書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 消費税もついに8%に引き上げられました。在庫調整を狙ったものか、3月は刊行点数がそれほど多くなかったような気がします。しかし、その中にもやはりキラリと光る作品が。さあ、今月も七福神の選んだ作品をお届けします。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

千街晶之

『養鶏場の殺人/火口箱』ミネット・ウォルターズ/成川裕子訳

創元推理文庫

 ウォルターズ初の中篇集。実際に起きた殺人事件をもとにした「養鶏場の殺人」の、被害者の病んだ性格の描写も強烈に印象に残るけれども、何といっても「火口箱」の長篇並みの濃密さに圧倒された。話題作『遮断地区』とも共通する偏見と自警団意識の暴走、二転三転する容疑者、そして意外にしてやりきれない真相。ウォルターズの精髄がこの中篇に詰まっている。なお三月の翻訳ミステリには、ブレイク・クラウチ『パインズ—美しい地獄—』やジョー・バニスター『摩天楼の密室』のような、年間ベストではなかなか選ばれにくいB級の面白さを具えた佳作が目立ったことも記しておきたい。

川出正樹

『養鶏場の殺人/火口箱』ミネット・ウォルターズ/成川裕子訳

創元推理文庫

 1920年代の英国で実際に起きた事件に対するウォルターズ流の解釈を呈示した「養鶏場の殺人」と、小規模なコミュニティ内に蔓延する偏見とディスコミュニケーションが犯罪の誘因となる「火口箱」。

 マイノリティに対する蔑視と疎外、正義の不履行、家族やコミュニティの機能不全といった、ウォルターズ作品に共通するテーマが凝縮された中篇二本を収めた本書は、〈英国犯罪小説界の女王〉の実力と面白さを気軽に愉しむのにうってつけの上質なお試しパックだ。これは企画の勝利だね。緻密に練られたWhat done itを、ぜひ堪能してみて欲しい。

北上次郎

『パインズ —美しい地獄—』ブレイク・クラウチ/東野さやか訳

ハヤカワ文庫NV

 当欄の対象外かなという気がしないでもないが、どうして対象外なのかを書くとネタばらしになるので出来ない。次々に不思議なことが起きて、そのすべてが同時に成立するためには、まさかの夢オチ、あとは何があるかなと思っていたら、意表をつく展開でびっくり。しかしいちばんの驚きはこれが3部作の第1部で、続きがあること。どうやったら続くのか!

吉野仁

『パインズ —美しい地獄—』ブレイク・クラウチ/東野さやか訳

ハヤカワ文庫NV

 はじめはよくある記憶喪失ものか、と思って読んでいくと、さらに不条理な迷宮をさまようスリラーへと転じていく。怪しげな町をめぐる奇想天外な物語。頭をからっぽにし、語りに身をまかせてページをめくっていくと、より楽しめるタイプのサスペンスだろう。第二作が待ち遠しい!

霜月蒼

『帝国のベッドルーム』ブレット・イーストン・エリス/菅野楽章訳

河出書房新社

 80年代に無軌道なインモラル青春を送っていた男が、社会的地位と自分のカネを手にし、中年となってLAに帰ってくれば、インモラルさと陰惨さを増したメトロポリスの闇を覗きこむことに……薄っぺらい快楽原則、薄っぺらい残虐カルチャー、薄っぺらいショービズ、そして薄っぺらい80年代の気分からまるで成長してない薄っぺらい人間たち。たとえ薄っぺらくても、ここにあるのはネオンがギラギラ彩る地獄には違いないし、だからこそ、この地獄は東京と

地続きの地獄として、僕たちの心をかき乱す。黒い神経症を引き起こす。

 エルロイの描いた40-60年代のLAと、エリスの80-00年代のLAはきれいにつながっている。コーマック・マッカーシーの『悪の法則』のメキシコも地平線の向こうで黒いヴァイブスを放つ。これはギラギラ輝く底無しのノワールなのである。

酒井貞道

『養鶏場の殺人/火口箱』ミネット・ウォルターズ/成川裕子訳

創元推理文庫

 アイザック・アダムスン『コンプリケーション』と悩んだが、結局、ウォルターズの中篇集をチョイスした。「養鶏場の殺人」では、ウォルターズの作風を特徴づける《何が真実だったのか曖昧》という書き方が、実話ベースの物語としっかり噛み合っている。関係者の人物像を克明に描き出しつつ、実話特有(=現実特有)の割り切れなさをもしっかりと作品に刻印していて素晴らしい。そして「火口箱」は、伏線の張り方が見事な本格ミステリ(非ガジェット型)であり、地域社会の歪みを中心軸に据え、読み心地面でも実にウォルターズらしい作品に仕上がっている。ご近所の噂話が物語の最前面に露出しているため、まるで『遮断地区』への導線であるかのような風情があるのもファンには興味深いところであろう。

 なお今月は、リンウッド・バークレイ『救いようがない』が惜しい作品だった。主人公の性格と物語展開がユーモラスでなかなか面白いのだが、長過ぎて、若干間延び気味。もうちょっと締まってたらなあ。

杉江松恋

『養鶏場の殺人/火口箱』ミネット・ウォルターズ/成川裕子訳

創元推理文庫

 脱帽、という感じで今月はこれを選ばざるをえない。たぶん他の方も書いていることと思うが、特筆すべきは「火口箱」だ。ミネット・ウォルターズには二つの美しい特徴がある。一つは、すべての登場人物が最初は仮面をつけて読者の前に姿を現すということ。仮面を少しずつ外していくのであるが、その「じらし」に悶絶させられる。もう一つは、その場所がまるで世界の底であるかのように、他にどこにも行けない最果ての地のように舞台を描くこと。これによって外界から隔絶された地であるかのような錯覚が芽生え、読者は物語に集中させられるのである。中篇ながら、この二つの特質が実に効果的に用いられているのである。お手本のような中篇だ。本当に素晴らしい。

 いよいよ来週には第5回翻訳ミステリー大賞が発表されます。授賞式に先立って七福神による座談会も予定されておりますので、どうぞお楽しみに。それではまた、来月お会いしましょう。(杉)

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧