“Strumming my pain with his fingers…”

 2013年末のブルーノート東京。いきなりの歌い出しに、心臓をギュッと摑まれてしまう。

 御歳76のロバータ・フラックの変わらない歌声。その昔の某コーヒー・メーカーのCMでわれわれ世代の耳に親しんだメロディは、いまなお色褪せぬインパクトを持っている。

「やさしく歌って(Killing Me Softly With His Song)」は、彼女の4枚目(ダニー・ハサウェイとの共演盤を除いて)のアルバム『Killing Me Softly』(1972年)に収録された、チャールズ・フォックス&ノーマン・ギンベルによる不朽の名曲だ。

 たたみかけるように、懐かしい歌のオンパレード。「愛のためいき(Feel Like Makin’ Love)」は、ロバータのためにユージン・マクダニエルズが書き下ろした、これまた人気曲だ。多くのアーティストがカヴァーしているけれど、やっぱり、ジョージ・ベンソンの『In Your Eyes』(1983年)での大胆なアレンジの名演が記憶に残るかなあ。

 そして、ゆったりと奏でるピアノの響きに導かれて、優しく美しい旋律が。

“The first time ever I saw your face…”

 デビュー作『ファースト・テイク(First Take)』(1969年)に収録され、彼女の最初のヒット曲となった「愛は面影の中に(The First Time Ever I Saw Your Face)」である。

 美しい旋律と彼女の独特のざらついた歌声がヒットの要因であることはもちろんなのだが、3年後に、映画「恐怖のメロディ(Play Misty For Me)」(1971年)の挿入歌として起用されたことで、さらに世に認められることになった。「恐怖のメロディ」は、当時の人気俳優クリント・イーストウッドが初監督して主演したサスペンス映画の佳篇だ。ロバータの歌は、主人公カップルがひとときの安穏を謳歌する美しい場面で聴くことができる。初監督作の構想を練っていたイーストウッドは、たまたまラジオでかかっていたロバータのこの歌を聴いて、どうしてもこの曲を使いたいと思い、権利取得に奔走したとのこと。

 そんな「愛は面影の中に」とのブルーノート東京での再会で、あまりの感動に涙したぼくは、思わずこの映画を何十年かぶりに観て、さらには、原作とされるポール・J・ジレット著『恐怖のメロディ(Play Misty For Me)』(1971年)を読んでみたのだった。とはいえ、この映画の共同脚本にディーン・リーズナーとともに名を連ねるジョー・ヘイムズによるオリジナル脚本に惚れ込んだイーストウッドが権利を買ったはずなので、実際には、ノヴェライズされた作品なのだと思われる。だが、そうはいっても、映画に忠実なうえに、小説としての厚みも加わっていて、なかなかに読み応えのある作品だった。

 ストーリーは、いまではお馴染みになってしまったストーカーもの。当時はまだストーキングという名称もなかったので、このジャンルの嚆矢と言っていいだろう。

 イーストウッド演ずる主人公の人気ラジオDJ・デイブは、あまりの女癖の悪さに呆れた恋人トビー(ドナ・ミルズが演じた)と別れたばかり。淋しさもあって、行きつけの店で偶然出会った美女イブリンと一夜かぎりの関係を結んでしまう。じつは彼女は、彼の担当番組が放送されるたびに「ミスティ」をリクエストしていた熱烈なファン女性だった。ラジオでの話題をヒントに彼の行きつけの店で待ち伏せして彼に近づいたのだ。異常な熱意で彼にまとわりついてくる彼女の言動に不審を抱いたデイブは、イブリンから遠ざかろうとする一方でトビーとの関係を復活させる。嫉妬に狂ってデイブの部屋を滅茶苦茶にするイブリン。たまたま家の整理に訪れた掃除婦が彼女の凶刃に倒れてしまう。愛情が狂気を募らせ、ますますエスカレートしていく彼女の狂った行動は、デイブの最愛の女性トビーにまで及ぶことになる。

 この映画では、イブリン役のジェシカ・ウォルターの演技が圧巻で、不安定な精神状態を表情豊かにみごとに演じていた。彼女の存在なくして、ストーカーものの後の傑作『危険な情事(Fatal Attraction)』(1987年)は生まれなかったのではないだろうか、と思わせるほど。

 さて、すでにお気づきかと思うけれど、この映画の音楽には、ほかにも隠れた主役とも言うべき名曲が登場する。ジャズ・ピアニストのエロール・ガーナーの奏でるスタンダード曲「ミスティ(Misty)」である。この映画の原題となっている「『ミスティ』をかけてくれます?(Play “Misty” for me)」というのが、イブリンによるリクエストの台詞なのである。

 ガーナーが1955年に発表したアルバム『コントラスツ(Contrasts)』に収録されたこの曲もまた、数々のアーティストによって取り上げられてきた、永遠の名曲。イーストウッドは、この映画のために、ガーナー本人に、オーケストラを加えたアレンジであらためて新録音を依頼したのだという。

 ロバータの歌声とこの美しきスタンダード曲だけでも、この映画が語られるべき名作とされる理由にはなるのではないか。と、音楽の効果に大きく左右されるぼくは思うのである。

 余談になるが、ロバータ・フラックとミステリー映画との関わりというと、もう一つ、記憶に残る作品がある。リドリー・スコット監督「誰かに見られている(Someone To Watch Over Me)」(1987年)が、それ。主演はトム・べレンジャーとミミ・ロジャース。原題はジョージ&アイラのガーシュイン兄弟によるスタンダード・バラード「やさしき伴侶を(Someone To Watch Over Me)」からそのままとられている。

 この美しいバラードを、映画の冒頭ではなんとスティングが、エンディングではロバータがそれぞれの哀切の歌声でロマンティックに歌い上げているのだ。ケビン・コスナー&ホイットニー・ヒューストン主演、ホイットニーの歌う主題歌「オールウェイズ・ラヴ・ユー(I Will Always Love You)」でもおなじみの大ヒット映画「ボディガード(The Bodyguard)」(1992年)に先んじて発表された、美女警護ものの傑作なので、こちらもぜひともご覧いただけたらと思う。

【youTube音源】

“The First Time Ever I Saw Your Face” by Roberta Flack

*1969年 1st アルバム発表当時の演奏。

“Killing Me Softly With His Song”

*永遠の名曲「やさしく歌って」を1996年にフュージーズとの共演でローリン・ヒルとデュエット。

“Feel Like Makin’ Love” by Roberta Flack

*これまた名曲「愛のためいき」の古いライヴ映像

“Misty” by Eroll Garner

*ロバータがデビューした頃のエロール・ガーナーのきらびやかな演奏による「ミスティ」。

“Someone To Watch Over You”

*スティング版の「やさしき伴侶を」。これとは別にグラミー賞授賞式での素晴らしい歌唱も記憶に鮮明だ。

“I Will Always Love You”

*いまは亡き歌姫ホイットニー・ヒューストンの名唱。

【DVD】

【CDアルバム】

佐竹 裕(さたけ ゆう)

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 1962年生まれ。海外文芸編集を経て、コラムニスト、書評子に。過去に、幻冬舎「ポンツーン」、集英社インターナショナル「PLAYBOY日本版」、集英社「小説すばる」等で、書評コラム連載。「エスクァイア日本版」にて翻訳・海外文化関係コラム執筆等。別名で音楽コラムなども。

 直近の文庫解説は『リミックス』藤田宜永(徳間文庫)。

 昨年末、千代田区生涯学習教養講座にて小説創作講座の講師を務めました。

 好きな色は断然、黒(ノワール)。洗濯物も、ほぼ黒色。

【連載エッセイ】ミステリー好きは夜明けに鍵盤を叩く バックナンバー