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【↑:執筆者近影?】

 こんにちは、ピエール・アンリ・カミ・高野こと、高野優です。このコーナーではフランス文学界が生んだ奇才、あのチャップリンが「世界最高のユーモア作家」と呼んだピエール=アンリ・カミについて、お気楽に紹介したいと思っています。

 実は2011年の1月にこのコーナーで、「初心者のためのカミ入門」第1回を掲載していただいた時、「第2回は来年の桜が咲く頃までに、高野が持っているカミの原書の表紙などを一挙公開したいと思っています。第3回はカミの生涯に少し詳しく迫ってみましょう。どうぞお楽しみ」と書いたのですが、それから数年、桜が咲き、桜は散れど、その機会は訪れず(←って、あんたがさぼってただけじゃん)、また桜が咲き、桜が散ってを繰り返しているうちに、とうとうあと少しで2014年の桜の季節を迎えることになってしまいました。

 その間に《ハヤカワ ミステリマガジン》ではカミのコント集が2回ほど掲載され、また『機械探偵クリク・ロボット』が文庫化され、2014年の《ミステリマガジン》4月号には、作家特集として、カミが取りあげられることになりました。で、その時に「チャップリンの戦争特派員」という作品を訳したのですが、今回はそれにちなんで、「カミとチャップリン」の交友に関するエピソードをご紹介して、「初心者のためのカミ入門」第2回としたいと思います。

カミとチャップリン

 2008年にカミの没後50年を記念して、フランスのブルゴーニュ地方にある、ラ・シャリテ=シュル=ロワールという町の公共美術館で開かれた「カミ展」のカタログによると、カミがチャップリンを知ったのは、フランスにチャップリンの初期の短編映画が入ってきた1915年のことだという。カミはたちまち、チャップリンに夢中になり、さっそくシャルロ(フランスでのチャップリンの愛称)に手紙を送り、?文通?のようなものが始まったらしい。といっても、カミはほとんど英語ができず、チャップリンもフランス語ができなかったので、カミはフランス語と下手な英語で書いた文章に自作のイラストを添え、チャップリンのほうは英語で書いた手紙と一緒に、自分が出演した映画の写真を送っていたらしい。

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↑1916年にカミがチャップリンに送った名刺。

 カミの住所が書いてある。下にはメッセージがある。

P.S. Vous me feriez le plus grand plaisir en m’envoyant votre photographie dédicaceé.

(追伸。あなたの写真を献辞を入れて、送ってくださると光栄です。)

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↑チャップリンに宛てた初期のカードのひとつ。

 自分の写真の裏にメッセージを入れて送った(1916年12月)。

 Vous me feriez le plus grand plaisir en m’envoyant votre photographie dédicaceé.

 Avez vous tourné mon scénario intitulé “Charlot dans un œuf” ?

 あなたの写真を献辞を入れて、送ってくださると光栄です。

 ところで、私が書いた『卵のなかのシャルロ』という短編映画のシナリオの撮影はしましたか?

 また、この機会にカミは短い戯曲と、シャルロ(チャーリー)を主人公にした短編映画のシナリオも送っている。『シャルロの決闘』と『卵のなかのシャルロ』という二本のシナリオ(ただし、プロットのみ)を書いて、チャップリンに映画を撮ってもらおうと考えたのである。だが、残念ながら、チャップリンはこれを映画にすることはなかった。

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↑チャーリーを主人公とした短編映画のために、
 カミが書いたシナリオのプロットを収めた小冊子の表紙。

 Charlot se bat en duel

 Charlot dans un ♪uf

(Kickshaws, 2004)

『シャルロの決闘』

『卵のなかのシャルロ』

(キックショウズ、2004年)

 その後、1917年にカミは『シャルロー——ガニ股歩きの私立探偵』を発表(この作品はいずれ翻訳して紹介する予定)。また、《銃剣【ラ・バイヨネット】》誌に、本誌でご紹介した「チャップリンの戦争特派員」を掲載。そういったことから、チャップリンとカミは急速に親しくなっていく。ちなみに、チャップリンは、1918年に『担【にな】え銃【つつ】』(別題『チャップリンの兵隊さん』)というサイレント映画を撮っているが、そこでは「チャップリンの戦争特派員」同様、チャーリーがドイツ皇帝ヴィルヘルム2世と絡むという筋立てになっている。チャップリンは《銃剣【ラ・バイヨネット】》誌に掲載された「チャップリンの戦争特派員」は読んでいたはずなので、そこから何かしらのインスピレーションは得たかもしれない。ただし、それを裏付ける資料は残っていない。

 ともあれ、こうしてふたりは親交を深め、前述したように、カミはチャップリンを崇拝し、チャップリンもまた、英語に翻訳されたカミの作品を愛読して、その才能に深く敬意を表した。実際、チャップリンは、1917年にカミに宛てた手紙のなかで、こう書いている。

《私はあなたの『ピンの頭のような男』(L’homme à la tête d’épingle, 1914)や『シャワーを浴びながら読む本』(Pour lire sous la douche, Ollendorff, 1912)を読みました。これはまさに巨匠の作品です。極上のユーモア、洗練された味わい。滑稽で最高に馬鹿ばかしく、それでいて情熱的で——そういったものが次から次へと飛びだしてくる。真面目かと思うと、ふざけていて、その切り替えが絶妙。あなたはまるで手品師のように文章を操っていく。しかも、簡潔なスタイルで……。そうして、〈笑い〉を爆発させるのです! どうでしょう? 私がこんなふうにあなたの本のことを褒めるのを見れば、あなたの本がどれだけ私を楽しませてくれたのか、わかっていただけるのではないかと思います。そうであることを心から願って!》

(《銃剣【ラ・バイヨネット】》誌1917年3月号に「チャップリンの戦争特派員」が掲載されることが決まった時、その前の号に載った次号予告より)

 また、同じく1917年にはこうも言っている。

《カミは“イン・ザ・ワールド”——世界でいちばん偉大なユーモア作家だ。カミの本はどれも巧みなユーモアにあふれた傑作である。悲壮かと思うと滑稽で、高尚かと思うと珍妙で、そのふたつの相反するものが作家の卓越した腕前で交互に配される。その結果、否応なく笑いが爆発するのだ。その笑いは、万国共通のものである。世界じゅうの人間が理解できるものだ。カミについて話すと、私はちょっと自分について話しているような気がしてくる》

 こうして、ふたりはお互いの才能を認めあい、いわば?相思相愛?の仲となったのであるが、実際に会うのは、1921年にチャップリンが、当時アメリカで大ヒット中の映画『キッド』を携えて、生まれ故郷のロンドンに凱旋、そのついでにフランスに立ち寄る時まで待たなければならない。ミッシェル・ラクロス著、『カミ』によると、その時の様子をカミはこう語っている。

《ある朝、《ジュールナル》紙を開いた時に、シャルロが前の日にパリに着いたことを知ったんだ。そして駅に着いて最初に言ったのが、「カミはどこだ?」という言葉だったことを……。また、私がいなくてびっくりして、悲しい思いをしているということも……。私はあわてて服を着替え、ホテル・クラリッジに向かったよ。シャルロがそこに宿をとっていたことはわかっていたからね。

 ホテルは新聞記者でごった返していた。と、秘書が出てきて、有無を言わさぬ調子で、「ムッシュー・カミ、おひとりだけお通しします」と言ったんだ。そこで、部屋に入ると、私たちはひしと抱きあい、だが、そのあとはお互いに相手の国の言葉ができないせいで、ずっと話せないでいた。ずっとね。そのあと、ホテルのレストランで一緒に昼食をとった時も……。すると——私は今でも、よく覚えているけれども——食事の間に、シャルロがテーブルを離れて、どこかに泣きにいったんだ。なにしろ、私に会うためにはるばる大西洋を渡ってきて、ようやく会えたと思ったら、今度は言葉の壁で話せなかったのだからね。それを思うと、悲しくなったんだろう》

 いっぽう、チャップリンは、帰国後に口述筆記させた旅行記、『私の素晴らしい訪問』 My wonderful visit(あるいは、『私の外国旅行』 My Trip Abroad 内容は同じもの)のなかで、ホテル・クラリッジでカミと初めて会った時のことを次のように語っている。

《新聞記者のひとりが、「パリをどう思いますか?」と訊いた。そこで、私は、「これまでの人生で、そんなにたくさんフランス人を知っているわけではない。私はカミに会いにきたんだ。ユーモアにあふれた絵を描く有名な挿絵家に……。私たちはもう何年も文通をしているのだ。カミは自分の描いた絵をたくさん送ってくれる。私のほうは自分が出た映画の写真を送る。そういった形でね。私たちは友だちで、だから、どうしても会わなければならないのだ」と……。

 すると、なんと、そこにカミがいたのだ。私はカミを見た。カミは私のほうに駆けてきた。私たちはにっこり笑って、お互いに相手の腕に飛びこんだ。

「カミ!」

「シャルロ!」

 私たちはお互いに感激の言葉を口にした。けれども、突然、何かが変だということに気づいた。カミは機関銃のような速さでフランス語を話している。だが、その意味はわからない。私は困ったことになったと思った。そこで、ふと思いついて、相手と同じように、機関銃のような速さで英語をしゃべってみることにした。すると、私たちはいつまでも同時に話をするだけで、どこにもたどりつけないことがわかった。これではどうすることもできない。私は試しに、ゆっくりと——できるだけ、ゆっくりと、英語で尋ねてみた。

「えいごがわかりますか?」

 その途端、私たちはふたりとも、会話をするのは絶望的だということに気づいた。私たちは言葉が通じないのだ。私たちは悲しかった。だが、このおかしな状況を笑うことにした。

 結局、何があっても、カミはカミなのだし、私はシャルロなのだ。だったら、言葉が通じなくても、一緒に楽しい時を過ごすことができる。だから、そうすることにした。私たちは夕食をとり、それから《フォリ・ベルジェール》にナイトショウを観にいった。パリは私が想像していたより、軽やかでもなければ、輝かしくもなかった》

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パリのどこかで。1921年。

チャップリン(左)、カミ(右)

 ふたりは1931年に、チャップリンが『街の灯』の成功をひっさげて、再びフランスを訪れた時にも一緒の時を過ごす。だが、そこで何か誤解が生じたらしい。ふたりの間はそれから疎遠になり、カミはそのことで深く傷ついた。また、チャップリンの映画にユーモアよりも哀愁が強く漂うようになり、チャップリンがいわば真面目な映画を撮るようになってくると、そういったチャップリンからは少し距離をとるようになる。そして、1950年には、チャップリンがこれから撮影する予定の映画【(注『ライムライト』】のなかで、悲しい道化師を演じて。観客を泣かせるつもりだと知ると、《フランス・イリュストラシオン》紙の7月1日号に、フランス民謡『月の光に』をもじりながら、チャップリンがまた喜劇に戻ってきてくれるよう願う詩を寄稿している。これがチャップリンに宛てた、カミの最後のメッセージになった。

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 落ちぶれた道化役者に扮し

 不滅の芸人

 チャップリンは悲しみのピエロに

 おお、観客は涙に泣き濡れるだろう!

 だが、悲しみはいらない

 我が友 シャルロよ 君は死ぬまで

 観客を笑わせてほしい 涙が出るほどに

 月の光のもとで 神の愛のために!

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 ということで、いかがでしたでしょうか? 今年(2014年)は、このあと『三銃士の息子』の本邦初訳、それから『名探偵ルーフォック・オルメス』の新訳と、カミの作品が続けて出版されます。また、第1回でお約束した「高野が持っているカミの原書の表紙の一挙公開」、「カミの生涯の紹介」も忘れたわけではありません。いつとはお約束できませんが、「初心者のためのカミ入門」第3回、第4回として必ずやりたいと思っています。しばらくお待ちくださいませ。

(2014年3月1日)

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