第18回:『死の接吻』——エロと戦争と父ちゃんはつらいよの巻

全国15カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁

「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳

今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!

加藤:もうすぐ8月も終わり。よい子のみんなは夏休みの宿題をもう済ませたかな?

さて、杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』をテキストに、翻訳ミステリーとその歴史を学ぶ「必読! ミステリー塾」の第18回。今回取り上げるのはアイラ・レヴィン著『死の接吻』。1953年の作品です。

「接吻」ですよ「接吻」! まあなんていやらしい。同じ意味の言葉はいろいろありますが、もう接吻はダントツにエロいですね。「接吻」と「キス」では横綱と新十両くらいの格の差を感じるし、そもそも「初接吻」と「初めてのチュウ」と「ファーストキス」が同じ行為とはどうしても思えない。

 僕はかねがね考えていたのですが、日本語というのは画数が増えれば増えるほどエロ度が(以下、内容があまりにアカデミックになりすぎたため断腸の思いで約250文字を削除しました)

 そんなわけで『死の接吻』です。僕は未読だったのですが、知る人ぞ知る名作なのですね。ネットでちょっと検索したら、1957年のポケミスから今日まで、装丁を変えながら生き続けていることが分かりました。それにしても、このカバー絵もいろいろで面白い。なかでも一つ前の河村要助さんのイラストと現行版の赤い花が写真とのギャップが凄い。赤い花の妖艶さというかエロさが際立っています。

 ちなみにアマゾンのリンクは何故か河村要助さんのイラストカバーが表示されていますが、早川書房のサイトで最新版のカバー(→こちら)をご覧になれます。

 僕はいつかどこかで発表したいと思っていたのですが、赤い花というのは、とくに男にとっては根本的かつ原初的なエロス(以下、前と同じ理由で約400文字を削除)

 そんな「エロい」というキーワードがついて回る本書ですが、じつは全然エロくなくって、接吻シーンすらあまりありません。こんな話。

学業優秀で美貌を持つ大学生の彼には野望があった。それは逆玉。貧しく育った彼は自分のコンプレックスと母親の虚栄心を満たすため、資産家の娘に近づいてゆく。まんまと精銅王キングスシップ家の三女ドロシイと恋仲になり、野望は果たされるかに思われたが、彼女が妊娠し計画は破綻した。ドロシイの厳格な父はそれを許さず、二人は無一文で放逐されるに違いない。結婚を迫るドロシイをいかに退けるか考えた彼は偽装自殺を計画実行し、見事な完全犯罪で窮地を脱したが……。

 著者アイラ・レヴィンは1929年生まれのアメリカの作家。本書『死の接吻』は彼が兵役を終えた23歳の誕生日に書き終えたといわれる処女作で、発表されるとたちまち話題となり、エドガー賞処女長編賞を受賞しました。その後は劇作家として生計を立て、2作目の長編『ローズマリーの赤ちゃん』を発表したのは14年後の1967年。この作品もベストセラーとなり、映画化されオカルトブームの火付け役となりました。寡作家ながら、それぞれ作風の異なる完成度の高い作品を発表し、2003年にはMWAグランドマスター賞を贈られたそうです。

 おお、アイラ・レヴィンって『ローズマリーの赤ちゃん』の作者なのか。でも、本書は全然オカルトチックではなくって、バリバリのサスペンス。

 本書は3つの章で構成されていて、それぞれ「ドロシイ」「エレン」「マリオン」とキングスシップ家の3姉妹の名前が付けられています。ドロシイが殺されるのが物語の発端なのですが、あとの二人はどう絡んでくるのか。そこが本書のキモでもある。

 また、最初から犯人も動機も分かっているのに、最後まで読者をミステリー的な興味で引っ張るのも凄い。「ドロシイ」を読んだあとは、「あとは主人公がいかにして追いつめられてゆくのを延々と読まされるのね」って思ったけれど、全然そうではないのです。

 なるほど、こういう手があったのかって唸ります。ああ、面白かった。

 畠山さんは再読らしいけど、どーせ何にも覚えてないんでしょ。

畠山:…………“接吻”の二文字でそこまで興奮できるのがお得なんだか不憫なんだかよくわからないな。言われてみればロマンティックサスペンスっぽいタイトルかもなぁとは思うけど。

 でも合計約650文字を削除した自制心は評価しよう。もうオトナなんだから。介護保険料も払ってるんだから。

 ちなみに字画の多い赤い花といえば躑躅、雛罌粟などもありますねぇ。読めます? つつじ、と、ひなげし。私は読めませんし書けません。躑躅なんて髑髏に空目しそう。

 しかも私が本の内容を忘れてるだろうって? バカ言っちゃぁいけないよ。

『死の接吻』の構成の巧さ、初めて読んだ時の(特に第二部の)あの驚き!「あーっそうかーーーっ!」と思わず声が出たし、これぞ小説の面白さだよなぁとしみじみ思ったものです。いくら私が最後のページで「この本読んだことある!」と気づく常習犯であろうとも、この作品を忘れようはずがない。

 今回再読してあらためていい作品だなぁと思いました。結末を知っているにも関わらず緊張感を持って読めるんです。破滅へのカウントダウンをみているような感じでしょうか。驚きの展開をみせる第二部は第一部が周到に書かれているからこそ際立つんですね。こんなのを23歳で書いちゃうってアイラ・レヴィン凄すぎる。

 各章のタイトルになっている三姉妹。初読の時は「ちょっと(男に)コロッといきすぎじゃない!?」とツッコミを入れてましたねぇ。それぞれ自分のことを“しっかりしている”と思ってるけど、根っからお嬢さん育ちの甘ちゃん。ついでに全員イケメン好き&思い込んだらまっしぐらタイプ。これだけ条件が揃えば、彼女たちが次々と災難に巻き込まれるのは必然だったのかも……。

 でもじっくり読むと、両親の離婚で精神的な支柱を失ったことが大きいんだなと寛大な気持ちになれました。時の流れって偉大(笑)

 そしてこの犯人です。

 彼はそもそも家庭環境に問題あり。母親は夫を蔑視し、その反動のように息子をズブズブに甘やかすという典型的なダメ人間養成所みたいな家だもの。幸か不幸か彼に生来の美貌と器用さ(彼は頭がいいのではなく詐欺師のような器用さの持ち主なんだと思う)が備わってたものだから始末が悪い。

 やがて従軍し、送り込まれた南方の島で日本兵と対峙した時、彼の中で何かが弾けてしまったのかもしれません。

 彼は家庭問題という普遍的な火薬に“戦争”が引火して生まれた可哀想な戦争の落とし子なのかな。アメリカといえばベトナム戦争の後遺症を描くものが圧倒的に多いようですが、太平洋戦争の傷も決して小さくはなかったんだなぁと感じました。

 だからなのか、非道な犯罪者なんだけど最後は彼のことが可哀想になりました。

 特に最後の一文、結びのセリフはなんかもう哀れを誘いましたね。

 少し疑問に思ったのはアメリカの学生ってあんなにお互いのことに無関心なんだろうか? ということ。普通、「誰と誰が付き合ってるらしい」なんて噂は事実より先に出回るといってもいいくらいじゃない? いくら警察にあんまりやる気がなかったからとはいえ、もう少し目撃証言があってもいいんじゃないかと思うんだけど……。

加藤:いいねえ、躑躅とか雛罌粟(これは読めない)とか、あと薔薇とかも。そもそも猥褻って漢字がもうこの上なく猥褻ですもんね。

 ところで、本書の裏表紙カバーや早川書房のサイトの紹介文には、ドロシイを殺した青年のことを「アプレゲール」って書いてあるのだけど、みんな意味はわかるのかな? 語感が全共闘時代の用語っぽいので、てっきりそっちかと思って調べたら全然ちがいました。

「アプレゲール」とは「戦後」のことで、とくに二次大戦後の、それまでの価値観や道徳観に縛られずに行動する若者のことをそう呼んだのだそうですね。ちなみに対義語は「アバンゲール」。

 本書の犯人は、貧しいけれどそれなりに順調な人生を歩んできたのに、兵役で戦地に送られ、そこで人生の疑問にぶち当たる。

 作者であるアイラ・レヴィンも彼と全くの同世代で、復員して大学に入ったというところまで同じ。

 本書が当時のアメリカで、かなりのセンセーションを持って迎えられたのは、ミステリーやサスペンスとしての完成度の高さにプラスして、そうした若者たちの新しい思想や価値観が生々しく描かれていたからではないでしょうか。

 もちろん、その是非をめぐる議論はあったのでしょうが、何も持たないが故のなりふり構わない生き方に共感する若者も相当いたのではないかと思うのです。

 畠山さんも書いている通り、それだけの社会性をもった話だと思って読むとまた印象が変わる深い話だと思うし、ひとつの読みどころでもあると思う。

 おりしも今年は戦後70年という節目にあたり、お盆休みのテレビは戦争特番ばかりでしたね。そして、安保法案をめぐってゴタゴタしている今、本書を読んだのも何かの巡り合わせかも知れません。未読の方はこのタイミングにいかがでしょうか。

 とはいえ、政治信条を問うよう話では全くなく、あくまで気軽に読めるエンターテイメント。安心してください、穿いてますよ。

 それから、どうしても最後に言いたいことがあるんだけど、いいですか?

 3人の娘たちから徹底的に嫌われる父ちゃんがあまりに不憫で仕方なかったのですよ。

 仕事ばかりで家庭を全く顧みず、不逞をはたらいた妻を一方的に家から追い出した冷酷無情で最低の男という話ばかりが娘たちから語られ、どんなヒドい奴かと思っていたら、全然印象違うじゃん。娘たちの幸せを願い、彼女たちから嫌われることを恐れる普通の父親。でも、仕事は仕事で大事ってそれは当然だろ。むしろ「あたしはいつでもアンタを捨てるわよ」みたいな態度で接する娘の方がひどすぎる。

 みんな、お父さんにもっと優しくしてあげようよ。ホント頼みます。ああ、視界がにじんできた。何故だろう。

畠山:へぇ、アプレゲールってそういう意味なんだ。いやいくら私でもナイチンゲールの親戚だと思ってたわけじゃないんだけど。語感から“急進的”というイメージをぼんやりと持っていた程度なんです。ありがとう、この歳でまた一つ賢くなったよ(忘れなければ)。

 確かにあのお父さんはややきっぱりしすぎな感はあるものの、そこまで悪い人には感じなかったね。きっと機能的な考えの人なんだろうなぁ。ダメなものはさっさと捨ててしまうという考えは仕事上および精神衛生上悪くないことだけど、家族にこれを適用したから弊害がでたのかも。妻を追い出した時点で自分も娘たちの心から追い出されちゃった。

 もしお父さんが「娘は自殺でなんかあるものか!」と強硬姿勢に出てたら、展開は変わっていたかもしれません。惜しい。

 物語の後半で事件の真相を突き止めようとする若者が現れるのですが、彼みたいな人が息子だったらよかったね。お父さんがミルクを飲んでるだけで胃の具合が悪いんだと察知できるような息子がいたら、家庭内のいい緩衝材になってくれただろうに。

 どうやら加藤さんも娘さんには日ごろ邪険にされているようなので、彼女の結婚式にはサムシング・フォー(※)くらい揃えてあげて「父ちゃんだってダテに海外小説読んでるわけじゃねーんだぞ」と粋でカッチョいいところをみせてあげてくださいな。

 ※【サムシング・フォー】新婦は新しいもの、古いもの、借りたもの、青いものを身に着けると幸せになるという欧米の慣習。『死の接吻』でも真相を解く一つのキーとして使われています。

 最後に『死の接吻』ファンの皆様に深くお詫びを申し上げねば。

 本日のサブタイトル「エロと戦争と父ちゃんはつらいよ」……未読の人がかなり誤解しかねない。「エロ」要素なんて微塵もないのに!

 加藤さんが「このサブタイトルで行く!」と雄々しく宣言した時にはビックリしましたー。違う本を読んだのかと焦っちゃった。

 フツーこの本なら犯人か三姉妹にフォーカスするところなんじゃないの? と思いましたが、こんなふうに個人で着目点が違うのが読書の面白いところでもあります。読書会の時も「タイトルから想像していたものと全然違った」という意見はよく伺います。

『死の接吻』は先に申し上げた通り、構成の妙で読ませる部分があるので細かな話をするとどれもがネタバレに繋がってしまいます。今後どこかの読書会で課題本になったら(ちなみに福島読書会での『死の接吻』読書会レポートは→コチラ)ぜひ隅々まで語り尽くして楽しんでください。

■勧進元・杉江松恋からひとこと

 まったくの初心者に海外ミステリーを1冊薦めるとすれば、何がいいだろう。

 そういう問答をしたことがあります。当然いろいろな作品名が挙げられたのですが、そこにいた者がみな納得したのは「それは『死の接吻』ではないか」という誰かの一言でした。『マストリード』には加わるべくして加わった1冊であります。

 ところが、舞台裏を書いてしまうと、この本は全100冊中で唯一、『マストリード』の刊行時に品切れになっていたタイトルでもあります。原稿を描き、校正を経て印刷に回るあたりまでは市場在庫があったのですが、念のために、と調べてみたら見本が上がってくるころには品切れに。編集者と「仕方ないよね、それに『死の接吻』だし」と慰めあったものでした。その後無事に増刷されたようで、嬉しい限りです。

 本文にもありますが、アイラ・レヴィンはとんでもない寡作作家で、生涯に数えるほどしか作品を発表していません。ただし『死の接吻』で恋愛小説とサスペンスの要素を見事に融合させ、『ローズマリーの赤ちゃん』では古典的なテーマを都会生活の中に甦らせたモダンホラーの典型のような小説を書き、と1作1作がそのままジャンルを形成するかのような独創性の高い作品でありました。これに付け加えるなら見事な諷刺劇でもある『ステップフォードの妻たち』、後に何度も模倣されることになる『ブラジルから来た少年』とSFジャンルの方でも佳作を書いております。まあ、晩年になってからのものはさすがに駄作だったと思うのですが。

 さて、次回はフレドリック・ブラウン『まっ白な嘘』ですね。期待しております。

加藤 篁(かとう たかむら)

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愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。 twitterアカウントは @tkmr_kato

畠山志津佳(はたけやま しづか)

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札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?) twitterアカウントは @shizuka_lat43N

どういう関係?

15年ほど前に読書系インターネット掲示板で知り合って以来の腐れ縁。名古屋読書会に参加するようになった加藤が畠山に札幌読書会の立ち上げをもちかけた。畠山はフランシスの競馬シリーズ、加藤はハメットやチャンドラーと、嗜好が似ているようで実はイマイチ噛み合わないことは二人とも薄々気付いている。

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