先日、この翻訳ミステリー大賞シンジケートで稲村文吾氏により日本語訳された中国ミステリが4作品紹介されました。

 上で紹介されている短篇ミステリの作者はいずれも中国大陸及び台湾では名の知られた書き手であり内容もみな個性的で、中国ミステリを読んだことのない方々に現代中国ミステリの裾野の広さを知ってもらうにふさわしい作品かと思われます。

 しかし今回私がここで紹介する中国ミステリは探偵が登場せず魅力的な謎もないつまらない作品ばかり……と言ったら語弊がありますが、当時の時代背景を考慮してもなお『ミステリ』の範疇に入れてもいいのか躊躇う内容であります。

 しかしこれらは確かに1950〜60年代の中国で主流だったミステリ作品であり、皆さんには過去と現代のギャップを楽しんでいただけたらと思います。

 なおこのコラムでは作品の特徴を伝えるためにストーリーの核心部分に触れていることがありますのでご了承ください。

◆『敵』が存在するミステリ

 当連載の第1回第2回に紹介した程小青孫了紅らが創作した偵探小説(探偵小説)は1949年の中華人民共和国の建国後に『黄色小説』(ポルノ小説)の烙印を押され作中で活躍していた探偵の存在が消失し、それに替わり公安が主人公となり正義の共産党員が悪の国民党員或いは台湾、アメリカ等の企みを阻止する偵探小説が成立しました。

『無鈴的馬幇』(1954年)は☓☓寨瑶彝聯防委員会という砦を瑶族と彝族共同で防衛している組織の一員が馬に鈴を付けていない奇妙な荷馬隊を発見し、それのあとを追い彼らと接触するというサスペンス色が強い作品です。この荷馬隊、中国の社会主義化を良しとしないとある国家から命じられて物資を運搬しています。この物資が敵の手に渡ることをどう防ぐのかが本作の肝です。

 そして『双鈴馬蹄表』(1955年)では共産党にとって重要な記念日である五一(メーデー)の日にテロが行われるという情報を掴んだ公安が被疑者を洗う中で怪しげな馬蹄表(置き時計)の存在に気が付くというストーリーです。公安が仕入れた情報自体に敵方の罠が隠されており作品に最後まで緊張感を保ち続けています。

『黒眼圏的女人』(1956年)は中国人民解放軍政治部内に潜り込んだ特務(スパイ)を炙り出すという話であり、教師を名乗り目の下にくまのある女が重要な鍵を握っています。この作品ではスパイとして経歴が非常に有能なキャラクターが登場するのですが、この経歴を全然活かせないまま終わってしまうのが残念です。

 このようにこの時代の偵探小説には中国共産党を脅かす敵が存在し、作中に描かれる謎もスパイの正体や敵の工作活動の目的など個人では対応できない犯罪のため公安が主人公にならざるを得ず、公安側の負けはないため読んでいて展開が気になるということはありません。

◆その他の当時の時勢を反映した作品群

 偵探小説を書くことを禁じられた偵探小説作家は上述したような作品を書くことで生き残りました。第1回で紹介した程小青『生死関頭』(1957年)は香港から中国大陸へ入った国民党のスパイが大陸の豊かな姿を目にし、人々の優しさに触れて改心するというストーリーで、敵である国民党を主人公にして外部の視点から如何に共産党が素晴らしいかを語った異色の作品でした。

 程小青は本作の発表の同年に「共産主義の品性道徳と科学的思考を持つ主人公を描き、社会にあるゴミみたいな作品を消滅させ、読者の要望を満たす」という内容の記事を書いており、本作からは中国(共産党)の規制によって今まで通りの作品を発表できなくなった彼が時代に適合した作品を書こうとした試行錯誤が伺えます。

『黒眼圏的女人』で面白い背景を持ったキャラクターがもったいない使われ方をしたようにこの時代の偵探小説は往々にして人物造形が軽視されておりますが、流石に程小青は本来中国大陸の人間が何故国民党のスパイとなり、如何にして再び共産党を信じるに至ったかの心の移り変わりを巧みに描いております。

 偵探小説の中で当時の中国は様々な手段で常に敵から脅かされております。林欣の『「賭国王后」牌軟糖』(1958年)では子どもたちにプレゼントをするという名目で香港から『賭国王后』というメーカーのグミに似せた大量の爆薬が持ち込まれ、世界各国のビジネスマンが集まる展覧会を爆破させる計画が明らかになります。

 弐丁の『一具無名屍体的秘密』(1960年?)はアメリカ製の小型爆弾に体を粉々に破壊された死体がきっかけとなり、スパイによる国家事業である炭鉱建設の破壊計画が判明します。

 その他当時の時代背景を上手に作品に利用しているのが国翹の『一件積案』(1959年)と葉一峰の『一件殺人案』(1956年)でしょう。前者は1948年に起こった死体遺棄事件がその後の建国事業のゴタゴタで処理されず、その十年後の1958年に未解決事件として公安が解決するという話で、国民党の統治時に解決できなかった事件の謎が共産党政権下で明らかになるという構成には政治的意図を感じさせられます。

 後者は『一件の殺人事件』のタイトルでは片付けられない一人のスパイの話なのですが、上述の『生死関頭』に登場したスパイとはその性格も最期も全てが真逆でした。共産党の『文芸工作団』に入団したスパイは組織での地位を高めていく一方スパイとしての本来の職務を忠実にこなし表と裏双方で出世して行きますが、結局は利用するためだけに結婚した妻を殺害して全てが終わります。今作でスパイは妻への愛情や板挟みの苦悩も感じず、共産党に感銘も受けない血も涙もない冷酷な悪人としてしか描かれていません。

 新中国成立の裏側で既存の偵探小説は犠牲となりましたが、内容を共産党の要求と折り合いをつけることによってこの時期の作品もまた中国ミステリを支える礎として現代まで残ることができました。この時期の中国ミステリは確かに面白くはないのですが、中国ミステリの変遷を知るには重要ですので目を通しておくぐらいは必要かもしれません。

阿井 幸作(あい こうさく)

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中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。

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