Maigret ravient…, Gallimard, 1942/10/15 [原題:メグレ帰還…]長編合本、メグレシリーズ3編収録[1-3]
Tout Simenon T23, 2003 Tout Maigret T3, 2007

▼収録作
1. Cécile est morte, « Paris-Soir » 1941/2/18-4/5号(全45回)(1940/12執筆)『メグレと死んだセシール』長島良三・藤崎京子訳、《EQ》1991/11(No.84, 14巻6号)pp.199-277

2. Les caves du Majestic, « Marianne » 1940/4/24, 5/1, 8, 15, 22, 29, 6/5, 12, 7/17, 25, 8/1, 7, 21, 28-?(1939/12執筆)『メグレと超高級ホテルの地階』長島良三訳、《EQ》1995/5(No.105, 18巻3号)pp.235-312*

3. La maison du juge, « Les Ondes » 1941/4/27-8/31号(全19回)(1940/1/31執筆)『メグレと判事の家の死体』長島良三訳、《EQ》1988/3(No.62, 11巻2号)pp.207-280*[判事の家]

・TVドラマ『Maigret und dans Haus des Richters(The Judge’s House)』ルパート・デイヴィス主演、Terrence Williams演出、1963(第48話)
TVドラマ 同名 ジャン・リシャール主演、ルネ・リュコRené Lucot監督、1969(第7話)
・TVドラマ『メグレと判事の家(Maigret et la maison du juge)』ブリュノ・クレメール主演、ベルトラン・ヴァン・エファンテールBertand Van Effenterre監督、1992(第3話)

 今回もエンターテインメントミステリーとして充分に「面白かった!」と満足できる長編作品だ。第二期メグレは読んでいて楽しい。さっそく内容の紹介に移ろう。
 1月13日、雨。このときメグレは大西洋に近い仏西部リュソンの中央警察署で働いていた。少し北へ行けばヴァンデ県の県庁所在地ラ・ロシュ゠シュル゠ヨンがあり、反対に南へ行けば港町ラ・ロシェルとレ島がある。メグレは司法警察局の警視だが、なぜかパリで「不興を買って」3ヵ月前「島流し同然に転任」させられ、夫人とふたりで楽器屋の二階のアパルトマンに住みながら、型通りの書類仕事をこなす日々を送っていたのである。あまりにつまらないので、午後3時でもカフェでビリヤードに興じることがあるほどだ。直接の部下といえるのはツーロン訛りのメジャ刑事くらいである。
 そんなメグレのもとへ、小柄な老婆がやってきた。アディーヌ・ユロ、愛称ディディーヌという64歳の老婦人は、ここから30キロほど離れたレギューイオン村 L’Aiguillon に元税関吏の夫とふたりで隠居しているのだが、自宅の裏手に建つ村いちばんの邸宅、フォルラクロワ治安判事の家で異変が起こったというのだ。3日前の晩、判事の家に人々が集まって真夜中まで楽しく過ごしていたようだが、翌朝になって彼女の夫が自宅の庭の手入れをしているとき、判事の家の窓越しに、誰かが床に倒れているのを見たのである。しかも翌日になっても依然として死体はその場にあった。判事は満潮のときに死体を海に棄てるに違いない、と彼女の夫は直感した。だが昨晩はちょうど人目があったので棄てられなかった。警察に届けるならいまのうちだ、と老夫婦は判断し、婦人がメグレのもとを訪ねてきたのだ。

 メグレの心のなかで希望のようなものがかすかにうごめいている。だが、なりふりかまわずそれにしがみつく気はまだない。それにしても転勤という名目で左遷されたこのヴァンデ県の片隅で、好運が巡ってこようとしているのか?(長島良三訳)

 殺人事件に巡り会うのは久しぶりだ。メグレは婦人とともにタクシーに乗ってレギューイオン村まで行き、まずは近くの《港ホテル》を根城とすることにした。漁師やムール貝養殖業者らがたむろしている。メグレは夜の満潮時を待って張り込みをした。まだ冷たい雨が降り続いている。凍てつくような微風が港の方から吹き寄せてくる。はたして邸宅から判事が何かの重い荷物を引きずって出てきた。死体を運び出しているのだ! メグレは事のなりゆきを確かめてから判事のもとへと進み寄り、声をかけた。判事は観念したように死体を邸宅へ戻す。メグレはリュソンのメジャ刑事を呼び寄せた。
 メグレは屋内で袋のなかの死体を検分し、判事に尋問する。だが判事は抵抗こそ見せないものの、死体の男の素性は知らない、と意外なことをいい始める。10日の晩、判事は同居している16歳の娘リズのかかりつけ医プレネオール一家や、いまは別居している自分の息子アルベールなどを迎えてときを過ごした。アルベールは父親と反りが合わず、ムール貝の養殖をやっている。娘のリズは精神疾患を持ち、夢遊病癖があるので、夜は判事が寝室に閉じ込めている。人々が帰り、翌朝になって判事が果物貯蔵室に行くと、鈍器で殴られた男の死体があったというのだ。なぜ死体が自分の家にあるのかわからず、つい3日も放置してしまったが、自分は殺していないと主張する。
 死体はパナマ共和国の既製服を着ていたが、ほかに身元を特定できるものがない。そこへ不意に、判事の息子アルベールがやってきた。彼は事の次第に仰天するが、すぐに妹リズの安否を心配し始め、二階の彼女の部屋へと駆け上っていった。リズはベッドで豊かな乳を露わにしている。泥の足跡があった。メグレが屋外を探ると、そこにはアルベールの知人、巨漢のマルセル・エーローの姿が見えた。
《港ホテル》に戻ったメグレは、食堂の女中テレーズにそれとなく聞き込みをする。マルセルもアルベールと同じくムール貝養殖を生業としている男だが、どうやら女中テレーズはマルセルと過去に恋仲で、子供まで産んでいたようだ。しかし、ならばなぜマルセルは、判事の娘の寝室に通っていたのだろう? 
 パリならジャンヴィエやトランスといった優秀な部下たちがいるが、ここでは彼らの協力は望めない。メグレは村役場に捜査本部を設え、地元憲兵隊やメジャ刑事らと捜査を始める。ディディーヌ老婦人が何かと世話を焼きにやってくるのはちょっとばかり面倒だが、地元の有益な噂話を教えてくれる。判事はかつてヴェルサイユに住んでいたこと、1ヵ月前に妻が家を出て行ったこと……。
 あの夜、マルセルを取り逃がしてしまい、彼の行方はわからない。一方でようやく死体の身元が判明し、ジャナンという名の医師であることがわかった。かつて船医で、パナマに寄ったのに違いない。では判事との関係は何か? メグレが再び判事に尋問すると、彼はまたも意外な告白を始めた。「わしは人を殺したんだ、警視……」いったい彼は誰を殺したというのだろう? 

 本作でメグレは地方の事件を解決するため、あちこち近隣の機動隊に電話をかけて捜査協力を要請し、情報を掻き集め、一歩ずつ糸口を見つけてゆく。判事の家を見張るのは地元憲兵である。そうした過程がかえってシリーズのなかでは新鮮だ。メジャ刑事も最初のうちこそやや愚鈍に見えるものの、ちゃんと役目を果たしてゆく。意外とよいチームワークができている。これまでの作品ではメグレは地方に赴いてもひとりで事件解決に当たることが多かったのだが、今回はより多くの関係者を巻き込んだ警察小説の趣が強い。パリを舞台とした前作『メグレと超高級ホテルの地階』第64回)と並べるといっそうめりはりが効いて惹きつけられる。
 判事の意外な過去が明らかになり、同時に息子アルベールやその妹リズ、知人マルセル、女中テレーズの複雑な関係が、徐々にメグレと読者にも見え始める。
 そうしたなかで料理の描写が随所に挿入されるのが印象的だ。本作は大西洋沿いの村が舞台なので、まず《港ホテル》では郷土料理であるムール貝のクリーム煮「ムクラードla mouclade」がメグレのテーブルに運ばれる。一口食べてメグレはカレー粉が味つけに使われていることを見抜く。メグレシリーズのなかで「料理が美味しそうだ」と本当に思えたのは、正直なところ今回が初めてである! 翌日の夕食はスープのカレイと、キャベツ添えの豚のロース肉。ホテルの食堂でメグレが地元部下のメジャ刑事とテーブルを挟んで食事に食らいつくさまが見えるようだ。登場する酒はポートワインやカルバドス。
 最近、私は池波正太郎原作の時代劇ドラマをいろいろ観ている。中村吉右衛門の『鬼平犯科帳』や渡辺謙の『仕掛人・藤枝梅安』では美味しそうな酒の肴や鍋料理が出てくる。どれも実際に作者の池波正太郎が自分で料理して試したものなのだろうかと想像が膨らむが、メグレの料理描写は池波正太郎のそれとはちょっと違う。メグレはグルメなのではなくて、その地の郷土料理を大事にする男なのだ。つまりメグレを読んでいるとフランス一般市民の食生活がわかる。
 事件を告げに来た老婦人の夫がかつてコンカルノーで税関吏をやっていたという設定から、何度かコンカルノーへの言及が出てくる。港町コンカルノーは第一期の『黄色い犬』第5回)の舞台だった場所であるから、メグレ自身だけでなく自然と私たち読者も過去を懐かしく振り返ることになり、フランス西部の港町が湛える潮の匂いや冬の冷たさも感じ取ることができる。だが本作でメグレは決してレギューイオン村だけに留まっているわけではなく、捜査の進展に応じてヴェルサイユにも足を運び、そうした折々にパリ時代のことを思い出す。地方の事件でありながら、メグレの心はパリとも繋がっている。こうした奥行きが第一期作品とは大きく異なった印象を抱かせてくれる。第一期における田舎町はメグレにとってつねに古い因習が残る異邦の地であり、メグレは異邦人(よそ者)であることを余儀なくされたが、本作のメグレは実質上の左遷に遭いながらも、決して孤立はしていない。
 そして興味深いのは、本作の登場人物たちがみな、社会階級の単純な犠牲者としては描かれていないことである。たとえばフォルラクロワ判事は社会的に認められた上流の人間であり、その一方で家を飛び出した息子のアルベールやその知人のマルセルはムール貝養殖業者であるから慎ましい労働者の部類に入る。だが、それでは上流階級の判事が地位を悪用しているのかというとそういうわけではないし、アルベールやマルセルが田舎村の養殖業者であるからといって作者シムノンは過度に同情したり擁護したりするわけでもない。わりと公平に描かれている。
 ここは大切なところだと私は思う。池波正太郎はつねに庶民の目線で物語を書いていたと思われるが、シムノンは必ずしも庶民に寄り添うだけのタイプの作家ではないのだ。このことはいままでずっと日本でヘンに誤解されてきたように思うが、無心に読めばそう解釈できる。彼はたんにどこかひとつの立場や階級を代表することを嫌った作家なのである。前作『メグレと超高級ホテルの地階』でも上流・中流・下流階級の人々がそれぞれ書き分けられた上で、それらのステレオタイプな印象が乗り越えられてゆく様子が示されていたが、同じ視座が本作でも感じられる。第二期になってぐんと面白さが増したのは、そんなシムノンの成熟ぶりにも理由があるような気がするのだ。
 本作でとりわけ印象深いのは第8章「じゃがいも・・・・・を食べる二人の若者」の1シーンだ。メグレは老婆ディディーヌに促されて、アルベールの家の裏手から密かに様子を観察する。小屋のなかで、ふたりの男が暖炉の前に座っている。彼らはゴム靴を履いており、まるで三銃士のようだ。アルベールとマルセルである。こうして見るとふたりはそっくりだ。

(前略)おなじ生活様式、塩水、波しぶき、海の空気が二人の肌をおなじように強烈なばら色にし、二人の頭髪を変色させている。
 二人とも鈍重だ。自然との根気のいる闘いに明け暮れている人間だけがもつ鈍重さだ。
 煙草を喫い、ゆっくりと話し込んでいる。彼らの視線は暖炉に注がれている。突然、マルセルは鉄棒の先で灰のなかをかき回した。その顔は純朴な喜びにあふれている。

 何気ないが、その場の匂いさえ感じられる優れた描写だ。マルセルはグラスを2個持ってきて大樽から白ワインを注ぐ。

 白ぶどう酒だ! このときほどメグレが白ぶどう酒を飲みたいと切望したことはないだろう。舌なめずりをしたいほどの芳香だった。するとじゃがいも(傍点)は……たしかに床に転がっている。

 こんな場面をこれほど鮮烈に描けるのはシムノンをおいて他にいない。メグレはここで子供時代に読んだフェニモア・クーパー[『モヒカン族の最後』を書いたアメリカの作家]やジュール・ヴェルヌの挿絵を思い出す。ここはフランス、それも片田舎の村なのに、まるではるか遠い昔にいるようだった。

(前略)二人の男は、毛皮を獲る罠猟師か、孤島の遭難者であるかのようだ。彼らは時代を超越していた。マルセルのぼうぼうたるひげが、この幻想にいっそう拍車をかけていた。

 そしてマルセルは灰のなかから鉄棒で黒焦げのじゃがいもを取り出し、太い指で皮をむき始めるのである。事件そのものとは直接関係はないのだが、この一連の描写には本当にぞくぞくさせられた。シムノンの作家としての実力を見せつけられた気持ちだ。屈指の名場面ではないだろうか。
 そして事件は一件落着する。もうこの村を再訪することはないだろう。そうした思いが最後にメグレの心に去来する。よい終わり方だ。
 ひとつ、本作《EQ》掲載時の長島良三氏による解説文について、説明を加えておきたい。訳者の長島氏はコナン・ドイルのシャーロック・ホームズを引き合いに出して、シムノンはいったんメグレを退職させ片田舎に隠居させたのだが、要請に応じて復活させたのだとして、次のように書いている。

(前略)読者が作者のそんなわがままを許すはずがない。かくして、メグレは『メグレの帰還』という中編集でよみがえる。そのなかの一編が本書で(……後略)

 だがすでに紹介した通り、『メグレ帰還…』(1942)に収められた本作を含む3編と、次の『署名ピクピュス』(1944)収載の3編は、いずれも“中編”ではなく“長編”である。《EQ》の扉ページに「300枚一挙掲載」とある通り、300枚はメグレものの長編の平均的な長さであり、『男の首』第9回)や『黄色い犬』などと同様に、全75編の長編作品の一部なのである。
 長島氏はこうした勘違いや間違いを書いてしまうことがよくあり、おそらくこの解説文があったために、多くのミステリー読者は第二期メグレの6作品を“長編”ではなく“中編”だと勘違いしたままこの数十年を過ごしてきたのではないか。改めて指摘しておくが、本作『メグレと判事の家の死体』も本来ならばちゃんと1冊の本として刊行できる長さを持った長編小説なのである。

 本連載でルパート・デイヴィス版TVドラマを取り上げるのは『男の首』以来だろうか。近年ドイツ放送版DVDシリーズが発売され、全話ではないもののかなりの数のエピソードがドイツ語版で親しめるようになったのは既報の通り(ドイツのAmazon.deで簡単に注文できる。https://www.amazon.de/dp/B07KT6C9SY/ )。白黒時代の英語の50分ドラマだが、きびきびとした展開が受けて当時イギリス本国で人気を博した。
 DVDはドイツ語版吹き替えなので残念ながら細かなニュアンスはわからないが、今回メグレは港町に一時出向しているという設定のようだ。あくまで所属はパリ司法警察局であり、地元機動隊と協力しつつ事件究明に当たるが、パリからリュカ刑事を呼び寄せて行動をともにしている。リュカ役を務めるのはユアン・ソロンEwen Solonという俳優で、質実剛健で有能な理想の部下を好演している。背も高く、いつも帽子をほんの少し斜めに被っており、これが格好いい。初期の第一期メグレ作品から想像されるリュカの姿に近い。各映像作品でリュカ刑事がどうイメージされているか比較してみるのも面白いと思う。ルパート・デイヴィスのメグレは決して大柄ではなく人情的でもないが、背筋が伸びて物怖じしない立ち振る舞いから優秀な警視であることが伝わってくる。物語の展開は今回いささかきびきびとしすぎており、「えっ、もうこれで終わり?」という感じもするが、原作の核となる部分は押さえている。ラストでメグレはパリの自宅に戻り、ヘレン・シングラー Helen Shingler 演じるメグレ夫人に迎えられる。
 ジャン・リシャール版のTVドラマは 、最初のうち第二期メグレ作品を中心に製作が進められた。DVD-BOX1に収められた12作のうち、実に5作が第二期の長編から採られている。原作に忠実なつくりで、悪くない。ラストショットで、船に乗って港を離れるメグレが、籠に詰まったムール貝を黙々と船上で手に取って、ナイフで身を掬って口に運んでは殻を棄てる姿が心に残る。
 ブリュノ・クレメール版も今回は第3話目と初期の作品なので期待できると思って見始めたが、あまりに平坦な演出で久々に寝落ちしかかってしまった。たとえ初期作品でもつまらない回はつまらないのだ。不覚である。
 しかしお色気シーンが挿入されるお約束は今回も健在で、メグレが初めて判事の娘リザの寝室に乗り込んだとき、彼女はベッドのなかで下着姿なのだが、はだけかかって片乳が露わになっている。原作通りなのだが、彼女の精神が病んでいることを一瞬で視聴者に示す秀逸なシーンであった。
 ところでクレメール版の本邦DVDの多くは翻訳家・長島良三氏による解説記事が特典として読めるようになっているのだが、残念ながらいま読むとこれらの記事には誤りが少なくないことがわかる。本作のDVDでもメグレはふだんノートルダム大聖堂の向かいのパリ警視庁本庁舎にいると書かれているが、実際はそうではなくて一軒向こうのパリ司法宮に間借りした司法警察局に勤務していることは既述の通り。また本作DVDのパッケージには、おそらく長島氏の示唆によると思われる以下のようなあらすじが載っているが、確かに原作では先に引用した通りこれを思わせる内面描写があるものの、ドラマ自体ではここまで踏み込んだ描写はなされていない。つまり解説のしすぎである。

太平洋に近い港町リュソンの中央警察署に島流し同然のメグレ。無聊をかこつ日々だったが、あるとき(……中略)もしそれが事実だとすれば、パリ警視庁に戻れるチャンスになるかもしれない。俄然、メグレは元気づき(……後略)

 ドラマでは「なぜこちらへ?」と現地の人に訊かれてもメグレは曖昧に答えるだけだし、事件を解決すればパリへ戻れるかもしれないなどと希望を抱いて元気づいたりはしない。リュソンも地図を見ると周りは海ではないので、港町とはいいがたい。
 また長島氏は次のようにも書いている。

 だが(中略)[メグレは]1946年に一年ほど警視庁から追放され、ヴァンデ県の小さな港町リュソンの中央警察署に島流しになったことがある。それは、司法警察局と警察庁の合併問題にともなって起こったいくつかの軋轢に巻きこまれたためだった。(中略)
 結局、《刑事[判事の間違いか]の家の死体事件》を解決した数か月後、メグレは望みどおりパリに呼び戻されることになる。司法警察局の新しい局長に就任したグザヴィエ・ギシャールのおかげである。
 これ以降、メグレは政治的事件にはかかわらないように気をつける。メグレが「パリ警視庁」を好み、「警察庁」をきらうのは、「警察庁」が政治的事件にたずさわる機会が多いからだ。
 しかし、メグレがどうしても政界の汚職事件にかかわらなければならない事件が起る。公共事業大臣にひそかに頼まれ、断ることができなかったからだ。それが『メグレと政府高官』である。この小説に出てくるクレールフォン事件とは実際にフランス政界を震撼させたもので、日本でいえばさしずめ政界が大ゆれにゆれたロッキード事件に相当するのかもしれない。(後略)

 ここで長島氏が書いている「警察庁」とは、ヴィシー政権下の1941年に設置された警察庁 Sûreté nationale のことだろうか。もともとは保安部 Sûreté générale として長い歴史があったが、1934年のスタヴィスキー事件をきっかけに組織改編され、やがて警察庁となった 。その後1969年に警察庁と警視庁は一部統合されてフランス国家警察 Police nationale de France が生まれ、組織も国家警察総局 Direction générale de la Police nationale(DGPN)へと置き換えられた。戦時中、地方の憲兵隊は警察庁(国家警察)の管轄下にあった。──ということだと思う。
 ただ、少なくとも本作に至るまで、シムノンの原作小説では(ギシャールの名は局長として出てくるものの)、メグレが警察庁を嫌っていたことは明記されていないと思う。よっていまは保留しておきたい部分だ。それに実在の人物であったギシャールは、1930年に司法警察局長になったが、すでに紹介の通り(第60回)1934年のスタヴィスキー事件で辞任している。だから長島氏の説明では時期が合わないように思われる。この説明文では、いくつかの時代背景がいささか混同されてしまっているのではないか? あるいはやや説明が足りない。今後『メグレと政府高官』(1955)を読む際に注意しておくことにしよう。
 長島氏は《ハヤカワ・ミステリ・マガジン》の編集長であったし、フランス語翻訳者としてはとても優れた人で、いまなおその訳文が古びないことは高く評価すべきだと思うが、シムノンの翻訳紹介をあまりに一手に引き受けたがために、長島氏の書いたことがそのまま日本の読者に鵜呑みにされ、受容され続けてしまった不幸な歴史がある。長島氏は決して嘘偽りを記事に書こうとしたわけではないだろうが、そのときに読んだ文献の内容や自分の思い込みをそのまま素直に書いてしまう軽率さがあった。ほんの少し手間をかけて複数の文献を検証すればより正確に書けたはずのことも、そうすることをせず書き残してしまった。また罪の意識はなかったのだろうが、日本語に翻訳されていないフランスの評論の内容を流用し、あたかも自分の考えであるかのように書いてしまうこともよくあった。未熟な時代のことであったとはいえ残念である。
 たとえばある時期まで長島氏は、メグレがノートルダム大聖堂向かいのパリ警視庁本庁舎に勤務していると思い込んでいたため、メグレが廊下を歩いて司法宮に行ったというシムノンの記述に出くわすと混乱してしまい、辻褄を合わせるためパリ警視庁本庁舎と司法宮は地下廊下で繋がっているのだという珍説を書き残してしまったほどである。私も最初のころはそうした長島氏の解説記事に振り回されて混乱に陥った。
 もちろん長島氏は生涯にわたって勉強を怠らず、後年に自分が間違いをしたとわかった部分については訂正して新たに記事を書き起こしたが、古い記事はそのまま残り、日本の読者に間違った見解を伝え続けることになってしまった。少なくとも解説記事においては、残念だが長島氏の記述は信用しない方がよい。読むとしてもつねに原典を確認することが必要である。私は決して長島氏を糾弾したいのではない。私がいいたいのは、つまりそろそろ新しいシムノン読者が今日的な視点で作品を読み直し、フランスやベルギーで積み重ねられてきた長年の研究成果も謙虚に参照して、基礎情報をアップデートすべき頃合いが来ているのだということである。

 長島氏を一方的に批判したいわけではないことを強調するため、最後に本作『メグレと判事の家の死体』の翻訳文が素晴らしいことを述べておきたい。作者シムノンも1940年代は作家として伸び盛りであったことが第二期メグレからもはっきりとわかるが、長島氏も本作を訳出した1988年ころはフランス文学翻訳家として脂の乗り切った時期だったのではないか。シムノンの原作ものびのびとして豊かであるが、それだけでなく同時に長島氏の訳文もまたいきいきとして読み心地がよい。幸せな相乗効果が生まれていたと思う。先にも書いたが(ごく一部の警察機構や土地名の訳語を除いて)訳文は古びていない。この邦訳がいまもって雑誌掲載版でしか読めないのは本当に残念であるし、いまからでもよいからぜひどこかの出版社から単行本で出してほしいと切望する。

瀬名 秀明(せな ひであき)
 1968年静岡県生まれ。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞受賞。著書に『月と太陽』『新生』等多数。
『石の花』などで知られる漫画家・坂口尚氏の未完コミック作品をリブート、小説化した長篇『紀元ギルシア』が、《WEBコミックトム》にて連載中(http://www.usio.co.jp/read/kigen_greecia/index.html)。
 NHK Eテレ『100分de名著』2020年3月放送の「アーサー・C・クラーク スペシャル」で指南役(講師)を担当。テキスト発売は2月25日ころから。

【皆様へ】

 新型肺炎やインフルエンザの拡大によって、感染症対策への社会的関心が高まっています。ぜひ拙書『インフルエンザ21世紀』(文春新書、品切)と『パンデミックとたたかう』(共著=押谷仁、岩波新書)をお読みいただければと思います。いずれも11年前の新型インフルエンザパンデミック時の本ですが、感染症とその対策に関する議論の基盤はほぼすべてこの2冊に込めておきました。内容は古びておりませんので、ぜひご参考にしていただければ幸いです。

■最新刊!■



■瀬名秀明氏推薦!■













■最新刊!■













■瀬名秀明氏推薦!■


 

■瀬名秀明さんの本をAmazon Kindleストアでさがす■

【毎月更新】シムノンを読む(瀬名秀明)バックナンバー