前回こちらで洋書を紹介したのは昨年8月。冒頭に「今年の夏も暑い」と書いた。

 そしていまは2月。今年の冬も……と凡なことを思っているのは、わたしだけではないはず。今回はそんな寒い日に、暖かい屋内で腰を落ちつけて読みたい一作、ヘレン・ギルトロウの The Distance(2014)を紹介します。

 ロンドンに暮らす裕福な女性、シャーロット・アルトンには別の顔があった。カーラという名で裏社会に生き、犯罪者たちに情報を売ったり、依頼があれば情報を操作して犯罪者の過去を抹消し、新たな人生を送らせたりしていたのだ。

 ある日、カーラのまえにジョハンソンという元軍人の殺し屋が現われる。彼は何年もまえにカーラが新たな人生を与えたひとりだった。ジョハンソンによると、〈ザ・プログラム〉という刑務所に潜り込み、そこに収監されている女を連れ出す仕事を引き受けたとのことで、〈ザ・プログラム〉への潜入と脱出の手助けをしてほしいという。裏社会からしばし距離を置き、シャーロットとしての生活を送っていたカーラだったが、情報操作は自分の仕事だという意識から、ジョハンソンの求めに応じる。

 〈ザ・プログラム〉は実験的に設けられた最重警備の刑務所で、所内の自治は囚人たちがおこなうという、一種のコミュニティのような特殊な施設だった。看守の役割を果たす者はおらず、当然のごとく残忍な暴力沙汰は日常茶飯事で、囚人が治療にあたる医務室に運ばれる怪我人もあとをたたなかった。そのような刑務所に入り込み、一服役囚を外に連れ出すのは不可能にも思えた。しかも、この計画を指揮するフィールディングから与えられた女に関する情報は写真のみで、罪状はおろか名前も素姓も不明だった。

 カーラが女について調べるも、情報はまったく見つからず、〈ザ・プログラム〉に服役している記録さえなかった。しかしカーラがすべきは、与えられた状況で仕事を完遂することだった。

 ジョハンセンはカーラの情報操作によって得た偽名で、首尾よく〈ザ・プログラム〉に潜り込む。その後の動きは、カーラが刑務所内の監視カメラをハッキングして追っていたが、やがてカメラの映像から彼の姿が消える。カーラが必死でジョハンセンを探していたころ、彼は〈ザ・プログラム〉を仕切っているクィランという囚人とその仲間に手荒い歓迎を受けていた。しかしこのおかげで、彼はターゲットである女に近づける。女の名前はケイト。殺人の罪で服役している元医師で、病人や怪我人の治療を担当しているとのことだった。これで計画が一歩進んだかに思われたが、フィールディングはジョハンセンの身の危険と計画の破綻を危惧して、彼を〈ザ・プログラム〉から連れ戻す。

 フィールディングは当初の計画を中止するつもりだったが、ジョハンセンは女を発見できたからと計画の続行を主張し、再度〈ザ・プログラム〉に潜入する。しかし今度は依頼人からの指示が変わり、女を連れ出すのではなく、所内にあるタンクに隠すよう求められる。

 ジョハンセンに与えられている日数は三週間。依頼人の目的は何なのか皆目見当はつかず、女の正体も本人の口から聞いたことしかわからず、その真偽も定かではない。そのような状況のもと、カーラとジョハンセンは任務を遂行すべく突き進む。

 本書は著者ヘレン・ギルトロウのデビュー作である。カーラは裏稼業から足を洗い、シャーロットとして生きたいと願うようになっていたが、ジョハンセンが接触してきたことで、また裏社会へ戻る。上に書いたように、〈ザ・プログラム〉は囚人がすべてを取り仕切る刑務所で、犯罪者の世界が凝縮されたような場所だ。そこに潜入して、外見しかわからない女を見つけて連れ出す。それだけでも至難の業だが、くわえて厄介なのはクィランの存在だ。ジョハンセンは過去に受けた仕事の際に、クィランの手下を殺している。クィランにとってジョハンセンは復讐すべき相手だった。ただでさえ困難な〈ザ・プログラム〉への潜入劇は、混迷をきわめることになる。

 この緊迫感のある展開を、ギルトロウは短い章立てでテンポよくスリリングに描いている。各章、焦点があてられる人物が異なり、その大半をカーラとジョハンセンが占める。カーラの章のみ一人称で、ジョハンセンをはじめ彼女以外の人たちの章は三人称で書かれており、そのためか本作はカーラ/シャーロットという女性の物語としても読めるし、刑務所を舞台にしたサスペンスとしても読める。状況描写にやや冗長なきらいはあるが瑕疵というほどではなく、デビュー作だからちょっと力が入っちゃったのね、という程度。こういった点が今後どうなるか、ストーリー展開のうまさにどう磨きをかけてくるか、次作を楽しみに待ちたい。

高橋知子(たかはしともこ)

翻訳者。朝一のストレッチのおともは海外ドラマ。一日三度の食事のおともも海外ドラマ。お気に入りは『CSI』『メンタリスト』『クリミナル・マインド』。

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