ガーヴには夏が似合う、と勝手に思っている。大自然を舞台にした長編が多く、後味も爽やかだからだろうか。

 昨年、42年ぶりにガーヴの新訳『殺人者の湿地』が出て古手のファンを喜ばせたが(当欄のレヴューは、こちら)、今年の夏にも嬉しい贈り物だ。

『運河の追跡』は、1957年の作品で本邦初訳。ガーヴ名義の長編がデビュー作『ヒルダよ眠れ』以来20作目まで切れ目なく邦訳されている中で、なぜか唯一未紹介だったもの。『メグストン計画』(1956)、『ギャラウエイ事件』(1958)という世評高い両作の間に刊行された短めの長編で、作者円熟期の一作といえるだろう。

 ガーヴといえば、多彩なプロット、抜群のストーリーテリングに加え、迫力ある大自然を背景としたサスペンスが持ち味となっている。本書の前後作、『メグストン計画』は無人島、『ギャラウエイ事件』には廃坑が登場するといった具合だ。本書は、知られざるイギリスの運河が後半の舞台となっており、そうした点からも、ガーヴらしさが良く出ている佳作といえる。

 本書が異色なのは、主人公が若い母親で、連れ去られた赤ん坊を救出するための必死の探索行を描いていること。冒険心に富む男性を好んで描いた作者にしては、ひと味変わった設定だ。

 主人公のクレア・ハンターは、25歳の美しいモデルにして、一歳の娘クリスティーンの母親。歳の離れた夫は、裕福な美男子。傍目には順風満帆ともいえる生活だったが、クレアは、夫の傲慢さやモラルの欠如に心が離れており、ある事件を契機に離婚を決意。娘を連れて別居する。

 夫はそれを承知せず、「きみはぼくから逃れられない」と宣言。クレアは、ある日、別居先の乳母車から娘クリスティーンが夫によって拉致されてしまったのを知る。

 実の父親による誘拐という異色の導入だ。クレアは、娘に会えるのなら夫の元に戻るべきかと懊悩する。押し寄せる不安と焦燥。

 クレアによる裁判戦術で、夫は逮捕されるが、娘クリスティーンの居場所については、断固として口を割ろうとしない。クレアは、仕事仲間のカメラマン、ヒュー・キャメロンとともに、クリスティーンを捜す必死の旅に出る。

 焦燥の中にあって、数少ない手がかりを基に、ディスカッションを重ね、娘の監禁されている場所を徐々に絞りこんでいく探索の面白みは、『カックー線事件』を思わせる。

 ねばり強い探索の過程で、イギリス中部(ミッドランド)に張り巡らされた運河が、カギとして浮上してくる。クレアとヒューは、未体験の運河をキャビンボートで捜索する決意をするが、盛夏の中、この運河を進む行程がなんとも趣があるのだ。

運河は曲がりくねっており、カーブごとに、?したたる素晴らしい景観が広がる。沿道は、運河の最盛期の終わりとともに朽ち果て、廃墟の美すらたたえている。ゲート(閘門)を操作し、川の水位を調整して航行していく船旅も独特だ。運河の浅さ、河幅の狭さということもあって、移動のスピードは、早足で歩くくらいのゆっくりとしたもの。クレアの焦燥に同情しつつも、未体験のアウトドア気分が味わえる。

 夫による娘の誘拐、運河での低速の追跡劇という変化球のプロットではあるが、いつものもガーヴらしく簡潔で力強い。訳書で200頁という短い長編ながら、夫から娘を取り戻す民事裁判の過程、次第に露わになってくる冷酷な夫の性格、クレアを囲む暖かいチームの雰囲気、生まれながら運河で暮らす人々の生活ぶりなどの豊かな細部が、愉快な数時間を保証してくれる。そして、クレアの協力者ヒューは、あくまでも誇り高い。

 運河を舞台にした追跡劇のカタルシスは、波打ち際のパラソルの下で、空調の効いたリゾートのバーで冷えたマティーニとともに、あるいは筆者同様ものぐさ読者は扇風機の風を浴びソファに寝転んで、残暑の厳しさをやり過ごすのに好適だろう。

 先月紹介したスチュアート・パーマー&クレイグ・ライス『被告人、ウィザーズ&マローン』こちら)に引き続いて、スチュアート・パーマー創造によるキャラクター、元教師の女探偵ヒルデガード・ウィザーズ(ヒルディ)が活躍する長編『五枚目のエース』(1950)が原書房ヴィンテージ・ミステリレーベルから。著者の邦訳長編としては、デビュー長編『ペンギンは知っていた』(1931)に続いて二冊目になる。

 死刑執行の日まであと9日。死刑囚の冤罪を晴らすべく、ミス・ウィザーズが奔走するデッドライン物。死刑執行期限までに真相を解き明かさなければならないデッドライン物には、アイリッシュ『幻の女』などの先行例があるが、ページを繰る手を緩めさせない強烈な設定だ。しかも、フェアな謎解きが志向されているから、本格ミステリファンは、要注目の一冊だろう。

 灼熱の8月のNY。警官の前で事故を起こした車の後部座席から、グラマー女優志願の娘の死体が発見される。車を運転していたローワンは逮捕されるが、真相については黙秘を続け、死刑判決が確定する。

 死刑執行が間近に迫り、死刑囚ローワンが捜査担当者のパイパー警部に遺産を残すという遺言書を送りつけてくる。この前代未聞の囚人の行動から、警部の古なじみミス・ウィザーズは、冤罪の可能性を指摘し、事件の再調査に首を突っ込みはじめる。ローワンの妻ナタリーに面会したウィザーズは、ナタリーの口から、ある女霊媒師が夫の無実を語ったという奇妙なエピソードを聴かされるが、その日に、くだんの女霊媒師は、殺害されてしまう……。

 以降、ヒルディは、デビュー作以来、幾度となくタッグを組んだパイパー警部と、ときに反目しあいながら調査を進めるが、被害者の男性遍歴は、ローワン以外にも多くの容疑者を残しており、解決の決め手に欠ける。

 謎解きミステリとして派手な結構をもつ長編だが、解説の森英俊氏が「人気シリーズの最大の異色作」というように、これまで紹介・喧伝されたパーマーの作風とはかなり様相が異なっている。

 ヒルディのとんでもない変装や、奇天烈な帽子(「電柱にひっかかったおもちゃの凧」!)、愛犬タリーの活躍、ヒルディ自身のティファニー宝石店で逮捕といったコメディ要素は盛り込まれている。しかし、冒頭の低音のナレーションのようなドキュメンタリータッチ、ショウ・ビズ界に蠢く人物たちの肖像、事件に囚われたウィザーズの見る奇妙な夢など、一種のシリアスさ、苦い肌触りもまた追求されているようだ。

ウィザーズ物の基本的色調がスクリューボール・コメディだとすれば、本書は少しフィルム・ノワール的な陰りを帯びているといえるかもしれない。

 ウィザーズとパイパー警部は、互いの引退をかけた決定的な対立を迎え、ついに死刑執行の前日、関係者を集め真相が開示される終章になだれ込む。

 ラストで明かされる真相はかなり意外なものであり、意外性の演出についても抜かりはない。ただ、霊媒師殺しに至る犯人の心理に説得力が欠けるなど、謎解きの精妙さという点では、若干物足りなさも残る。陽性のキャラクターが活躍するファンタスティックな設定やフーダニットという枠組みと、本書の一種のリアリズム志向が軋みを生じさせている面もなくはない。

 本書が刊行されたのは、1950年。黄金期はとうに過ぎ、これまでのシリーズキャラクターの奔放な活躍路線と、時代の風潮としてのリアリズム志向との折り合いどうつけるかという点で、新生面を打ち出そうとした意欲作であることは間違いない。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)

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 ミステリ読者。北海道在住。

 ツイッターアカウントは @stranglenarita

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