注意!

 この連載は完全ネタバレですので、ホームズ・シリーズ(正典)を未読の方はご注意ください。

 このコラムでは、映像作品やパスティーシュ、およびコナン・ドイルによる正典以外の作品を除き、全60篇のトリックやストーリーに言及します。(筆者)

■資料の部の原則(このコラム全体で使う略称)

 SH:シャーロック・ホームズ

 JW:ジョン・H・ワトスン

 SY:スコットランド・ヤード

 B=G:ウィリアム・ベアリング=グールド(研究者)

 ACD:アーサー・コナン・ドイル

 BSI:ベイカー・ストリート・イレギュラーズ(団体)

 SHSL:ロンドン・シャーロック・ホームズ協会

 正典:ACDの書いたホームズ・シリーズ(全60篇)

■第10回「「唇のねじれた男」」■

【1】資料の部

  • 原題……The Man with the Twisted Lip (Strand Magazine英・米両版)/ The Strange Tale of a Beggar (Philadelphia Inquirer)

 /略称:TWIS

  • 主な邦題(児童書を除く)『唇のねじれた男』(創元推理文庫/阿部知二、ハヤカワ文庫/大久保康雄、ちくま文庫/小池滋、角川文庫/石田文子、講談社文庫/鮎川信夫、光文社文庫/日暮雅通);『唇の捩れた男』(新潮文庫/延原謙、河出文庫/小林司・東山あかね);『くちびるのねじれた男』(創元推理文庫/深町眞理子);『唇の曲がっている男』(角川文庫/鈴木幸夫);『ゆがんだ唇の男』(集英社コンパクト・ブックス/中田耕治)。

 その他、明治・大正時代の訳に『乞食道楽』『乞食の大王』『偽紳士』『良人の行衛』『上唇の巻き上がれる人の探偵譚』『阿片窟の秘密』『口曲りの男』などがある。

 /略称:『唇』

  • 初出……Strand Magazine 1891年12月号(英)、Strand Magazine1892年1月号(米)
  • 初出時の挿絵……シドニー・パジェット(英・米とも)
  • 単行本初版……The Adventures of Sherlock Holmes 1892年10月14日(英)、1892年10月15日(米)
  • 事件発生・捜査年月……1887年6月18日(土)〜19日(日)(B=G)。ワトスン自身の記述によれば、事件のあったのは「1889年6月」であり、彼がホームズに出会って捜査に加わったのは「6月19日の金曜日」。翌6月20日には解決した。ネヴィル・セントクレアが失踪したのはその週の月曜日だから1889年6月15日ということになる。ただし、現実のカレンダーで1889年6月19日は水曜日だった。

 研究者ジョン・フィンリー・クライストなどは「1889年6月19日(水)から20日(木)」説をとっている。

  • 主な登場人物(&動物)
    • SH、JW
    • 依頼人……ネヴィル・セントクレア夫人(ケント州の醸造家の娘)
    • 被害者……(ネヴィル・セントクレア)
    • 犯人/悪役……(ネヴィル・セントクレア)
    • 警察官……ブラッドストリート警部(ボウ街の警察裁判所当直)、アヘン窟界隈を巡回中の警部と警官二人
    • 若い女性キャラ……なし
    • その他……ジョン・ワトスン夫人(おそらくはメアリ)、アイザ・ホイットニー(JWが主治医をしている男)、ケイト・ホイットニー(アイザの妻、ワトスン夫人の友人)、ヒュー・ブーン(アヘン窟の3階に下宿する乞食)、マレー人(アヘン窟の給仕)、ジョン(SHが雇ったドッグカートの御者)、元水夫のインド人(アヘン窟のあるじ)、デンマーク人(アヘン窟のあるじの手下)、馬屋番の少年(〈杉屋敷〉の使用人)
    • 実際には登場しない人物……バートン警部(この事件の担当)、イライアス・ホイットニー(アイザの兄、故人、セント・ジョージ神学校校長)
  • 執筆者……JW
  • ストーリー(あらすじと構成)

 ワトスンが往診を主とする医師として結婚生活を送っていたころの話。ワトスンは妻の友人に頼まれ、アヘン窟〈金の棒〉へ行ったきりになっているアイザ・ホイットニーを連れもどしに行く。そこで偶然出会ったのは、老人に変装して潜入捜査をしていたホームズであった。

 アイザを馬車で帰したワトスンは、ネヴィル・セントクレア失踪事件を捜査するホームズとともに、依頼人であるセントクレア夫人のもとへ向かう。ホームズはケント州リーの町にあるその〈杉屋敷〉に泊まり込んで、捜査をしているのだった。屋敷までの道すがらホームズが話してくれたのは、以下のような事件だった。

 数年前リーの町に越してきたセントクレアは、大邸宅を買い入れて地元の娘である夫人と結婚し、2人の子供をもうけた。現在37歳の彼は、毎日仕事のため鉄道でロンドンへ通っている。数日前、夫人が船便の小包を受け取るため、テムズ河岸の波止場界隈という治安のよくない通りを歩いていると、突然叫び声がした。見上げると、建物の3階の窓から夫が見下ろしている。しかも手招きをしているように見えたが、その姿はふっと消えてしまう。

 そこはアヘン窟だった。夫人は巡回中の警官を連れて建物に乗りこむが、3階に夫の姿はなく、いたのはそこを根城にする足の悪い乞食、ヒュー・ブーンだけ。アヘン窟のあるじもブーンも、3階には誰もいなかったと主張する。だが、部屋にはセントクレアが息子へのみやげに買うと言っていた積み木があり、窓枠には血痕があり、さらにはセントクレアの衣類がひとそろい、上着を除いて見つかった。部屋の裏手はテムズ河に続く空き地だが、当時は満潮で1メートル以上の水につかっていた。はたして彼は、窓から突き落とされたのか?

 ブーンが逮捕されたあと、干潮になった部屋の裏手で発見されたのは、死体でなくセントクレアの上着だった。しかもそのポケットには、コインがぎっしり詰まっていた。ブーンがその日の稼ぎを詰めて河に落としたとしか、考えられない。ブーンはシティ界隈で名の知れた物乞いだった。顔の傷跡が引きつれ、上唇のはしがめくれあがっているという容貌だが、通行人のからかいに当意即妙の答を返すので注目され、儲けもかなりのものだったらしい。

 ホームズはセントクレアがすでに死んでいると考えていたが、屋敷に着いて夫人から受け取ったのは、彼自身の筆跡による手紙だった。しかも彼の認め印つき指輪が同封され、今日届いたという。その謎を解くためにホームズが行ったのは、徹夜による推理だった。なじみのドレッシングガウンを着て、枕とクッションの上であぐらをかき、愛用のパイプでシャグ煙草をくゆらすホームズ……。

 翌朝彼は、ワトスンとともにブーンの勾留されている警察裁判所へ向かう。そして、眠っているブーンの顔を、持参した入浴用のスポンジでゴシゴシこすると……現われたのはなんと、ネビル・セントクレアその人だった。事件をおおやけにしないという約束のもとに、彼はホームズたちに事の顛末を話してくれた。

 それによると、セントクレアはロンドンの夕刊紙で記者をしていたのだが、取材のため偽乞食になったことをきっかけに、本業より儲かる乞食稼業にのめりこんでしまったのだった。彼は勤めをやめ、アヘン窟に部屋を借りて毎日自宅からロンドンへ通い、変装姿で乞食をしていた。ところが、ある日アヘン窟に戻ってメーキャップをおとしたとき、窓から顔を出した姿を妻に目撃されてしまう。乞食稼業がばれたら子供に申し訳ないと思うあまり、彼はまたヒュー・ブーンの変装をしてセントクレアの上着を窓から捨てたのだが、ほかの衣服は間に合わなかったのだった。

  • ストーリー(ショートバージョン、あるいは身もふたもないあらすじ)

 新聞記者時代に乞食のうまみを知ったネヴィル・セントクレアは、偽乞食の稼ぎでケント州に邸宅を買い、結婚し、子供も2人つくった。ところがある日、アヘン窟の根城にいるところを妻に目撃されてしまう。秘密がばれるのを怖れた彼は、変装して乞食のブーンの姿に戻り、セントクレアの服を窓からテムズ河に捨てようとする。だがコインを詰めて上着を捨てたところで、警官を伴った妻が到着。残りの服のほか、息子に買った積み木が見つかり、誤って窓枠に付けた血痕も疑いの種となって、セントクレア氏失踪事件の容疑者として逮捕されてしまう。

 一方、セントクレア夫人の依頼を受けて捜査を始めたホームズは、その後ほとんど手掛かりをつかめていなかった。状況証拠からしてすでに死んだのではと思い始めた矢先、夫人のもとに夫から直筆の手紙が届く。珍しく、椅子から飛び上がるほどの驚きを見せたホームズだが、その晩徹夜の推理をした結果、自分は「ヨーロッパ一の大馬鹿者」であったと気づく。ヒュー・ブーンはセントクレアの変装だったのだ。ホームズは留置されているブーンのもとにおもむき、その顔を入浴用スポンジでぬぐい、ワトスンと当直の警部を驚かせる。

  • 事件の種類……ネヴィル・セントクレア失踪事件。だが、実際には犯罪が成立しなかった。セントクレアは、乞食をして処罰されたことがある(罰金を払った)と言っているが、それはホームズと関係ない。
  • ワトスンの関与……捜査への同行。
  • 捜査の結果……解決。失踪人が実は容疑者本人であることを突きとめ、依頼人の要求にこたえた。
    • ホームズの報酬/事件後の可能性……依頼人はセントクレア夫人であるが、事件解決後はセントクレア自身が(事件の公表を防いでくれた礼も含めて)報酬を支払ったのではないだろうか。氏の預金は220ポンド、負債は88ポンド10シリング。乞食としての年収は700ポンド以上であった。万が一セントクレアが支払いを拒否した場合も、夫人は地元の醸造家の娘だから、ある程度の支払いは可能だったろう。

 ロンドンの夕刊紙記者をやめて数年(少なくとも5年以上)たっているセントクレアが、乞食をやめたあとどんな職業につけたかはわからないが、それ以前の問題として、「定職はないがいくつかの会社に関係している」と言っていたのが実は乞食稼業をしていたとわかったとき、夫人がどういう反応したかということがある。

  • 物語のポイント

 ホームズが物語の最後に、犯人や盗まれた品を披露して依頼人や警察を驚かせる……これは正典の特徴的なパターンだが、この作品は最初期におけるその典型的なものと言えよう。おそらく、短篇作品ならではの手法であり、ホームズ物語は短篇こそが面白いという説の理由のひとつ。

  • ホームズの変装
    • アヘン窟にいた背の高いやせた(よぼよぼの)老人。
  • 注目すべき推理、トリック
    • ホームズの推理で特に目立つものは、なし。この事件ではセントクレアとヒュー・ブーンが同一人物であることが最大のトリック。
  • 本作に出てくる“語られざる事件”(ホームズが関わったもののみ)
    • なし。
  • よく引用される(あるいは後世に残る)ホームズのせりふ
    • 「きみは沈黙というすばらしい才能をもっているね、ワトスン。だからこそ、きみは相棒として申し分のない存在なんだ」
    • 「もちろんこれは些細なことですが、些細なことほど重要なものはないのです」
    • 「ぼくはさまざまな体験をしてきましたから、女性の勘のほうが、推理家の論理的結論より役に立つ場合があることくらいは知っています」
  • 注目すべき(あるいは有名な)ワトスンのせりふおよび文章
    • 「悩みごとのある人たちは、まるで灯台に集まる鳥のように、妻のところへやってくるのである」
    • 「彼を送り出してしまえば、あとはホームズといっしょに、また世にも奇妙な冒険——ホームズにとってはごくあたりまえの冒険を、経験できるからだ」

◆今月の画像

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【左:今月の画像(1)ロンドンのアヘン窟(グスタフ・ドレ画”London: A Pilgrimage”、1872年)】

【右:今月の画像(2)徹夜で推理をするホームズ(シドニー・パジェット画、Strand 1891年12月号)】

【2】コラムの部

  • 作品の注目点、正典における位置づけ、書誌的なことなど

 本篇は正典にいくつかある失踪事件の中でも、意外な犯人ものとして人気がある。ホームズがパイプをくゆらしながら徹夜で推理するシーンは有名で、パジェットのイラストのせいもあり典型的なホームズの姿としてよく引き合いに出される。前述したように、最後に劇的なやりかたで犯人を指摘するのも、彼らしい一幕。

  • 邦題の話題

 戦後あるいは現代の邦題としては、直訳で「唇のねじれた男」とする訳がほとんど。ヒュー・ブーンの容貌を説明するホームズのせりふは、原文を見ると6行以上にもわたる一文だが、要するに顔の傷が引きつって、そのせいで上唇のはしが上にめくれ上がっているのである。

 辞書を引くと、twisted という形容詞には「ねじれた」「ゆがんだ」のほかに、「性格がひねくれた」とか「よこしまな」という意味もある。それを利用して The Men with the Twisted Konjo(根性のひねくれた男たち)というシャーロッキアン・サークルをつくったのは、ミステリ研究家にして翻訳家にして歯科医の平山雄一氏だ。

 なお、邦題については児童書を除くという原則にしているが、筆者自身が本作を児童書に訳したときのエピソードを、ひとつだけ書いておきたい。

 私のつけた邦題は、「唇のねじれた男」というすなおなものだった。ところが、「唇がねじれた人が実際にいるから」という理由により、その出版社内の差別語チェックに引っかかったのである(つまりその社の自主規制)。こういうチェックは校閲・校正部や総務部のたぐいがしてくるのだが、当時の担当編集者は疑問をもたず、とにかくほかの題名を考えてほしいと言う。こちらとしてはどうにも納得がいかないし、うまい言い換えも思いつかないので、編集者にまかせたのが間違いだった。「変身」という、何とも言いようのない邦題になってしまい、いまだに「どうしてこんな題名にしたのか」と聞かれることが多い。まあ、20年も前のことなので、当時の担当編集もとっくにいないし、差別語に関する社内事情も変わっていると思うが……。

  • シャーロッキアーナ的側面

 ○アヘン窟

 冒頭でワトスンがアヘン窟を訪れるシーンがあるが、この当時は、アヘンを吸うことはまだ合法だった(1920年に法律が制定されるまで取り締まりはなく、アヘン常用は英国全土に広まっていた)。とはいえ、「コカイン注射やそのほかいろいろと悪い癖がある」とみずから言うホームズも、アヘンだけはやらなかったようだ。

 ○セントクレア夫人

 ネヴィル・セントクレアは、ケント州リーの町に〈杉屋敷〉と呼ばれる大きな邸宅を買い入れていた。新聞記者をやめてリーの町に来たのが1884年5月で、地元の醸造家の娘と結婚したのが1887年(ともにワトスンの記述)。今(ワトスンによれば1889年6月)は2人の子供がいるという。とすると、子供たちはいずれも2歳以下だ。ホームズとワトスンが〈杉屋敷〉に着いたとき、馬屋番の少年がかけよってきたが、玄関を開けて迎えたのは夫人自身だった。子供たちが寝ているのは当然としても、使用人も寝ていたのだろうか?(馬屋番もいる「大きな邸宅」で使用人がいないということは、考えられない)。

 また、「大きな邸宅」だからこそ捜査中のホームズに2つも部屋を与えて寝泊まりさせたのだろうが、夜には夫人がみずから玄関で迎えているから(夫人の着ていたのはネグリジェかナイトガウン)、夫の失踪中に何やら無防備ではという疑問も起きる。しかもホームズは、馬屋番の寝ている場所を知っていたのだ(翌朝のせりふから)。では不倫の可能性が?……というと単なる勘ぐりであるが、同じような指摘は海外シャーロッキアンのウェブサイトにも散見するのである。

 ○ホームズのパイプ煙草

 徹夜で推理をした際、ホームズはきついシャグ煙草を1オンス、朝までに吸い切ったという。これはどのくらいの量なのだろう。

 缶入りまたは紙袋入りのパイプ煙草は、ひとつが50グラム程度の場合が多い(大型だとその倍の100グラム)。これが約1.75オンスに相当するのだが、海外のパイプ愛好者たちのウェブサイトを見ると、だいたい17から20回くらいで吸い切るという人が多い。つまり、1オンスの葉にすると10回ほどだ。また、日常の喫煙でこの1オンスを吸い切るには3日から4日というスモーカーが多いので、ホームズは普通の人の3日分をひと晩で吸ったことになる。

 一方、「赤毛」におけるホームズは「パイプ三服」が約50分と言っているので、もし「唇」でも同様のせわしい吸い方をしたとすれば、1オンスを3時間くらいで吸い切ったことになる。1回につき15分強というのはかなりのスピードで、当然火皿の底に吸い残しが生じる可能性も強い。推理に没頭しているときは、全部吸い切るように気を遣う吸い方ができないのだろう。したがって、3時間がたったあと、朝までのあいだにその吸い残しを再び火皿に入れて吸ったということも、ありえるのではないだろうか。

ワトスンの名前

 冒頭でワトスンの妻がケイトに「ジェイムズには先に寝てもらって……」と言う、つまり妻がワトスンのファーストネームを「ジョン」でなく「ジェイムズ」だと言うのは、単なる言い間違いなのかどうか。これはすでに有名な話で、これについてはさまざまな説があるが、ドロシー・セイヤーズの解釈が最も有力なようだ。スコットランド・ゲール語でのジェイムズの呼び名は「ヘイミッシュ」(Hamish)だが、そのHがワトスンのミドルネームのHなのだ、という説である。

 ここからはドイリアーナになるが、「ノックスの十戒」で知られるロナルド・ノックスが1911年頃コナン・ドイルにこの件を質問したところ、単なる編集上の間違いだという答をもらったという。

  • ドイリアーナ的/ヴィクトリアーナ的側面

 語られざる事件の「“アマチュア乞食団”の事件」については「オレンジ」の回で前述したが、ヴィクトリア朝時代の乞食/物乞いのことは、ヘンリー・メイヒューの著作にも詳しく書かれている。ちなみに、この「家具屋の地下倉庫で贅沢な会合を開いていた」“アマチュア乞食団”の原文は Amateur Mendicant Society だが、Peter Cunningham 著 Hand-Book of London (1850) には Mendicity Society(乞食協会)という団体が、ディケンズ著 Charles Dickens London Guide(1879)には Society for the Suppression of Mendicity(物乞い抑制協会)という団体が、いずれもロンドンの Red Lion Square にあり、乞食に食事などを与えていた、と書かれている(この協会は20世紀初めまであった)。

 なお、Cunningham は「プロの乞食」についても触れている。協会に施しを受けるのがアマチュアだとすると、ヒュー・ブーンなどがプロなのだろうか。

  • 翻訳に関する話題

 ○ベッドルーム

 ホームズは「〈杉屋敷〉でぼくが使わせてもらっている部屋には、ベッドが2つある」(My room at The Cedars is a double-bedded one.)とワトスンに言ったあと、「セントクレア夫人は親切にも部屋を2つ提供してくれた」(Mrs. St. Clair has most kindly put two rooms at my disposal)とも言っている。そしてその晩、2人は「広くて居心地のいい、ベッドが2つある部屋」(A large and comfortable double-bedded room)で過ごし、ホームズだけが徹夜をした。つまり夫人が提供してくれたのは、(来客に貸すための)居間と寝室のセットで、その寝室にはベッドが2つあったということなのだろう。すると、このtwo roomsは「二間続きの部屋を」という意訳が成り立つのだろうか。

 来客用には、シングルやツインのベッドとソファ一式が揃ったひと間の部屋を準備することが多いと思うので、二間続きが準備されているとすると、〈杉屋敷〉はけっこう大きな邸宅だったのだろう。

 ちなみに double-bedded room というと、日本ではいわゆる「ダブルベッド」(2人用のキングサイズのベッド)がひとつある部屋を想像すると思う。だが英米では、2人用キングサイズひとつの場合と、シングルベッド2つの場合の両方がある。シングル2つの場合、2つのベッドがぴったりくっついていて動かせない場合も多いので(特に田舎のB&Bなど)、男性2人で泊まる場合には、ビミョーな問題が生じることもある。こうした事情は126年前もあまり変わらなかったと思うのだが、ホームズとワトスンの場合はどうだったのだろう。……いや、ここではワトスンひとりだけがベッドに入ったのだった。

ドッグカートとトラップ

 アヘン窟から〈杉屋敷〉へ向かうとき、ホームズの雇ったジョンが乗ってきたのが、ドッグカート(dog-cart)。翌朝〈杉屋敷〉から出発したとき乗ったのが、トラップ(trap)。いずれもたいていは二人乗りの一頭立て二輪馬車で、典型的なドッグカートは二人が背中合わせに座るように座席がしつらえてある(【今月の画像(3)】参照)。だが、〈杉屋敷〉へ向かう途中のワトスンの記述は“while I sat beside him”——つまり、ワトスンはホームズの「隣に」または「並んで」座ったとある。もちろん、beside は「そばに」という意味もあるのだが、このときのパジェットのイラストを見ると、本当に同じ向きに並んで座ったらしい(【今月の画像(4)】参照)。おそらくこのときは、トラップに近いドッグカートだったのだろう。

◆今月の画像

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【左:今月の画像(3)典型的なドッグカートのイラスト】

【右:今月の画像(4)シドニー・パジェットのイラスト(Strand 1891年12月号)】

★今月の余談に代えて★

 前回のラストがクリフハンガー的だったので、続きを書いておきたい。

 そう、期待どおりフランスの第2協会のメンバーが来たのである。しかもニューヨークとロンドンの両方に。

 前回のラストはどういう話だったかというと、BBCテレビ『SHERLOCK』の影響で会員の増えた団体はフランスくらいだが、一気に大量に増えただけでなく、2つの協会に分裂したらしい、それを確かめたいのだが……ということだった。第2協会の名は、Cercle Holmésien de Paris(パリ・ホーメジアン会、ないしパリ・ホーメジアン・クラブ)。案の定来たのは若い女性だったが、ニューヨークのBSIウィークエンドに参加し、さらにロンドン・ホームズ協会のディナーに出席したのだから、単なる『SHERLOCK』ミーハーではないようだ。ニューヨークではオリジナル缶バッジ、ロンドンでは絵葉書を配っていた。

 一方、元からあるSociété Sherlock Holmes de France(フランス・シャーロック・ホームズ協会)の古株には、残念ながら今年も会うことができなかった。近年、経済的理由でニューヨークのBSIイベントに来るヨーロッパ勢が減っているが、ロンドンの国会議事堂のバンケットルームで行われるSHSLディナーは、フランスやドイツ、スイス、スペインなど各国からの参加者で賑わっていた。やはり太平洋ほどでなくても、大西洋を越えるのは大変なのだろう。

 そのフランスはいま、紛失したと思われていたウィリアム・ジレット主演のサイレント映画『シャーロック・ホームズ』が発見されたことで沸いている。

 ウィリアム・ジレット(William Gillette、1853〜1937)は米国の俳優だが、英米で約1300回にわたり舞台でホームズ役をこなした。インヴァネス・コートやキャラバッシュ・パイプなど、それに「初歩的なことさ、ワトスン」というセリフなど、正典にはないが一般に浸透しているホームズのイメージは、彼の発案・脚色によると言われる。舞台俳優としての引退は1910年だが、1916年には映画で、最晩年の1935年(82歳)にはラジオでホームズを演じた。その唯一の映画作品である1916年の“Sherlock Holmes”(米サイレント映画)は長らく紛失していたが、フランス語版が2014年10月にパリのフィルム・アーカイヴで発見されたのである。

 1月のSHSLディナーでは、この映画をチェックしたカリフォルニア大学の教授、ラッセル・メリットのスピーチもあった。パリではさる1月30日に限定上映されたはずなので、その後の反響はネットで見られるかもしれない。アメリカではサンフランシスコで今年5月に限定上映されると聞く。なお、一部分は以下の BBC Magazine サイトで見ることができる。ジレット本人の音声も別画面で聞けるのがうれしい。

 http://www.bbc.com/news/magazine-30932322

 その他、BSIイベントでのエピソード(新刊ホームズ・パロディも注目)やSHSLディナーでの話(ドイルの親戚との再会)、スペインとインドのホームズ協会のこと、ロンドン博物館のホームズ展の話など、書きたいことはさまざまにあるのだが、時事ネタになるので別の媒体で、ということになるかもしれない。

日暮 雅通(ひぐらし まさみち)

 1954年千葉市生まれ。翻訳家(主に英→日)、時々ライター。ミステリ関係の仕事からスタートしたが、現在はエンターテインメント小説全般のほか、サイエンス&テクノロジー、超常現象、歴史、飲食、ビジネス、児童書までを翻訳。2014年は旅行が多く仕事が滞りがちだったが、2015年は果たして汚名返上なるか?

 個人サイト(いわゆるホームページ)を構築中だが、家訓により(笑)SNSとFacebook、Twitterその他はしない方針。

日本人読者のためのホームズ読本:シリーズ全作品解題(日暮雅通)バックナンバー