今回は、バラエティに富んだ英国のクラシック新刊が4冊。

 論創海外ミステリで、このたび、ニコラス・ブレイク『死の翌朝』(1966)が邦訳されたことで、私立探偵ナイジェル・ストレンジウェイズが登場する全長編16作がすべて我が国に紹介されたことになる。昨年ラスト2であった『短刀を忍ばせ微笑む者』(レビューはこちら)が邦訳されたことで、ひょっとして、と思ったものの、こうして若いころから親しんだシリーズ最後の一作を手に取ると感無量なものがある。

 ブレイクは、『野獣死すべし』『殺しにいたるメモ』といった傑作(筆者としては、ここに『旅人の首』も付け加えたい)も、もちろんいいが、『章の終り』『メリー・ウィドウの航海』といった佳作群もいい。悠揚迫らぬミステリ読書の愉しみは、この辺りにあるのではと思っているほど。

 さて、『死の翌朝』だ。前作に当たる『悪の断面』は、スリラーだったが、ナイジェル・サーガの最終作でもあるこちらは、全編アメリカの大学を舞台にした本格ミステリだった。

 ある研究調査のため、アメリカ東部の名門私立大カボット大学を訪問中のナイジェルは、文学部教授ジョシア・アールバーグの殺人事件に遭遇する。ジョシュアの兄弟二人はともに同大学の教官であり、彼らと近しい学生の間には、ただならぬ愛憎の気配が漂っている。事件の捜査にはじめは乗り気でなかったナイジェルも、次第に事件の渦中に巻き込まれていく。

 冒頭、主要人物たちが詩人エミリー・ディキンスンの生家を訪ねる行楽のシーンから、既に不穏な空気を漂わせていくのは、さすがこの作者らしい。

 60年代のアメリカらしく、寄宿舎を舞台とした自由な大学生活が活写される一方で、人種差別廃止闘争を支援する女学生や、仲間を売って赤狩りを逃げ切った元映画監督という登場人物らにも時代を感じさせる。名門大学人(ハーバード大学がモデル)の俗物性を抉る視線も鋭利だ。ナイジェルは、登場人物の性格分析を基に、錯綜した人間関係に切り込んでいく。

 大学が舞台にしては登場人物が少なく容疑者が限られていることから、謎解きの意外性にはやや欠けるが、明らかにされる犯人の異常心理はなかなか強烈であり、ナイジェルの犯人に向ける視線もいつになく苛烈だ。

 英と米の文化の相違に関する観想、抑制された風刺、文明批評や文学論、こういった要素が本書には多く織り込まれているが、それらは事件の進行と解明にも関わり、小説としてのふくらみと興趣を与えている。(例えば、英米の関係を巡る会話には、解明された事件の構図に密接に関連する要素がある)珍しくナイジェルのベッドシーンまで登場するが、黄金期の血を引く本格物の探偵としては、極めて異例ではないだろうか。

 本書には、ナイジェル最後の事件を匂わせるものはない。あるいは、「私立探偵なんてもうはやりません−現実でもフィクションの世界でも。いまの暴力的犯罪は、プロがチームになって対処するしかないんです」という台詞が別れの挨拶だったのか。

 デビュー作『証拠の問題』(1935)で「人間顕微鏡」といわれた鋭い性格分析を武器に、30年間にわたって活躍した探偵は、本作で静かに立ち去っていったのだ。

 文豪チャールズ・ディケンズが遺した『エドウィン・ドルードの謎』(1870)は、作者の死により、半分程度の分量で未完になったことで、多くの人の想像力を掻き立ててきたこともあり、いまだに、ミュージカルが上演されたり、TVドラマ化されたりと人気を誇っている。あるミュージカル版では、観客の投票によって、日によって犯人も結末も違うヴァージョンが上演されるという。

 同書の翻訳はかつて創元推理文庫版があったが、長らく絶版。今年白水uブックスから再刊され、簡単に手にとれるようになった。

 その矢先、本書ブルース・グレイム『エドウィン・ドルードのエピローグ』(1933)が紹介されたことは、グッドタイミングだった。この未完の小説をめぐっては、シャーロック・ホームズが事件の謎解きに挑む、ピーター・ローランド『エドウィン・ドルードの失踪』(1991)が既に紹介されているが、『エドウィン・ドルードのエピローグ』では、それを上回る奇想が冒頭から繰り広げられている。

 ロンドン警視庁のスティーヴンズ警視が眠りから目を覚ますと、警視総監から呼び出しがかかっている。部下のアーノルド部長刑事と街に出ると、風景は一変しており、人々は、妙な服装をし、辻馬車が走り回っている。なんとか、総監のところにたどりつくと、大聖堂の町で起きたエドウィン・ドルード失踪事件の捜査を命じられる−

 つまり、二人は、1850年代の世界、しかも、ドルードが失踪したフィクションの世界に入り込んでしまったのだ。これは、後に、ディクスン・カー『火よ燃えろ!』『ビロードの悪魔』などで導入した現代人のタイムスリップという手法の先駆をなしている。

 警視と部長刑事は、動転としたのも束の間、そこは刑事魂なのか、総監の命に忠実に捜査に乗り出すことになる。

 ディケンズの小説に残された大きな謎は、「エドウィンは殺されたのか失踪したのか」「殺されたとすれば犯人は誰か」「事件後に町に住むダチェリーは何者なのか」の3点に集約される。(これまで唱えられた様々な説については、白水社版の解説(小池滋)に詳しい)

 本書では、100頁くらいまでで、二人の捜査の形で事件の概要を再構成しつつ、これらの主だった謎については、作者なりの解釈が示される。その解釈は、過去に唱えられた有力な説に依拠しているようだが、ディケンズの小説では探偵役を務めそうな謎の人物ダチェリーが殺されるという独自の展開も施されている。

 捜査に当たる二人が、捜査の常識である指紋を証拠に使えないとか、つい現代の事物を口走ってしまうとか、ついには「未来人」であることを明かしてしまうという展開もあり、二人の四苦八苦する姿が、物語のよいアクセントになっている。

 全体としては、ディケンズの未完の小説に残された謎に関して新しい説を提示するというより、現代人がヴィクトリア時代の物語世界を動き回る面白さを狙った作品のようで、ディケンズの小説の懐かしい登場人物に再び接するという愉しみもある。

 中でも、個性派ぞろいの原作にあって際立った個性を放つ、阿片窟の老婆プリンセス・パファー、町の浮浪児デピュティが終盤の法廷シーンで大活躍するのは痛快だ。

 原作を未読でも楽しめるように書かれているが、この機会にディケンズの原作を紐解くというのも、つなげる読書の愉しみでもあろう。

 ミルワード・ケネディ『霧に包まれた骸』(1929)は、戦前、新青年にダイジェスト掲載された『死の濃霧』の84年ぶりという完訳版。作者は、黄金期の本格派作家で、『救いの死』『スリープ村の殺人者』などの邦訳があるほか、英国ミステリ作家の団体「デテクション・クラブ」の中心人物の一人で、バークリーとの盟友の関係でも知られる。

 霧深いロンドンの深更、路上で派手なパジャマを着た老人の死体が発見される。その額には、丸い穴が穿たれていた。すぐに警察の出番となり、被害者は長い外国暮らしのある男で、最近帰国した人間であるらしいと分かるのだが…。

 謎解きミステリとして、本書の特筆すべきところは、捜査の進展につれて、おびただしい証拠が出でくることだ。多すぎる証拠の数々に、犯人の探求どころか、次第に被害者が何者であるかすら怪しくなっている。被害者はAかと思えばBらしいという具合で、事件の輪郭が朦朧としたまま、終幕まで推移する。捜査の中心コンフォード警部は有能な人物風だが、想像力が豊かすぎて、証拠の数々に翻弄され、突飛な推理を繰り返す。

 全編、濃霧に包まれたような推移をみせる事件だが、その霧を晴らし、相矛盾する証拠を一枚の納得できる構図に収めるのは、予期し得なかった人物である点は、本書の一つの売りといえる。また、被害者の特定をめぐる中心的アイデアもなかなかユニークなもの。

 すべてが明らかになったとき、犯人の込み入った工作に一貫性がないことやミスが多すぎることは作品の欠点とうつる。が、本書で、「雲なす証拠」「特定できない被害者」「妄想的推理」「意外な名探偵」「被害者の特定にまつわるユニークなアイデア」など、多くの試みがなされていることは評価したい。『救いの死』では、既存の探偵小説を踏まえたシニカルで実験的な作風を試みている著者だが、本書にも、探偵小説爛熟期にあって、常套を超えようとした批評精神は息づいている。

 クリスティー、セイヤーズらと並ぶ英国女性作家であり、『幽霊の死』『判事への花束』『霧の中の虎』といった代表作の邦訳も少なくないのに、いま一つ、我が国では、人気も知名度も落ちるマージェリー・アリンガム。そんな作家の再評価につながるのでは、と期待できそうなのが、アルバート・キャンピオン物の代表作を集めた短編集『窓辺の老人』

 アルバート・キャンピオンは、角縁眼鏡をかけた青白い有閑階級の青年。作者に「無害で友好的」と描写される素人探偵であるが、鋭敏で鍛え抜かれた頭脳を宿していることはいうまでもない。女性との交友も広いらしく、「ランチに誘うべき若き麗人」という私的リストももっている。社交クラブやレストラン、カジノやミュージックホールで、たまたま遭遇した事件に頭をつっこんでいく典型的フラヌール(遊歩者)だ。

 「窓辺の老人」は、20年間毎日社交クラブの窓辺に座り続けている老人にまつわる謎解きだが、別個に進行する事件が鮮やかに交錯し、サプライズを生み出す。「未亡人」は、ブランディを一挙に熟成させる珍発明にまつわる愉快な顛末、「行動の意味」は、謹厳な老教授の突然のダンサー狂いの謎など、物語性豊かな短編が並ぶ。不可能犯罪物の名作「ボーダーライン事件」も、今読むと、むしろ、ある人物の行動に秘められた物語が印象的だ。

 「犬の日」は、夜明けに海岸で目撃した柔軟体操する犬にまつわる謎を扱いながら、英国人気質のある側面が俎上に上げられており、読後の、すっと落ちる感覚が好ましい名掌編。

 いずれも、市井の奇譚にミステリ的解決をつけていくような、優雅で品のいい作品であり、そこには世情にも通じた作者の観察眼が光っている。続刊『キャンピオン氏の事件簿?』にも期待したい。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)

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 ミステリ読者。北海道在住。

 ツイッターアカウントは @stranglenarita

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