このところ、クラシック・ミステリの刊行ペースが上がってきており、まるで、ミステリの地下迷宮から続々と「珠」が放たれるような状態になってきている。今回は、いつもの倍のスペースをいただき、最近、「論創ミステリ」として刊行された三つの長編と、二つの短編集をご紹介する。

 いずれも、個性・味わい豊かなカードで、クラシック戦線のますますの盛り上がりを予感させるフルハウスというところ。

 一番手は、フィリップ・マクドナルド『狂った殺人』(1931)。マクドナルドといえば、ひところはマニア人気が高く、『鑢(やすり)』『Xに対する逮捕状』など趣向を凝らしたミステリで知られる。本作は、かねてから邦訳が待望されていた無差別連続殺人(リッパー)物。カーがそのエッセイ「地上最高のゲーム」で、傑作長編探偵小説十作の一つとしたことでも知られている(後に、『鑢』に変更されている)。

 舞台は、閑静な田園都市。最初に、11歳の少年が腹部を切り裂かれ殺害され、続いて、若い女性が、さらに、映画館の女従業員が毒牙にかかる。“ザ・ブッチャー”を名乗る犯人からの警察を手玉にとるような犯行声明と予告が相次ぎ、住民は恐怖のどん底に叩き込まれる。

 『鑢』等に登場するシリーズ・キャラクターのゲスリン大佐は不在であり、捜査に当たるのは傍役的存在であったロンドン警視庁のパイク警視。

 同時代のリッパー物としては、クリスティ『ABC殺人事件』、ヴァン・ダイン『僧正殺人事件』等が代表的なものだが、本作は、ミッシングリンク探求のゲーム性よりも、次々と凶行を重ねる犯人と翻弄される捜査側の攻防が読みどころ。

町の人々の恐怖、互いに監視しあう猜疑心、さらには警察批判の暴徒と化す住民たちのパニックがヴィヴィッドに描かれており、前評判どおり、ニューヨークの連続殺人鬼を扱ったクイーン『九尾の猫』を思わせるところもある。

 パイク警部は地元の警察と軋轢の中で、町の住民が犯人と早い段階で推測するが、5000人の住民の中から、いかに犯人を絞り込んでいくかが捜査の焦点となる。追い込まれた捜査陣が打つ奇策は、後にハリウッドに転じた著者の経歴からも興味深いものだ。

 犯人からの手紙、新聞記事、報告書など多様なナラティヴを駆使しながら、場面転換が手際よく、全体のテンポがいい。説明不足のところもあるが、緊張感は終幕まで途切れない。

 本書の成功の一因は、開発された田園都市という、当時としては人工的な小世界に限定したところにもあると思われる。連続殺人という強烈な毒がスモールタウンにもたらす恐慌を街の住民たちを俯瞰するような趣向で描こうとした試みは先駆的というにとどまらず、今日でも、十分に読みごたえがある。

 フレドリック・ブラウンの長編ミステリとしては、本邦で40年ぶりの新刊になるという『ディープ・エンド』(1952)は、映画でいえば、上映時間90分、キリリと引き締まった秀作だ。作者の代表シリーズ、エド・ハンター物以外の長編で、唯一の未訳作だったというのが不思議なくらい。

 遊園地のジェットコースターに高校生がひき殺される。明らかな事故と判断されたが、主人公の新聞記者サム・エヴァンスが生徒の周辺の調査を始めると、生徒が通っていた高校で不可解な死が頻発していることが判明してくる。一方で、サムは、私生活では、妻との不和を抱えており、調査の協力者である、高校時代の恋人との恋愛関係に陥る……。

 過去の探索が、次第に明らかにしていく事件の大きな構図。サムの私生活を描いた部分が添え物ではなく、微妙に事件ともクロスしていく辺りの描き方は、巧みというほかない。物語の進行に連れて、タイトルが暗示するように、人の心の深い淵を覗きこむような、ヒンヤリとした二重のショックがもたらされる。高校を舞台にした特異な学園ミステリとしても、特筆されるべきだろう。 

 犯人像の設定も、後年の同種作によく見られるありきたりなものではなく、今なお鮮度を保っている。ある種SF的想像力によって生まれた悪意であるところが、SFの大家でもあったこの作家らしい。軽快な運びにもかかわらず、深い余韻を残す作品だ。

 170頁の小品ながら、こんな珍品まで翻訳が出るのかと驚いたのが、アール・ノーマン『ロッポンギで殺されて』(1967)。本書は、都筑道夫がそのエッセイで何度か触れ、都筑の初期の代表作『三重露出』の執筆をインスパイアした Kill Me〜 シリーズの一作。

 このシリーズは、 Kill Me in TokyoKill Me in Atami などという原題からも分かるように、日本を舞台とし、アメリカ人探偵バーンズ・バニオンが活躍するハードボイルドシリーズ。日本を舞台にした海外ミステリシリーズの最も初期に属するものだろう。初翻訳となった本作は、なぜか第9作目、シリーズ最終作である。

 そのテイストは、軟派探偵シェル・スコット物(リチャード・S・プラザー)や、アル・ウィラー物(カーター・ブラウン)といった軽ハードボイルドの方向性をさらに過激にしたようなもの。

 奇妙な新聞広告の主をつきとめるよう米人から依頼を受けたバニオンだったが、待ち受けていたのは謎の襲撃と美女たち。事件には大きな陰謀が絡んでいるようだ……。

 サッポロ・ビールの大瓶で頭を割られる冒頭から、早稲田大学でシェークスピアを学んだという狂犬ヤクザの登場、ゴージャスな和式のラブホテルなど、日本人ならムズムズするような描写に事欠かない。バニオンの武器である空手アクションやベッドシーンもふんだんに盛り込まれている。プロットはかなりいい加減なものだが、当時の社会状況を踏まえた陰謀の設定は意外にしっかり。

 日本駐留の米軍兵士のための観光小説というのがこのシリーズの実相らしいが、日本の風俗をはじめ数々のデフォルメがほどこされているのが、特有の面白さを生んでいるのは間違いない。

 悪の組織の手に落ちたバニオンが手術台に縛りつけられ、組織幹部がバニオンの腹をメスで切り裂いて○×ゲームをするところなんかは、ほとんどギャグ漫画。

 秀作や佳作というものではないが、60年代を確かに呼吸するヒップな作で、読めば誰かに語りたくなることは請け合い。シリーズ第7作 Kill Me on the Ginza の概要を何回にも分けて紹介した都筑道夫の気持ちもわかろうというものだ(都筑の紹介「このあいだのツヅキです」(抄)は、光文社文庫版『三重露出』に収録)。

 作者のアール・ノーマンは、元俳優で米軍基地の娯楽監督官として30年以上の日本滞在経験があるという。映画『黒船』では、本名ノーマン・トムソンとしてジョン・ウェインとも共演している。

 また、IMDbによれば、あのサイテー映画監督エド・ウッドが脚本を書いたマッド・サイエンティスト映画をプロデュース・監督するなど、不思議な経歴の持ち主だ。 

『自分の同類を愛した男』(風濤社)は、英国モダニズム短編集の副題が添えられている。「20世紀英国モダニズム小説集成」の第2弾で、大戦間期を中心に選ばれた9作家15編の短編アンソロジー。

 H・G・ウェルズ、サキ、ゴールズワージーらに加えて、R・オースティン・フリーマン、G・K・チェスタトン、ドロシー・L・セイヤーズ、マージェリー・アリンガムといったミステリファンにはおなじみの作家の初紹介作が採られているので、見逃せない。

 フリーマンのソーンダイク博士物「人類学講座」は、強盗現場に残された帽子から犯人像を割り出す話で、極東の島国の読者にとってもある種の感興をそそる内容だ。セイヤーズのセールスマン探偵モンタギュー・エッグ物「一人だけ多すぎる」は列車からの人間消失、アリンガムのキャンピオン物「家屋敷にご用心」は消えた家屋、というトリッキーな謎を扱いつつ、いずれも語りの洗練も感じさせる佳篇。

 一次大戦の影響や主知主義的傾向など本書の解説で「モダニズム」の特徴が列挙されているが、純文学、ミステリを問わず、幾つもの共通・共振するような傾向が見えてくるのも、本短編集の異例な作品配置ゆえ。サキの短編「捜す」の鋭利な刃物のような風刺と毒、ヴァージニア・ウルフ「遺産」(本作はミステリと断じてもいい)の語りの技巧が、ジャンル・フィクションであるミステリと陸続きになっていることを目の当たりする楽しみも味わえる。

 このモダニズム小説集成は、純文学、大衆小説の垣根なく未訳を中心に発掘していく予定というから、クラシック・ミステリにも新たな光を当てる試みとして、今後も注目したい。

 最後は、創刊700号記念アンソロジー『ミステリマガジン700【海外編】』(杉江松恋・編)。日本版EQMM〜ハヤカワ・ミステリマガジンの58年間に及ぶ歴史の中から精選された作品集である。過去に同様の試みは、『37の短編』(世界ミステリ全集18)などでもなされているが、本書は、我が国で刊行された個人短編集やアンソロジーに採られていない単行本未収録作品を採用するというコンセプトで編まれている。

 未収録作のみといえども、ビッグネームによる秀作・佳作がずらりと並んでいるのは、さすがに歴史と伝統の重みを感じさせる。ジャンルも、本格ミステリから、サスペンス、奇妙の味、閃光の人生を垣間見させるショート・ショートまでと幅広い。

 筆者のベスト3は、アームストロング「アリバイさがし」、フレドリック・ブラウン「終列車」、ハイスミス「憎悪の殺人」だが、読者の好みによりどれが選ばれても不思議ではないと思う。

往年のファンは、誌面で海外ミステリ短編が妍(けん)を競った、あの頃を思い浮かべることだろう。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)

20130314093021_m.gif

 ミステリ読者。北海道在住。

 ツイッターアカウントは @stranglenarita

【毎月更新】クラシック・ミステリ玉手箱 バックナンバー