書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 2月には日本全体が思わぬ大雪に見舞われました。寒い寒い1ヶ月でしたが、翻訳ミステリー界はホットな話題に包まれていましたよ。今月はどのような作品が挙げられておりますことか。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

北上次郎

『凍氷』ジェイムズ・トンプソン/高里ひろ訳

集英社文庫

 素晴らしい。それほど複雑な話ではないのにすべてが渾然一体となって進行するので、一気に読まされる。フィンランドの歴史を背景に、個性豊かな登場人物を操る作者の手腕が見事。ラーソン以降の北欧ミステリー界は、『湿地』『緑衣の女』のアーナルデュル・インドリダソンの一強時代が終わり、ジェイムズ・トンプソンとの二大横綱の時代に突入したと書いておく。

千街晶之

『逆さの骨』ジム・ケリー/玉木亨訳

創元推理文庫

 かつて第二次世界大戦の捕虜収容所があった場所で発見された白骨死体をめぐって、次々と明らかになる新たな事実。一見互いに関係なさそうな登場人物たちの秘められたつながりが判明するにつれて、事件の構図は二転三転する。新聞記者フィリップ・ドライデンを主人公とするシリーズの第三作である本書は、大戦中と現代にまたがる複雑な人間模様をじっくりと解きほぐしてゆく、読み応え充分の本格ミステリに仕上がっている。ドライデンと、植物状態から回復しつつある妻ローラの関係の描写にも要注目だ。

川出正樹

『逆さの骨』ジム・ケリー/玉木亨訳

創元推理文庫

 凄いな、ジム・ケリー。英国東部の沼沢地帯を舞台に、敏腕記者ドライデンが活躍する謎解きミステリのシリーズも本書で三作目だけれど、巻を重ねるにつれてどんどん上手くなっているじゃないか。

 古代遺跡発掘の最中に、第二次世界大戦中に運営されていた捕虜収容所跡地で、秘密裏に掘られていたトンネル内から、外ではなくて収容所のなかに向かって這い進んでいた白骨死体が発見される。この魅力的な謎と、過去になされた罪により現在の悲劇が引き起こされる、というデビュー作以来一貫したテーマ——今回は第二次世界大戦中の犯罪——とが密接にからみ合った滋味深く、よく練られた謎解きミステリだ。「海外には本格物の書き手がいなくて」とお嘆きのあなた。まずはジム・ケリーをお試しあれ。

吉野仁

『ジュリアン・ウェルズの葬られた秘密』トマス・H・クック/駒月雅子訳

ハヤカワ・ミステリ

 犯罪作家の自殺の謎をめぐり、地球をぐるりとまわって謎の女を探す物語。いまさらながら、語りのうまさを堪能したとともに、隠しテーマをめぐるさまざまな趣向、言及、パロディなどに惹きつけられ、一気読み。今回のクックはいい出来です。そのほかマーク・ヘンショウ『レッドセル —CIA特別分析室—』横山啓明訳(ハヤカワ文庫)は、カバーを見て軍事ものと思いきや、現代のスパイ小説としての目新しさを感じた。ややぎこちないところもあるけど、ジャンル読者は注目!

霜月蒼

『凍氷』ジェイムズ・トンプソン/高里ひろ訳

集英社文庫

 フィンランド警察の警部を主人公とするシリーズ第2作。第1作も悪くなかったが、2作目は段違いのすばらしさ。性倒錯の気配をただよわす惨殺事件と、自身の祖父も巻き込むナチ時代の戦争犯罪という2つの大事件を通じて、政治と警察の腐敗構造、暗い歴史の真実と伝説、といった大いなる主題に肉薄する。この2つをつなぐプロット上の工夫も見事だが、2つの主題を「人間の獣性」で結びあわせる重層性が、「ああ、いいクライム・フィクションを読んだ」という重たい感慨をもたらすのだ。そんなヘヴィ級の読み心地なのに短いのも手柄で、ボクサーのように筋肉質な仕上がりが美しい。それを実現しているのが、「俺」一人称のクールでファストでシャープな語り口なのである。

 銃器マニアなオタク刑事や硬骨の爺さんなど脇役も光る。近頃の重厚だが体脂肪率高めのミステリに食傷気味の方は是非お読みになるとよろしい。次作が大いに待ち遠しいシリーズになった。

酒井貞道

『陪審員に死を』キャロル・オコンネル/務台夏子訳

創元推理文庫

 マロリー・シリーズ最新刊である本作は、事件の全体像が把握しづらい。訳者あとがき一行目を先に読まない限り、読者は最初のうち、何がどうなっているのかよくわからないだろう。だがそこで諦めず、粘り強く読んでいくと——そこに顕現するのは、シリーズ史上最もド派手な大事件と、ライカーの感動的な心意気、そしてジョアンナ・アポロの健気で切ない覚悟である。錯綜するプロットの果てに訪れるものは何なのか。シリーズ史上初めて主役の座を退き、最重要な脇役になったマロリーは、この事件でどのような役割を果たすのか。読み応えたっぷりの、新たなオコンネルの傑作である。

杉江松恋

『遁走状態』ブライアン・エヴンソン/柴田元幸訳

新潮社

『もっと厭な物語』(文春文庫)と迷って、結局こっちに。最初から、今月は短篇集を上げよう! と思っていたのだけど、ぎりぎりで読んだこのエヴンソンがたまらない魅力に溢れていたのである。全編が悪夢を描いた作品集と言っていい内容で、とにかく語り口が素晴らしい。たとえば「追われて」という短篇はこういう風に始まるのである。「もう何日か、私は二番目の元妻に追われている気がしている。はじめ、追っているのは三番目の元妻だと思ったし、もしかしたら一時期は二人が協同していたとも考えられ、ことによるといまもそうしているのかもしれない」−−どうですか、これ。語り手はこう続ける。「人は問うかもしれない。私の一番目の元妻はどうなったのか?」! うっひゃー、なんですかこの魅惑的な発端は。「追われて」は元妻たちの影に脅えながらひたすら逃げ続ける男の物語だが、自身の姿を消すことに躍起となる主人公の語りはやがて読者をとんでもない境地に連れて行くのである。やめて! 連れて行かないで!

 この他、元モルモン教徒だったがコミュニティから追放されたという作者の過去を反映したような終末譚「さまよう」など、奇怪な物語がなんと19篇。これは読むしかないでしょう。夢見るぞ!(赤星昇一郎)

 イギリスやフィンランドなど、ヨーロッパ在住作家の作品が多く刊行された月でした。サスペンスの豊作月だったということもできるでしょう。お気に入りの一冊をここから探してみてください。また来月お会いしましょう。(杉)

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧