2013年4月から連載させていただいた「非英語圏ミステリー賞あ・ら・かると」も今回でひとまず最終回です。それを記念して(?)というわけでもないのですが、Twitterで近日、フランス語圏のミステリー小説のオールタイムベストを選出するアンケート企画「フランスミステリベスト100」を実施する予定です。事務局の方からこちらで告知してはどうかと声をかけていただきましたので、近日中に改めて告知記事を載せていただこうと思っています。予定としては、7月末〜8月初旬の10日間ぐらいの期間でTwitterで投票を募るつもりですので、どうぞみなさん、どの作品に投票するか今からぜひとも考えておいてみてください! 各自最大10作で、順位はつけてもつけなくても構いません。2012年版『東西ミステリーベスト100』海外編にはフランス語圏の作品は4作品しかランクインしていません(ガストン・ルルー『黄色い部屋の謎』、セバスチアン・ジャプリゾ『シンデレラの罠』、カトリーヌ・アルレー『わらの女』、モーリス・ルブラン『奇岩城』)。しかしほかにも、読まれるべき名作がきっと埋もれているはずです。あなたの一票が、忘れられた傑作にもう一度日の光を当てるかもしれません!

◆オランダミステリー事情

 英仏やドイツ、そして北欧諸国と同じように長いミステリーの歴史を持ちながらも、日本ではほとんどそのミステリー事情が知られていない国がある。それらの国々に囲まれた西ヨーロッパの小国、オランダである。小国といってもそれは面積だけのことで、現在の人口は約1700万人。北欧5か国の中でもっとも人口が多く、水準の高いミステリー小説を世界に次々と送り出しているスウェーデンの人口が1000万人弱であることを考えると、オランダからももっと多くの世界的ヒット作が生まれていいように思える。もっとも人口のことをいうのであれば、人口約30万人でアイスランド語というマイナー言語を使用しているアイスランドからもアーナルデュル・インドリダソンというベストセラー作家が出ているのだから、どんな小国のどんなマイナー言語からでも世界で人気を獲得するミステリー小説は生まれ得るといえるのだが。

 英国推理作家協会(CWA)が年間最優秀の翻訳ミステリーに贈るインターナショナル・ダガー賞の過去のノミネート作を見てもオランダの作品は見当たらない。Webサイト「Euro Crime」で過去1年間(2013年6月〜2014年5月)にイギリスで出版された翻訳ミステリーをチェックしてみると(リンク)、オランダの作品はシモネ・ファン・デル・フルフト(Simone van der Vlugt、1966- )という作家の『Safe as Houses』の1作だけだ。この作家はニッキ・フレンチ流の心理サスペンスを得意とする作家らしい。それ以前の数年を確認しても、オランダミステリーの英訳は年に1〜2作で、どうやらオランダの作品は日本で紹介されることが少ないだけでなく英訳も少ないようである。

 オランダ国内でのミステリー出版事情はどうなのだろう。やや古いが2007年のデータ(リンク)では、オランダ語で書かれたミステリー小説の出版は年間で約70点。ミステリー出版市場におけるシェアは25パーセントで、つまり翻訳物の方が多く読まれているということになる。英米だけでなくヘニング・マンケルらの北欧ミステリーが人気だというのは、隣国のドイツと同じようだ。

◆フランドルミステリー事情

 オランダの南に隣接するベルギーでは、北半分(フランドル地方)でオランダ語、南半分でフランス語が使用されている。ベルギーのオランダ語話者人口は約600万人。デンマークの人口が約560万人、フィンランドが約540万人、ノルウェーが約500万人だから、ベルギーのオランダ語コミュニティーはそれらの国々に匹敵する規模を持つことになる。

 そしてもちろん、ベルギーのフランドル地方にはオランダ語でミステリーを執筆する作家がいる。邦訳があるのはボブ・メンデス(Bob Mendes、1928- )(「国王への報告書」『ミステリマガジン』1999年3月号)ぐらいかと思うが、たとえば最近英訳が出ている作家としては、ピーテル・ファン警部シリーズの第1作と第2作が相次いで英訳されたピーテル・アスペ(Pieter Aspe、1953- )らがいる。

 ベルギー出身のミステリー作家というと有名なのはジョルジュ・シムノンS・A・ステーマンだが、この2人はベルギー南部の出身で、創作活動にはフランス語を使用した。

 名探偵ハリー・ディクソン・シリーズが岩波少年文庫で3冊出ているジャン・レイ(Jean Ray、1887-1964)はベルギー北部(フランドル地方)出身で、オランダ語で執筆した著作もあるそうだが、主な執筆言語はフランス語であり、名探偵ハリー・ディクソン・シリーズもフランス語で書かれた作品である。

 本記事でこれ以降に言及する作家は特に記さない場合はオランダの作家である。フランドルの作家である場合はそのことを明示する。

◆ロバート・ファン・ヒューリックとヤンウィレム・ヴァン・デ・ウェテリンク

 日本および世界でも広く名の知られたオランダのミステリー作家というと、ロバート・ファン・ヒューリックヤンウィレム・ヴァン・デ・ウェテリンクが挙げられるだろう。ただ、オランダの外交官として日本や中国、インド、マレーシアなどに駐在しながら、7世紀の中国を舞台にした狄(ディー)判事シリーズを英語で執筆したロバート・ファン・ヒューリックはあまりオランダのミステリー作家という印象がないかもしれない。

 東洋学者であり中国語や日本語も堪能だったロバート・ファン・ヒューリック(Robert van Gulik、1910-1967)は自身の創作を発表する前に、中国の長編探偵小説『狄公案(てきこうあん)』『Dee Goong An』のタイトルで英訳出版している。この作品は作者不明で、成立年代も明確ではないが18世紀の作品とされることが多いようだ。ファン・ヒューリックによる英訳で『狄公案(てきこうあん)』を読んだ江戸川乱歩は、「長篇本格探偵小説の体をなしていて西洋のガボリオやボアゴベイに比べても、大して見劣りしないほどで、その上、長篇探偵小説として西洋にも例のない面白い構成になっている」と評価した(『探偵作家クラブ会報』1950年2月号)。この後乱歩は、当時東京に駐在していたロバート・ファン・ヒューリックと連絡を取り、交流を持つようになっている。

 中国の探偵小説『狄公案(てきこうあん)』は残念ながら日本語の完訳はないが、2007年に有坂正三氏による抄訳『狄仁傑(てきじんけつ)の不思議な事件簿』が出ている。ファン・ヒューリックによる英訳は現在は『Celebrated Cases of Judge Dee』というタイトルで出版されている。

 その後ロバート・ファン・ヒューリックは1950年代初頭から、『狄公案(てきこうあん)』やその他の中国の裁判小説に題材を取った狄(ディー)判事シリーズを次々と発表していった。ハヤカワ・ミステリ(ポケミス)でシリーズ全16巻を読むことができる。発表順の第1作は『沙蘭(さらん)の迷路』、作中時系列順の第1作は『東方の黄金』である。このシリーズについては、SAKATAM氏のサイト「黄金の羊毛亭」の「〈ディー判事シリーズ〉」のページが詳しい。

 ヤンウィレム・ヴァン・デ・ウェテリンク(Janwillem van de Wetering、1931-2008)は1975年にデビューした作家で、自作をオランダ語と英語の両方で発表している。代表作はフライプストラ警部補デ・ヒール巡査部長のコンビが活躍するシリーズ(長編14編、短編13編)。日本では第1作『アムステルダムの異邦人』、第2作『オカルト趣味の娼婦』(別題:キュラソー島から来た女)、第3作『自殺好きの死体』、第4作『大道商人の死』および短編が何編か訳されている。シリーズ第7作(蘭題 Het Werkbezoek / 英題 The Maine Massacre)は1984年にフランス推理小説大賞(翻訳作品部門)を受賞した。

 シリーズ第5作の英題は『The Japanese Corpse』(直訳:日本人の死体)で、日本が舞台になっているらしい。この作家は20代の頃、禅を学ぶために日本を訪れ、京都の大徳寺で1年半ほど修行の日々を送ったことがあるのだとか。この第5作はそのときの経験を生かしたものだろうか。また日本関連では、斎藤警部を主人公とする短編11編を集めた短編集『Inspector Saito’s Small Satori』(蘭題 Een kleine vergissing)も上梓しており、日本では書籍の形では出ていないが、雑誌に何編か訳載されている(「斎藤警部の小さな悟り」『ミステリマガジン』1982年11月号、「20銭切手」『EQ』1983年5月号)。

  • フライプストラ&デ・ヒール・シリーズ短編
    • 「死の卵」『EQ』1979年7月号 / 『16品の殺人メニュー』新潮文庫
    • 「マネキンと機関銃」『EQ』1982年11月号
    • 「青は死の色」『EQ』1984年7月号
    • 「鍵は6」『EQ』1985年11月号
    • 「ラヴェラーが行く」『EQ』1987年7月号 / 『ネコ好きに捧げるミステリー』光文社文庫

※斎藤警部シリーズとフライプストラ&デ・ヒール・シリーズの短編の邦訳状況については、Amemiya Takashi氏作成のデータベース「翻訳作品集成」の「ヤンウィレム・ヴァン=デ=ウェテリンク」のページを参考にして調査した。

 ほかにオランダのミステリーを語るときに、ニコラス・フリーリング(Nicolas Freeling、1927-2003)の名前が挙がることがある。ニコラス・フリーリングはイギリスに生まれ、オランダで暮らしながらオランダを舞台にしたミステリー小説を英語で執筆したイギリス人作家である。オランダを舞台にしたファン・デル・ファルク警部シリーズでの代表作は『雨の国の王者』(1967年エドガー賞最優秀長編賞)や『バターより銃』(1963年英国推理作家協会最優秀長編賞ノミネート/1965年フランス推理小説大賞翻訳作品部門受賞)。ほかに同じシリーズの『アムステルダムの恋』『猫たちの夜』も邦訳されている。ニコラス・フリーリングは1972年のシリーズ第10作『A Long Silence』(未訳)でファン・デル・ファルク警部の死を描き、その前後にフランスに移住すると、その後はフランスを舞台にアンリ・カスタン警部シリーズを16作発表した。こちらのシリーズは邦訳はない。

◆オランダの最初の探偵小説(1889年)

 ロバート・ファン・ヒューリックヤンウィレム・ヴァン・デ・ウェテリンクが世界で読まれる作家になったのは、そのミステリー作家としての実力もさることながら、やはり作品を英語で発表したというのが大きいと思われる。

 そしてオランダ探偵小説史をひもといてみると、その最初の探偵小説もオランダ語ではなく英語で書かれたものだった。現在オランダで自国の最初の探偵小説とみなされているのは、オランダ人のマールテン・マールテンス(Maarten Maartens、1858-1915)が1889年に発表した長編『The Black-Box Murder』である。英語で執筆されてイギリスで出版されたもので、いまだにオランダ語に訳されたことはないらしい。この作家は同年にもう1作、『The Sin of Joost Avelingh』という探偵小説も発表している。マールテンスの探偵小説はこの2作のみで、どちらもGoogleブックスで全文閲覧できる。

 ハワード・ヘイクラフトの著名なミステリー評論書『娯楽としての殺人』(原著1941年/邦訳は林峻一郎訳、国書刊行会、1992年 など)の第六章「ヨーロッパ大陸の探偵小説」にはマールテン・マールテンスの『The Black-Box Murder』(1889)への言及がほんの少しある。内容紹介はないが、ヘイクラフトはこれを「オランダが生んだ唯一の注目すべき探偵小説」と書いている(国書刊行会版 p.130)。本当に注目すべき作品がこれしかなかったのかは、検討の余地があるだろう。

 ところで、日本の推理小説史に詳しい人は、マールテン・マールテンスの『The Black-Box Murder』(1889)がオランダの最初の探偵小説とされていることに疑問を持つかもしれない。日本で通常、日本語になった最初の翻訳探偵小説とされるのはオランダのヤン・バスティアン・クリステメイエル(Jan Bastiaan Christemeijer、1794-1872)の短編「楊牙児奇談(ヨンゲルきだん)」である。「楊牙児奇獄」、「楊牙児ノ奇獄」、「ヨンケル・ファン・ロデレイキ一件」、「ヨンケル・ファン・ロデレイキ殺人事件」、「和蘭美政録」などのタイトルでも知られるこの作品は1820年に刊行されたクリステメイエルの著書に収録されているものであり、『The Black-Box Murder』よりも69年早い(それどころか、ポーの「モルグ街の殺人」[1841年]よりも21年早い!)。

 2014年3月で法政大学教授を退官された宮永孝氏は以前からこの作品の原典および著者のクリステメイエルについて研究をしており、2011年の論文「楊牙児(ヨンケル)奇獄」ではこの作品をオランダ語原典から新訳している。宮永氏はタイトルを「ヨンケル・ファン・ロデレイケ一件」としている。オンラインで公開されているので、はたして1820年発表のこの作品は「探偵小説」と呼び得るものなのか、興味のある方はぜひ読んでみていただきたい(リンク)。

 なお、中島河太郎は『日本探偵小説全集12 名作集2』(創元推理文庫、1989年)に収録の「日本探偵小説史」で、宮永孝氏の調査結果を紹介しつつ、クリステメイエルの作品は「構成の上から眺めても、果たして小説として書かれたか疑問が残らないわけではない」とし、また推理的部分も薄弱であるため、「本格的構成はポオに譲らなければならない」としている。

 オランダ国内ではクリステメイエルは探偵小説史においてどのように位置づけられているのか、気になるところである。

◆オランダ探偵小説の創始者イファンスの登場(1917年)

 『The Black-Box Murder』(1889)のおよそ30年後、1910年代末にオランダでオランダ語で探偵小説を執筆する作家が登場する。のちにオランダ探偵小説の創始者とみなされることになるイファンス(Ivans、1866-1935)である。イファンスはコナン・ドイルのシャーロック・ホームズ・シリーズ(1887〜1927)の強い影響のもと、1917年から探偵ジェフリー・ギル(Geoffrey Gill)シリーズを発表する。イギリス人探偵ジェフリー・ギルのワトソン役を務めるのはオランダの法学博士ウィレム・ヘンドリクス(Willem Hendriks)で、作者が死去するまでの約20年間に34作が発表された。邦訳はない。

 イギリスでコナン・ドイルがシャーロック・ホームズを生み出すと、オーストリアでは探偵ダゴベルト、ドイツでは探偵ジョー・ジェンキンズ、ノルウェーでは探偵アスビョルン・クラーグ、ポルトガルではシウヴェストリ子爵、中国では探偵フオサン(霍桑)、ミャンマーでは探偵ウー・サンシャー、そして日本では半七や明智小五郎など、世界各地でホームズ風の名探偵が相次いで登場した。ジェフリー・ギルもそんな「シャーロック・ホームズの異郷のライヴァルたち」の1人だといえるだろう。

 イファンスの登場の10年後の1927年からはウィリー・コルサリ(Willy Corsari、1897-1998)がオランダ語で探偵小説を発表している。代表作は1934年〜1941年に5冊、戦後に3冊を刊行したルント警部シリーズ。この作家は『新青年』1935年8月増刊号(16巻10号)に短編「急行列車殺人事件」が訳載されている(著者名表記「リイ・コルサリ」)。これはルント警部シリーズではなく、ピットという名のアムステルダムの新聞記者が急行列車内で起こった殺人事件の謎を解くという作品である。

 1935年から1938年にかけて、ヤン・デ・ハルトグ(Jan de Hartog、1914-2002)はF.R. Eckmarというペンネームでグレゴール・ボヤルスキー警部を探偵役にしたオランダ語探偵小説を5冊刊行している。この作家は戦後は主にアメリカで暮らし、作品も多くは英語で発表した。日本では戦後作品の『遙かなる星』と、同じく戦後作品で海洋サスペンス物の『鍵』(別題:地獄のオーシャン・タッグ)が邦訳されている。『遙かなる星』ではヤン・デ・ハートック、『鍵』ではヤン・デ・ハルトグ、『地獄のオーシャン・タッグ』ではヤン・デ・ハルトーホと、著者名表記がすべて違っているので注意が必要である。

 作家の逢坂剛は新聞に寄稿したエッセイで『遙かなる星』を絶賛している。

 オランダの作家、ヤン・デ・ハートックの『遥かなる星』は、一九七四年に角川文庫から、文庫オリジナルとして出版された。

 わたしがこれを読んだのは、ごく最近のことである。しかしわたしは、今ここで紹介せずにはいられないほど、この本に打ちのめされた。(略)

 この小説は、第二次大戦終結直後のヨーロッパを、舞台にしている。オランダ警察の警部ユングマンが、収容所から助け出されたユダヤ人の娘アンナと知り合い、彼女をイスラエルへ送り届けるまでの物語である。(略)活劇らしい活劇もなく、淡々と進むこの小説は最後に向かうにしたがって、しだいに緊迫感を高める。果たして二人は目的地へたどり着けるのか。(略)

 この本が、出版当時話題になった、という記憶はない。初版で絶版になり、そのまま消えてしまったもの、と思われる。近年の殺伐とした、血みどろのサスペンス小説を読み慣れた目には、この小説は地味で刺激のない作品、と映るかもしれない。しかしそれは、とんでもない勘違いである。

 ちなみに、このようなすばらしい本が、途切れずに市場に出回るようにするのが、本来の〈文庫〉の使命ではなかったか。

(「いつもそばに、本が」/初出:『朝日新聞』1999年12月10日/エッセイ集『小説家・逢坂剛』東京堂出版、2012年、pp.17-19より引用)

◆イファンスの後継者、ハファンク登場(1935年)

 ヤン・デ・ハルトグが「F.R. Eckmar」というペンネームで探偵小説を発表し始めたのと同年の1935年、オランダの探偵小説史に大きくその名を刻むハファンク(Havank、1904-1964)が登場する。ハファンクはパリ警視庁のシルヴェール警部とその助手の通称シャドー(Schaduw、「影」の意)を主人公とする探偵小説を1935年から戦後にかけて発表した。シルヴェール警部とシャドーはヨーロッパ各地で活躍。時にはオランダが舞台になることもあったが、基本的にはフランスが舞台の作品が多いそうだ。シリーズの途中からは助手のシャドーの方がメインキャラクターになったようである。オランダ推理作家協会は1997年から年間最優秀の新人作品にシャドー賞を授与しているが、この名称はハファンクのこのキャラクターに由来する。

 ハファンクは日本のミステリーファンの間での知名度は皆無に近いと思うが、カタカナで検索窓に「ハファンク」や「ハファンク シャドー」と打ちこんで検索してみると、ある程度ヒットする。なぜかというと、ハファンクの作品の装丁・表紙イラストはその多くをミッフィーの生みの親であるディック・ブルーナが手掛けていたからで、日本のディック・ブルーナファンの間でもハファンクのペーパーバックは人気があるようである。

 戦後、1947年に大手出版社のブルーナ社(ディック・ブルーナの父が経営していた出版社)が新人探偵作家発掘のためのコンテストを開始する。受賞者には、オランダ初のハードボイルド作家といわれるヨープ・ファン・デン・ブルーク(Joop van den Broek、1926-1997)らがいる。その受賞作『ナドラのための真珠』(Parels voor Nadra)(1953)は、ジャカルタの質屋で盗まれた真珠の財宝をテーマにしたもので、アメリカのハードボイルド作家、特にミッキー・スピレインの影響が見られるという。

 「オランダの最初の探偵小説」の節からここまではW・G・キエルドルフ「オランダの探偵小説」(『探偵倶楽部』1958年7月号)と、国際推理作家協会とオランダのミステリー作家・評論家の協力で執筆された英文によるオランダミステリー概説(リンク)を参考にした。W・G・キエルドルフ(Wilhelm Gustave Kierdorff、1912-1984)は1957年に江戸川乱歩と文通したオランダのミステリー評論家。その後、ピム・ホフドルプ(Pim Hofdorp)という筆名でハーグを舞台とするアルベルト・アーレンベルフ警部シリーズ(1959〜1980、全19冊)を発表した。

◆1930年代オランダの忘れられた本格ミステリー作家、ヤン・アポン

 前節末で挙げた2つの文献ではまったく言及されていないが、1930年代のオランダにヤン・アポン(Jan Apon、1910-1969)という本格ミステリー作家がいた。ドイツミステリー『妖女ドレッテ』(ワルター・ハーリヒ)の訳者でもある稲木勝彦氏が『宝石』1958年3月号のエッセイ「欧洲の探偵文学」でこの作家の1935年の作品『マヌエル某』(蘭題 Een zekere Manuel、独訳題 Ein gewisser Manuel)に言及している。稲木氏は独訳でこの作品を読んだそうだ。

 ヤン・アポン(オランダ)「マヌエル某」舞台をイタリアにとり、ウルバニ侯爵家の居城で起った殺人事件をオランダ人の家庭教師が素人探偵となって解決する本格もの。筋の複雑性や運び方、意外性も大きく傑れている。

 オランダの出版社が公開しているミステリーデータベース「VN Detective en Thrillergids」によれば、『マヌエル某』は素人探偵ラウル・バルタン(Raoul Bertin)シリーズの第2作。このシリーズは1934年から1940年にかけて6作が発表された。ヤン・アポンはヴァン・ダインの『誘拐殺人事件』のオランダ語訳者でもある。

 オランダ人で日本に留学経験もあるホーリンさん(@tantei_kid)が最近このシリーズの第2作『マヌエル某』と第6作『ブリザックからの内報』(Een tip van Brissac)を読んで、英文ブログ「ボクの事件簿」にレビューを載せている。ホーリンさんは米国『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』2014年11月号に掲載予定の法月綸太郎「緑の扉は危険」の英訳者でもある。

 ホーリンさんはブログで、1970年代初頭にオランダのコル・ドクテル(Cor Docter、1925-2006)という作家が発表した本格ミステリー、《マース川の犯罪》3部作のレビューも書いている。ロッテルダムのフィッセリン警部を探偵役とするシリーズで、第2作の『クラーリンゲンの冷たい女』(Koude vrouw in Kralingen)では密室殺人が登場するとか。

 ホーリンさんは最近、オランダの最初の探偵小説とされる『The Black-Box Murder』も読んでいるが、これはホーリンさんによれば「トランクから発見された死体の謎を、私立探偵スペンスが調査する」というストーリーだったとのこと(リンク)。

※本記事では、日本で未紹介の作家の名前のカタカナ表記はホーリンさんからアドバイスをいただき、なるべくオランダ語の音に近くなるように表記した。ただし、すでに邦訳書などが出ている作家の場合はその表記を尊重している。

◆オランダ推理作家協会 黄金の首吊り輪賞(1986年〜)

 さて、そろそろ本題であるミステリー賞の話題に移ろう。特に記さない場合は、オランダとフランドルの作家の両方に受賞資格がある。

 オランダ推理作家協会(Genootschap van Nederlandstalige Misdaadauteurs、略称 GNM、公式サイト)は1986年創設。同年より毎年、オランダ語で書かれたミステリー小説の年間最優秀作に黄金の首吊り輪賞(De Gouden Strop)を授与している。この賞の名前は先に言及したオランダ初のハードボイルド作家、ヨープ・ファン・デン・ブルークの1982年の小説『黄金の首吊り輪』(De Gouden Strop)に由来する。日本では単にオランダ推理作家協会賞とされることもある。

 黄金の首吊り輪賞は30年ほどの歴史を持つわけだが、過去の受賞作のうち日本語で読めるのは1995年の受賞作である『マダム・20(トゥエンティ)』のみである。作者のティム・クラベー(Tim Krabbé、1943- )は1967年にデビューした作家で、邦訳はほかに『失踪』『洞窟』がある(『失踪』の著者名表記は「ティム・クラベ」)。『失踪』は1993年にスウェーデン推理作家アカデミーの最優秀翻訳ミステリー賞を受賞している。

 1984年発表のサイコスリラー小説『失踪』は1988年にオランダで映画化され、1993年には同じ監督によりハリウッドリメイク版が製作された。どちらも日本でもDVD化されている。『ザ・バニシング —消失—』と英語でタイトルがついている方がオランダ版で、『失踪』のタイトルで出ているのがアメリカ版である。『洞窟』もオランダで映画化されているが、これは日本ではDVDなどは出ていないようだ。

 ティム・クラベーの弟のジェローン・クラッベ(と英語読みでカタカナ書きするのが一般的らしい)は、映画『逃亡者』、『オーシャンズ12』、『トランスポーター3 アンリミテッド』などに出演する俳優である。

 黄金の首吊り輪賞を1987年、1996年、2003年の3度受賞しているトーマス・ロス(Tomas Ross、1944- )は、マイ・シューヴァルと合作したミステリー小説『グレタ・ガルボに似た女』が邦訳されている。マイ・シューヴァルはいわずと知れた、夫のペール・ヴァールーとともにマルティン・ベック・シリーズを生み出したスウェーデンの作家である。トーマス・ロスはオランダ推理作家協会の創設を主導した作家で会長も務めた。『グレタ・ガルボに似た女』は1990年にオランダとスウェーデンでそれぞれ刊行。一方が一章分を執筆し、その原稿を粗訳とともに相手に送り、送られた方が次の一章分を執筆してまた翻訳をつけて送り返すという方式で執筆されたもので、完成までに3年がかかったという。

 黄金の首吊り輪賞の2007年の受賞者であるロエル・ヤンセン(Roel Janssen、1947- )は経済ジャーナリストでもあり、邦訳に金融ミステリー『ユーロ 贋札に隠された陰謀』がある。

 クリス・リッペン(Chris Rippen、1940- )は1992年の受賞者。邦訳に短編「芸術」(『ミステリマガジン』1999年3月号)がある。短編の訳載当時はオランダ推理作家協会の会長を務めていた。ボブ・メンデス(Bob Mendes、1928- )はフランドルの作家で、黄金の首吊り輪賞を1993年と1997年の2度受賞している。邦訳に短編「国王への報告書」(同誌同号)がある。

◆オランダ推理作家協会 シャドー賞(1997年〜)

 オランダ推理作家協会は1997年より、年間最優秀の新人作品にシャドー賞(De Schaduwprijs)を授与している。賞名はハファンクの作品に登場するキャラクター「シャドー」に由来する。受賞者に邦訳のある作家はいない。数年前に英訳が出たエファ・マリア・スタール(Eva Maria Staal、1960- )の『Try the Morgue』(英題)は2007年のシャドー賞受賞作である。

◆オランダ クライムゾーン賞(2002年〜)

 オランダ語圏で最大のミステリー情報サイト「クライムゾーン」(Crimezone)が主催する賞で、読者投票によって受賞作が決定する。以前は銀の指紋賞(De Zilveren Vingerafdruk)やクライムゾーン・スリラー賞(Crimezone_Thriller_Awards)という名称で呼ばれたこともあったようだが、今は単にクライムゾーン賞(Crimezone Awards)となっている。オランダ語作品部門、翻訳作品部門、新人部門がある。過去の受賞作一覧は「こちら」で見られる。

 オランダ語作品部門の受賞者で邦訳のある作家はいない。本記事の最初の方で言及したフランドルの作家ピーテル・アスペは2002年と2003年の受賞者、オランダの作家シモネ・ファン・デル・フルフトは2009年と2010年の受賞者である。

 翻訳作品部門の過去の受賞作は以下の通り。2006年と2008年は選出されなかったようだ。

  • クライムゾーン賞 翻訳作品部門受賞作
    • 2002年 ニッキ・フレンチ『生還』
    • 2003年 ニッキ・フレンチ『Secret Smile』(未訳)
    • 2004年 ダン・ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード』
    • 2005年 ヘニング・マンケル『タンゴステップ』
    • 2007年 カリン・スローター『Beyond Reach』(未訳)
    • 2009年 カリン・スローター『Fractured』(未訳)
    • 2010年 ヘニング・マンケル『Den orolige mannen』(未訳)
    • 2011年 カリン・スローター『Fallen』(未訳)
    • 2012年 テス・ジェリッツェン『The Silent Girl』(未訳)
    • 2013年 カリン・スローター『Unseen』(未訳)

 米国作家のカリン・スローターは日本では2002年にハヤカワ・ミステリ文庫で『開かれた瞳孔』が出ただけだが、オランダでは大変な人気のようである。

 クライムゾーン賞の新人部門(2004年〜)の初回の受賞者はオランダのシモネ・ファン・デル・フルフト。2005年にはカルロス・ルイス・サフォン(スペイン)『風の影』、2011年にはSJ・ワトソン(イギリス)『わたしが眠りにつく前に』、2012年にはエリザベス・ヘインズ(イギリス)『もっとも暗い場所へ』が受賞している。

◆フランドル ダイヤモンドの弾丸賞(2002年〜)

 2011年に解散となってしまったようだが、フランドル地方にはオランダ語で書くベルギーのミステリー作家の団体、フランドル推理作家協会(Genootschap van Vlaamse Misdaadauteurs、略称 GVM、1991〜2011)があった。ダイヤモンドの弾丸賞(De Diamanten Kogel)はこの団体が2002年から授与していた賞である。協会はなくなってしまったが、賞は独立して今でも存続している(公式Facebookページ)。

 オランダ語で執筆されたミステリー小説の年間最優秀作に授与される。授与の対象はフランドル地方の作家に限られているわけではなく、過去の受賞者を見るとフランドル地方の作家とオランダの作家が半々ぐらいである。先にも黄金の首吊り輪賞の受賞者として名前が出たフランドルの作家ボブ・メンデスは2004年にこの賞を受賞している。2012年に英訳が出たパトリック・コンラッド(Patrick Conrad、1945- )(フランドル)の『No Sale』(英題)は2007年の受賞作。

 フランドル地方ではその後、2013年(?)に新たなフランドル推理作家協会(Vereniging Vlaamse Misdaadauteurs、略称 VVMA)が設立されたようだが、どのような活動をしているのかはよく分からない。

◆フランドル エルキュール・ポアロ賞(1998年〜)

 フランドル地方のミステリー賞としてはほかにエルキュール・ポアロ賞(Hercule Poirotprijs、1998年〜)がある。オランダの黄金の首吊り輪賞やフランドルのダイヤモンドの弾丸賞と同じく、オランダ語ミステリーの年間最優秀作に授与される。この賞は過去の受賞者を見る限り、授賞対象をフランドル地方の作家(ベルギーのオランダ語作家)に限っているようだ。受賞作で邦訳されているものはない。2002年の受賞者のスタン・ラウリセンス(Stan Lauryssens、1946- )は『ヒトラーに盗まれた第三帝国』と『贋作王ダリ : シュールでスキャンダラスな天才画家の真実』が訳されているが、どちらもノンフィクションであり小説ではない。

 ピーテル・アスペは2001年のエルキュール・ポアロ賞を受賞している。また、今年英訳が出たボブ・ファン・ラールホーフェン(Bob Van Laerhoven、1953- )の『Baudelaire’s Revenge』(英題)は2007年のエルキュール・ポアロ賞受賞作。

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※第8回のみ、ブログ「トリフィドの日が来ても二人だけは読み抜く」で中国ミステリーのレビューなどを書いている阿井幸作さんの執筆

松川 良宏(まつかわ よしひろ)

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 アジアミステリ研究家。『ハヤカワ ミステリマガジン』2012年2月号(アジアミステリ特集号)に「東アジア推理小説の日本における受容史」寄稿。論創ミステリ叢書『金来成探偵小説選』(2014年6月)解題執筆。「××(国・地域名)に推理小説はない」、という類の迷信を一つずつ消していくのが当面の目標。

 Webサイト: http://www36.atwiki.jp/asianmystery/

 twitterアカウント: http://twitter.com/Colorless_Ideas

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