■ミステリー業界も蝕む新型肺炎禍

 新型コロナウイルスによる肺炎が世界で最も重要な話題となってはや1ヶ月余り。中国は武漢を中心にウイルスに翻弄され、感染防止対策が日々厳格になっていき、大勢の集まりを避ける措置が取られています。早い段階では春節(旧正月。今年は1月24日から始まる長期休暇)に公開される予定だった中国映画の上映が全て中止になりました。そのため、先月にも少しだけ紹介した、中国ミステリーコメディ映画『唐人街探案3』の上映もなくなりました。現在は映画館自体が閉鎖されているという状態ですので、改めて上映される見通しは今のところ立っていません。また毎年3月に開かれていた全国人民代表大会の延期が提案され、4月に北京で予定されていた嵐のコンサートも中止になるなど、今春のイベントやコンサートの開催は絶望的と見ていいでしょう。
 日常的な防止対策で言えば、例えば今までは比較的自由に通ることが出来ていたマンションや住宅地の敷地内が関係者以外立入禁止になり、そこの居住者は立ち入り許可証を申請しなければならなくなりました。
 他にも中国国内または国外から帰宅した人間に対する14日間の隔離、地下鉄やデパート、コンビニや個人商店などに入る際のマスク着用及び検温、さらには連絡先の記入などが義務付けられ、日々なにがしかの不自由を強いられます。
 現時点で感染被害がそれほど深刻ではない北京では、感染の恐怖を感じることはほとんどなく、落ち着いた緊張状態が保たれ、ただ受け入れるべき不自由や不安に慣れる日々が続いています。しかし、ウイルスに文句を言っても仕方がないとは言え、この不便な状況がいつまで続くのかという疑問も当然のことながら、カフェやレストランが閉店したままで、各種イベントが全国的に軒並み中止されて日常に娯楽がほとんどなくなった状況で、そろそろ「これで落ち着いて読書ができる」とも言っていられなくなりました。

北京のデパートや書店からはめっきり人が減った

 今回の新型肺炎禍では出版業界ももちろん影響を受けており、中国バカミスで知られる陸燁華は、新刊『春日之書』の印刷が遅れ「春に出なければ夏だ」とも言っております。また4月には本格ミステリー小説家・時晨の新刊『密室小醜(密室ピエロ)』が出る予定ですが、それもあまり楽観視できません。中国ミステリー界隈は通常、新刊出版時に発表会やサイン会を行うのですが、前述した通り各種イベントが自粛されている今、販促会など開けるはずがありません。一応物流は回復しているし、書店は営業しているので本を購入することは可能ですが、より多くの販売が見込めないのなら、「じゃあ出すのは一旦やめよう」となるでしょう。夏までは新刊の中国ミステリーは読めないかもしれません。

 

■ついに出た中国版『告白』?!

 昨年11月、雨落荒原という新人作家による『5月14日,流星雨降落土抜鼠鎮(5月14日に土抜鼠鎮に流星雨が降った)』(以下、『5月14日』)という推理小説が出版されました。この本、帯にはこのようなキャッチコピーが書いてあります。

 文章力は東野圭吾や湊かなえに匹敵する。
 
不条理で超現実的な手堅い傑作。読者から中国版『告白』と評価される。

 中国のミステリー小説が、東野圭吾やその代表作『白夜行』『容疑者Xの献身』などを比較対象にするのは珍しくありませんが、湊かなえや『告白』が持ち出されているのを見るのはこれが初めてです。
 内容は、土抜鼠鎮という町で流星雨が降った5月14日の夜に端を発する殺人事件の関係者が、それぞれ過去を供述するという一人称小説です。

 土抜鼠鎮人民医院に務める孔医師には悪癖があった。マンションの部屋から望遠鏡で向かいのマンションの各部屋を覗き見するのだ。中でも彼は気になる一人暮らしの女性に「竜舌蘭」という名前を付けて、実際に会って会話をするストーカー行為を行うほどのめり込んでいった。ある日、竜舌蘭が部屋に男性を呼び、そのまま一夜を共に過ごす様子を見て孔医師はショックを受ける。だが当日の深夜に、人目を避けて大きなゴミ袋を捨てる竜舌蘭を見た孔医師は、当日重大な事件が起きていたことを知り怯える。
 孔医師の向かいのマンションに暮らす費菲は、10年前に娘の費南雪を学校の教師に殺されており、逃亡した教師「π先生」をずっと追っていた。そして娘が10年前の5月14日に書いた日記からπ先生の現在の居場所を突き止めた彼女は、名を変えて土抜鼠鎮の森林保護員として働くπ先生と接触し、部屋に連れ込むことに成功したのだった。

 各章の主役は、覗き見が原因で事件の一端に触れてしまった孔医師、復讐に燃える母親の費菲、費菲に殺されて生首になってしまったπ先生、費南雪の元カレで現在はペドフィリア撲滅組織に属する井炎、そして10年前に殺された費南雪の5人。彼らがそれぞれ他人には語れない自分の過去を告白し、10年前の費南雪殺人事件にどんどん肉付けをしていき、最終的に被害者である費南雪本人の口から当時の真実、そして孔医師を除く3人の思い出が語られます。

 帯に書かれている中国版『告白』の要素として挙げられるのは、章ごとに物語の視点が切り替わるところ、母親が娘のかたきを討つところ、死体が冷蔵庫にしまわれるところ、でしょうか。また、子ども時代の費南雪と井炎が貧しくとも互いに助け合う様子は、東野圭吾の『白夜行』要素でしょうか。

 本書は、さすが東野圭吾や湊かなえの文章力に匹敵すると言うぐらい面白く、あからさまなリスペクト要素は感じられなかったのですが、帯でわざわざ中国版『告白』と書かれてフォロワー扱いされているのはもったいないなと思いました。

 

■作家も中国版東野圭吾を問題視?

 このコラムでは何度も何度も触れている「中国版東野圭吾」問題について、前述の本格ミステリー小説家の時晨が最近、ネットにこのような意見を発表していました。

 中国のミステリー小説家のうち、相当数は以下の特徴を持っている。①ミステリー小説は東野圭吾しか読んだことがない。②作品タイトルで東野圭吾へ敬意を表しているだけでなく、ストーリーまでリスペクトしている。③本格ミステリーは幼稚で、本格を書くことは社会経験がない表れだと考えている。④本格ミステリーに対する批判は基本的に、「人物が書けていない」「文章力がない」「人を殺すのにそこまでやる?」など。⑤オリジナルトリックが思いつかず、東野圭吾の本を読み返してインスピレーションを得る。⑥ここまで読んでムカッとする。

 時晨の意見は、日本でも昔からある「本格ミステリーは人間が書けていない」という指摘への苛立ちが根幹にあるようです。中国のミステリー小説家自身が、同業者でもある東野圭吾リスペクト作家をこうして非難するのはこれが初めてではないでしょうか。
 確かに、本作『5月14日』もそうですが、東野圭吾リスペクト本は基本的にストーリーが面白いです。そのようなリスペクト本への擁護に、「単なる真似ではなく、現代中国を下敷きにしている」というコメントが出てきます。しかし面白いのであれば、リスペクト要素は省いた、独立した作品として評価したいです。

 日本では本格派と社会派が対立や比較の構図で使われることもありますが、中国の場合は本格派と東野圭吾派に分かれ、さらに湊かなえ派なども生まれ、今後は本格派との対立がますます深まるかもしれません。

 

阿井幸作(あい こうさく)

 中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。

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現代華文推理系列 第三集●
(藍霄「自殺する死体」、陳嘉振「血染めの傀儡」、江成「飄血祝融」の合本版)


現代華文推理系列 第二集●
(冷言「風に吹かれた死体」、鶏丁「憎悪の鎚」、江離「愚者たちの盛宴」、陳浩基「見えないX」の合本版)

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(御手洗熊猫「人体博物館殺人事件」、水天一色「おれみたいな奴が」、林斯諺「バドミントンコートの亡霊」、寵物先生「犯罪の赤い糸」の合本版)

 

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