Pietr-le-Letton, Fayard, 1931 [原題:ラトヴィアのピエトル]

  • 『怪盗レトン』木村庄三郎訳、創元推理文庫191、1960 *
  • 『怪盗レトン』稲葉明雄訳、角川文庫503-4、1978
  • 『怪盗レトン』木村庄三郎訳、旺文社文庫610-4、1978(創元推理文庫版と翻訳はほぼ同じ。運転士→航海士などわずかな変更あり)
  • Tout Simenon T16, 2003 Tout Maigret T1, 2007【註1】
  • TVドラマ 同名 ジャン・リシャール主演、1972(第19話)

*印は読んだ版を示す。その他無印で列記したものは、今回の感想文を書くにあたり参考にした版や映像化作品。記載していないものは見ていない。【註2】

 なるべくいちばん新しい版で読もうと思うが、そのときの気分によって適当に変えることもある。今後も同様。

 メグレ警部は顔をあげた。ストーブの音が弱まった、ふと、そう感じたからだ。鋳物のストーブは部屋のまん中に据えられて、ふとい煙突で天井につながっていた。電報を押しやると、どっこいしょと立ちあがり、通風孔を調節して、シャベルに三杯、石炭をほうりこんだ。

 そのままストーブに背を向けて立ち、パイプにたばこを詰め、さもきゅうくつそうに、ぐっとカラーを引っぱった。

 この書き出しは憶えていた。そうだ、メグレ警部のシリーズはこの文章で始まったのだったと改めて思い、物語のなかに引き込まれた。なによりストーブというのがいい。火を背にして立ち、身体を温める中年の男。目に浮かんでくる。このたった二段落で、もうメグレはキャラクターを確立している。

 小説とは、まさにこのように書き出すべきものではないか。そんなことさえ私は長い間忘れていた気がした。

 さて、司法警察のメグレ警部(このときはまだ警視ではない?)が登場する記念すべき第1作は、なんと国際謀略もののように幕を開ける。原題の「ピエトル・ル・レトン」は欧州で巨額の金を動かしている大怪盗の通称で、「ラトヴィアのピエトル(道化師)」といった意味だ。冒頭のシーンでメグレが読みかけていた電報は、ピエトル・ル・レトンの動向を知らせる国際警察からの暗号文だったのだ。それによるとル・レトンは快速列車《北極星号》で国境を越え、パリへ入ろうとしているらしい。

 メグレは駅で《北極星号》を待ち構えるが、列車内の洗面所でル・レトンと瓜ふたつの男が殺されていた! 本物の怪盗らしき人物を追ってメグレは豪華なマジェスティック・ホテルへ行き、そこで彼が百万長者の夫妻と会合するのを目撃するが、やがて彼は百万長者の男と姿を消してしまう。メグレは死体が所持していた女性の写真を手がかりに、漁町フェカンへと赴く。その女性の夫はアルコールの密輸業を営む船乗りだというのだが……。聞き取り調査をしていたメグレは驚く。女性の家の玄関口にいた少女は、ピエトル・ル・レトンに生き写しだったのだ!

 ちょうどモーリス・ルブランアルセーヌ・ルパンものが、読み切りの第1作で正体の見えない神出鬼没のルパンという怪盗の影に怯える人々の心理を描いていたように、あるいはG・K・チェスタトンブラウン神父ものが、やはり第1作でフランボウという稀代の怪盗に焦点を当てていたように、メグレシリーズも怪盗をフィーチャーすることで始まったのは、とにかく何としても読者をつかもうとする作者の企みとして充分に納得できる。

 時期は11月。本作に登場するメグレは45歳で、髪に白いものが混じり始めている。この45歳という設定は、ジョルジュ・シムノンの父親デジレ・シムノン(1877〜1921)が亡くなったときの年齢とほぼ同じらしい。シムノン自身は後年にいっさい否定しているが、彼が小説で書いてきたキャラクターのなかには特定のモデルを連想させる者も多くいるといわれる。ただ、そのような背景については、ある程度作品を読み進めた段階で改めて資料や伝記をあたって調べ、考えることにしよう。まずは物語だ。

 本作の前半はとにかくきびきびとテンポよい文章で、通俗娯楽小説の定石を外さない。本作が19章からなることは特記してよいと思う。後年の作品になるほどメグレシリーズは章の数が少なくなり、しかもその数が固定化してくるからだ。このころはまだ短い章を重ねてスピード感を出そうとしていた若きシムノンの心意気が窺える。

 創元推理文庫版の「ノート」では厚木淳氏が第一次大戦前後に人気を博しながらすでに忘れ去られたふたりのスパイ作家の名を挙げ、本作の冒頭部がそうした作家らの典型を踏まえていることを指摘して、

「今までのメグレものに慣れた読者にとっては意外な書き出しであり、動きの少ないシムノンの小説としては、ひどくはでな異色作である」(編集部注:太字はテキストでは傍点)

 と語っている。とはいえ、この段階ではまだシリーズものとしての基本設定は確立していなかったのだ。メグレはかなり積極的にあちこちへと動く。新米刑事のように雨中の張り込みも厭わない。それでも事務室に帰るとストーブの暖かさを気にかけるメグレの描写が途中で繰り返されるので、人物像がぶれないのだ。

 そして早くも作者は、優秀な科学的手法を駆使する犯罪学者たちと比較し、メグレの信念を次のように位置づける。

 けれども、かれは、なによりも《間隙》を求め、待ち、ねらうのだった。《間隙》、それは、言いかえれば、賭けをするもののうしろに人間が顔を出すときなのである。

 物語の全編を覆う風の寒さ、雨に濡れる冷たさと、司法警察本部の部屋で待っている鋳物のストーブが対比される。

 そうした抑制の効いた描写が挿入される一方で、ストーリー自体は極めて機能的に進む。物語の途中で突然部下が凶事に見舞われ、メグレは深い悲しみに打ちのめされるのだが、その描写さえも機能的である。そして「!」や「?」が文中で多用され始める。

 それまでテンポよく定石的に話が進んできたからだろうか、この段階で顕れてくる簡潔な感情表現が意外なほど心に残り、メグレがよりいっそう捜査に打ち込んでゆく理由が納得できるようになる。このあたりは小説の書き方として興味深いところだ。

 メグレはついにル・レトンと対峙する。そこで驚くべきことに、それまで冷静なインテリ然としていたル・レトンの態度が急変する。こうした突如とした印象の変貌、いきなり現れる人間の裏の顔は、本作を引っ張ってゆくエンジンであり、物語のテーマとなってゆく。いまあなたは私がミステリー小説のネタばらしをしてしまったと思われたかもしれない。だがここまでは物語全体の3分の2に過ぎない。この後、メグレは登場人物たちの過去をじっくりと掘り下げてゆく。本作が国際謀略もののかたちで幕を開けた意味も明らかになる。

 クライマックス場面での、フェカンの轟く海の表現がいい。

 目をこらして、よく見た。いちばん遠い岩の上であった。そこでは波が、しぶきとなってくだける前に、もっとも高く波頭を持ち上げていた。

 なにか生きているもののようであった。……

 終盤、不意にアントン・チェーホフの名前が出てくる。そういえば晩年シムノンは、チェーホフの『犬を連れた奥さん』(岩波文庫ほか)とよく似た題名の単発長編『小犬を連れた男』(河出書房新社)を書いているのだ。『犬を連れた奥さん』のフランス語タイトルは La dame au petit chien。シムノンの原題もそっくりで、L‘homme au petit chienである。『子犬を連れた男』はまだ未読だが、きっと偶然ではないだろう。

 チェーホフのような劇作家になりたいと思っていた人物に対し、別の人物は《おまえがね……。落伍者になるにきまっているさ》と嘲笑を浴びせる。ここは若きシムノンの、熱く燻った心情が込められているような気がする。

 そしてラストシーンに登場するのはメグレ夫人だ。メグレ警部は妻に見守られ、暖かなベッドのなかで眠りに就く……。

 私たちはジョルジュ・シムノンの作品が文豪アンドレ・ジイドから絶賛されたという逸話を知っている。そうした言説が、かえってシムノンのメグレものを何か高尚なものに位置づけ、高く評価しなければ優れた本読みとは見なされないといった雰囲気をこれまでつくっていたかもしれない。

 だが本作に関する限り、そうした身構えはまったく不要だと思う。かつて角川文庫が気軽で質の高い海外ミステリー小説をたくさん出していた。この『怪盗レトン』も往年の角川文庫の《悪党パーカー》シリーズ《トラヴィス・マッギー》シリーズのように楽しんで読める作品だ。娯楽読みものとしてまったく申し分のない一作である。

 

 さて、以下は少し別の話となる。映像化作品についてのことだ。今回は連載第一回なので、長くなるが書いておこう。

 この連載を始めるにあたって、私はインターネット・ムービー・データベース(略称:IMDb、http://www.imdb.com)を始めウェブ検索でジョルジュ・シムノン原作の映像化作品をできる限り探した。そしてVHSやDVDなどで販売されていて、しかも入手できるものはすべて集めてみることにした。

 ご存じのようにメグレ警視シリーズは数多くTVドラマ化や映画化されている。TVドラマはシリーズものだけでなく単発作品もいろいろとある。しかし映像ソフトが出ていないものも多い。たとえば日本で製作されて当時は評判も高かったという『東京メグレ警視シリーズ』(愛川欽也主演、全25回、1978)も、いまは観ることができない。愛川欽也のメグレ警視は海外のシムノン関連本でもちゃんと写真入りで取り上げられているので、映像ソフトが未発売なのはとても残念なことだ(2014年12月現在)。

 この他、TVシリーズのメグレ警視としてよく知られているのは次の5人の役者だろう。

 (1)まずはイギリスで最初期のシリーズを担当した1959-1963年のルパート・デイヴィス(パイロット版1回+全52回)。(2)イタリアのシリーズで演じた1964-1972年のジーノ・セルヴィ(全16回)。(3)もっとも長い期間メグレを演じ、本国フランスで高い人気を得た1967-1990年のジャン・リシャール(全88回)。(4)再びイギリスのドラマで演じたのが1992-1993年のマイケル・ガンボン(全12回)。(5)そして日本でも親しまれているのが1991-2005年のブリュノ・クレメール(全54回)だ。

 シリーズ(1)は人気があったようだが、やはり私が調べた限り映像ソフト化されていない。本家WikipediaにはBBCアーカイヴでパイロット版を除く全話が観られると書いてあるのだが、私が探してもいまは見つからない(同じく2014年12月現在)。ただしこのシリーズのテーマ曲「The Maigret theme」はとても有名らしく、ロン・グレイナーによる音楽はmp3で簡単に購入できる。この哀愁に満ちたテーマ曲を聴きながら、ぜひメグレを読む雰囲気を盛り上げていきたいものだ。

 残る4シリーズのうち、(2)、(4)、(5)はいずれもイタリア、イギリス、フランスで全エピソードがDVD販売されている。(3)も全話ではないがフランスで多くがDVD化されている。どれも日本と同じリージョン2ないしリージョンフリーなのでありがたい。ただし英語字幕さえついていないものもあるので、私のようにイタリア語やフランス語ができない人は相応の覚悟をすること。

 ジャン・リシャールのシリーズ(3)については、私が調べた限り5話分だけがかつて日本でもVHS販売されていた。ブリュノ・クレメールのシリーズ(5)は最初の42話分のDVDが日本版でも出ている。つまりこれらに限っては日本語字幕つきで鑑賞できるということだ。

 今回、(2)のDVDの一部と、(3)、(4)、(5)のDVDすべては入手できたので、原作を読んだ後はなるべくドラマ版も観ようと思っている。

 そして『怪盗レトン』である。この原作はもともと国際的な怪盗が相手であるため、メグレのシリーズでも異色と見なされるのか、ざっと調べてもルパート・デイヴィスが演じたシリーズ(1)の第51話(最後から二番目)とジャン・リシャールのシリーズ(3)以外ではドラマ化・映画化されたことがないようなのだ。前述の通りシリーズ(1)は観ることができなかったので、ここではシリーズ(3)を観てみよう。

 ドラマはパリへとひた走る特急列車の視点から始まる。カメラに雨の滴がついている。そこへ国際警察(インターポール)からの打電が次々と表示されてゆく。カメラアイもパリが近くなると雨粒が消え、そして列車は駅へと滑り込んでゆく。

 そのプラットホームでパイプをくわえて待ち構えているのが、ジャン・リシャール演じるメグレだ。リシャールのメグレは降車する人々のなかに怪盗レトンらしき姿が見えないとわかると、部下とともにすぐさま列車へ乗り込み、死体を発見する。

 シリーズの総タイトルは『Les enquêtes du commissaire Maigret』[原題:メグレ警視の事件簿]。実はこの第19話を観る前に何話か先んじて観たのだが、本作『怪盗レトン』は原作で主要な舞台となるフェカンが登場せず、ホテルやパリ市内で物語が完結するのでその点大きく変更されているものの、実際にはそうした作品のほうがむしろ少数派だと感じた。多くの場合、脚本は原作のストーリーラインを尊重しているので、言葉がわからなくても該当作品を読んでいれば楽しめる。試しに未読の作品で日本語字幕つきのものもひとつ観てみたが、そちらも大いに堪能できたので、やはりシリーズを通してよくできたドラマであることは間違いないと思う。

 今回の『怪盗レトン』は、後半メグレ自身も深手を負いながら懸命に捜査を続けてゆく姿が実に印象的だ。フェカンの寒々とした海岸景色の代わりに、ドラマ版のクライマックスでは深夜の停留場でメグレが貨物列車を挟んで犯人を追う息詰まるシーンが用意されており、これはとても素晴らしいものだった。主役のジャン・リシャールは、メグレ警視の温かみはもちろん、原作でもメグレが見せる怒りの感情を自然に表現しているのがいい。メグレものはどうしても台詞が多くなりがちだが、このシリーズは観ていて飽きない。今後も順に観てゆくことになるが、大好きなドラマシリーズとなりそうだ。【註3】

 このシリーズは全88回のうち第18話までがモノクロ、第19話以降がカラー作品である(そう、本作『怪盗レトン』が初カラー作品なのだ!)。私が揃えたのはLMLR社からリリースされた5箱のメタルボックス版(http://www.lmlr.fr/video/serie-policieres/maigret)。字幕はない。かなりのエピソードはこれで観ることができるのだが、1983年以降の作品の一部は未収録で、まだソフト化されていないようなのだ。またボックス6も発売されたらしいのだが、本稿執筆時点では入手できず、本当に発売されたのかも確認できなかった。各箱の収録作を記しておこう。ボックス1が第1-12話(1967-1970年)、ボックス2が第13-25話(1971-1974年)、ボックス3が第26-36話(1975-1977年)、ボックス4が第37-47話(1978-1980年)、ボックス5が第48-58話(1981-1983年)、そしてウェブ上のパッケージ画像情報を見る限り、ボックス6が第60-64, 67-70, 73, 78, 81話(1983-1988年)、となっている。ボックス6の収録分はかつてPolygram Collections社からバラ売りされていたDVD(全30巻、60話収録)で集めることができる。

 他のドラマシリーズについては該当する原作を読んだときにまた紹介しよう。

 今回はTVドラマシリーズについて記したが、映画でもジャン・ギャバンなど多くの役者がメグレ警視に取り組んできた。ハヤカワミステリマガジン1973年9月号の「ジョルジュ・シムノン引退記念特集」に、都筑道夫氏が「私の会ったメグレ」(pp.20-23)というエッセイを寄稿し10人の映画版メグレ警視を振り返っている(『名探偵読本2 メグレ警視』パシフィカ、1978に再録)。やはり映像ソフトが入手しにくいものもあるのですべてを観るのは難しいだろうが、幸運にも観ることのできたものはこの連載で随時言及していきたい。

【註1】

 それぞれOmnibus社から2002-2004年に全27巻で刊行されたTout Simenon[原題:シムノン全集]と、2007-2008年に全10巻で刊行されたTout Maigret[原題:メグレ全集]の収録巻を示した。今後も同様。ただし煩雑なので出版社は表記しないことにする。T1とはtome 1、すなわち第1巻であることを示す。

 前者はジョルジュ・シムノン名義で出版された(おそらく)すべての作品を収録した全集である(メグレ警視シリーズを含む)。時代的には第16巻から始まっており、第25巻までほぼ刊行順に収録した後、第1巻に戻って第15巻まで続く。これは当初1931-1945年の作品が他社で契約されており、まず1945-1972年の作品を全集としてまとめた経緯があったためらしい。第26巻と第27巻にはシムノンが晩年に口述筆記で出版した自伝等が収められた。

 後者はメグレ警視シリーズのみに絞った全集である。今後、原文にあたる必要があるときは、これらの全集を典拠とする。

【註2】

 この連載はとにかくジョルジュ・シムノンのメグレ警視シリーズ全作を「読む」ことを目標にするので、原著初版や邦訳各版の蒐集、翻訳文の比較などといった、より一歩踏み込んだ研究に関しては基本的に努力対象外とする。よって毎回冒頭に掲げるものはあくまで私・瀬名秀明が入手したものだけであり、決して完全な邦訳リスト・映像化リストではないことをあらかじめお断りしておきたい。詳細な邦訳書リストについてはハヤカワミステリマガジン1990年3月号「ジョルジュ・シムノン追悼特集」の芝隆之編「シムノン翻訳書誌」(pp.42-46)を参照のこと。

【註3】

『世界の名探偵コレクション10 6 メグレ警視』(長島良三訳、集英社文庫、1997)の「解説──メグレの世界」で長島良三氏は、「フランスでは、コメディ・フランセーズ座の名優、ジャン・リシャールがメグレ役を演じたが、シムノン自身はジャン・リシャールを「気取っていて、いやなメグレ」だと酷評した」と紹介している(出典不明)。だがシムノンがいうほど悪くはないと思う。ゲストのキャスティングも原作のイメージに近い俳優が多い。

瀬名 秀明(せな ひであき)

 1968年静岡県生まれ。作家。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞、1998年に『BRAIN VALLEY』で日本SF大賞をそれぞれ受賞。著書に『デカルトの密室』『インフルエンザ21世紀(監修=鈴木康夫)』『小説版ドラえもん のび太と鉄人兵団(原作=藤子・F・不二雄)』『科学の栞 世界とつながる本棚』『新生』等多数。

【毎月更新】シムノンを読む(瀬名秀明)バックナンバー