昨年に続いて、筆者のサイト内に「非英語圏ミステリ2014年の邦訳出版一覧」を作成しました。どうぞご利用ください。

◆各国のミステリー創作の先駆者たち

 世界のミステリー賞では多くの場合、その国や地域のミステリー創作の先駆者や、代表的なミステリー作家の名が賞の名前にもなっている。たとえばアメリカにはエドガー賞があり(もちろんエドガー・アラン・ポーのこと)、日本には江戸川乱歩賞横溝正史ミステリ大賞鮎川哲也賞などがある。ドイツ語圏には、スイス人作家フリードリヒ・グラウザー(1896-1938)の名を冠したフリードリヒ・グラウザー賞があり、イタリアには、「イタリア国産ミステリーの父」、「イタリアン・ノワールの父」などと呼ばれるジョルジョ・シェルバネンコ(1911-1969)の名を冠したシェルバネンコ・ミステリー大賞がある。どちらも年間最優秀作に贈られる賞である(シェルバネンコの代表作のひとつ、『傷ついた女神』は《論創海外ミステリ》で近刊)。

 デンマークにはパレ・ローゼンクランツ(Palle Rosenkrantz、1867-1941)の名を冠したパレ・ローゼンクランツ賞、ノルウェーにはステイン・リヴァートン(Stein Riverton、1884-1934)の名を冠したリヴァートン賞、フィンランドにはリクハルド・ホルナンリンナ(Rikhard Hornanlinna、1889-1957)の名を冠したホルナンリンナ名誉賞、チェコにはエドゥアルト・フィッケル(Eduard Fiker、1902-1961)の名を冠したエドゥアルト・フィッケル賞がある。この4人は日本での知名度は皆無に近いが、それぞれの国のミステリー創作の先駆者である。日本では近年、非英語圏ミステリーの邦訳数が増えてきているように思うが、その波に乗って、ぜひともこれらの作家による各国の古典ミステリーも邦訳されてほしいものである。

 上記の作家のうち、ノルウェーのステイン・リヴァートン(スヴェン・エルヴェスタ)については先月紹介した加瀬義雄氏の『失われたミステリ史 増補版』(盛林堂ミステリアス文庫、2014年5月)に詳しい紹介がある。なお、ここで1つ訂正がある。先月この本について、メインで扱われているのは北欧とイタリアだと書いたのだが、実際に書籍を入手してみるとドイツ語圏にもかなりの分量が割かれていた。ドイツ語圏の古典ミステリーに興味のある方も是非ともお買い求めください。本当に、たくさんの貴重な情報が詰まった空前絶後のミステリー研究・評論書ですので。

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◆韓国推理小説の父、キム・ネソン(金来成)

 韓国ではキム・ネソン(金来成、1909-1957)という作家が「韓国推理小説の父」と呼ばれており、やはり賞の名前になっている。本当は韓国人名は漢字表記にして毎回ルビを振りたいのだが、あまり見た目が綺麗にならなそうなので、今回の記事中では名前はカタカナ表記にしておく。

 キム・ネソンの名を冠したキム・ネソン推理文学賞については後回しにして、まずはキム・ネソンが何者なのかを紹介しよう。キム・ネソンは実は、最初は日本で探偵作家デビューしている。1909年に平壌にほど近い村で生まれた彼は、地元の学校で学んだのち、1925年に平壌高等普通学校に進学する。当時この学校ではのちに英米文学翻訳家となる龍口直太郎(たつのくち なおたろう)が英語教師をしており、キム・ネソンはその授業でコナン・ドイルエドガー・アラン・ポー、そして江戸川乱歩のことを知り、彼らの作品に心酔し、探偵小説を濫読するようになる。そして同校を卒業後に東京に留学し、早稲田大学在学中の1935年、日本の探偵雑誌『ぷろふいる』で探偵作家デビューしたのである。

 キム・ネソンは翌1936年に早稲田大学を卒業して朝鮮半島に帰り、1937年に韓国語の探偵小説で再デビュー。以来、朝鮮半島初の探偵小説専門作家として活躍した。その活躍ぶりは「韓国の江戸川乱歩」と形容されることもある。なお、高等普通学校時代から乱歩に心酔していたキム・ネソンは、東京留学時代に何度か池袋の江戸川乱歩邸を訪れて乱歩本人と対面も果たしており、その後乱歩と文通したりもしている。

 キム・ネソンが韓国語で発表した作品のうち、短編探偵小説「霧魔」と、コナン・ドイルの「まだらの紐」を翻案した短編「深夜の恐怖」は筆者のサイトで翻訳公開している。

 今月(2014年6月)末には、キム・ネソンの日本語作品を集めた『金来成探偵小説選』が論創社の《論創ミステリ叢書》第76巻として刊行される。これには、キム・ネソンが日本語で執筆した長編探偵小説『思想の薔薇』が日→韓→日の重訳(?)で収録されている。『思想の薔薇』は1936年ごろに日本語で執筆された作品だが、日本で発表される機会がなかった、いわば幻の日本語長編探偵小説である。執筆からおよそ20年後の1950年代半ばに、キム・ネソンは自分でこれを韓国語に翻訳して発表した。それを韓国語翻訳家の祖田律男氏が再度日本語に翻訳したものが、『金来成探偵小説選』に収録されている。これにより、戦前の幻の日本語長編探偵小説が約80年の時を経て(そして2度の翻訳を経て)、ついに日本でも日の目を見ることととなったのである。この本の巻末の解題は筆者が担当した。

 また来月末には、キム・ネソンが韓国語で執筆した長編探偵小説『魔人』も《論創海外ミステリ》の1冊として刊行される予定である。

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『思想の薔薇』原書(1964年版)

【2014年7月1日追加↓】

【2014年7月31日追加↓】

 少々脱線するが、台湾にも日本語で探偵小説を書いた作家がいる。葉歩月(よう ほげつ、1907-1968)という作家である。『日本統治期台湾文学集成19 葉歩月作品集一』(緑蔭書房、2003)でその中編探偵小説「白昼の殺人」(1946)と、中編SF小説「長生不老」(1946)を読むことができる。

◆キム・ネソン推理文学賞(1990〜1992年)

 1980年代末、ベストセラーを連発して当時を代表するミステリー作家となっていたキム・ソンジョン(金聖鍾、1941- )が、韓国初の推理小説専門誌『季刊推理文学』を創刊し、公募の新人賞であるキム・ネソン推理文学賞(金来成推理文学賞)を立ち上げた。長編推理小説を募集するもので、日本の江戸川乱歩賞に相当する賞といえるが、資金難のために雑誌は第10号(1991年秋号)を最後に休刊となり、賞も3回で終了している。受賞作の邦訳はないが、『コリアン・ミステリ 韓国推理小説傑作選』(祖田律男ほか訳、バベル・プレス、2002)では第2回(1991年)受賞者のイ・スンヨン(李勝寧)と第3回(1992年)受賞者のイム・サラ(林紗羅)の短編を読むことができる。

 キム・ネソンは「韓国の江戸川乱歩」と形容されることがあると先ほど書いたが、キム・ネソン推理文学賞を立ち上げたキム・ソンジョンの方は「韓国の松本清張」と形容されることがある。いくつか邦訳があるが、2009年に論創社から刊行された長編ミステリー『最後の証人』(祖田律男訳)が特にお薦めである。この作品はキム・ソンジョンの最初の長編ミステリーであり、彼の代表作とみなされている。

◆韓国推理作家協会 韓国推理文学賞(1985年〜)

 キム・ネソンは戦後、江戸川乱歩や九鬼紫郎(『ぷろふいる』編集長、探偵作家)と文通しており、その手紙のなかで、日本推理作家協会(当時は「探偵作家クラブ」)の様子を見学したり、旧友と会ったりするために来日することを希望していた。もしかしたらキム・ネソンは、日本の推理作家団体を参考にして韓国にも推理作家団体を作りたいと考えていたのかもしれない。しかし来日の願いが叶えられないまま、キム・ネソンは1957年にこの世を去った。師と仰いだ15歳年上の江戸川乱歩よりも早い死だった。

 キム・ネソン死去の15年後の1972年、韓国でミステリー愛好家の英文学者らが中心となって韓国ミステリークラブが結成され、その後、それを母体として1983年に韓国推理作家協会が設立された。

 韓国推理作家協会は1985年から韓国推理文学賞を授与している。日本の日本推理作家協会賞に当たるものである。年間最優秀の長編や短編集に贈られる大賞(韓国推理文学大賞)、新人の最優秀作に贈られる新鋭賞が当初からあり、2007年からは新たに最優秀短編賞である黄金ペン賞も授与されるようになった。

 韓国では先に言及した「韓国の松本清張」、キム・ソンジョンらの活躍により1980年ごろから国産ミステリーのブームが起きており、その活況は1990年代前半まで続いた。しかし1990年代後半から、アジア通貨危機(1997年)などによる出版不況で韓国ではミステリーの出版数が激減する。そのため2000年以降、韓国推理文学賞は該当作なしになることが多かった。2008年ごろから国産ミステリーの出版点数は少しずつ回復しており、ここ数年はまた受賞作も選出されるようになってきている。1985年から2013年までの29年間で、大賞受賞作は16作品、新鋭賞受賞作は19作品である。うち、日本語に訳されているものは1作もない。短編賞の黄金ペン賞の受賞作も、邦訳されているものはない。

 大賞受賞者のうち、第2回(1986年)受賞者のキム・ソンジョン(金聖鍾)は先ほども書いたように『最後の証人』など邦訳がいくつかある。また、第10回(1994年)受賞者のイ・スグァン(李秀光)は2004年にハヤカワ文庫NVで長編実録小説『シルミド 裏切りの実尾島』(米津篤八訳)が出ており、『ミステリマガジン』2000年10月号(特集:コリアン・ミステリ・ナウ)にも短編が掲載されている。(「シルミド」は「実尾島」の韓国語読み)

 第5回(1989年)の新鋭賞受賞者であるキム・サンホンはハヤカワ文庫NVで歴史小説『チャングム』(全3巻、米津篤八訳)が訳されている。チャングムは歴史上の実在の人物で、ドラマ『宮廷女官チャングムの誓い』などでも知られる。同じ人物を主人公にしているが、キム・サンホンの小説はこのドラマとは別物であり、原作とそのドラマ版、ドラマとそのノベライズ版、というような関係ではない。第13回(1997年)新鋭賞受賞者のファン・セヨン(黄世鳶)は2004年に扶桑社ミステリーで『第二次朝鮮戦争勃発の日 D-DAY』(米津篤八訳)が刊行されており、『ミステリマガジン』2000年10月号にも短編が掲載されている。この作家は2011年の黄金ペン賞も受賞している。

 日本推理作家協会韓国推理作家協会は1990年代前半に交流事業を行っている。1990年8月に韓国推理作家協会の代表団が来日し、日本側が歓迎夕食会を主催した。このときの日本側の参加者は生島治郎、阿刀田高、麗羅、豊田有恒、井沢元彦、新津きよみ、大沢在昌ら。韓国からの参加者にはキム・ソンジョンらがいた。

 1992年6月には日本推理作家協会の代表団が韓国を訪れ、プサン(釜山)の推理文学館での交流会に参加した。このときの日本からの参加者は、生島治郎、山村正夫、豊田有恒、麗羅、大沢在昌、西木正明。

 1993年5月には韓国推理作家協会の代表団が再度来日。ただ、この後は日韓の推理作家協会の交流は途絶えてしまったようだ。

 プサンの推理文学館公式サイト)はキム・ソンジョンが私費を投じて1992年に開設した推理小説図書館である。プサン市公式ブログの「謎を解け、推理文学館」(2011年2月1日)は韓国語の記事だが、写真で推理文学館のおおまかな様子が分かる。

◆季刊ミステリー新人賞(2002年〜)

 『季刊ミステリー』は韓国推理作家協会が編集する雑誌で、2002年に創刊された。現在、韓国唯一のミステリー専門誌である。季刊ミステリー新人賞はこの雑誌の賞で、短編および評論を募集し、受賞作を掲載している。受賞作のうち2008年冬号に掲載されたソン・シウ「親友」は『ミステリマガジン』2012年2月号(特集:アジア・ミステリへの招待)に訳載された。この作家は2012年には韓国推理作家協会の黄金ペン賞(最優秀短編賞)を受賞している。また、受賞作自体は訳されていないが、2007年冬号の受賞者のソル・インヒョは『ミステリマガジン』2009年1月号に短編「そして誰もいなくなった」が訳載されている。

 まだ邦訳はないが、翻訳ミステリー大賞シンジケート掲載のエッセイ「韓国ミステリ事情 その3 新世代の作家たち」で祖田律男氏が紹介している韓国の本格推理作家、ト・ジンギソン・ソニョンも季刊ミステリー新人賞を受賞してデビューした作家である。

◆韓国ミステリーのその他の主な邦訳

  • キム・ヨンハ(金英夏)
    • 『光の帝国』(二見書房、2008)
    • 『阿娘(アラン)はなぜ』(白帝社、2008)
  • イ・ジョンミョン
    • 『風の絵師』【全2巻】(早川書房、2009)
    • 『景福宮(キョンボックン)の秘密コード』【上下巻】(河出書房新社、2011)
  • 朴商延(パク・サンヨン)
    • 『JSA 共同警備区域』(文春文庫、2001)※同題の映画の原作小説
  • 李垠(イ・ウン)
    • 『美術館の鼠』(講談社 アジア本格リーグ3、2009)
  • イ・イナ
    • 『永遠なる帝国』(文芸社、2011)
  • キム・オンス
    • 『設計者』(クオン、2013)
  • キム・タククワン
    • 『愛より残酷 ロシアン珈琲』(かんよう出版、2013)

 キム・ヨンハ(金英夏)はフランスのミステリー大事典『Dictionnaire des littératures policières』(通称メスプレード事典)に項目のある唯一の韓国作家。

 イ・ジョンミョンは歴史小説としての側面に重点をおいた歴史ミステリーを書く作家で、最近、第二次世界大戦末期の福岡刑務所を舞台とする『星をかすめる風』(未邦訳)が『The Investigation』のタイトルで英訳され、好評のようだ。

 キム・オンス『設計者』は『このミステリーがすごい! 2014年版』で郷原宏氏が年間第2位にした作品。郷原氏は「韓国産村上春樹風の殺し屋小説」と評している。詳しい内容紹介は出版社のサイトをどうぞ(リンク)。

 キム・タククワン『ロシアン珈琲』は、朝鮮初のバリスタを題材にしたミステリー映画といううたい文句の『ガビ —国境の愛—』(2012)の原作小説(「ガビ」は「珈琲」の韓国語読み)。著者は歴史ミステリーの白塔派シリーズで人気の作家。このシリーズは邦訳はないが、シリーズ第2作が『朝鮮名探偵』(2011)のタイトルで映画化されており、日本でもDVD化されている。シリーズ第1作の『坊刻本殺人事件』については、先にも言及した翻訳ミステリー大賞シンジケート掲載のエッセイ「韓国ミステリ事情 その3 新世代の作家たち」で祖田律男氏があらすじを詳しく紹介している。

 『ロシアン珈琲』の著者名はキム・タククワン(より正確に表記すると「キム・タㇰクヮン」)とされているが、「キム・タックァン」とするのが一般的ではないかと思う。この作家はほかに、ハヤカワ文庫NVで歴史小説『ファン・ジニ』(全2巻、2007)が出ている。同題のドラマの原作である。こちらの著者名表記は「キム・タクファン」

■翻訳ミステリー大賞シンジケート内の関連記事■

韓国ミステリ事情(執筆者・祖田律男)

松川 良宏(まつかわ よしひろ)

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 アジアミステリ研究家。『ハヤカワ ミステリマガジン』2012年2月号(アジアミステリ特集号)に「東アジア推理小説の日本における受容史」寄稿。「××(国・地域名)に推理小説はない」、という類の迷信を一つずつ消していくのが当面の目標。

 Webサイト: http://www36.atwiki.jp/asianmystery/

 twitterアカウント: http://twitter.com/Colorless_Ideas

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