ヴァイオリンはお好きですか? あるいは、渋い初老のおじさまは好きですか? イタリア料理は? 旅は? 歴史の裏話は好きですか? ひとつでも当てはまるものがあれば、きっと本書を楽しんでいただけることと思います。

 今月に出ましたこの新刊『ヴァイオリン職人と天才演奏家の秘密』、ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、今年の5月に刊行された『ヴァイオリン職人の探求と推理』の続編にあたります。

 まずは前作をざっくり紹介しますと、イタリアに住む名ヴァイオリン職人・ジャンニの親友が何者かに殺されました。その裏には、史上最高のヴァイオリンと言われるストラディヴァリ作“メシア”に匹敵する未発見の名器がからんでいるもよう。発見されれば、その価値は十億円以上。ジャンニは長年つちかってきた職人としての人脈と知識を武器に、年下の友人で刑事のアントニオとともに、親友を殺した犯人と幻のヴァイオリンを探してヨーロッパを駆けめぐります。そしてつかんだ意外な真相とは……。このストーリーにクラシックの音楽史や歴史の裏話、白熱するオークションやヴァイオリン売買業界の闇といった重めのエピソード、さながらヨーロッパグルメ紀行・美術館めぐりといった軽く楽しい趣のシーンがはさみこまれ、物語にほどよい緩急をつけています。当初は日本で無名の作家ということもあり、比較的ひっそりと(笑)刊行されましたが、ご好評をいただき、これまで四刷を数えるに至りました。

 そして続編である本書では、やはりジャンニとアントニオのコンビ(一部ではこの二人に萌えを感じておられる方もいるとかいないとか)が、これまた史上最高と謳われている18〜19世紀のヴァイオリニスト、パガニーニにまつわる謎と殺人事件を追って、ふたたびヨーロッパを走りまわります。前作ではやや複雑だった謎ときも、今回はより整理され、読みやすくなっていますし、もちろん、華やかな歴史の内幕話もたっぷり。何と今回はナポレオンやエカテリーナ女帝まで登場するのですよ!(名前だけですが)。

 また、音楽史に燦然と輝くパガニーニが鍵の物語なので、彼にまつわるエピソードもたくさん紹介されています。最盛期のパガニーニは、その容貌と天才的な才能を武器に時代の寵児となり、コンサートに来たご婦人たちは興奮のあまり失神者が続出という人気ぶりでした。その彼と恋仲だったある貴婦人の手紙が発見されたことから、物語は始まります。詳しくはどうぞ本書をお手にとってください、前作に劣らず、いえ、さらに上質の紙上ヨーロッパ旅行を楽しんでいただけることは保証いたします。

 さて、予想以上の好評と期待をいただいている本シリーズですが、その魅力のひとつがヴァイオリンという楽器にあるようです。いってみれば、わずかな木片を組んで作られる脆弱な箱。それが名匠の手にかかると、何千何万もの聴衆を感動させる音を奏で、莫大な値をつけられる不思議さ。そして人はこうした楽器を求め、ときには手に入れますが、実はそれもほんのつかのまのこと。主人公のジャンニは本書の中でこう言います——「これ(ヴァイオリン)がわたしの人生を通りすぎていくのではない。わたしがこれの人生を通りすぎているのだ」と。たとえば作られて数百年たつストラディヴァリの楽器は、過去の遺物のように思われがちですが、おそらくいまいる人間の誰よりも先の未来を見るでしょう。わたしたちの誰ひとりとして、彼(彼女?)より長く生きることはない。けれど、たとえ人の生は短く、その手で作った楽器に命数をこえられるさだめだとしても、伝え継がれていくものはある。ジャンニが本当に言いたかったのはそういうことだと思います。彼はストラディヴァリをはじめとする過去の名匠たちの後継者として、連綿とつづいていく人間の営みを受け取り、のちの世代に渡していく中間ランナーであることを誇りとしています。彼はヴァイオリンをこの世に生みだす人間ですが、実はヴァイオリンのほうが彼に命を与えているのです。

 それでは最後に、本書にも登場する、ストラディヴァリと並び称される名ヴァイオリン職人、グァルネリ・デル・ジェスの最高傑作“大砲(イル・カノーネ)”の音色をお届けしましょう。曲はパガニーニ作曲のヴァイオリン協奏曲一番です。デル・ジェスが約二百七十年の時をこえて、いまも生き生きとわたしたちに語りかけてくる声を、どうぞ受け取ってください。

青木 悦子(あおき えつこ)

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 東京出身&在住。本とクラシックとブライスを偏愛し、別腹でマンガ中毒。翻訳ミステリー東東京読書会の世話人。主な訳書:ポール・アダム『ヴァイオリン職人の探求と推理』、マイクル・コリータ『冷たい川が呼ぶ』『夜を希(ねが)う』、J・D・ロブ〈イヴ&ローク・シリーズ〉など。

 ツイッターアカウントは @hoodusagi

■編集者のコメント

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 こんにちは。担当編集の東京創元社Sです。

 この〈ヴァイオリン職人〉シリーズは、“一流の職人の仕事と推理、ヴァイオリン&西洋芸術蘊蓄、ヨーロッパ歴史探索、イタリアのおいしいご飯”などなど、魅力がたっぷり詰まった穏やかで楽しいミステリです。特に本書『ヴァイオリン職人と天才演奏家の秘密』はラストシーンがすばらしく、編集作業中、校正紙に青木先生宛のメッセージとして「わたし、このラストシーンめっちゃ好きです! 感動!」的なことを書いてしまったほどです。残念ながら本書で完結してしまっているのですが、物語世界にずっとひたっていたくなる、とても幸せな気分で読める作品です。お楽しみいただけますと幸いです。

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