注意!

 この連載は完全ネタバレですので、ホームズ・シリーズ(正典)を未読の方はご注意ください。

 このコラムでは、映像作品やパスティーシュ、およびコナン・ドイルによる正典以外の作品を除き、全60篇のトリックやストーリーに言及します。(筆者)

■連載開始にあたって

 この連載は、客観的な「解読」(資料)部分と、私感を含むコラム部分の二種類から成っています。各作品の書誌情報や内容(ストーリー)、登場人物といった資料だけでは、単なるハンドブックになってしまいますので、シャーロッキアン的なツッコミどころ、コナン・ドイルの執筆背景やこぼれ話、時代背景の話題、その他も自由に(適当に?)書いていこうという、欲張りな企画です。

 また、60回(今回すでにその1、2に分かれてしまったので、それ以上になります)という長丁場なので、書いているうちに遡って改訂したり加筆したりする必要が出てくるはずです。そうした補足も毎回していきますので、ご了解ください。

 資料の部をある程度頭に入れて、コラムの部分を拾い読みすれば、あなたも一丁前の(?)シャーロッキアン。海外は無理でも、日本のホームズ・クラブならすぐに入れます。ただし、知識だけでなく、想像力と独創性と遊び心と寛容性を備えた真のシャーロッキアンになるには、かなりの時間がかかりますが。

 一方、コラム部分には特に制約をもうけず何でも書きますので、時には私の過去の仕事に関する自己弁護も入ったりするかも。ただし、皮肉は言えども他者攻撃(個人攻撃)はしないというのがこの連載の原則ですので、ご理解をお願いします。

 なお、厳密なシャーロッコロジーでは正典のどの版の原文を元にした記述(発言)なのかが問題となりますが、そこまではやらずにおきましょう……めんどくさいし(笑)。

■資料篇の原則

    • 60篇の連載順序は、各作品の初出順(雑誌掲載など)。
    • 邦題に関しては、戦後の翻訳および大人向け翻訳を対象とするが、特記すべき題名の場合は入れる。
    • 原題の略称は海外シャーロッキアンのあいだで通常使われているものを使用。邦題の略称は日本のシャーロッキアンのあいだで多く使われているものをアレンジして使用。
    • 事件発生年月は、ウィリアム・ベアリング=グールド(略称 B=G)の説を使うが、ほかの説に言及することもあり。
    • 参考文献は連載終了時にリストを提示するが、必要に応じて紹介することもあり。
    • 人物等の略称は SH:シャーロック・ホームズ、JW:ジョン・H・ワトスン、SY:スコットランド・ヤード。

■第1回『緋色の研究』その1■

【1】資料の部

●原題……A Study in Scarlet(英・米同じ、略称STUD)

●主な邦題……『緋色の研究』(新潮文庫ほか)、『緋色の習作』(河出書房新社)/略称『緋色』

●初出……Beeton’s Christmas Annual(ビートンのクリスマス年刊誌)1887年11月

●単行本……A Study in Scarlet(英・米同じ)1888年4月

●事件……イーノック・ドレッバーほか連続殺人事件

●主な登場人物……

 SH、JW、トバイアス・グレグスン警部(SY)、G・レストレード警部(SY)、イーノック・ドレッバー、ジョゼフ・スタンガスン、ジェファースン・ホープ、ルーシー・フェリア、ジョン・フェリア

●事件発生年月……1881年3月

●依頼人……グレグスン警部

●犯人/悪役……ジェファースン・ホープ/イーノック・ドレッバー、ジョゼフ・スタンガスン、ブリガム・ヤング

●執筆者……JW

●ストーリー(あらすじのあらすじ)

 ホームズとワトスンが出会い、ベイカー街で共同生活を開始。空き家における殺人事件の捜査を依頼されたホームズに同行したワトスンは、初めて彼のみごとな推理ぶりをまのあたりにする。事件は開拓時代のアメリカ西部における怨恨に端を発していた。

●ストーリー(あらすじと構成)

 二部構成となっている長篇小説。第1部はアフガニスタンの戦場(1880年のマイワンドの戦い)から負傷して帰国した元軍医、ジョン・H・ワトスンの回想録としてはじまり、第2部は殺人事件の背景となったアメリカ西部における1850年代の物語が、三人称で語られる。

 ロンドンに身寄りのないワトスンは、人づてに出会ったシャーロック・ホームズと、ベイカー街221bで共同生活を開始した。最初ワトスンは知らなかったが、ホームズはその鋭い観察力と推理力で、捜査に行きづまった警察に協力する、アマチュア探偵(コンサルタント探偵)をしていたのだった。

 二人が部屋を分け合って生活を始めると、まもなくロンドンの空き家で殺人事件が起き、ヤードの警部グレグスンの依頼により捜査に乗り出したホームズに、ワトスンが同行する。被害者はりっぱな服装の中年男、イーノック・ドレッバー。壁には血で書かれた“RACHE”という文字があり、死体を動かすと女性用の結婚指輪がころがり落ちた。室内に血痕が数カ所あったが、死体に外傷はない。

 ヤードからはグレグスンのほかにレストレード警部も来ていた。RACHEを女性名レイチェルの書きかけだというレストレードに、ホームズはそれがドイツ語の「ラッヘ(復讐)」であると指摘する。さらに彼は、被害者の死因や犯人の人相、特徴をすらすらと推理して、警部たちを煙に巻いてしまう。

 その後ホームズは、第一発見者の警官に事情聴取したり、新聞に結婚指輪の拾得記事を出したり、街の浮浪少年グループであるベイカー・ストリート・イレギュラーズ(ベイカー街不正規隊)に手がかりを探させたりと、活発な捜査を進める。だが、指輪の受け取りに現われたのはホームズが推理した赤ら顔の大男ではなく、老婆だった。しかも彼は、その老婆を尾行しながら、まかれてしまう。

 一方グレグスン警部は、ドレッバーが秘書のジョゼフ・スタンガスンとともに泊まっていた家の息子である海軍将校を、ドレッバー殺しの犯人として逮捕した。しかしその直後、スタンガスンも死体で発見され、連続殺人事件となる。

 スタンガスンの死因は胸部への深い刺し傷だったが、死体の上にやはり血文字で“RACHE”と書かれてあった。ホームズは彼の部屋に残されていた二粒の丸薬に注目。下宿の死にかけた犬でその薬を試してみたところ、はたしてそれは毒薬であった。

 その直後、イレギュラーズのひとりが馬車の御者を連れて221bへ。その御者こそ、ホームズの推理により突きとめられた犯人、ジェファースン・ホープであった。

 第二部の舞台は、モルモン教徒たちのつくった都市、ソルトレーク・シティ。西部開拓者の一行にいた少女ルーシーは、両親をなくし、ジョン・フェリアとともに砂漠で死にかけるが、モルモン教の開拓者たちに救われる。ジョン・フェリアの養女となり、ソルトレーク・シティで生活を始めた彼女は、旅の青年ジェファースン・ホープと出会い好意をいだくようになる。

 だがモルモン教の指導者ブリガム・ヤングは、長老たちの息子であるドレッバーかスタンガスンのどちらかと結婚するようにと、フェリア親子に命じる。指導者にそむけば命はないのだ。ルーシーはすぐれた猟師でもあるホープに連れられて、ジョン・フェリアとともに町から逃げだすが、追っ手は執拗に迫ってくる。そして、食糧をもとめてひとり猟に出たホープがもどったとき、二人の姿はなかった。ドレッバーとスタンガスンのあとを、復讐に燃える男が追うことになり、第1部の物語につながっていく。

 今から百二十五年以上も前に書かれた、最初のホームズ物語。最初の長編でもある。ホームズとワトスンが出会い、221bの下宿で共同生活を始めた、記念的作品。一八八七年に雑誌〈ビートンのクリスマス年鑑〉に発表され、翌年単行本になった。

●物語のポイント

 とにかくホームズとワトスンが初めて出会い、かの有名なベイカー街221bで共同生活を始めたという点が、最も重要なポイント。同時にこの作品は、ホームズが初めて世に出たものという意味でも、書誌および文学史の面から重要と言える。

 後述するが、ホームズ物語が一世紀以上読みつがれ、しかも人気が衰えないどころでなく何度もブームを起こしている理由のひとつは、この作品で確立されつつある二人の「友情」「相棒関係」「コンビの妙」にある。

 ホームズという主人公が大当たりするとか、彼の物語を何十年も書き続けることになるとかはまったく予想していなかった著者(コナン・ドイル)ゆえ、のちに短篇連載が始まってからの作品との矛盾点などがいくつもあるが、それもまた「ホームズで楽しむ」ためのネタになっていると思うことが肝要。

【2】コラムの部

 ……は、時間と紙面の都合により、次回(『緋色の研究』その2)に続きとさせていただきます。

★今月の余談★

「コンビニ弁当のラップをはがすような面倒な推理にはもう辟易している」と言ったのは北道正幸『プ〜ねこ』第1巻中のネコ探偵天智小五郎だが、そういう推理に慣れている現代ミステリファンからすると、ホームズものは推理にしろプロットにしろ、かなり単純に思えるだろう。パズラー小説や「読者との知恵比べ」的な本格ミステリが台頭する前の作品だから、無理もない。

 先達であるポーのデュパンに続く理詰めの人物であり、科学的捜査法のスターとして登場したホームズではあるが、その後の探偵小説からすれば無茶な論理や、読者にとってアンフェアな設定は、いくらでもある。それでもコナン・ドイル自身、現実の事件の冤罪晴らしにその推理法を応用したわけだし、当時の読者にとってはこれで十分、驚きだったわけである。ホームズの「無茶な推理」は、数々のパロディ作品でツッコまれており、日本でもいしいひさいち作品などがその典型だ。

 デュパンとホームズの関係については、今年1月に、ちょっと考えさせられることがあった。恒例のBSI(ベイカー・ストリート・イレギュラーズ)総会の折に、ニューヨークのモルガン図書館&美術館でエドガー・アラン・ポー展を見る機会があり、ポーの自筆原稿だけでなく、コナン・ドイルを含む同時代作家や関連作家の自筆原稿も見ることができた。ドイルの原稿(『バスカヴィル家の犬』第11章)やオスカー・ワイルド、ロバート・スティーヴンスンの原稿に関する感想はまた別途書こうと思うが、気になったのは、その展示パネル書かれたホームズ物語の解説文である。

 解説者(おそらくポーの研究者)は、ドイルがポーの“フォロワー”であることを繰り返し述べていた。つまり、エキセントリックな人物である探偵の創造と、その友人である語り手のコンビ、論理による謎解きの面白さを伝えているという意味で、デュパンものは先達であり、ホームズものはフォロワーである、と。

 確かに、初めてこのスタイルを小説に導入した点でポーは先駆者だし、ドイル自身、ポーに大きな恩恵をこうむったことをエッセイの中で認めている。友人の仕草を見てその心理過程を読み取るというデュパンの能力など、そのままホームズに継承されていると言えよう。

 しかし、その後なぜホームズが名探偵の代名詞となり、一世紀以上人気作品として読み継がれ、無数の映像化作品がつくられ、何度もブームを起こしたのか……その点は、単に“フォロワー”と言うだけでは説明できないだろう。デュパンの登場する作品が三つしかなく、かたやホームズものは60篇あるから? それだけでも説明にはならない。

 第一に、デュパンとその語り手である「私」は一種のコンビではあるが、ホームズとワトスンという「相棒」の関係、友情の関係ほど強力な魅力をもっていない。ドイル以降のミステリにおける探偵とその友人や助手の関係は、現代のテレビドラマなどにおける相棒関係の元祖と言われるが、デュパンが言及されることはほとんどないと言える。

 第二に、パリ郊外に住むデュパンは夜の散歩を趣味としていたが、ホームズものが世紀末ロンドンの街を生き生きと描き、ロンドンとホームズの関係が切っても切れないものになったことを考えると、それほどの魅力をつくりだせなかった。

 この点は、昨年からアメリカで放映されているホームズものテレビドラマ『エレメンタリー』が、入れ墨とヤク中のホームズ&女医のワトスンという新たなコンビをつくりながら、舞台をニューヨークにしたことでホームズファンから今ひとつ人気がないことにも、つながるだろう。……ただ、『エレメンタリー』が不人気である原因としては、ワトスンを女にしたことのほうが大きい。ワトスンを女性にする設定は、かなり昔のシャーロッコロジー論文からその後のパスティーシュまでさまざまにあり、シャーロッキアンからすれば新鮮味はほとんどないし、BBC『シャーロック』の成功例を見るまでもなく、このコンビはあくまでも「男対男」でなくてはだめなのだ。

 第三に、ミステリというより冒険小説の要素も濃いホームズものは、モリアーティ教授という魅力的な(?)悪役が登場したことで、面白さが倍増した。最後には敗北する(死ぬ)とはいえ、ロンドンだけでなくヨーロッパ中に組織の巣をはりめぐらせるような犯罪王を何度も登場させたのは、デュパンものにない独創性と言えよう。

 ほかにも、当時のイラストによる「ホームズ」のイコン化、つまり、ホームズの名は知らなくとも鹿撃帽とインバネスとパイプと虫眼鏡があれば名探偵、というビジュアルイメージが確立されたことも、大きな効果があった。

 ドイルのホームズが単なるデュパンの模倣でないこと、あるいはホームズものの独創性、長寿の秘密といったものは、まだまだ語り尽くせない。これ以上はまたの機会にゆずろう。

日暮 雅通(ひぐらし まさみち)

 1954年千葉市生まれ。翻訳家(主に英→日)、時々ライター。ミステリ関係の仕事からスタートしたが、現在はエンターテインメント小説全般のほか、サイエンス&テクノロジー、超常現象、歴史、飲食、ビジネス、児童書までを翻訳。2014年も十冊ほど訳書が出る予定。

 個人サイト(いわゆるホームページ)を構築中だが、家訓により(笑)SNSとFacebook、Twitterはしない方針。