第1回:『毒入りチョコレート事件』——誰が犯人でも成り立つミステリーとは?

全国15カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁

「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳

今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!

加藤:『海外ミステリー マストリード100』は「いま手に入る」現役本が原作の発表順に並んでいるのが特徴。頭から順に読んでいくと、今日に至るミステリーの流れがわかって勉強になるのではないか、ということで始まった企画です。皆様よろしくお付き合いください。

 そんなわけで第1回はアントニイ・バークリー『毒入りチョコレート事件』。もちろん初読で、バークリーも初めてでした。

 『毒チョコ』(面倒なのでいきなり縮めた)はどんな話かというと、一見すると偶然または予測不能な理由で毒入りチョコを入手し、それを食べて中毒死してしまったベンディックス夫人の事件を6人の素人探偵たちが競って解き明かすというもの。すでに警察は匙を投げていて、必要な情報は全て開示されるという前提です。

6人が行なった追加調査の成果とそこから導き出した推論を披露するのだけれど、それぞれに犯人と動機が異なるってことと、それぞれに結論を導き出す方法が異なるってところがこの話のキモ。一旦は事件が解決したかに見せながら、実は反証が可能であることがわかる、ということの繰り返し。

 逆に言えば、どの時点で物語が終わったとしても、一応のオチはつくという構成になっています。バークリーは「ミステリーは書き手の都合と匙加減でなんとでもなる」ということを証明したかったんじゃないかな。こういうのを「多重解決もの」といい、『毒チョコ』はそのハシリなのだそうですね。

 1929年(昭和4年か!)の作品で、調査の過程や人間ドラマなんかはほぼ描かれることなく、一同会しての謎解きに終始しているところなんかは、いかにもクラシカルな印象。でも、僕にはとても新鮮に感じられたのでした。この実験的な試みに当時の読者はそうとう驚き戸惑ったことでしょう。

 いやー、「必読!ミステリー塾」初回から大変勉強になりました。

 とまあ、ここまで自分で調べたようにエラそうに書いてきましたが、実は1月末にこの『毒チョコ』を課題本にしたぷち読書会が名古屋で行なわれ、そこで参加者の皆さんにいろいろ教えてもらったのでした。そのときに、この『毒チョコ』の原型にあたる短編では、4番目に発表したシェリンガム氏の推理が唯一の正解として描かれているとのことも教えてもらい、また、クリスチアナ・ブランドによる「『毒入りチョコレート事件』第七の解答」も読ませてもらいました。

 このぷち読書会は、名古屋市科学館で開催されている「チョコレート展」の見学に合わせて企画されたのだそうです。僕は読書会のみの参加だったけど、さらに夜はベルギービールと食事で盛り上がったとのこと。何がメインだかよくわからないところは名古屋読書会安定のノリだったようです。

 ところで、最近ではチョコレートに限らず、食品に毒物を混ぜてバラ撒く卑劣な犯罪を「フードテロ」と呼ぶようですが、多くの人が空腹であろう時間帯に、ツイッター上に美味しそうな料理の写真を大量に投下するという非道な行為にも、何か名前をつけて取り締まるべきではないかと思う今日この頃です。

畠山:突然のお達し。「月に1回、ミステリー小説を読んでレポートを出しなさい」。

 え? アタシ? 名古屋読書会の加藤さんと二人(だけ)? なにこの危険な顔ぶれ・・・これは完全に赤点常連生徒の居残り学習じゃん。

 考えてみると私達は普段、自分の好みと世の流行りとなんとなくの野生の勘で本を手にとっています。ひょっとすると自分が知っているのは大きなミステリー小説世界のほんの一部に過ぎないのかも。年代順にいろんな作家の本を読んでみることでミステリー小説の全体像がわかったらもっともっと楽しくなるんじゃないかな。だから好き嫌いとか思い込みとかを捨ててトライです! この道のりの向こうには輝ける“ミステリー通”の称号が待っている!?

 というわけで、スタートは『毒入りチョコレート事件』。私、これが嬉し恥ずかしのバークリーデビューです。

 ・・・と勢い込んだものの、実はちょっと不安。つまりは頭脳自慢がよってたかって推理をするわけで、ひょっとして理屈っぽい? そういうのって、読んでるうちに眠くなることがあるのよねぇ、アタシ。

 でも心配ご無用でした。意外にも犯罪研究会のメンバーがみんな愛嬌のある人物で時折クスッと笑えたりするのです。全員立場は違えどそれなりに頭のいい人達なのでプライドが高い。自分の推理が一番に決まってるじゃん!という自信満々の態度と矛盾や証拠の弱さをつかれてシュンとしてしまうそのギャップ。嫌味を言って言われて謝罪をしあって、まぁ態度がコロコロ変わって面白いのです。心理的ドタバタともいえるような推理合戦を三谷幸喜演出で観てみたいなぁ〜などと思ったりもしました。

 中でも犯罪研究会の“悩める会長”ロジャー・シェリンガムはいいですね。暴走しそうになる会を取り仕切るのに右往左往したり、慣れない探偵業務で余計なお金を使って後悔したり。名探偵というよりは人間味のある迷探偵。このシェリンガムがシリーズになっているようですが、毎回この調子なのかしら・・・?

 もちろん展開される各自の推理も面白いです。犯行の動機は金銭欲か、嫉妬か、はたまた単なる殺人願望か。どの推論も「それもアリかも」と思うのですが、反面どこか釈然としないところもあって次の論者がそこをついてくると「ああ、そりゃそうだ」と振り子のように揺れるわけです。

 ところでワタクシ、初回から蹴躓いたのは「演繹法」と「帰納法」という言葉。推理する時にね、こういう方法を使うんですってよ、奥さん。本を読んでる時はなんとなくわかった気になるんだけど、説明しろと言われたらやっぱりよくわからない。そしてこの原稿を書いている今ではもうすっかりわからない。まぁいいか、普段の生活では使わないし(遠のくミステリー通)。

 さて、翻訳モノのお楽しみでもある独特の比喩。こんなのがありました。

「生粋の女が、ガス・オーブンに鼻を突っ込む前に、自分の最上の下着をつけ、鼻におしろいをはたくのと同じことだ」

・・・え? えーっと・・・?? 前後の文を読んでもイマイチわからない・・・かくなる上は実践か? 自宅でやってみるか?(家庭内不審者扱い決定)

 なにそれ? とお思いの方はまずはご一読を(笑)

加藤:確かに「演繹法」と「帰納法」が何度も出てくるんだけど、僕もさっぱり思い出せなくてググっちゃった。

演繹法は幾つかの仮定を組み合わせて三段論法的に必然的な結論を導く思考法。仮定が正しければ結論も必ず正しくなります。

(仮定A)畠山さんはアルコールが一切飲めない。

(仮定B)ビールはアルコールの一種だ。

(結論)畠山さんはビールが飲めない。

いかにも強そうな人が下戸だったりするのがこの世の不思議。

対して、帰納法は幾つかのデータを並べて結論を推測する思考法。データが多ければ多いほど精度が上がります。

(仮定A)畠山さんは『本命』が好きだ。

(仮定B)畠山さんは『度胸』が好きだ。

(仮定C)畠山さんは『興奮』が好きだ。

(結論)畠山さんはディック・フランシスの競馬シリーズが好きだ。

 そういえば、彼女は独身時代に「ダニエル・ローク(『興奮』の主人公)の嫁にアタシはなる」って言ってたなあ。考えたらアレも素面で言ってたわけか。

 今さらだけど言わせてもらっていい? この連載、何故、僕と畠山さんなの? 確かに僕はミステリーに疎いし、いろいろ偏っているのは認めます。でも、「菊池光訳」って書いておけば一日中でもイエローページを読んでるようなイタい人と一緒にされるのはちょっと心外であると、この際ハッキリ申し上げておきたいですね。

畠山:ほうほう、ナルホド。演繹法と帰納法は身近なもので例えてみるとよくわかる。

 もしかしたら推理小説では無意識のうちにこういう論法に触れているのかもしれません。

 なんとなく私の乙女心を麦わらの海賊と一緒にされているような気がするのは目をつぶるとしましょうか。しかもこれまでの人生、アルコールで記憶と脳細胞を数限りなく葬ってきた人に下戸の純情を笑う資格があるのかということも敢えて問うまい・・・。

 それと「多重解決もの」という言葉は聞いたことがあるようなないような。「それって結局解決したことになるの?」という素人丸出しな疑問はあるものの、いろんな視点からライトを当てて“考えること”自体を楽しむ小説もあると納得しちゃおうかな。

 こういう作品は1人で悶々とするより、みんなでワイワイ話しをすると楽しさ10倍かも。

 名古屋の毒チョコぷち読書会(←被害者はでませんでしたか?)、楽しそうで美味しそうでいいですね。美味しいものには事欠かない札幌ですが、視覚と味覚のイリュージョン「喫茶マウンテン」に匹敵するお店は未だ見つかりません。

 ところで加藤さん、私とのコンビにご不満のようでお悔やみ申し上げます。ですが、貴方もレイモンド・チャンドラー心酔者の端くれ。ここで一発、美学を貫いてもらおうじゃありませんか。ハードボイルドの真髄は“男は黙って鼻からギムレット、もとい、痩せ我慢”なんでしょ?

■勧進元・杉江松恋からひとこと

 まず、このたびは拙著を鍛錬のテキストにお選びいただいたことにお礼申し上げます。

 アントニイ・バークリー『毒入りチョコレート事件』は、事件発生から推理で終わる解決までの道筋が単線ではなく、複線に分岐しているという多重解決ものの嚆矢といえる作品です。シェリンガムものの長篇はすべて訳されているので、このあともし余力があれば作品を最初から順番に読み直し、本書までたどりついてみてください。バークリーは天才気取りのシェリンガムに試練を与え、翻弄することを実に楽しんでいます。ミステリーにおける探偵の立場の危うさにいち早く気づき、作品化したのがバークリーでした。

 なお、『毒入りチョコレート事件』の原型といわれる短篇「偶然の審判」ですが、発表の順序に確証がないため、短篇が長篇に先んじた、という表現を『マストリード』では用いなかったことをここにお断りしておきます。

 さて、次はパーシヴァル・ワイルド『悪党どものお楽しみ』ですね。あのユーモア・ミステリーをお二人がどう読まれるか。期待してお待ちいたします。


加藤 篁(かとう たかむら)

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愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。 twitterアカウントは @tkmr_kato

畠山志津佳(はたけやま しづか)

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札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?) twitterアカウントは @shizuka_lat43N

どういう関係?

15年ほど前に読書系インターネット掲示板で知り合って以来の腐れ縁。名古屋読書会に参加するようになった加藤が畠山に札幌読書会の立ち上げをもちかけた。畠山はフランシスの競馬シリーズ、加藤はハメットやチャンドラーと、嗜好が似ているようで実はイマイチ噛み合わないことは二人とも薄々気付いている。