注意!

 この連載は完全ネタバレですので、ホームズ・シリーズ(正典)を未読の方はご注意ください。

 このコラムでは、映像作品やパスティーシュ、およびコナン・ドイルによる正典以外の作品を除き、全60篇のトリックやストーリーに言及します。(筆者)

■資料の部の原則(このコラム全体で使う略称)

 SH:シャーロック・ホームズ

 JW:ジョン・H・ワトスン

 SY:スコットランド・ヤード

 B=G:ウィリアム・ベアリング=グールド(研究者)

 ACD:アーサー・コナン・ドイル

 BSI:ベイカー・ストリート・イレギュラーズ(団体)

 SHSL:ロンドン・シャーロック・ホームズ協会

 正典:ACDの書いたホームズ・シリーズ(全60篇)

■今回の変更点(追加・訂正)

    • このコラム全体で使う略称に、以下を追加します。

BHL:The Black-Headed League(黒髪連盟……日本シャーロック・ホームズ・クラブで最初にできた支部)

    • 資料の部の項目「有名なエピソード、要素など」は削除しました。資料の部「物語・構成のポイント」の項にあらすじにおける重要点を書き、コラムの部「作品の注目点、正典における位置づけ、書誌的なことなど」の項に、作品自体の注目点(この作品ならではの話題)、ホームズとワトスンはどんな時期だったか、この作品で初めて登場するもの(人)などを書きます。
    • 「本作の内容またはタイトルを使ったパスティーシュ(の一部)」の項目も、当面削除することにします。主な理由は連載をスムーズに行ううえでのさまたげになるからですが、目下整理中(データベース作成中)ですので、最終回にまとめて掲載させていただきます。その際は、さまざまなキーワードによる正典60篇の分類や、ホームズ130年史の年表などの制作も予定しています。
    • 前回の訂正……コラムの部「翻訳に関する話題」の項の1行目

【誤】「邦訳のつけ方」 →【正】「邦題のつけ方」

●今月のお詫び

 本来なら9月中にアップされなければならないのに、すっかりお待たせしてしまい、申し訳ありませんでした。公私まぜこぜの国内外旅行が連続したため、過労がたたって倒れ、ひと月分の休載となったしだいであります。私もついに節目の歳となりましたので、今後は自己の体力を過信しないよう、気をつけていきます。

■第8回「ボスコム谷の謎」■

【1】資料の部

  • 原題……The Boscombe Valley Mystery(Strand Magazine英・米両版)

/略称:BOSC

  • 主な邦題…………「ボスコム谷の惨劇」(新潮文庫、創元推理文庫/深町眞理子訳、河出文庫、角川文庫/石田文子)、「ボスコム谷の謎」(ちくま文庫、講談社文庫、光文社文庫)、「ボスコム渓谷の惨劇」(創元推理文庫/阿部知二)、「ボスコム渓谷の謎」(ハヤカワ文庫)、「ボスコム谷の秘密」(角川文庫/鈴木幸夫)、「ボスコム渓谷」(集英社コンパクト・ブックス)。その他明治・大正時代の訳に「親殺の疑獄」「坊主ヶ谷の疑獄」「死刑か無罪」「湖畔の暗殺」などがある。

/略称:『ボスコム』

  • 初出……Strand Magazine 1891年10月号(英)、Strand Magazine 1891年11月号(米)
  • 初出時の挿絵……シドニー・パジェット(英・米とも)
  • 単行本初版……The Adventures of Sherlock Holmes 1892年10月14日(英)、1892年10月15日(米)
  • 事件発生・捜査年月……事件発生は1889年6月3日、捜査は1889年6月8日〜9日(B=G)
  • 登場人物(&動物)
    • SH、JW
    • 依頼人……アリス・ターナー(ジョンの娘、18歳)
    • 被害者……チャールズ・マッカーシー(ジョン・ターナーの古い知り合い)
    • 犯人/悪役……ジョン・ターナー(ボスコム谷の地主)
    • 警察官……レストレード警部(SY)
    • 若い女性キャラ……アリス・ターナー
    • その他……ジェイムズ・マッカーシー(チャールズの息子、18歳)、メアリ・ワトスン
    • 実際には登場しない人物……ウィリアム・クラウダー(猟場管理人)、ペイシェンス・モラン(ボスコム谷の地所管理人の娘、14歳)、ウィローズ(ジョン・ターナーの主治医)、アンストラザー(ワトスンの留守中に代診をつとめてくれる医師)
  • 執筆者……JW
  • ストーリー(あらすじと構成)

 ホームズからの電報で誘われ、西部イングランドへ同行することになったワトスン。ボスコム谷でチャールズ・マッカーシーという男が殺され、捜査に行き詰まったレストレード警部がホームズを呼んだのだった。

 ヘレフォードシャーの町ロスへの車中、ホームズは長々と事件のあらましを語ってくれた。被害者マッカーシーは、ボスコム谷最大の地主であるジョン・ターナーから、所有する農場のひとつを借りているが、二人はともにオーストラリア植民地からの引きあげ者だ。植民地で知り合い、ボスコム谷では対等な付き合いをしていたが、ターナーのほうがはるかに裕福な暮らしをしている。

 マッカーシーには18歳になる息子ジェイムズが、ターナーにも同じ年の娘アリスがいる。そのジェイムズが、父の死の直前に二人で口論しているのを目撃され、容疑者として逮捕されていた。父親の死因は鈍器による強打だが、これは息子が事件当時持っていたのを目撃された銃の台尻によるものと考えられた。

 ジェイムズは逮捕された当初、自分が受けるべき当然の報いだと口走ったが、その後すぐ撤回し、無実を主張した。検死裁判における彼の証言によれば、ボスコム池のあたりを歩いているとき、父とのあいだで使っている合図の「クーイー」という声が聞こえて行ってみたのだが、父は自分を呼んだわけではなかったという。その後、父と口論となって池を離れたものの、すぐに叫び声が聞こえ、引き返した。まだ父は生きていたが、「ア・ラット(一匹のねずみ)」という言葉だけを残して息を引き取ったのだった。なぜ口論になったのか、その理由については話せないという。

 当初レストレードに捜査を依頼したのは、ジョン・ターナーの娘アリスだった。だが、ジェイムズが犯人としか考えられないとしてレストレードがさじを投げると、アリスはホームズへの依頼を提案したのだった。

 ジェイムズとは幼なじみのアリスによれば、ジェイムズの父親は息子とアリスの結婚を望んでいたが、ジェイムズ自身はまだそれを望んでいないことから、いさかいが絶えなかったという。アリスの父ジョンも、その結婚話に反対していた。だがアリスは、ジェイムズの人柄なら絶対に殺人などしないはずだと、かたく信じていた。

 拘置所のジェイムズに面会したホームズは、新たな事実をつかむ。彼はアリスを愛していたが、彼女と知り合う前に、ブリストルの酒場の女と軽率にも結婚届を出していた。そのためアリスとの結婚を勧める父親と口論が絶えなかったのだった。だが、ジェイムズが死刑になりそうだと知ったその酒場女は、別に夫がいるという内容の、縁切りの手紙を送ってきていた。

 では、誰がマッカーシーを殺したのか? 当時マッカーシーがボスコム池で誰かと会う約束をしていたこと、息子が帰ってきているのを知らない彼が「クーイー」という合図を使ったことの2点が重要だと、ホームズは言う。

 ボスコム池周辺の犯行現場を調べたホームズは、例によって猟犬もかくやというばかりの熱心さで、足跡を調べたり遺留品を集めたりする。その結果たどりついたのは、犯人が「背が高く、左ききで、右足が悪い。底のぶ厚い狩猟用の靴を履き、グレイの外套を着て、ホルダーを使ってインド産葉巻きを吸う」男だという結論だった。犯行に使われたのは、森の中に落ちていた石だという。

 さらに彼は、ホテルに戻ったワトスンに、マッカーシーの「クーイー」という合図はオーストラリアにいたことのある人物に呼びかけたものであり、「ア・ラット(一匹のねずみ)」は「アララット」というオーストラリアの地名の一部であると教える。

 そのとき入ってきたのが、ホームズの手紙で呼ばれたジョン・ターナーだった。糖尿病で余命ひと月というターナーは、事の顛末を話しはじめた。

 1860年代初め、オーストラリアに渡って金鉱にいたターナーは、身を持ち崩し。山賊となっていた。通り名はバララットのブラック・ジャック。あるとき襲った金塊輸送隊の御者を殺さずに見逃してやったのだが、それがチャールズ・マッカーシーだった。金塊で大金持ちになり、イギリスの帰ったターナーは、ボスコム谷に土地を買って落ちつく一方、若くして亡くした妻の忘れ形見アリスと一緒に、まともな道を歩きはじめた。

 ところが、ロンドンで偶然マッカーシーに出会ってからターナーの不幸が始まる。マッカーシーは彼を強請ってあらゆるものを手に入れたあげく、アリスを息子の嫁にと要求してきた。それだけはゆずれぬターナーは、決着をつけようとボスコム谷で落ち合って話をするが、鬱積した怒りに我を忘れ、石で殴り殺してしまったのだった。

 ホームズは供述書に署名させると、ターナーを警察に引き渡さず、帰してしまう。だが、供述書を使うまでもなく、ホームズの作成した異議申請書により、ジェイムズは無罪を言いわたされた。ターナー老人は事件後7カ月で死去し、アリスとジェイムズは父親たちの過去を知らぬまま、結ばれることとなる。

  • ストーリー(ショートバージョン、あるいは本音のあらすじ)

 ボスコム谷の大地主ジョン・ターナーから農場を借りているチャールズ・マッカーシーが、ボスコム池で殺された。事件直前の口論、鈍器による頭の殴打、手と袖についた血、草地に転がっていた銃という状況証拠により、彼の息子ジェイムズが逮捕される。だが彼は口論の理由を話さず、父親が残した「a rat(一匹のネズミ)」という言葉も謎のままだった。

 彼の無実を信じるアリス・ターナー(ジョンの娘)に依頼されたホームズは、ジェイムズに面会し、事件の現場周辺を精力的に調べた結果、細かい犯人像を推理する。その犯人像はまぎれもなく、ジョン・ターナーを指していた。ターナーとマッカーシーはともにオーストラリアからの引きあげ者で、その過去にいわくがありそうだった。

 一方、マッカーシー父子の口論は、アリスとの結婚を進める父を息子が受け入れないせいだった。ジェイムズは2年ほど前、ブリストルの酒場女にのめりこんで、軽率にも結婚届まで出してしまっていたのだ。

 糖尿病で余命幾ばくもないターナーは、ホームズとワトスンに真実を語る。オーストラリア時代、アララット・ギャングという強盗団にいた彼は、襲った馬車の御者マッカーシーを見逃してやった。ところが帰国後に出会って以来、強請られるようになる。20年近いあいだ我慢してきたターナーは、娘を相手の息子の嫁にと強要され、ついに犯行におよんだのだった。

 ジェイムズはホームズの作成した異議申請書により無実となり、しかも酒場の女が縁切りの手紙を出してきたことから、めでたくアリスと結婚できることになるという、都合のいい結末。

  • 事件の種類……殺人事件。
  • ワトスンの関与……事件捜査に同行。
  • 捜査の結果……真犯人の供述を得るが、公表せず。つまり公には殺人事件が解決していない。依頼人の望み(ジェイムズの無罪獲得)は、はたした。
  • ホームズの報酬/事件後の可能性……真相を究明したが依頼者には説明せず、という点では前作「花婿」と同じだが、今回は依頼人の望みにこたえているので、何らかの報酬はあったと思われる。ワトスンの記述では、ターナー家の遺産を継いだアリスがめでたくジェイムズと結婚することになった(婚約した)ととれるので、そのご祝儀がてら、ホームズへの支払いも十分なものだったろう。

 とはいえ、ホームズはターナーの供述書を使わなかった(公開しなかった)のだから、ジェイムズの父親を殺した真犯人はわからぬままで、ホームズは事件を解決できなかったことになる。公には「失敗」のひとつか。ジェイムズ自身がさらなる解決を欲しなかったのか、問題は残る。

  • 物語・構成のポイント
    • 正典としては珍しく(引用ではあるが)法廷シーンがある。
    • 鉄道を使うこと、列車の中でホームズがワトスンに事件のあらましを聞かせることは、正典のひとつのパターンであり、魅力でもある。
    • ボスコム池の犯罪現場におけるホームズの行動——拡大鏡を取り出し、地面にレインコートを敷くと、いきなり腹ばいになってあたりを観察する——は、ユーモラスでさえあるが、その後、犯人はどんな人物かをすらすら説明するシーンとともに、いかにもホームズらしい場面。このときの「足跡分析」は、のちの無数のパスティーシュ群においてホームズものの典型として扱われている。また、現場を荒らした警察官を非難するのも、『緋色』のときと同様、ホームズものの典型。過去の事件で見逃した(助けた)相手に何十年か後に強請られるというパターンは、「グロリア・スコット号」と同じ。
  • ホームズの変装
    • なし
  • 注目すべき推理、トリック
    • ワトスンの家の寝室の窓が右側についている、という推理(車中における推理。ワトスンのひげの剃り方から)
    • 犯人が「背が高く、左ききで、右足が悪い。底のぶ厚い狩猟用の靴を履き、グレイの外套を着て、ホルダーを使ってインド産葉巻きを吸い、ポケットに刃先の鋭いペンナイフを忍ばせている」男だという推理。
  • 本作に出てくる“語られざる事件”(ホームズが関わったもののみ)
    • なし
  • よく引用される(あるいは後世に残る)ホームズのせりふ
    • 「事件の異常さというやつは、それ自体がひとつの手掛かりになる。犯罪事件というのは、特色のない平凡なものほど、犯人をつきとめにくいものなんだよ」
    • 「ぼくのやり方はよく知ってるじゃないか。些細なことを観察してだよ」……You know my method はシービオク『シャーロック・ホームズの記号論』(岩波書店)の原題ともなっている。
    • 「ぼくはパイプ煙草、葉巻き、紙巻き煙草など百四十種類に及ぶ煙草の灰について、ちょっとした論文を書いた」
    • 「神の恩寵がなかりせば、シャーロック・ホームズも同じ道をばたどるべし」……ホームズはバクスター(17世紀イギリスの神学者)の言葉をもじっているつもりだったが、正しくはジョン・ブラッドフォード(16世紀のプロテスタント殉教者)の言葉で、「神の恩寵なかりせば、ジョン・ブラッドフォードも同じ道をばたどるべし」から。
  • 注目すべき(あるいは有名な)ワトスンのせりふおよび文章
    • (ホームズは)長い灰色の旅行用マントに身を包み、ぴったりした布の帽子をかぶって(いた。)
    • 駅のプラットホームには、ずる賢いイタチみたいな顔つきのやせた男がひとり、わたしたちを待っていた。(レストレード警部の形容)

◆今月の画像

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【左:今月の画像(1)「ボスコム」掲載の『ストランド』誌(1891年10月号)】

【右:今月の画像(2)『ストランド』誌挿絵 車中のホームズとワトスン】

【2】コラムの部

  • 作品の注目点、正典における位置づけ、書誌的なことなど

 第一短篇集『冒険』中の作品としてはやや忘れられがちだが、重要な点をいくつかもっている。特に、ディア・ストーカーとインヴァネス姿らしきホームズの記述が出てくる点は、注目すべき。正典の文章中には「長い灰色の旅行用マントに身を包み、ぴったりした布の帽子をかぶっている」としかないが、シドニー・パジェットが挿絵でディア・ストーカ(鹿撃ち帽)をかぶせたことで、現在のホームズのイメージができあがった。ディア・ストーカーを初めてかぶらせたのがパジェットでないことは、本稿第4回『四つの署名』その2で紹介したが、マントを含めた全体像を定着させたのが彼であることは、間違いない。

 また、電報でワトスンがホームズから捜査に誘われるというパターンの、最初のものでもある。“ホームズ”を表わすアイコンはディア・ストーカー、インヴァネスコート、パイプ、拡大鏡などだが、電報は馬車や霧やガス灯などとともに、正典特有の時代らしさを表わす印象的なアイコンのひとつと言える。ちなみに、正典後期の電文はもっと素っ気ないものだ。

 レストレード警部はスコットランド・ヤード、つまりロンドン警視庁の刑事部所属だが、ここではヘレフォードシャーという管轄外の土地の事件に、民間人であるミス・ターナーたちの依頼により出張している。当時は費用の負担さえすれば、彼らを雇うことができたのである。

  • 邦題の話題

 原題は“The Boscombe Valley Mystery”なので、「ボスコム谷」ないし「ボスコム渓谷」の、「謎」ないし「秘密」で戦後の訳はほぼ統一されている。資料の部に示した「坊主ヶ谷の疑獄」は明治34年の訳で(慶應義塾学報)、「ボスコム」を「坊主」に置き換えているが、明治・大正期はこういうことが普通に行われていた。

 その明治・大正期には、「ボスコム」でなく「ボスコーム」ないし「ボスコオム」という表記もけっこう見受けられる。これは Boscombe の発音に忠実なカタカナ表記をしようとした結果であろう。combe / comb / coombe / coombはいずれも、険しく深い谷や山腹の谷を意味し、「クーム」または「コウム」という発音になるからだ。

 だったら「ボスクーム谷の謎」または「ボスコウム谷の謎」が正しいのではないか、と思われるかもしれない。だが、Boscombe という一語になった場合、事情が変わるようだ。ネットの発音サイトとして有名な〈Forvo〉Boscombe を検索すると、イギリス人の発音ではっきり「ボスコム」ないし「ボスカム」と聞こえる。同じ人の発音で Boscombe Valley もあり、これも「ボスコ(カ)ム・ヴァリー」と聞こえるのだ。

 つまり、正典の邦題として採用するなら、「ボスクーム」でなく「ボスコム」でいいわけである。Wikipedia 英語版にも Boscombe の項目はあり、“Boscombe /ˈbɒskəm/ is a suburb of Bournemouth. Historically in Hampshire, but today in Dorset”と説明されている。この発音記号からも、前述のことが言えるだろう。同項にはさらに、「1273年には“Boscumbe”が『とげだらけの植物(おそらくハリエニシダ)が生い茂った谷』を意味する古英語からきたものだという記述もある」というくだりもある。Wikipediaの日本語版は信頼度のかなり低いものが多いが、英語版はある程度信頼できるのではないだろうか。

 ちなみに、児童向けリトールド版では Sherlock Holmes and the Mystery of Boscombe Pool(シャーロック・ホームズとボスコム池の謎)というタイトルに変えた本も刊行されている(Penguin Readers)。

  • シャーロッキアーナ的側面

 ジャック・トレイシー『シャーロック・ホームズ大百科事典』では、架空の事物や地名の項目に*印を付けているのだが、「ボスコム谷」の項目にも、この*が付いている【注1】。つまり「ボスコム谷」は実在しないと言っているわけだ。ただ、ワトスンの書いている「ヘレフォードシャーのロスという町からそう遠くない郊外」には実在しないものの、イギリスのほかの州にはあるようだ。たとえば河出文庫版『冒険』の注には「ハンプシャー州のボスコム渓谷の名前を採ったもの」と書かれており、これは前述の Wikipedia にあるボスコムのことを言っていると思われる。

 また、ネット上のBritish History Onlineサイトにはウィルトシャーのソールズベリ近郊にあるボスコムが紹介されており、ここは Bourne valley という谷のすぐ近くにあるらしい。David Hammer など「ゆかりの地研究」の先達は、すでにこの地へ実地検分におもむいているのだ。研究者によっては、ヘレフォードシャーのロス近郊にある“Bolstone”または“Boulstone”という町がボスコムだと考えている者がいる一方、前述のHammerはウェールズとの国境近くに「ボスコム池」を見つけたと書いているが、これ以上はあまりにもシャーロッキアーナに傾きすぎなので、やめておこう。

【注1】パシフィカ版では付いているが、河出書房版では落ちてしまった。この場を借りてお詫び申し上げたい。すでに絶版となり、文庫化の可能性もないので、訂正の機会はないものと思われる。

  • ドイリアーナ的/ヴィクトリアーナ的側面

 多少繰り返しになるが、ドイルは最初のホームズ短篇「ボヘミア」から4篇目の「ボスコム」までを、一作につき一週間から十日間という、かなりのスピードで書いている。そして本作「ボスコム」を書き上げた一週間後に、悪性のインフルエンザにかかって死にかかるが、なんとか回復して次作の「オレンジの種五つ」を脱稿、「唇のねじれた男」で初期の約束である6作を完結させた。その少し前に『ストランド』誌での連載が始まり、ドイルもホームズも時の人となったわけである。

 なぜこんなに早く書けたのか。いくつか理由があろうが、長いあいだ雑誌への短篇投稿で腕をみがいてきたということも、そのひとつではなかろうか。当時すでに『マイカ・クラーク』『白衣の騎士団』などの単行本で評判をとりはじめていたドイルだが、月刊誌への短篇執筆にも依然として力を入れていた。ちょうどそのころ、A.P.ワットという優れたエージェントと出会う一方、『ストランド』の名編集長グリーンハウ・スミスとも出会い、最初のホームズ短篇の魅力が認められたのだった。ちなみに、「ボヘミア」は『ストランド』誌の1891年7月号掲載だが、これはドイルが同誌に書いた最初の作品ではなく、同年3月号に「科学の声」という短篇小説(中央公論社『最後の手段』所収)を書いている。

 いずれにせよ、このインフルエンザから回復したときにドイルは文筆一本で生活していこうと決心し、診療所をたたんでロンドン中心部から郊外のサウス・ノーウッドへ引っ越したのだから、「ホームズもので売れた」というだけでなく、この時期は彼の人生にとって最も大きな転機だったと言えよう。

  • 翻訳に関する話題

 翻訳者を悩ませるものは、意味のわからない単語や正解のないカタカナ表記だけではない。原著者の不正確な(あいまいな)記述も、そのひとつである。

 ドイルの場合も、動物の扱い(「まだらの紐」)や競馬の問題(「名馬シルヴァー・ブレイズ」)などの根本的なミスをはじめ、ストーリー上のクロノロジカルな矛盾(「赤毛組合」)や単純な書き間違いまで、数々の問題がある。

 この場合、現存の著者ならば直接問い合わせて訂正することができるだろう。だが、ドイルをはじめとする物故作家の場合は、それができない。ストーリーの根幹に関わるような問題がある作品がわざわざ翻訳されることは、現代作品ならありえないが、こうした古典作品の場合は「古典だからそのままにしました」という言い訳を使うことになるのである。

 一方、原著者に問い合わせるまでもない細かな問題——日付のミスや登場人物の形容の矛盾などは、編集部との協議により、辻褄を合わせて書き直すことが多い。ミステリーの出版社のほとんどは、そうした対処をしているはずだ。読者がすんなり読めることを第一に考えれば、そうなるだろう。

 たとえば今回の「ボスコム」では、こんな例がある。

 物語の中盤で、ホームズはワトスンにこう言う。

「ジェイムズがブリストル行きで三日間も家を留守にしていたのも、実はその酒場の女と会うためだったんだ。父親のほうはもちろん、息子の行き先なんてまったく知らなかった。」

(It was with his barmaid wife that he had spent the last three days in Bristol, and his father did not know where he was.)

 その後、「クーイー」という合図についてワトスンに説明するとき、ホームズはこう言っている。

「うん、だから、それは明らかに息子にかけた声じゃなかったということになる。父親はそのとき、息子はブリストルに行っているものとばかり思っていたんだからね。」

(Well, obviously it could not have been meant for the son. The son, as far as he knew, was in Bristol.)

 つまり、原文を見るかぎり、前者では「父親は息子がどこにいるか知らなかった」と言っているのに、後者では「父親は息子がブリストルにいると知っていた」と言っており、矛盾することになるのだ。

 これはシャーロッキアンを喜ばせる問題提起にはなっても、一般読者にとってはさまたげになりかねない。この程度は読み飛ばしてくれる読者が多いかもと思いながらも、一度気づいた翻訳者としては気になってしまうわけだ。

 ではどうするか。ある程度無難な対処法としては、前者のせりふを「父親のほうはもちろん、そんなことはまったく知らなかった。」と変える手がある。

 あるいは、後者のせりふから「ブリストル」を削って、「息子が帰ってきていることなんか知らなかったんだからね。」とするやり方もある。

 ただ、この二箇所より以前の検死裁判のくだりで、検死官が

「では、証人の姿を見かけてもいないのに、いや、それどころか、ブリストルから帰ってきたことすら知らないのに、父がその合図をしたというのは、どういうことでしょう?」

(How was it, then, that he uttered it before he saw you, and before he even knew that you had returned from Bristol?)

 と言っている場面があるので、この「ブリストル」を活かすとしたら、ひとつ目の改変のほうが原作により忠実と言えるだろう。

 長々と書いたが、実は拙訳(光文社文庫版)も、この点に気づいたのがつい最近なので、修正は次の版からとなる。面目ないしだいだ。

 それはともかく、ホームズものならではの難しさは、もうひとつ別のところにある。エンターテインメント小説として刊行されたはずのものが、「研究」や「お勉強」の対象となったりするからだ。ホームズ研究家は、ワトスンの記述の間違いでさえ研究対象とするのだから、作品としてのミスを直されてしまっては困ることになる。また、作品に出てくるホームズの外見に関する形容詞を数える研究者にとっては、似たような意味の原文だからといって翻訳家が形容詞をひとつ省いたりすれば、大きな問題になる。彼らにとっていちばんいい翻訳とは、一字一句たりと省略しない、原文の単語と一対一で訳語が存在するものなのだ。

 だが、大多数の読者はホームズものを「ミステリ小説」として読むのだから、やはり出版社本来の姿は、小説として面白く読めるものを出すことにあるだろう。

 かくして、正典の翻訳はいつまでたっても頭の痛い問題を含むわけである。

◆今月の画像

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【左:今月の画像(3)ウィルトシャーのソールズベリ近郊にあるボスコムの地図(1939年)】

【右:今月の画像(4)ヘレフォードシャーのロス近郊にあるBolstoneの地図(1899年)】

★今月の余談★

 冒頭のお詫びで「公私まぜこぜの国内外旅行」と書いたが、そのひとつはスイスのホームズ協会がダヴォスで開いたコナン・ドイル関係のシンポジウム、“Alpine Adventures: Arthur Conan Doyle and Switzerland”に参加するというものだった。例によって、機会あらば『ミステリマガジン』に旅のレポートを書きたいと思っているが、その場合も紙幅の都合であまり発表の中身やエピソードを詳しく書くことはできないと思うので、ここにいくつか書き留めておきたい。

「ダヴォス会議」で知られるこの地は、冬のスキー・リゾートとしてもご存じの方が多いだろう。19世紀後半から20世紀初めは、高地の澄んだ空気が結核患者に向くため、多くのサナトリウムが設置されていた。現在はその多くがリゾートホテルとなっている。

 シンポジウムが行なわれたのは、この地でも最も眺めのいい展望台をもつホテルで、そこもやはり、かつてはサナトリウムだった。結核になったトゥーイ(ひとり目の妻)の療養のためダヴォスを訪れたドイルが、さまざまなウィンター・スポーツを楽しんだことは、有名な話だ。

 イベントは9月末の週末3日間にわたって行われ、7人の世界的シャーロッキアンによる発表(レクチャー)のほか、ダヴォスにおけるドイルゆかりの地めぐりや、スイスに関係したホームズ映画の上映などがあった。

 7人の発表はいずれも「スイスとドイル」がテーマだが、中でも翻訳家としての私が興味を強く抱いたのが、マリーナ・スタジク(Marina Stajic)という女性のレクチャーだった。彼女はニューヨーク市の検死局にある法医毒物学研究所のディレクターで、BSIの会員でもあるヘビースモーカー。だが、今回の発表テーマは毒物学でなく、BSIの姉妹団体であるASH(The Adventuresses of Sherlock Holmes)における彼女の会員名“レディ・フランシス・カーファクス”にちなんだものだ。

 彼女が今回テーマにしたのは、正典「レディ・フランシス・カーファクスの失踪」(以下「フランシス」)でレディ・フランシスが滞在する「バーデン」は、スイスのバーデンなのかドイツのバーデン・バーデンなのか、という問題であった。

 この話は「フランシス」の回で書くべきかとも思ったが、まだ40回も先のことなので、そのときには忘れてしまうというリスクを回避するためにも、ここで書いておきたい。

 ワトスンはこう書いている。

 わたしの捜査の第一章は、ここまで。第二章は、ローザンヌをあとにしたレディ・フランシスが目指した場所はどこか、ということである。考えれば考えるほど秘密めいていて、ついてくるだれかを振り切ろうとしていたのではないかという思いが強くなる。そうでもなければ、なぜ、荷物にバーデン行きのラベルをわかりやすく貼らなかったのか? 本人も荷物も、このライン川流域の温泉地(スパー)にいささか回り道をしてたどり着いたのだった。

 原文には Baden としかないのだが、ドイツ語版の翻訳者はこれを“Baden-Baden”と訳していた。そのため、ドイツ語の全集で育った読者はみな、レディ・フランシスがローザンヌから向かった場所がスイスのバーデンでなく、ドイツのバーデン・バーデンだと思っている、とマリーナは指摘する。

 実際、河出文庫版(オックスフォード版)の注やクリンガーの『新・注釈付き全集』の注などを見ると、この「バーデン」は通常「バーデン・バーデン」のことであるとされ、そこにはレディ・フランシスの泊まったエングリッシャー・ホーフ(英国館)もあった、と書かれている。「ライン川流域の温泉地」という表現からも、温泉地保養地として名高いバーデン・バーデンを思い浮かべる人も多かろう。

 だが、スイスにもバーデンという保養地があり、古代ローマのころから知られていた。この町はリマト川沿いにあるが、この川はアーレ川の支流であり、アーレ川はライン川に注いでいる、と河出書房版(文庫でなく単行本のほう)にも書かれてある。

 マリーナは、ローザンヌからバーデン・バーデンまでの距離がバーデンまでの倍以上ある点を、詳しく説明した。バーデンがローザンヌから近いからこそ、ワトスンは「回り道をしてたどり着いた」と言っているのである。

 また、バーデン・バーデンでは1870年代にホテルのカジノが禁止になったが、バーデンでは営業していたことなど、スイスのバーデンこそがワトスンの記述に合うのだという理由を、いくつか挙げた。

 では、なぜドイツの翻訳者たちは、原文に Baden としかない地名をバーデン・バーデンと訳したのか。日本の翻訳者にとっても人ごとではない。

 もちろん、ドイツの地名のほうが先に頭に浮かんだということはあろう。ドイツの読者にとって、そのほうが通りがいいのかもしれない。ドイツでは Baden だけでバーデン・バーデンを意味することもあるし、結果的にホームズ研究家たちの説と同じになったのなら問題はないという考え方もあろう。

 だが、スイスを舞台にした話でローザンヌから移動した先が“Baden”とだけあれば、まずはスイスの地名から考えねばならない。そのうえで比較検討の結果バーデン・バーデンのほうが正しいと判断したのなら、あえてそうする手もあろう。ただ、前述の「翻訳者が読者のためを思っての改変」は明らかなミスの場合なので、ほんとうにそうしていいのか、微妙なところだ。もし何も考えずにドイツの地名と解釈してしまったのなら、訳者のミスと言わざるを得ない。

 マリーナのレクチャーを聞きながら、そんなことを考えこんでいるうちに時間が過ぎてしまった。ふと我に返ると、彼女はこう話をしめくくった。

「Baden は英語の bathe(入浴する)を意味しますが、その過去分詞 gebaden には英語で get lost(なくなる/くそくらえ)の意味もあります。そこで、最後にこう言いましょう。“Baden-Baden, gebaden.”」【注2】

【注2】過去分詞は正しくはgebadetだと思うが、gebadenという使いかたも見受ける。gebaden = get lostについては未確認。方言または古語か。私の聞き間違いだったらご容赦を。

日暮 雅通(ひぐらし まさみち)

 1954年千葉市生まれ。翻訳家(主に英→日)、時々ライター。ミステリ関係の仕事からスタートしたが、現在はエンターテインメント小説全般のほか、サイエンス&テクノロジー、超常現象、歴史、飲食、ビジネス、児童書までを翻訳。2014年も十冊ほど訳書が出る予定。

 個人サイト(いわゆるホームページ)を構築中だが、家訓により(笑)SNSとFacebook、Twitterはしない方針。

日本人読者のためのホームズ読本:シリーズ全作品解題(日暮雅通)バックナンバー