今年、創刊60周年を迎えた、通称ポケミスこと、ハヤカワ・ポケット・ミステリ。刊行数1800点に迫ろうとするその偉業、慶賀に堪えないが、本「玉手箱」のコーナー9回目にして、やっと、というか、ついに、ポケミス作品を取り上げることができる。以前は「ポケミス名画座」という、往年のミステリ映画の原作を紹介する名企画があったが、新作中心のラインナップはしかたないにしても、たまには、ミステリ史に眠る作品の紹介もお願いしたいところだ。

 さて、ジャック・リッチーの短編集『ジャック・リッチーのあの手この手』

 事前にすべて初訳の日本オリジナル短編集と聞いて期待が高まる反面、いささかの心配もあった。

 2005年に、ジャック・リッチー傑作選と銘打った日本オリジナル短編集『クライム・マシン』が刊行され好評を博して以降、『10ドルだって大金だ』『ダイアルAを回せ』と刊行が相次ぎ、『クライム・マシン』の文庫化では新訳が1編、単行本3作から超異色の名探偵カーデュラ物を集めた『カーデュラ探偵社』にも、新訳が6編追加されている。単著の選集だけで53編、単行本未収録の翻訳作品が多数あることを考えると、1983年に亡くなるまで340編を超えるという短編を書きまくったリッチーにしても、初訳作品だけで短編集の質を維持できるのだろうか、という懸念である。

 結論からいって、本短編集は、そのような心配を軽くふっ飛ばす充実の一冊だった。

 編者・小鷹信光氏の膨大な雑誌コレクションと遺族からのテキスト提供という作品の幅広い渉猟に加え、これまで幾多の短編集で名アンソロジストぶりを発揮してきた同氏の選択眼が発揮されたラインナップになっている。「謀乃巻」「迷乃巻」「戯乃巻」「驚乃巻」「怪乃巻」といった五部立てになっているという趣向も楽しい。

 編者あとがきにもあるように、本書の大きな特徴は、全23編中、非ミステリが12編も収録されていることだ。寄稿した雑誌の多彩さを反映して、西部小説、SF、ホラー、ラブロマンス、少年小説、ボクシング小説といった他ジャンルの小説が揃い、しかもこれらが、ミステリ作品に劣らず、巧いし、面白い。

 寂れた避暑地の小さなロマンスを描いて夏の涼風が吹いてくるような「ポンコツから愛をこめて」、醜悪な面相をもつボクサーの心理的転回を描いてハートウォーミングな「猿男」、カタギならぬ男の三人の娘の結婚話をまとめるという珍ミッションを依頼される話「ピッグ・トニーの三人娘」などなど。

 最後の作には予想外の結末がついているが、伏線が丁寧に張られており、非ミステリ作品からも、一行を揺るがせにしない小説作法の一端が伝わってくる。

 もちろん、ミステリの方も負けていない。その独創的な迷推理でしばしば事件に混乱をもたらすターンバックル物が3編(「もう一つのメッセージ」は、ダイイング・メッセージ物全般を嗤うような破壊力をもっている)、飛び降り自殺しようとする男の説得が思わぬ結末を招く「下ですか?」、私立探偵小説の骨法をなぞりながら呆気にとられるオチが最高の「保安官が歩いた日」などなど、ユーモラスでありながら、結末の意外性を秘めた、あの手この手の巧打が続出する。

「仇討ち」「三つ目の願いごと」などの非ミステリ作品も含めて、リッチー作品のもつ意外性には、小説自ら設定したフレームを外してしまうようなところがあって、そうした発想法も本書で顕かになっている。

 それともう一つ、奇抜な着想やひねりとは別に、「世界の片隅で」(『10ドルだって大金だ』)、「トニーのために歌おう」(『カーデュラ探偵社』)などで、時折、孤独への愛や弱者へのまなざしといった抑制された叙情味もみせたリッチーだが、本書の非ミステリ作品では、人生に通じた一面もよく出ているように思う。

 アイデアと時にシニックなまでのユーモア、人生の哀歓をわきまえたペーソス、簡潔な短編の職人であり続けた意思。本書に触れて、知・情・意を備えたこの作家を、さらに好きにならずにはいられない。

 本国では生前に1冊の短編集しか出なかったジャック・リッチーだが、日本では紹介者に恵まれた幸せな作家といえるかもしれない。 

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)

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 ミステリ読者。北海道在住。

 ツイッターアカウントは @stranglenarita

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