《日本のミステリー小説の英訳》に関連するニュースが最近いくつか続けて入ってきたので、今回はその紹介をしたいと思う。連載タイトルの「非英語圏ミステリー賞」とはほぼ関係ないものになってしまうが、この連載では以前に例外的に日本のミステリー小説の英訳状況やアメリカの賞へのノミネート歴を紹介したりしたこともあるので、それらを補足するための記事ということでどうぞご了承ください。

◆中村文則が米国のノワール小説の賞、「デイヴィッド・グーディス賞」を受賞

 つい数日前、中村文則がアメリカのノワール小説の賞、デイヴィッド・グーディス賞(David Goodis Award)の2014年の受賞者に決定したとのニュースが入ってきた。2014年10月30日から11月2日にかけてフィラデルフィアで開催される第4回ノワールコンで授与されるという。初めて耳にした賞だったので調べてみると、過去の受賞者は第1回から順にケン・ブルーエンジョージ・ペレケーノスローレンス・ブロックと、日本でも名の知られた実力派作家が並んでいる。そしてこの3人に続く4人目の受賞者に中村文則が選ばれたのである。

 英語圏のミステリー賞では、東野圭吾がエドガー賞とバリー賞、桐野夏生がエドガー賞にノミネートされたことがあるが、受賞にはいたらなかった。中村文則も昨年ロサンゼルス・タイムズ文学賞のミステリー・スリラー部門にノミネートされたが、ノミネートどまりであった。また、東野圭吾の『容疑者Xの献身』がアメリカ図書館協会によって年間最優秀ミステリーに選ばれたこともあったが、これは「賞」ではない。ということは、日本の作家が英語圏のミステリー賞を受賞するのはこれが初ということになるだろう。

 賞の名前になっているデイヴィッド・グーディス(1917-1967)は米国フィラデルフィア生まれのミステリー作家・ノワール作家で、邦訳書には1960年代・70年代に訳された『深夜特捜隊』『華麗なる大泥棒』および、21世紀に入ってからポケミスで出た『狼は天使の匂い』『ピアニストを撃て』がある。

 グーディスの出身地であるフィラデルフィアでは、2008年から隔年でノワール小説のファンが集うイベントが開催されている。それがデイヴィッド・グーディス賞の授与の舞台でもあるノワールコン(NoirCon)である。ノワールコンの公式サイト( http://www.noircon.com/ )やブログ( http://www.noircon.info/ )によれば、デイヴィッド・グーディス賞はグーディスの精神を継承する優秀なノワール作家に贈られる賞だそうだ。特定の作品ではなく作家の業績に対する賞だが、中村文則は現在英訳があるのは『掏摸(スリ)』『悪と仮面のルール』の2作なので、この2作がノワール小説として高く評価されたということになる。

 中村文則の『掏摸』『悪と仮面のルール』は、日本ではあまりミステリーの文脈では語られてこなかったのではないかと思う。一方アメリカではこの2作はミステリーのレーベル《ソーホー・クライム》(http://sohopress.com/soho-crime/)から出版され、ミステリーとして受容されることになった。出版にいたる経緯の一端が以下の記事で分かる。

翻訳の先に広がる世界 中村文則、米・ブックフェス参加」(『朝日新聞』2013年5月1日)

 『掏摸』は大江健三郎賞を受け、英訳された。賞の事務局の講談社が交渉し、ミステリーに力を入れる出版社「ソーホープレス」が名乗りを上げた。同社の編集者ジュリエット・グレイムズさんは「第1章から引き込まれた」とすぐに出版を決めた。「他人の人生を支配しようとする力を求めるアンチヒーローの小説は珍しい。米国人が求める物語だと思った」。桐野夏生『OUT』や東野圭吾『容疑者Xの献身』をあげ、「日本のミステリーは、人生の暗闇の表現がすばらしい」とも言う。

 こうして中村文則の作品はアメリカではミステリーとして出版され、ミステリーとして各所で評価されてきた。『ウォール・ストリート・ジャーナル』では2012年のミステリーベスト10に『掏摸』、2013年のミステリーベスト10に『悪と仮面のルール』がそれぞれ選出されている。選者はどちらも、同紙で長年ミステリー書評を担当し、ロス・マクドナルドの評伝などの著作もあるトム・ノーランである。また『掏摸』は2013年にはロサンゼルス・タイムズ文学賞のミステリー・スリラー部門の最終候補作にもなった。中村文則は向こうの書評で「ジャパニーズ・ノワールの新たな旗手」などと書かれることもあり、すでに英語圏においては日本を代表するミステリー作家(クライム・フィクション作家)の一人になっているといってもいいかもしれない。

 次に英訳が予定されている『去年の冬、きみと別れ』は、中村文則が初めて明確にミステリーをやろうと意識して書いた作品だそうだ。タイトルをつける際にはアガサ・クリスティーの『春にして君を離れ』が念頭にあったという。先に英訳された2作とは毛色が違う作品だが、英語圏ではどのような評価を受けるのだろうか。

 ところで、先月には円城塔のSF小説『Self-Reference ENGINE』の英訳版がアメリカのSF賞、フィリップ・K・ディック賞にノミネートされるというニュースもあった。受賞作が発表されるのは4月18日。ほかのノミネート作には先ごろポケミスで刊行されたベン・H・ウィンタース『地上最後の刑事』の続編『Countdown City』なども入っている。

 昨夏には鈴木光司『エッジ』の英訳版がギリアン・フリン『ゴーン・ガール』などを破ってアメリカのシャーリイ・ジャクスン賞(心理サスペンス、ホラー、ダークファンタジーなどを対象とする賞)を受賞した。今後も日本のジャンル小説の英語圏での活躍を期待したい。

※参考資料※

『ウォール・ストリート・ジャーナル』ミステリーベスト10(トム・ノーラン選)

  • 2012年(元記事リンク
    • 中村文則『掏摸』
    • フェルディナント・フォン・シーラッハ『罪悪』
    • ギリアン・フリン『ゴーン・ガール』
    • ロベルト・アンプエロ『ネルーダ・ケース』(仮題、早川書房から近刊)
    • ベンジャミン・ブラック『Vengeance』
    • マイクル・コナリー『The Black Box』
    • オレン・スタインハウアー『American Spy』
    • Nick Harkaway『Angelmaker』
    • Mark Harril Saunders『Ministers of Fire』
    • Ariel S. Winter『The Twenty-Year Death』
  • 2013年(元記事リンク
    • 中村文則『悪と仮面のルール』
    • フェルディナント・フォン・シーラッハ『コリーニ事件』
    • リンジー・フェイ『Seven for a Secret』(『ゴッサムの神々』の続編)
    • ベンジャミン・ブラック『Holy Orders』
    • デニーズ・ミーナ『Gods and Beasts』
    • ジョー・シャーロン『Enigma of China』
    • スー・グラフトン『Kinsey and Me』
    • Gene Kerrigan『The Rage』
    • S.J. Gazan『The Dinosaur Feather』
    • Bart Paul『Under Tower Peak』

◆エイドリアン・マッキンティー選《密室・不可能犯罪ミステリーベスト10》で島田荘司『占星術殺人事件』が第2位

 「Crime Fiction Lover」というミステリー情報サイトを見ていたところ、あるアイルランド人ノワール作家が今年刊行した最新作でノワールと密室物の融合に挑戦したという興味深い情報を見つけた。その作家の名はエイドリアン・マッキンティー(Adrian McKinty、1968- )。英国推理作家協会のイアン・フレミング・スチール・ダガー賞(最優秀スリラー賞)にもノミネートされたことのある作家だが、邦訳はない。彼はノワール作家として今まで活躍してきたのだが、今年、ショーン・ダフィー刑事シリーズの第3作として発表した長編『In the Morning I’ll Be Gone』ではノワールと密室物の融合を図っているのだという。作中でダフィー刑事は密室ミステリーの古典作品に言及しつつ捜査を進めていくそうだ。

 「Crime Fiction Lover」に掲載されたインタビュー記事(リンク)によればマッキンティーは密室物・不可能犯罪物の大ファン。特に好きな作品としてジョン・ディクスン・カーの名作『三つの棺』を挙げ、西洋でこの種の作品が書かれなくなってしまったことを嘆いている。興味がわいてきたのでもう少しいろいろ調べてみようとネット上で検索してみたところ、この作家がつい最近新聞に寄稿した「密室ミステリーベスト10」(The top 10 locked-room mysteries)というエッセイが見つかった。このエッセイでマッキンティーは《密室・不可能犯罪ミステリーベスト10》を選出しているのだが、驚いたことにその第2位に島田荘司の『占星術殺人事件』が選ばれている。

  • エイドリアン・マッキンティー選《密室・不可能犯罪ミステリーベスト10》(英国『ガーディアン』紙 2014年1月29日)
    • 第1位 ジョン・ディクスン・カー『三つの棺』
    • 第2位 島田荘司『占星術殺人事件』
    • 第3位 ポール・アルテ『七番目の仮説』
    • 第4位 エラリー・クイーン『帝王死す』
    • 第5位 ガストン・ルルー『黄色い部屋の謎』
    • 第6位 イズレイル・ザングウィル『ビッグ・ボウの殺人』
    • 第7位 クリスチアナ・ブランド『自宅にて急逝』
    • 第8位 アガサ・クリスティー『そして誰もいなくなった』
    • 第9位 ジョン・ディクスン・カー『連続殺人事件』
    • 第10位 ウィルキー・コリンズ『月長石』


 英米仏の古典的名作にまじって、比較的新しい作品から島田荘司『占星術殺人事件』(1981)とポール・アルテ『七番目の仮説』(1991)がランクインしている。『占星術殺人事件』は『The Tokyo Zodiac Murders』というタイトルで2005年に英訳が出ている。

 これだけでも驚くが、その後もっと驚くべきことが分かった。この作家は先述したとおり、今年ノワールと密室物を融合させた新作長編を発表しているのだが、その作品が生まれたのは『占星術殺人事件』を読んだのがきっかけだったというのである。アイルランドの新聞『アイリッシュ・イグザミナー』の2014年1月18日掲載のインタビュー(リンク ※リンク先、モルグ街とオリエント急行のネタばれあり)によれば、マッキンティーは少年時代にアガサ・クリスティーの『オリエント急行の殺人』で密室物・不可能犯罪物の魅力を知り、図書館員が薦めてくれたジョン・ディクスン・カーに夢中になったが、その後はノワール小説を読むようになり、その種の作品は読まなくなっていった。ところが数年前に『占星術殺人事件』を読んで大変気に入り、それ以来、《ノワール小説の設定内で密室ミステリーを書くことは可能だろうか》と考えるようになったのだという。

 東アジアには島田荘司ファンの作家も多いが、まさかアイルランド人作家が『占星術殺人事件』の影響で本格ミステリーを書く、なんてことが起こるとは。エイドリアン・マッキンティーのショーン・ダフィー刑事シリーズ、翻訳ミステリー大賞シンジケートでどなたかレビューを書いて下さらないだろうか。

 『占星術殺人事件』は現在、筆者の把握している限りで英語、フランス語、中国語(簡体字・繁体字)、韓国語、タイ語、インドネシア語、ベトナム語の7つの言語に翻訳されている。2010年に刊行されたフランス語版はその年のフランス推理小説大賞の翻訳作品部門にノミネートされた。

◆東野圭吾『容疑者Xの献身』に続き、高木彬光『密告者』のボリウッド映画化が決定

 昨年10月、『容疑者Xの献身』がインドで映画化されるという衝撃的なニュースが一部ミステリーファンの間を駆け巡った。監督はインドのヒンディー語映画界(いわゆる「ボリウッド」映画界)で名の知れたスジョイ・ゴーシュ(Sujoy Ghosh)。インドの映画というと何はさておき「踊る」というイメージが真っ先に浮かんでくるが、この監督の撮る映画はそういうタイプのものではないらしい。2012年の監督作品『カハーニー』(Kahaani)はミステリー映画。日本では同年9月の福岡国際映画祭で公開されたようだが( http://www.focus-on-asia.com/lineup/film12_04.html )、残念ながらDVD化などはされていない。

 『容疑者Xの献身』はすでに日本と韓国で映画化されているが、スジョイ・ゴーシュが自身でツイートしていたところによると、ボリウッド版『容疑者Xの献身』は小説『容疑者Xの献身』の映画化であり、既存の映画のリメイクではないそうだ。当然、スジョイ・ゴーシュは英訳版を読んだのだろう。昨年、早川書房が日本のミステリーやSFの英訳・電子配信に乗り出すとの発表があった。報道によれば、ハリウッドでの映画化などにつなげていくのがその狙いだとのことだが、英訳が出るとハリウッドだけではなくボリウッドでの映画化の可能性も開けるのである。

 そして昨年12月には高木彬光の検事霧島三郎シリーズの長編『密告者』のボリウッド映画化が現地で報道された。『密告者』は『The Informer』というタイトルで英訳が出ているので、おそらくはそれを元にした映画化だろう。監督のアジャイ・バール(Ajay Bahl)は2013年には『B.A. Pass』というノワール映画を撮っている。ちなみに、高木彬光の作品で英訳があるのは3作品。『密告者』のほかに同じく検事霧島三郎シリーズの『ゼロの蜜月』と、神津恭介シリーズの『刺青殺人事件』が訳されている。

 インドでは昨年、ボリウッドの映画監督や脚本家たちが執筆したミステリー小説を刊行するレーベル《Blue Salt》が立ちあげられた。年4冊ほどのペースでの刊行が予定されており、現在のところはNeeraj Pandey『Ghalib Danger』とVibha Singh『A Convenient Culprit』の2冊が出ている。今後はこれらの作品を原作として、今まで以上にボリウッドオリジナルのミステリー映画が増えていくのかもしれない。

 まずはボリウッド版『容疑者Xの献身』『密告者』の完成を楽しみに待とう。そしてそれをきっかけに、インドのミステリー映画の日本への紹介が進んでくれればいうことはない。


松川 良宏(まつかわ よしひろ)

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 アジアミステリ研究家。『ハヤカワ ミステリマガジン』2012年2月号(アジアミステリ特集号)に「東アジア推理小説の日本における受容史」寄稿。「××(国・地域名)に推理小説はない」、という類の迷信を一つずつ消していくのが当面の目標。

 Webサイト: http://www36.atwiki.jp/asianmystery/

 twitterアカウント: http://twitter.com/Colorless_Ideas

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