La guinguette à deux sous, Fayard, 1931[原題:三文ギャンゲット]

『ゲー・ムーランの踊子 三文酒場』安堂信也訳、創元推理文庫155、1974(合本)*

『三文酒場』安堂信也訳、創元推理文庫213、1960

Tout Simenon T17, 2003 Tout Maigret T2, 2007

TVドラマ 同名 ジャン・リシャール主演、1975(第27話)

 これこそシムノンにしか書けない小説だろう。本作は誰にも手放しで薦められるというわけではないが、シリーズの読者ならメグレ作品に求めるものが詰まった素晴らしい作品と感じるのではないか。

 そして本作では、メグレが変化しつつあるように私は感じた。以前に私は、作者はメグレという大人の胸を借りることで作家としての技量を試し続けているのではないか、といった主旨のことを述べた。いままで作者シムノンはメグレの内面に入りつつも、父親の面影を投映していたように思う。そして前作『ゲー・ムーランの踊子』では、いったんメグレを脇へ除けることで別の視点から物語を起こした。メグレとの距離を測ったのである。そして本作『三文酒場』で、初めて作者シムノン自身がメグレとなって書き進めているような感覚を受けた。シムノン自身の人生がメグレを通して語られていると感じたのだ。

 本作はどこか夢のような物語である。シムノンの夢を私たち読者も体験するかのようだ。まだ20代のシムノンは、まるで老成した未来の自分に入り込み、そこから走馬燈を見るかのようにおのれの過去を振り返る。そして登場する人物たちは、ひとりひとりがページから立ち上がり、それぞれの人生を滲ませる。

 読み終わると、自分も生きているのだと感じられる。元気になるとか、共感して涙を流すとかいったことではない。これを読んでいる自分もまた?生きている?と感じる──。それがシムノンの小説なのだ。

 時期は6月下旬。「うららかな昼さがり」というのんびりとした訳文で本作は始まる。原文は「Une fin d’après-midi radieuse.」である。

 メグレはサンテ監獄で、死刑が翌日に迫ったジャン・ルノワールという男と面会する。そしてまだ捕まっていない彼の共犯者が、三文酒場なるところの常連であると明かされたのだ。メグレはこの《三文酒場》を探そうとするが誰も知らない。ルノワールが話した事件はすでに八年も前のことだ。もうなくなってしまった酒場かもしれない。

 三週間ほどが過ぎた。メグレは夫人とともにアルザスへ休暇に行く予定だった。夫人の妹がそこに住んでいるのだ。しかし何とはなしに用事が重なり、まだ自分だけは出発できずにいたのである。

 七月二三日土曜日、ふとメグレは自分の中折れ帽が痛んでいることに気づき、帽子屋に寄ると、そこでひとりの男性客がなんと三文酒場という言葉を口にしているのを耳にした。メグレはそっと彼の後を追い、男がマルセル・バッソーという裕福な石炭商であることを知る。バッソー氏は妻と子供を連れてセーヌ川沿いの別荘へ行くところだった。近くの《じいさん屋》(Vieux Garçon)には純白のドレスを着た花嫁と、彼女の結婚を祝う人々が集い始めている。メグレはそのうちのひとり、ジェームスという男に声をかけられ、自然ななりゆきで結婚式の公証人役を任されることになるのだった。

 セーヌ川にたそがれどきがやってくる。人々は乗合馬車で対岸に向かい、小売商の裏へと入る。そこある大きな納屋こそが《三文酒場》だった。バッソー氏は村長役で演説をぶつ。少女が自動ピアノに小銭を二枚投入し、陽気な音楽が始まる。人々は夜通し婚礼を祝い、メグレも夢のような時間を過ごす……。

 誰かが爆竹を鳴らした。庭に仕掛け花火が上がり、二人の恋人は、両手をとり合ったまま、まさしくそれをながめていた。

「まるでお芝居の舞台のよう……」

 とバラ色の服の美しい娘が言っていた。

 だが、ここに人殺しがいるのだ! 

 本書のペンギン・クラシックス最新版のタイトルは『The Two-Penny Bar』、旧題は『The Bar on the Seine』だ。2014年版も2003年のシムノン生誕100周年記念版【註1】も表紙デザインがいいので私は両方持っている。ちょっとエロティックで、ほんの少し人を不安にさせる表紙は、作品そのものとは無関係ではあるが、海外でのシムノンのイメージをうまく表現していると思う。本作はタイトルがいかにもシムノンらしい。原題の『La guinguette à deux sous』は、より正確に訳せば「二文ギャンゲット」で、deux sous とは小銭が二枚という意味だ。安堂信也氏は本文中で自動ピアノに入れる金額を「三スウ」と訳しているが、ここも本文は deux sousである。【註2】

 ギャンゲットという言葉は、日本ではあまり馴染みがない。私もよく知らなかったのだが、ジャン・リシャール版のTVドラマではこの夢のような婚礼シーンがちゃんと描き出されている。まず人々が集まるのは一階にレストランバーのある川辺の宿屋で、そこから人々はアコーディオン弾きを先頭にしてパレードのように自転車で橋を渡り、あるいはボートに乗って対岸へ向かい、レストランと書かれたホールに行く。そこで婚礼の儀式を挙げ、踊り、酒や食事を楽しむのだ。室内は広く、テーブルや椅子は自由に動かせるので、中央で人々はダンスができる。屋外にも椅子が置いてあり、そこでも歓談できるようになっている。川を見下ろすところには庇のついた休憩場所もあるが、川縁まで降りて行けばボート漕ぎや川釣りも楽しめる。人々はセーヌ川をゆったりと行き来しつつ、両岸のレストランバーとギャンゲットで土曜の一日を過ごすのである。

 本文の記述によると、三文酒場はモルサン=シュル=セーヌ Morsang-sur-Seine とセーヌ=ポール Seine-Port の間にあるようだ。パリからセーヌ川の上流、南南東の方角で、近くに大きな森がある。シムノンはバーやカフェを主要舞台に用いることが多いが、こうしてみると作品ごとにちゃんとシーンを変えていることがわかる。前作『ゲー・ムーランの踊子』も舞台は「酒場」だが、そちらはバンドや踊り子もいる、いわば場末のキャバレーであるのに対し、今回は地元の人々の社交場というべきギャンゲットであるからだ。

 そして事件が起こる。翌日まで宴は続いたが、不意に一発の銃声が聞こえる。皆が駆けつけると、シャツ店主のファンスタン氏が倒れ、その前で銃を持ったバッソー氏が呆然と立っていた。彼は自分がやったのではないという。メグレは警察に連絡し、バッソー氏を護送させた。しかしバッソー氏は途中で逃走してしまう。

 捜査は進展しないまま一週間が過ぎる。メグレはジェームスに聞き取り調査をするため料理店で落ち合った。そのとき取り次ぎがあったのでメグレは電話に出たのだが、相手は困惑するだけだ。慌てて電話ボックスから出たメグレは、そこでジェームスが行方を眩ましていたバッソーと密かに会話しているのを目撃した! やがて死刑囚ルノワールの過去の犯行と、三文酒場に集う人々の複雑な人間関係が重なり合ってゆく……。

 夏の気怠さがこの物語にふしぎなフィルターをかけているかのようだ。それはどこか幻想的であると同時に、生活感を漂わせる奇妙なリアリティである。メグレは夫人がそばにいないので、ずっと外食で過ごしている。そして夫人から届く電報にプレッシャーを感じつつも、この茫洋とした事件が終わるまではアルザスに行けないと感じている。夫人のメッセージはこんな具合だ。

「杏(あんず)のジャムを作り始めました。いつになったら、それを食べにいらっしゃるつもり?」

 そしてある時点でついにメグレは手がかりをつかみ、そこから解決へ向けて物語は進み始める。次のような文章がある。

 彼[メグレ]は今まで、百件近い事件を扱って来た。その結果、ほとんどすべての事件が二段階にわけられ、それぞれ異なった進展をすることを知っていた。

 最初は、警察が、新しい雰囲気との接触に費やす。前日までは名を聞いたこともなかった人々と知り合い、ドラマにゆり動かされている小集団の中にはいって行く。

 まるで外国人のように、敵のように押し入って行くわけで、そこでは、警察に敵意を持った人、狡猾な人、心の狭い人間にもぶつかる。

 しかし、それがまた、メグレにとっては、一番夢中になれる時期でもある。嗅ぎわけさぐりを入れ、しかも、基礎になる何物もない。時には、出発点さえ与えられない。

 人々が騒ぐのを見ているだけで、その誰もが犯人か共犯者かもしれないのだ。

 とつぜん、手がかりがつかめる。すると、第二の段階が始まる。捜査は活発となり、歯車が動き出す。一歩一歩が新しい事実を明るみに出し、そのリズムをしだいに早くなって、ついには、とつぜん、すべてが解決する。

 この時期には、警部だけが動くのではなく、事件の発展そのものが、警部の手助けになる。それも、ほとんど彼とかかわりのないところで進んで行く。彼はただ、とり逃がさないようにそれに従って行くだけでよい。

 これまでメグレシリーズを読んできた人なら、この引用部分は同時にシムノンの小説の書き方でもあると感じるのではないか。シムノンはメグレシリーズを書き進めることで小説の書き方を会得し、小説とはどのように進展するのかを知った。その確信が、ここではメグレの確信として書かれているかのようだ。シムノンが知ったことでメグレも知ったのである。

 リュカ Lucas 刑事、ジャンヴィエ Janvier 刑事と、これまでシリーズに出てきたメグレの部下が再登場するのも感興を誘う。リュカは『怪盗レトン』の第3章に名前だけ登場し、『サン・フォリアンの首吊人』『メグレと運河の殺人』『メグレと深夜の十字路』でいっしょに捜査した刑事だ。ジャンヴィエは『男の首』に登場した。

 だがそうした面々も、本作では走馬燈の絵のようでさえある。後半の捜査は、ギャンゲットでの夢から覚めたメグレがまだ夢を引きずったまま、そして気持ちの半分は夫人のいるアルザスに絡め取られつつ、パリを彷徨っているように思える。物語が進む間、メグレ夫人がずっと手紙を通しての存在であることは非常に効果的である。ドラマ版で残念だったのはメグレ夫人の存在をいっさい省いてしまったことだ。本作においてメグレは心で夫人と繋がっている。そのことが夢や幻のようなこの事件で、素晴らしい意味を持つからである。

 シムノンの原作を最後まで読むとはっきりわかるのだが、本作におけるメグレ夫人は、妻というより母のようだ。それも夢のなかに出てくる在りし日の母である。メグレの精神は思春期のころに還っている。

 安堂信也氏が巻末の「訳者あとがき」で興味深い指摘をしている。

(前略)現代的な感覚から言うと、いかにも甘く、センチメンタルで冷たさの不足していることが感じられるかも知れない。しかし、もしシムノンが、「だれが殺したか」ということだけを主題に、知的で近い敵で非倫理な世界に止まっていたとしたら、物足りなさを感じるに違いない。彼の本領はそこになく、「なぜ殺したか」にあるのだから。そして、登場人物の心理分析も、舞台の雰囲気描写も、実は、この「なぜ」を説明するためにほかならない。「だれが殺したか」の世界は、パズルの、機械の、自然科学の、事実の世界である。それにひきかえ「なぜ」の世界は、最も人間的な世界であり、行動と倫理と自由の世界であろう。

 推理小説のおもしろみは、この二つの世界の総合にある。(中略)

 推理小説家の中で、シムノンは、このことをよく承知している数少ない人たちのひとりだと思う。物足りなさを感じさせるのは、彼が、この二つの世界を小ぢんまりと、手ぎわよくまとめ上げてしまったからだろう。彼の世界観が、戦前の自由主義的個人主義にとどまって、不条理の寸前にまで達しながら、そこに足をふみ入れることをさけているからであろう。しかし。それにもかかわらず、シムノンは、推理小説の文学的可能性を見事に提示している点は高く評価されなければならないと思う。

 これはもともと単体の邦訳『ゲー・ムーランの踊子』(創元推理文庫、1959)の巻末に載っていたあとがきの加筆版で、上掲の部分は合本版では『ゲー・ムーラン』だけでなく『三文酒場』も含めた批評として書き直されている。このような視点の論評はいままで見たことがなかったので私には新鮮だった。

 シムノンの世界観が戦前の自由主義的個人主義に立脚し、そこから抜け出せていないという指摘がとりわけ興味深い。本当にそうなのかどうか、まだ私は判断がつかない。シムノンは戦後にアメリカへ渡り、その経験も後年の作品に影響を与えたはずだから、そうした後の作品群も読んで考えてみたいという気持ちもある。ただひとついままで読んできていえそうなのは、おそらくシムノンには他者との距離感・乖離をどうしても感じてしまうという克服しがたい精神気質があり、それが彼を旅に駆り立てると同時に、旅先で本心から人々とわかり合えない孤独感となって、彼の世界観を形づくってきたのではないかということだ。

 こう書くと多くのメグレファンは訝しむかもしれない。メグレシリーズではメグレが他者に対して深い思いやりと共感を示していると評されることが多いからだ。

 シムノンは決して他者に共感できないのではない。他者と心をひとつにするシンパシーはもちろんできるのだが、むしろ他者の心を忖度するエンパシーの能力が富みすぎており、そのためにかえって孤独を感じてしまう人間だったのはないだろうか。近年、サイコパスの一部は共感性が欠如しているのではなく、むしろエンパシー能力が強すぎて犠牲者の心がわかりすぎてしまうので興奮し、相手に残酷なことができるのだという説も出ているが(ジェームズ・ブレア他『サイコパス─冷淡な脳─』福井裕輝訳、星和書店、2009など)、シンパシー(共感)だけでなくエンパシー(思いやり)能力が高すぎたからこそ、作中でも登場人物を突き放すような発言が書けたのではないかと感じている。

 私はシムノンがサイコパスだったといっているのではない。こうした気質は私たちの誰もが多かれ少なかれ持つものなので、シムノンの描く世界には普遍性がある。ただ、それが自由主義的個人主義だといわれれば、一面ではそうかもしれないとも思うのだが、戦前に特有のものかどうか私にはわからないのだ。

 なるほど初期の作品は戦前の欧州の情勢を大きな背景に置いたものも少なくない。当時の?雰囲気?からの影響はあっただろう。ここで私は、先に引用した文章で作者のシムノン自身が「雰囲気」(atmosphère)という言葉を使っていたことを思い出す。よくシムノンの小説は雰囲気小説だといわれるが、自分で「雰囲気」という言葉を出してきたのは今回が初めてではないか。

 シムノンにはどこか狂気の種がある。私は安堂氏の論評を読んでなるほどと思い、一方ではそうだろうか? とも思った。ただ、なぜシムノンが「この二つの世界を小ぢんまりと、手ぎわよくまとめ上げてしま」ったのかもわかる気がするのだ。

 それはメグレがシリーズキャラクターだからではないだろうか。メグレが作者のシムノン自身と同化しつつあり、そしてシムノンがまだ生きており、これからも生きてゆくからではないだろうか。自分がこれからも生きてゆくのなら、すべてが壊れてしまうようなところまでは描けない。次の作品を書くために、その一歩を残しておかなければならないからではないか。

 一方でシムノン自身はそうした?生きてゆくこと?の限界性にも気づいており、だからこそメグレシリーズを離れて、本人が romans dur(ハード小説ないし本格小説)と呼ぶノンシリーズの作品群に取り組むようになったのではないだろうか。

 とりわけ本作『三文酒場』からは、そのようなことを感じたのだ。

 ところで最後に話は飛ぶが、本作でメグレは「ペルノー」という酒をよく飲む。ハーブ系リキュールの商品名だ。前作『ゲー・ムーラン』にもこれは登場した。

 メグレはこの酒を美味いとも不味いともいわない。だが読んでいて、私は無性にペルノーが飲みたくなった。

【註1】

 シムノン生誕100周年を記念し、2003年から2004年にかけてメグレシリーズ14冊がペンギン・モダン・クラシックスとして再刊された(訳文は過去のペンギン版と同じ)。統一デザインを担当したのは近年イアン・バンクスやカズオ・イシグロ、スティーヴン・キングなどの本も手がけたジェイミー・キーナン Jamie Keenan(ウェブサイトはこちら http://www.keenandesign.com)。シムノンの本についてまわる「おしゃれなフランスの街並みの写真」という固定観念を刷新する大胆な装丁で、とても素晴らしいものだった。

 このシリーズで出た『The Bar on the Seine』の序文で、マイケル・ディブディン氏が次のように書いている。

「いいかい、このアイデアは?ダメ?だ」

 ジョルジュ・シムノンの版元は、彼の最初のメグレ小説、『怪盗レトン』の原稿を読んでそう宣告した。原稿にはこのシリーズの出版をお願いする手紙が添えられていた。

「きみはゲームのルールをすべて壊している。まずもって、このミステリーには何の重要性も見受けられない。ただの日常の犯罪じゃないか。第二に、きみの描いた犯人はほとんど興味をそそらない。いや、それよりもまずい。彼は善人でも悪人でもない。第三に、きみの探偵はそこらにいる人間と同じだ。とくに知的でもないし、ただビールの入ったグラスの前で何時間も座っているような奴だ。うんざりするほど一般的だよ。いったいどうやったらこんなものが売れると思っているんだ?」

 アルテーム・ファイヤール社の反応は完璧に正しく、そしてまた完璧に間違っていた。確かにシムノンは犯罪小説の分野において、何かまったく新しい領域に辿り着いていたが、いずれにせよファイヤールがしぶしぶ出版を決めた後、それはすさまじいほどの成功を収めたのである。(後略)[瀬名の試訳]

 こうした文章を読むと『怪盗レトン』は書き下ろしで出版されたように思ってしまうが、以前に本連載で記したように、実はすでに新聞連載で発表されていた作品だったのである(それに、ここで書かれている版元の反応は、『怪盗レトン』への感想としてはちょっと変だという気もする)。

 この序文でディブディン氏は「ギャンゲット」の言葉の意味を説明しつつ、ヴァン・ゴッホも1886年にギャンゲットを描いたこと、こうした社交場が第一次世界大戦前からの文化であったことを指摘し、またシムノンにとって歌手のジョセフィン・ベイカーとも交流を持ち自分の船で旅をした戦間期はもっとも幸せな時代だったと述べている。

【註2】

 革命前のフランスの通貨単位は、1リーヴル livre =20スー souであった。たしか『レ・ミゼラブル』にもスーという単位が出てきたと思う。革命後は1フラン franc=100サンチーム centimeとなり、1リーヴルはほぼ1フランに等しくなってゆく。だから1スーは約5サンチームである。

 メグレが活躍した時代、すでにスーという単位はなくなっていたはずだ。この時代にはいちばん小さい金額として穴あきの5サンチーム硬貨が使われていたと思われる。しかしメグレシリーズの初期作品ではごくふつうにスーという通貨が流通しており(ただしサンチームも出てくる)、一般市民レベルでどのくらい革命前と革命後の通貨が混じって使われていたのか、フランスの文化背景をよく知らない私にはうまく飲み込めないところがある。『怪盗レトン』で「さあ、百スーやるVoici cent sous(第6章)、「(いくらだね?と訊いた返事が)四十四スーQuarante-quatre sous……」(第11章)とあるのに対し、『サン・フォリアン寺院の首吊人』では郵便料金が「七十サンチームSeptante centimes」(第1章)なのである。

 ごく初期のスー硬貨使用例は例外としても、スー硬貨の概念は生活のなかにまだ根強く残っていたのかもしれない。実は今回の初稿を書き終えた後でわかったのだが、この先のメグレ作品にもスーという単位は面白い場面で出てくる。『メグレと死者の影』に「おれは一スーun souだって稼がない!」「彼女は何にももらえまい! 一スーun souも……」という台詞があって、この場合のスーは厳密な金額のことではなく小銭の意味だろう。一方『第1号水門』の冒頭には《ダンスホール》Bal の自動ピアノに5スー銅貨を入れる描写がある。原文でも cinq sous なので、ひょっとするとこの時代、まだ酒場など人の集まるところには革命前のスー硬貨が用途限定のコインやチップとして残っており、客はそれらを古い機械に入れて利用する習慣があったのかもしれない。

 なお『サン・フィアクル殺人事件』の創元推理文庫版で、第11章の副題は「二スーの笛」と訳されている。だが原文は「deux sous」ではなく「Le sifflet à deux sons」であった。「二度鳴った笛」が正しい。

【ジョルジュ・シムノン情報】

 以前、メグレシリーズの『怪盗レトン』は5番目の刊行作品だが、もともと新聞形式の娯楽週刊紙《リックとラックRic et Rac》に掲載されたもので、名実ともにシリーズ第1作であったことをお伝えした(本連載第4回)。今回その掲載紙が入手できたので紹介したい。掲載は1930年7月19日号(n° 71)から同年10月11日号(n° 83)までの全13回。毎回ほぼ1ページを占める連載で、署名はジョルジュ・シムノン。本名による仕事はこれが初めてだと思われる。

 実はいま、この紙面は誰でも簡単に閲覧することができる。フランス国立図書館(BnF)(http://www.bnf.fr/fr/outils/a.bienvenue_a_la_bnf_ja.html)のウェブサイトにアクセスし、電子図書館ガリカ(Gallica)(http://gallica.bnf.fr)で検索すれば、該当する《リックとラック》が電子版で読めるのだ!(http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/cb328618659/dateから1930年を選択)

 このガリカから、シムノンの初期ペンネーム作品をたくさん探し出すことができる。このことについては、いずれ本連載で詳しくお知らせしたい。

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(写真:©瀬名秀明)

瀬名 秀明(せな ひであき)

 1968年静岡県生まれ。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞受賞。著書に『小説版ドラえもん のび太と鉄人兵団(原作=藤子・F・不二雄)』『科学の栞 世界とつながる本棚』『新生』等多数。最新長篇『生まれかけの贈りもの』が、2015年8月よりNHK出版WEBマガジン( https://www.nhk-book.co.jp/magazine/ )にて月2回掲載。




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