——好きさ好きさ好きさ、殺したいほど愛してる!

全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁

「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳

今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!

加藤:まもなく2月も終わり。少しずつ春の気配が、と言いたいところですが、この冬はずっと暖かかったし、そもそもそれどころじゃない。世間は新型コロナウィルスの話題でいっぱいです。楽しみにしていたマラソン大会は軒並み中止で、もうガッカリ。
 それにからんで、近頃よく聞くようになったのが「濃厚接触」。なんだかちょっとエロっぽいこの言葉の定義は、2メートル以内で30分以上の接触なんですってね。よかった、最近は家族の誰とも濃厚接触してない。猫だけだ、僕と濃厚接触してくれるのは、猫だけ……あ、おかしいな、パソコンの画面がぼやけてよく見えない……

 さて、杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』を順に取り上げる「必読!ミステリー塾」、今回のお題は、ナイジェル・ウィリアムズ『ウィンブルドンの毒殺魔』。1990年の作品です。

 ウィンブルドン在住のヘンリー・ファーは、日ごろの鬱憤が溜まり、ついに決意する。あの醜くて性格も最悪の妻エリナーを除かねばならぬ。そう思い立ち様々な方法を模索するうち「毒殺」と決めたヘンリーは、タリウムという無味無臭で痕跡も残らない毒薬があることを知る。大変な思いをして入手し、ネタを仕込むヘンリーだったが、なかなかエリナーは死なず、代わりに巻き添えをくった隣人たちがバタバタと死んでゆく。それはまるで、19世紀にウィンブルドン市民を震えあがらせた「ウィンブルドンの毒殺魔」の再来であった……。

 著者のナイジェル・ウィリアムズは1948年生まれのイギリス人。29歳の時に書いた最初の小説がサマセット・モーム賞(イギリスの30歳未満の若手作家を対象とした文学賞)を受賞し、華々しくデビューしたそうです。以後、軽妙かつブラックな作風で、イギリス「コミック・ノベル」の人気作家に。また、脚本家、劇作家としても多くの著名作品に参加しました。
 そんなナイジェル・ウィリアムズの小説家としての代表作といえば、本作『ウィンブルドンの毒殺魔』から始まる「ウィンブルドン3部作」。数ある彼の著作のなかで、邦訳されたのは早川書房から出たこの3冊のみのようです。

 ウィンブルドンはロンドンの郊外にある高級住宅街。まず頭に浮かぶのはテニスの「ウィンブルドン選手権」ですね。白い服を着たプレイヤーと緑の芝。でもこの話には、テニスはぜんぜん絡んできません。
 主人公のヘンリー・ファーは、郷土史研究が趣味の地味な40男。毒にも薬にもならない、犯罪で捕まったときには近所の誰もから「まさかあの人が」と言われるタイプの、一見どこにでもいる良き隣人です。
 そのヘンリーが妻のエリナーを殺そうと思い立ち、周到な下調べと準備ののち、ついに実行。でも、これがなかなかうまくいかない。方法を変えて何度か試みても、死ぬのは何の恨みもない隣人たち……。

 僕は一度もそう思ったことないけれど、世の既婚者は誰もが一度は伴侶を殺したいと思うらしいね。
 そういえば、畠山さんがまだ新婚ホヤホヤの頃、夫婦で名古屋に遊びに来て一緒に食事したっけ。旦那さんはメッチャ穏やかで、いい人という印象だったなあ。だから、お願いだから殺すときは毒殺はやめてあげて欲しい。苦しむのは可哀そうだし、そもそも難しいことも分かったし。あと、ちゃんとギリギリ不自然じゃない額の生命保険には入ってるよね?

 

畠山:あーーそうだったねぇ……(遠い目)。あの頃の加藤さんは、まだマラソンも読書会もやっていないただの呑んだくれで、しかも連れてきたハードボイルド愛好家仲間は、完璧なまでにスジモノのビジュアル。「保育士です」って言われてもネタとしか思えない。あれこそまさしく人選ミスのお手本でありました。彼らを前に動ずることもなく、一緒に葉巻を吸ってニコニコしていた我が夫氏のメンタルの強さよ。
『ウィンブルドンの毒殺魔』を読んで、あんなに胡散臭い友人を持つにもかかわらず、夫に一服盛られることなく今日にいたっているのは、なんと幸運なことかと、天に感謝したくなりました。

 加藤さんが紹介しているとおり、主人公ヘンリーの妻殺害計画は全然うまくいかないんですね。どんなにヘンリーが周到に立ち回ろうとも、妻エリナーの華麗なスルーぶりのほうが一枚上手。目的を遂げられないのに、なぜか「ウィンブルドンの毒殺魔」として盛大に他人を巻き込んでいる展開には、忍び笑いを禁じえません。特に、お葬式の参列者が漂白剤入りパンチ(!)を飲んで、嘔吐しながらバタバタと倒れていくシーン。不謹慎な笑いと、つられて込みあげてくるもらい〇〇の両方を堪えるのが辛かった(笑)

 舞台になったウィンブルドンの町にも興味がでました。ヘンリーはウィンブルドンを田舎扱いしていますが、ググってみると歴史ある閑静な住宅街といった雰囲気ですね。作中によくでてくる「ウィンブルドンコモン」は広大な公有地で、ゆっくり散策するにはもってこいのところのようです。クライマックスの舞台になる風車もこの中にあります。行ってみたいなぁ、風車併設のカフェできゃっきゃしながら、「毒殺魔」の話をしてみたいw
 そうそう、テニスを観に行く場合、会場の最寄りはウィンブルドン駅ではなく、お隣のサウスフィールズ駅なんですって。その昔、神田の古書街に行こうとしてJR神田駅に降り立った時のやっちまった感を思い出しました。お上りさんは気をつけて!

 ところで私は今回初めて「コミック・ノベル」というジャンルがあることを知りました。加藤さんは知ってた? ユーモア・ミステリーとは違う??

 

加藤:ドタバタで笑えるって部分がクローズアップされがちな本書ですが、実は全体としてはサスペンスフルで、ときにハラハラしながら手に汗握り、意外な展開も用意されていたりして、ストーリーもちゃんと楽しめるんですよね。
 精神的に追い詰められて思わずとってしまった行動を、あとで激しく後悔するなんてことは誰にだってあるはず。それが取り返しのつかない、例えば殺人だったらと思うと……読みながら我が身に置き換えて怖くなったり。
 しかし、なかなかヘンリーは捕まらない。それは、どう考えてもヘンリーには彼らを殺す動機がないからです。そりゃそうだ、事故だもん。作中にもある通り、毒殺というのは被害者の協力がなければ成立しない犯罪なのですね。
 もしかしてもしかしたら、このまま大人しくしてればバレないんじゃね?  死んだ隣人たちは気の毒だけど、自分が捕まっても生き返るわけじゃないし。って、そんなヘンリーの思考には意外とリアリティーを感じるというか、感情移入できてしまう。

 そんな本書は、畠山さんも書いているように「コミック・ノベル」というジャンルに分類されるようですね。「コミカルで漫画チックな話」くらいかなと思っていたら、ちょっと違うということを今回知りました。恥ずかしげもなく朝日新聞のネット記事(☞ こちら)を引用すると
「イギリス文学にはコミック・ノベルとよばれるジャンルがある。人を笑わすだけのユーモア小説ではない。腹をかかえて笑ったあとに、人間について深く考えさせる小説群だ」
 なのだそうです。なるほど、またひとつお利口になってしまった。確かにいろいろ考えさせられたよ。

 自分の才能が認められないことで世を拗ねるヘンリーが、同じ通りに住む近隣の住人全員にあだ名をつけてるところも、ポイント高かったですね。僕のお気に入りは向かいに住んでいる、自分の愛車が好きすぎて世の中の人全員この車を狙っていると思い込んでいる(とヘンリーが勝手に思ってる)「まだミツビシに傷はついていないか?」氏かな。
 それで思い出したけど、僕も小学校6年生のときにクラスの女子全員に歌を作ってあげたんだった。志村けん「東村山音頭」の替え歌で。この話ちょっと長いけど聞きたい?

 

畠山:遠慮しとく。奥様が手を下すより先に、同窓会で酒にタリウムを入れられるかもね。
 ヘンリーは料理にタリウムを混ぜようと、ウキウキしながら計画します。「海藻にちょっと振りかけたタリウム……一枚のチコリの葉を添えて出す、冷やしタリウム……田舎風タリウム……インゲン豆添えタリウム……」
 ここ読んで思ったんですけど、妻のためにこんなに料理を作れる夫って、最高じゃない? 子供のお迎えだって、お買い物だって、当たり前にしてくれるんですよ。エレナー、早よ気づけ、殺される前に気づけ、お宅のご主人は果報者よ、ちょっと冴えないくらいいいじゃない! とずっと心の中で呼びかけていました。

 実はヘンリーがエリナーを殺したいと思う理由も、殺人にまで発展するようなことじゃないんです。せいぜい容姿が醜い、情緒不安定で感じが悪い、一緒にいるとうんざり、いちいち冴えない夫だとバカにされるのにイライラ……えーっと、離婚すればいいのに。
 でもそうじゃない。
 来る日も来る日も、ものすごいエネルギーで妻を殺すことを考え続け、果てはあの性格の悪さゆえに誰かが先に彼女を殺してしまうかもしれない、いやそれだけは絶対許さん、いいか、どこのどいつであろうとも俺の女房に手を出すな! と内燃機関フル稼働のヘンリー。
 こ、これはひょっとして究極の愛の物語なのでは……!? と、ここまでがぶっ飛んだ第一部。

 第二部では、冴えないのに変な方向に熱い男ヘンリーが、妻殺しに失敗し続け、それなのにウィンブルドンの毒殺魔として勇名を馳せ(?)、これまた少々クセのあるラッシュ警部に付きまとわれるうちに、少しずつ人間的に変化していくのが興味深かったです。他者を思いやる気持ちが湧いてきたり、男性としての強さを取り戻しつつあるようでもあり、でも常に逮捕されるのではないかと怯えていて、強いのか弱いのか、捻くれてるのか優しいのか、理解できるようなできないような、いやいや人間ってこんな感じよね、いろんな面があるよねと深く頷きたくなる絶妙な匙加減の人間描写。そしていつの間にかヘンリー夫妻の幸せを願っている自分に気づくのです。
 しかもミステリーとしてちゃ~んとオチがつくのですよ! ここ大事! ぶっ飛びの第一部にしっかり伏線があったんですね。スッキリかつ納得。三部作の続きを読まねば!

 さて、毎日毎日新型肺炎の話題で少々気持ちが疲れてきていませんか? 各地の読書会の世話人さんも、読書会を開催すべきか否かお悩みのことと思います。早く終息するといいですね。とにもかくにも、予防と基礎体力の維持が大切。手洗いうがい、美味しいものを楽しく食べて、たっぷり寝て、おうちでゆっくりと積んでる本の山を崩すなんて過ごし方はいかがでしょうか。どうぞみなさまご自愛ください。

 

■勧進元・杉江松恋からひとこと

 誤解があるといけないので最初に訂正を。ナイジェル・ウィリアムズのいわゆる〈ウィンブルドン三部作〉は、舞台としてのウィンブルドンが共通しているというだけで、シリーズものではないのです。三部作の第二作、『彼らはSW19からやってきた』は、14歳のUFOを信じる少年が主人公でスピリチュアリズムなどを下敷きにした内容、最後のEast of Wimbledonが未訳で、これは未読ですが、仕事を得るために自分はムスリムだと男が嘘の申告をしたために起きるドタバタを描いたものです。もう一冊ウィリアムズには邦訳作品がありますが、その『毒殺魔の十二ヵ月』はヘンリーを主人公にした歳時記小説のような連作集で、当然ですが最後はクリスマス・ストーリーで終わります。邦訳作品はいずれもお薦め。ウィリアムズは1948年生まれですが健在で、小説だけではなく脚本も書いて精力的に活動しているようです。

 さて、本書を『マストリード』に選んだ理由は、優れたコミック・ノヴェルを一冊入れなければいけなかったからです。ミステリーにはさまざまな起源がありますが、そこから同じように生まれてきた、いとこのようなジャンルがあります。そうした源流の一つがピカレスクでしょう。悪者の文学と訳されることもありますが、社会によって悪と決めつけられる存在になってしまった者が、数奇な運命を辿りながらひとかどの地位に到達していくというのが基本形で、イベリア半島発祥だったものが英国にわたって様々な類型の小説を生んでいます。たとえばサッカレイ『虚栄の市』などはその代表例です。

 イギリスの長篇小説は、そうした複数の源流を呑み込み、大衆層まで含んだ多くの読者を獲得して成長していきました。その中で支持されたのがコミック・ノヴェルであり、くすくす笑えるような物語を書けることが一流作家の必要条件でありました。たとえばA・A・ミルンの作品群を想起してみれば、そのことは一目瞭然です。ミステリーは、そうしたコミック・ノヴェルも書くことが可能な作家たちによって、一度は試してみたい物語形式として認識されていた形跡があります。もともとは雑誌『パンチ』の常連作家だったアントニー・バークリーがミステリー創作に手を染めたのも、そうした流れだったでしょう。コミック・ノヴェルといってもすべてが軽い筆致で書かれているわけではなく、文学的な遊びを盛り込んでいるがために、必ずしも読みやすくはない作品が普通です。たとえばマイクル・イネス、グレアム・グリーンなど、晦渋と言われることもある作家のコミック・ノヴェルをいくつも思い出せます。

 このコミック・ノヴェル重視の小説観には、背景に英国のクラブ文化のような、ホモソーシャルの要素があることを否定できません。何人もの評論家が「クリスティーはユーモアのセンスがないから」と書いているのをお読みになったことがないでしょうか。言外にはクリスティーは女性だから、という含みが隠されているわけです。基本的に男性優位主義だった文壇の中で、紳士の嗜みとして育成されてきたのがコミック・ノヴェルの笑いの文化でした。小説家の諧謔精神が、昔ながらの男の笑いをどのように変質させていけるか、というところに現代小説の課題があると思うのですが、それはまた別の機会に。

 さて、次回はローレンス・ブロック『倒錯の舞踏』ですね。これまた楽しみにしております。

加藤 篁(かとう たかむら)

愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。twitterアカウントは @tkmr_kato

畠山志津佳(はたけやま しづか)

札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?)twitterアカウントは @shizuka_lat43N

 

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