOY日本版」、集英社「小説すばる」等で、書評コラム連載。「エスクァイア日本版」にて翻訳・海外文化関係コラム執筆等。別名で音楽コラムなども。

 直近の文庫解説は『リミックス』藤田宜永(徳間文庫)。

 昨年末、千代田区生涯学習教養講座にて小説創作講座の講師を務めました。

 好きな色は断然、黒(ノワール)。洗濯物も、ほぼ黒色。

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