書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 新年度に入りました。新入生・新社会人の方おめでとうございます。新しい環境でも翻訳ミステリーを読んでくださいね。では、今月のラインアップをご紹介します。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

北上次郎

『ウェイワード』ブレイク・クラウチ/東野さやか訳

ハヤカワ文庫NV

 前作『パインズ』のラストでぶっ飛んだ世界を舞台にした第2部。またまた驚愕のラストで、いったいこのあと、どうなるの! これで第3部の着地がひどかったら怒りだすが、まだわからないので、とりあえずは買い。

千街晶之

『悪意の波紋』エルヴェ・コメール/山口羊子訳

集英社文庫

 四十年近く隠しおおせていた犯罪を突きとめられた老人と、元恋人に宛てた手紙を奪回しようとする若者。並行して進む二人の語りが最後に意外なかたちで交錯する……というのはよくあるパターンだが、本書の場合は交錯してからが予想不能な第二幕の始まりだ。フレッド・カサックやミシェル・ルブランあたりの昔懐かしいフランス・ミステリの味(瀬戸川猛資が言うところの「フランス風小手先芸」)を堪能できる、魅力的でちょっと不思議なサスペンス小説。

吉野仁

『悪意の波紋』エルヴェ・コメール/山口羊子訳

集英社文庫

 これ、先の読めないサスペンスが好きな方にお薦め! 四十年ちかく前に起きた百万ドル強奪事件。その犯行グループ五人が写っている写真が、ひとりの老人のもとに届いた。いったい誰が何のために送ってきたのか。一方、元恋人に辱めを受けようとしている青年の悩みは解決するのか。謎とその奥にある秘密が次々に浮上したり、意外な人物が絡んでいたりする本作、ひと筋縄ではいかないフランス産ミステリーならでは奇妙で魅力あるテイストがいっぱい。

霜月蒼

『限界点』ジェフリー・ディーヴァー 土屋晃訳

文藝春秋

 思えばディーヴァーの魅力は敵と味方の知恵比べなのであって、それをつきつめればこうなる、というボディガード・サスペンス。一人称文体もFPSゲームみたいな視野狭窄感で臨場感と疾走感を増している。なお、ひと月遅れで恐縮だがラヴィ・ティドハー『完璧な夏の日』も、映画版《ウォッチメン》オープニングタイトルを60年代式スパイ小説っぽく仕立てたみたいな良品でブロマンス味もあり、ジャケと邦題を見て「ナイーヴな草食系SF青春小説、だよね?」と腰の引けた(おれのような)人にこそすすめたい。

酒井貞道

『ザ・ドロップ』デニス・ルヘイン/加賀山卓朗訳

ハヤカワミステリ

 ピーター・メイ『忘れゆく男』と最後まで悩んだがこちらで。場末のバーのバーテンダーが事件に巻き込まれる——と言われたら、ミステリ・ファンは多分こういう話だろうと想像をたくましくするはず。その手の連想のほとんど全て(下品さだけはない)が、わずか180ページにギュッと凝縮されているのです。この硬度と密度はなかなかに得難い。ルヘインにはちょっと柔弱な文章を書くイメージがあったんですが、それが覆りました。

川出正樹

『悪意の波紋』エルヴェ・コメール/山口羊子訳

集英社文庫

 最近の翻訳ミステリ・シーンで一番嬉しいことは、『その女アレックス』の爆発的なヒットにより、このところ旗色の悪かった三色旗にミステリ・ファンの関心が向いてきたことだ。英米流のボリューム満点、カロリーたっぷりの現代ミステリに食傷した時に、フレンチの名匠がこしらえるアラカルトは、とりわけ美味しく感じられるのです。フレッド・カサックやフレデリック・ダールの諸作、ノエル・カレフの『死刑台のエレベーター』やルイ・C・トーマ『死のミストラル』といった、独立不羈の名匠の手になる憂愁を貯えた小味なサスペンスを愛して止まない身としては、エルヴァ・コメール『悪意の波紋』は、まさに堪えられない逸品です。

 暗黒街の大物から100万ドルを掠め取って以来40年、悪事を働きながらも無事生き延びてきた老人ジャックのもとに一人の女性記者が訪れる。一方、レストランで働くイヴァンは、ある日TVのリアリティー・ショー番組に出演中の元彼女が、元カレからのラブレターを公表すると言い出したことから、手紙を盗み出すことを決意する。この二人の軌跡が交叉して始まる物語のなんと奇妙なことか。なお、表四の紹介文は微妙にネタばらしなので、要注意。

 今月は、狭義のミステリではないけれども、《STAMP BOOKS》の一冊で、東西冷戦終結直前のブダペストを舞台にしたピエルドメニコ・バッカラレオ『コミック密売人』もお勧め。ひょんなことからアメコミ密売に手を染めることになった少年の成長譚は、「自由」にいてあらためて考えさせられる、今の時代にこそ読んで欲しい一冊です。

杉江松恋

『クローヴィス物語』サキ/和爾桃子訳

白水社uブックス

 意外なことにサキの短篇集が一冊丸ごと翻訳されるのはこれが初めてなんだとか。本書は夭折の作家サキの第5作にあたる短篇集で、1911年に刊行された。この5年後にサキは第一次世界大戦に出征して戦死し、実姉の手で遺稿は焼き払われたので、今後未発表の作品が発見される可能性はほとんどないという。「奇妙な味」の代表格でもあったサキにはアンファン・テリブル(おそるべき子供たち)テーマの「スレドニ・ヴァシュタール」という短篇があり、その手のアンソロジーのマスター・ピースとして知られているが、この短篇集が出典元だった。クローヴィスという皮肉屋の青年が、かなり洒落のきつい悪戯で周囲の人間を驚かせていくという話と、そのクローヴィスの親戚・知人の俗物たちによる珍妙な騒動が収録作の中心で、それに突拍子のない幻想小説や諷刺小説が加えられている。全28篇とドイツ語版のために描かれたエドワード・ゴーリーの挿絵16点が入ったお得版である。私の好みは、クローヴィスものでは、子供を小道具のように使う「求めよ、さらば」(最後の1行のセンスがすばらしい)、皮肉極まりない「運命の猟犬」、意地悪な天使小説「閣僚の品格」というところか。短篇好きは必読。もっとサキは読んでみたい作家だ。

 フランス・ミステリー再評価の機運が高まっているのを感じます。それ以外もほどよくばらけて、いい月間だったのではないでしょうか。さて、4月25日に翻訳ミステリー大賞贈賞式では七福神によるトークをお届けします。会場でお会いできる方もそうでない方も、次月をどうぞお楽しみに。(杉)

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧