みなさんこんにちは。

 この連載もあっという間になんと27回! いやはやびっくりです。いつもおつきあいありがとうございます。

 今回の課題書はクレイグ・トーマス『ファイアフォックス』です! クレイグ・トーマスさんの作品は第9回『狼殺し』以来になります。今読み返したら2011年の更新だったんですが、当時とほとんどテンションが変わっていなくて遠い目をしたくなりました。まあ、前置きがあんまり長くてもなんなので、さっそくあらすじのご紹介を……。

最高速度マッハ5以上、レーダーを無力化し、ミサイルを脳波で操るミグ31ファイアフォックス。ソ連が開発したこの最新鋭戦闘機は、西側に計り知れぬ脅威を与えた。かくてCIAとSISは、機の秘密を奪うべく大胆不敵な作戦を立案する。厳重な警戒網を突破して、ファイアフォックスを盗み出そうというのだ。任務に赴くのは、傑出した操縦技術を持つ米空軍のパイロット、ミッチェル・ガント。輸出業者に変装した彼は、単身モスクワへ潜入するが……! 驚異の戦闘機をめぐって展開する白熱の攻防戦——サスペンス溢れる冒険小説の雄篇。(本のあらすじより)

 はあ……おもしろかった。なんというか、読み終わったあとに本を抱えてぐったりしてしまったくらい、非常に密度が濃い小説でありました。すごい作家さんによる最高傑作といえる作品で、なんというかもう、しみじみ「おもしろかった……」と大満足でページを閉じられて、すばらしい読書時間を味わえました。

 もうね、冒頭からすごいんですよ。

 SIS(英国秘密情報部)の長官と特殊工作部長、そしてイギリスの首相の往復書簡からはじまるんですが、「最新鋭戦闘機〈ファイアフォックス〉がどれほどすごいか」が、手紙の文章を通してひしひしと伝わってくるのです。あらすじにあるように、〈ファイアフォックス〉ってものすごい性能を持つ戦闘機なんですが(しかし“脳波で操る”ってなんなんだ。ほんとにこういうことできるのかしら?)、その特長を地の文で単に説明するのではなく、手紙のやりとりを通して読者に伝える、という技術がとてつもなくうまいです。わたしみたいな、戦闘機とかにあまり興味のない人間からすると、単に事実の羅列のみで説明されても、そのすごさがイマイチわからないんですよ。でも、こういう風に登場人物のやりとりで語られると、もう冒頭からわくわくすることこのうえない! うん、正直「マッハ5以上が出せる」ってのがどれだけすごいか未だによくわからないんですが、それでも「〈ファイアフォックス〉すごい!!」ってときめかされてしまったのです。

 でもって、ストーリーが単純なのがいい。この小説って結局、ソ連に侵入して〈ファイアフォックス〉を盗んでイギリスに持ち帰るぜ! っていうだけのお話なんですよ。でもそれが、たまらなくスリリングに書かれているので、めちゃくちゃおもしろい。息詰まる展開がつづいて、月並みな言い方ですがページをめくる手がとまらなくなります。

 特に、物語の前半と後半で、冒険小説のふたつの要素があわさっているのがいいですね。

 前半は、〈ファイアフォックス〉を奪取するべくパイロットのミッチェル・ガントが変装してソ連に潜入するというスパイ小説的な要素が強くて、変装がばれるんじゃないかとか、ハラハラドキドキの展開が味わえます。カーチェイスまで楽しめちゃうんだぜ! ガントは常にKGBに監視されているらしく、その監視をかいぐぐったりして戦闘機を盗むところまでがやたらとスリリング! おまけにけっこうあっさりと人が死んでいくのでびっくりしました。「えっ、こんないいキャラクターをここで殺しちゃうんだ!?」みたいな、ガントの協力者的な良い感じの味方がどっしどし死んでいくんですよ。もったいない! と思いつつも、だからこそ緊張感が生み出されている気がしました。おまけに、みんな死に際がなんかかっこいいんですよね。出し惜しみしない主義なのかな、クレイグ・トーマスさん。

 そして主人公のミッチェル・ガント氏の“不安定さ”も、この小説を盛り上げている一因です。彼は米空軍のパイロットなんですが、ヴェトナム戦争ですさまじい目にあったらしく、悪夢にうなされて戦争のトラウマに苦しんでいます。発作がどのタイミングで起きるかわからず、〈ファイアフォックス〉盗みだし計画が順調に進んでいるようでも、いつなんどき彼の状態が危うくなるか予想できないのです。それゆえに先が読めない! 

 でもガント氏はパイロットとしてはすごく優秀で、というかもう「パイロットであること」しか自分にとって大事ではないんですね。自分自身というものに関心がなくて、どんな人間にも変装できてしまう。悪夢にうなされ、トラウマに苦しめられようとも、パイロットであることだけはやめられない。敵の、ソ連のパイロットにもこういう風に評価されています。

「ガントには、ミグを盗み、持ち帰ってみせることが、生きるために必要なことなのだ」

 うーむ。わたしはこう、“自分にとってほんとうに善かどうかわからないけれども、それでもそれを為さずにはいられない”というような表現に弱くてですね……。なんというか、自分ではどうしようもできない運命に翻弄されつつもそこで最善をつくす、という人間に弱いのだ……。ガンツさんもね、ちゃんとカウンセリングを受けたりして、精神状態を安定させたほうがしあわせになれると思うんですよ。でもねー、彼は飛行機に乗り続けることを選んでしまうんです。たとえそれが自分を苦しめようとも、そういう風にしか生きられないから。なんという不器用な生き様……。しかしそれがいい。それがかっこいい。

 そして後半からは、パイロットとしてのガンツさんの技量、そして航空冒険小説感が思う存分味わえます。逃げる者と追う者の攻防! ときめきがとまらないぜ! とにかく迫力ある場面が続くうえに、精神的に不安定だったガンツさんが、戦闘機に乗った途端に落ち着きを取り戻して、“空の英雄”として本領を発揮してくれるのがうれしい。いやー、もうほんと、前半と後半で別人なんじゃないの!? というくらいのかっこよさ。特にラストシーンに訪れるとある危機について、華麗に解決してしまう姿がかっこいい! このクライマックスの「どうなっちゃうの!?」感は格別で、読み終えた瞬間に、安心のあまりしばし放心状態に陥ったくらいです。

 というわけでもう、わたしの駄文を読むよりいいから本を読んで! といいたくなるすごい作品でした。もうね、いっちばん最初のイェーツの詩の引用からしてね、やばいくらいかっこいいですからね、この詩だけでも読む価値ありますからね!! 未読の方はぜひ、とにかく本屋さんで手にとっていてください。これぞ冒険小説! って拳を挙げて叫んじゃうくらいおもしろい作品でした。

【北上次郎のひとこと】

 物語の半ばに航空機奪取に成功してしまうのに、それでもスリル満点に読ませるのがすごかった。ようするに後半は、ただ延々と逃げ回る話である。にもかかわらず、ディテール満点で読ませるのがクレイグ・トーマスの芸なのである。

東京創元社S

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小柄な編集者。日々ミステリを中心に翻訳書の編集にいそしむ。好きな食べ物は駄菓子のラムネ。東東京読書会の世話人もしております。〈Webミステリーズ!〉で翻訳ミステリについて語る&おすすめ本を紹介する連載「翻訳ミステリについて思うところを書いてみた。」をはじめました。TwitterID:@little_hs

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