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J・D・サリンジャー略年譜

※ケネス・スラウェンスキー『サリンジャー 生涯91年の真実』(晶文社)を参考にしました。

1919年1月1日 ジェローム・デイヴィッド・サリンジャー誕生。父ソロモン・サリンジャー(ユダヤ系。オハイオ州クリーヴランド出身)、母ミリアム(旧名マリー・リジック。アイオワ州アトランティック出身)。

1930年(11歳) メイン州キャンプ・ウィグワムに参加。輝かしい記憶となる。

1934年(15歳) 成績不良でマクバーニー校を退学、ペンシルヴァニア州のヴァレーフォージ軍学校に転校。

1937年(18歳) ニューヨーク大学退学。父の仕事の勉強のためオーストリアのウィーン、ポーランドを歴訪。ユダヤ人家族と親しくなる。

1939年(20歳) コロンビア大学入学。ウィット・バーネット教授から影響を受ける。

1940年(21歳) デビュー作「若者たち」発表。ドロシー・オールディングとエージェント契約を結ぶ。

1941年(22歳) カリブ海巡航船で娯楽スタッフとして働く(軍隊以外では唯一の就職)。ユージン・オニールの娘ウーナと交際を開始する。徴兵検査不合格。

1942年(23歳) 入隊。

1943年(24歳) 破局したウーナがチャールズ・チャップリンと結婚。

1944年(25歳) 渡欧。防諜部員として第4歩平師団第12歩兵連隊に所属。タイガー作戦、ノルマンディ上陸作戦、ヒュルトゲンの森の戦いなど連合軍の激戦に居合わせる。

1945年(26歳) ダッハウなどの強制収容所の惨状を目撃。親しかったユダヤ人家族の死を知る。ドイツ人女性医師ジルヴィア(シルヴィア)・ルイゼ・ヴェルターに偽のフランス人パスポートを発行し、結婚。

1946年(27歳) シルヴィアを伴って帰国するも年内に離婚。短篇集『若者たち』の刊行座礁が遠因でバーネットと絶交する。

1948年(29歳) 「バナナフィッシュにうってつけの日」が好評。ニューヨーカーと第一査読契約を締結。

1949年(30歳) 映画『愚かなり我が心』公開。

1950年(31歳) 16歳のクレア・ダグラスと知り合う。

1951年(32歳) 『ライ麦畑でつかまえて』刊行。ラーマ・クリシュナ・ヴィヴェーカーナンダ・センターに通い始める。

1953年(34歳) ニューハンプシャー州コーニッシュに転居。11月に16歳の高校生シャーリー・ブラニーに受けたインタビューが地元紙に掲載され、地域住民と断絶する。ラドクリフ女子大生となっていたクレア・ダグラスと交際を始めるも破局。

1955年(36歳) クレア・ダグラスと結婚。長女マーガレット・アン誕生。

1960年(41歳) 長男マシュー・ロバート誕生。

1967年(48歳) クレアと離婚。

1968年(49歳) イェール大学1年生のジョイス・メイナードと同棲。

1986年(65歳) イアン・ハミルトンの伝記に対し私信引用の差し止めを要請する告訴。

2010年(91歳) 1月27日、死去。

【評伝・回顧録など】

ウォーレン・フレンチ『サリンジャー研究』(1963年。荒地出版社)

イアン・ハミルトン『サリンジャーをつかまえて』(1988年。文春文庫)

ジョイス・メイナード『ライ麦畑の迷路を抜けて』(1998年。東京創元社)

ポール・アレクサンダー『サリンジャーを追いかけて』(1999年。DHC)

マーガレット・A・サリンジャー『我が父サリンジャー』(2000年。新潮社)

ケネス・スラウェンスキー『サリンジャー 生涯91年の真実』ケネス・スラウェンスキー(晶文社)